⑫再会。
男はルシアの様子と駆け付けたクライヴに驚き、彼女の腕を離す。バランスを崩したルシアをクライヴは抱き留めた。
「お、にいさま……?」
「ルシア、大丈夫だ」
「──いやっ! はなっ……離して!!」
先程より激しく暴れるルシアを隠すように上着を脱いで被せ、抱きかかえると、クライヴは男の方へ向き直る。
「私はなにも……ッ」
「ああ、わかっています。 御迷惑を」
「……えっ?」
「離して!!」
クライヴは腕の中で暴れるルシアを抱えながらも、「非礼の謝罪を」と言ってポケットから金貨を出し、男に渡した。
「レミリアさん、馬車は」
なにが起こったかわからず動揺しているのは男だけでなく、そこにいた全員。だがこの騒ぎに人が注目している。クライヴの言葉にレミリアは我に返り、急いで目立たない裏手へと先導した。
「ば、馬車は今っ、この裏道を右に回ると先に宿泊しているホテルが」
「そこへ向かいます」
「先の、一番目立つところです……っ!」
最後まで聞かずにルシアを抱えたまま走ろうとするクライヴに、少し声を張る。
(一体なにが……)
混乱しながらも、駆け付けた護衛へホテルに先回りし部屋へ案内するよう指示を出し、レミリアはまず表に戻った。
人が集まる前にクライヴが動いたおかげか、もうこちらに注がれる視線も少ない。
比較的目立たない端に移動して固まっているのは困った顔の男と、その男に話を聞いているフレデリック、それにただオロオロしているローズメリア。
レミリアは留まった護衛と一緒に、彼等へと近付き、少し話を聞いて状況を把握してからホテルへと戻ることにした。
★★★
「──! ──!!」
「ルシア、大丈夫、俺だ、クライヴだ」
「──!」
クライヴに抱えられながらもルシアは、激しく抵抗していた。声がなるべく漏れないようにと被せた上着の中でも尚、暴れる彼女。不本意にもクライヴは自身の肩に頭を押さえつけ、走る。
「大丈夫だ、すぐに着く、大丈夫だから」
走りながらクライヴは、ルシアに必死で声を掛け続けた。
「──」
「ルシア……大丈夫」
突然抵抗がやんだことで、クライヴが少し押さえつけた手を緩めたその時、
「ッ!!」
肩に鋭い痛み。ルシアが噛みついたのだ。
上着を脱いだクライヴが、上半身に身につけているのはシャツ一枚のみ。不意打ちで思い切り噛まれたクライヴは驚いたが、腕は離さない。
噛み付かれている間は叫ばれることはない……痛みに安堵しながら、上着越しの彼女の頭部を柔らかく押さえる。
「……大丈夫だよ、ルシア」
「……」
肩の痛みが緩んでも、ルシアはもう叫ばなかったが、
「…………嘘吐き」
「──」
代わりに小さく聞こえた、彼女の言葉の方が、クライヴには余程痛かった。
「ごめん、ルシア……ごめんな……」
「……」
ホテルに着いた時には、ルシアは意識を失っていた。
表から先回りしていた護衛だが、クライヴは速く、着いたのはほぼ同時だ。その速さだけでなくクライヴの呼吸を整えるスピードにも驚きながら、上がった息で部屋に案内した。
そっとベッドに横たえたルシアの身体に布団を被せると、その傍らにクライヴは腰を下ろした。
折角、市井の娘のように素朴に編んだ髪はぐちゃぐちゃで、頬には涙の跡が残っている。
クライヴは目元に残る涙を、起こさないようにそっと拭った。
(ごめん……)
「……クライヴ卿」
遠慮がちに、部屋まで案内をした護衛が声を掛けると、彼は音を立てずにゆっくりと腰を上げ、寝室を後にした。
「お医者様を?」
「いや、いい。 このまま待たせて貰うが」
「勿論です。 じき、お嬢様もお戻りに」
なにか聞きたげな顔だが、なにも聞かなかった侯爵家の護衛の言う通り、程なくしてレミリア達は戻ってきた。
息を切らさないまでも頬を紅潮させたレミリアからは、相応にできる限り急いだことが見て取れる。彼女が部屋に入るとクライヴはソファから立ち上がり、軽く頭を下げてから近付いた。
言葉に迷ってしまったレミリアより先に、静かに言葉を紡ぐ。
「御迷惑を。 ……驚かれたでしょう」
「……話していただけますか?」
「おふたりには感謝しております。 先の失言をお許し願いたく」
「なら…………!」
クライヴは人差し指を自身の唇にあて、ルシアの眠っている寝室を視線で示した。
寝室にはルシアがいる。
どちらにせよ、ここで話せることではないに違いなかった。
「……然るべき場所を」
「王宮へ。 ホーエンハイム卿も宿泊されてますし、我が主にも」
「──」
「いえ、シモンズ卿」
クライヴは彼の提案を断ろうとしたが、その前にレミリアが口を開いた。フレデリックに強い視線を向けながら。
「侯爵家へ向かいます。 貴方は戻り、スヴェン様へ報告を。 私の判断だと言えばいいわ」
「しかし──」
「ローズメリア、迎えを寄越します。 彼女の傍に」
「……はいっ!」
フレデリックの言葉を遮り、ローズメリアに指示をすると、レミリアは護衛にも指示を出そうとする。
しかし、何故かクライヴはそれを制止し、小声だがはっきりと拒否した。
「レディ・ハーグナー。 移動は必要ない」
「──」
困惑を露にしたあと、レミリアは眉根を寄せる。
「……質問は許さないと?」
それに対し、クライヴはゆっくりと頭を振った。
「移動の必要がないだけです。 あなた方の思っていることとは、おそらく違う」
レミリアとフレデリックはその言葉に、それぞれ先にあった出来事を思い出していた。
男は銀縁眼鏡を掛けた、長身痩躯の大人しそうな青年だった。
曰く、ルシアが躓いたのに気付き、咄嗟に腕を取ったのだという。驚きつつもこちらを向いたルシアは急に顔色を変え、パニックになったそうだ。
「彼の言うことは間違いないと。 私は確認しておりませんが、あの方は彼女をずっと見ていた。 もし仮になにかしようとしていたなら、無事な訳が無い」
「──」
「あ、あの!」
フレデリックとレミリアが話す中、青年は躊躇いつつクライヴから渡された金貨をおずおずと出す。
「……謝罪と、コレを」
あまりに過分だが、惜しいという気持ちもあったのだろう。事が大きくなりそうで、怖くなって出したのが見て取れる様は、どこにでもいるそれなりに善良な、普通の青年だ。
「今日のことは、なかったことに」と、そのまま金貨を握らせ、青年はそこで解放した。
男に腕を掴まれ、パニックになったルシア。
クライヴが言っていた通りにしては、彼と公爵の、不可解とも感じるルシアに対する処遇。
レミリアが虚勢と感じた態度。
スヴェンには見せなかった面。
諸々の出来事に、似たような類の嫌な想像をしていたふたり。
クライヴの言葉は嘘かもしれないが、それは強く尋ねていいことではない。
「──ラウンジで充分です。 それに、話は私の方にも」
納得いかない様子を見かねたのか、クライヴの方からそう告げた。そこにあるのは静かな圧。
「シモンズ卿はどうぞ、お先に王宮へ」
「いえ……」
「大したことのない話です。 ですが、既にお困りでしょうし……第二王子殿下には、彼女の方から話して頂けばいい」
「……畏まりました」
承諾し、部屋を辞したフレデリックは正直ホッとしていた。
先程レミリアに、『スヴェンにはなにも言うな』と暗に示された彼は、どうすべきなのかに頭を悩ませていたのだ。忠誠は勿論主にあるが、レミリアと主ふたりでしていること──彼女は間違いなく、主の妃になる女性だ。
先にクライヴだけを侯爵家に連れていくのには、外聞的に問題がある。だが、ラウンジで少し話して戻ってくるというのなら。
(それに、本当に大したことでもないのかもしれない)
クライヴの動きを間近で見たのだ。
誤解があったとしても、彼がいるならルシアの身になにかあるとは思えなかった。
ご高覧ありがとうございます!
感想をくださる方、ありがとうございます!
いつもとても励みにしています。
この後の展開上、矛盾その他へのご指摘・ご質問及び展開予想などは、ネタバレに繋がる恐れがある為、非常に残念ではありますが、一旦感想欄を閉じさせていただきます。
是非、今後ともよろしくお願い致します。




