⑬その内容は問題ではない。
「──彼は、幼い彼女に辛くあたった家庭教師の風貌に似ていました」
部屋のある特別客室階のラウンジで、クライヴはそう言った。
「公爵家と、なによりルシアの名誉の為に打ち明けましたが……彼女は純潔です。 貴女が想像なさっていたことは、そういうことでしょう?」
「……」
「お気遣いは感謝しますが、失礼ながら、過ぎた行動です」
クライヴの言っている『気遣い』はフレデリックへの口止めと、侯爵家への移動。それはどのような想像を彼女がしたのかを裏付けていた。
行けば、肯定するようなもの……だからこそ、クライヴはそこに行くのを拒まなければならなかった。
だが、レミリアは己の行動が軽率だったとは思わない。
「なにぶん幼い頃のこと、大人にとっては行き過ぎた躾程度であっても、彼女の心には色濃く陰を落としました」
「……」
彼女はクライヴの言葉を疑っていた。
もしそうであるなら、女である自分こそが、彼女の力になれる筈だ。だから、出過ぎた真似だったとしても、話して欲しい。──そうは思っても、これ以上強引に聞き出すのは難しかった。
レミリアとて貴族子女、クライヴの言動は正しいと理解している。
嘘だとしても、クライヴの言ったことは正論であり、吐く必要のある嘘だ。
それでも──ならば、自分も真摯に訴えるしかない。
「ホーエンハイム卿……私は、ルシア様のお力になりたいのです。 彼女には恩義を感じていましたが、今はそれ以上に」
「……レディ・ハーグナー。 公爵も私もルシアを大切に思っておりましたが、状況や諸々の避けられないことから彼女を孤独な環境に置いてしまったのも事実。 貴女には本当に感謝しております」
「でしたら」
「……レディ」
「私だからこそ、お力添えできることがあるのでは」
レミリアの強い視線を逸らすことなく、しっかりと合わせてから、クライヴは目を伏せ、小さく嘆息する。
「……貴女に話すことが彼女の望みとは思わない」
「!」
クライヴは痛々しく僅かに口角を上げ、苦笑とも自嘲ともとれる笑顔をレミリアに向けた。
「彼女の力になって欲しい……だからこそ。 貴女はどうか、そのままで。 ……お願いします」
そこで初めてレミリアは、自分の行動が軽率だったと思った。
目覚めて突然環境が変わると知ったら。
侯爵家にクライヴと行っていたら。
ルシアはクライヴがレミリアに色々話したと思うだろう。
聞かれたくないことを知られたと思ったなら、ルシアはきっと、もうレミリアに心など開いてはくれない。
勿論、クライヴにも。
「──私の考えが浅かったようです。 申し訳ございません、ホーエンハイム卿」
「謝罪は不要です。 お気持ちは有難く受け取りました。 だが本当に必要がないのです……私は嘘を言っておりません」
彼の言うことが嘘ではない──にしても、他にもなにかあるように思えてならない。
少なくとも、ルシアが聞かれたくないような、なにかはあるのだ。
(今はまだ、知るべきではない……か)
それはもっと信頼を得て、彼女自身の口から聞くべきこと……レミリアはそう悟った。クライヴがなにかをいうことはないだろうし、真摯に彼女を想う彼が、自分にその期待を抱いてくれたことも感じている。
「ホーエンハイム卿。 それでも少し話して頂けたのは、彼女の名誉の為、やむを得ないと感じたからだけですか?」
クライヴは微笑み、軽く首を横に振って否定した。
「そもそも彼女の名誉を守る必要があったのは、ルシアが貴女に好感以上の感情を抱いている、と感じたからです。 ……これで答えになりますでしょうか?」
「……ええ」
「レディ・ハーグナー。 貴女は私のことを、まだ彼女に害なす者とお思いですか?」
レミリアも微笑み、クライヴと同じように首を振った。
もう互いに、それぞれのルシアへの気持ちは相応に理解出来ていると感じている。なのでレミリアは、もうクライヴに過去のことを尋ねるのは止めた。経緯を聞かなければ力になれない……そう思っていたし、今もそういう気持ちはある。
けれど──目の前の彼が、どこか昨日の彼とは違って見えたから。
「貴方のことも、私がなにかお力になれるなら、と。 今は」
「職務上お話し出来ないことも多いのですが……貴女がもし、それでも私を信用してくださるなら、お願いが」
ルシアとの再会は、お世辞にも良いものとは言い難かった。
だが、クライヴにはそのおかげでハッキリと見えたものが、ひとつだけある。
「なんでしょう?」
「私は暫く休暇が許されています」
それは、自分の為にすべきこと。
自分がしたいこと。
「その間……彼女の護衛として、傍にいることをお許し願いたい」
──今度こそ自分が、一番傍でルシアを守る。
レミリアは暫し逡巡した後、条件付きで彼の希望を受け入れることにした。
ひとつは、不用意にルシアに近付かないこと。あくまでも護衛として適切な距離を保つのが条件。
残りの条件は、彼女を守るのに問題ない範囲で、増えるかもしれない他の条件も、受け入れることだ。
「侯爵家預かりのルシア様の護衛、当然その間は私が貴方の主にもなりますが、よろしいですか?」
ふっと少し笑いを零し、「……宰相閣下ではなく?」と冗談で返したクライヴに、レミリアは「この人、冗談も言えるのね」と思い、ちょっとだけ驚く。
「──ええ。 お給料は、私の蓄えから」
レミリアも冗談で返すとクライヴは、ははっと声をあげて笑った。
一旦王宮に戻るので「また明日くる」と去っていくクライヴの姿に複雑な気持ちがじわり、と甦る。彼が視界から完全に消えると、レミリアの笑顔も消えた。
昨夜、早々に眠りについたルシア。
穏やかな寝息とあどけない寝顔にレミリアが口許を緩ませたのは、はじめのうちだけ……夜中になると、次第に魘されていった。
それこそ、レミリアがクライヴにルシアを会わせたくなかった理由──
──『おにいさま、やめて』
殆どが不明瞭な中、辛うじて聞き取れた言葉。
(でも……あの方は、違う)
クライヴの、ルシアへの想いは深く、優しい。
不信感の強かったはじめですらそう感じたし、そうでなければもっと別の方法はいくらでもあるのだ。
第一、ルシアが馬車で彼を見た時、怯えた様子ではなかった。
(そういえば……ルシア様はスヴェン様と踊ってらしたわ)
どうしても出席しなければならない夜会しか出ないルシアだったが、完全に出なかった訳では無い。ダンスを見たのは一度だけだが、数度だけ見た夜会では、スヴェンに普通にエスコートされていた。
パニックになった時のルシアの様子が衝撃的で、その身を穢されたのかと想像してしまったが……冷静に考えると『純潔である』というのは事実ではないか、と思えてもくる。
レミリアの知っている範囲の知識での想像ではあるが、特定の誰かに強い恐怖を与えられたとしても、もしその誰かにルシアが穢されていた場合、男性全てを拒絶するように思われた。
(家庭教師と言っていたわね……)
この国の貴族令嬢が、学園で男性と同じように勉強できるのが常識となったのは親の年代くらいから。まだその歴史は浅く、淑女教育などでなければ、若い男の家庭教師がつくことも珍しくはない。
ただその場合、無論扉は開け放たれるし、侍女などの監視もつくだろう。──ましてや、公爵令嬢であるルシアだ。
幼い彼女がトラウマになるほどの狼藉を、簡単に働ける筈はない。
だが、身内かそれに近く、彼女が心を許す相手であったなら。
(──おにいさま、というのが彼以外にもいたら?)
『貴女はどうか、そのままで』
(……)
クライヴの言葉が頭に過ぎり、レミリアは考えるのを止めることにした。
今やるべき事は、彼女の傍にいること。
少し前と同じように、笑顔でどうでもいいような、くだらない会話を楽しみながら。




