⑩緊張と緩和。
スヴェン曰く、クライヴはルシアや公爵家のあれこれについてほぼなにも話さなかったそうだ。ただ、彼女が辛い時に何も出来なかったということ、それを後悔していること。今度こそ力になりたいということ……ルシアを大切に思っていること──それだけを切々と話したという。
クライヴもまた、スヴェンを完全には信用していない。その為、公爵の気持ちやそもそも自分が許嫁であったことすら言わなかった。
王家の第二王子如きとはいえ、余計な波風が立つようなことは避けたい……それに、言えることなど他にない、という職務上の側面もある。
どのみちスヴェンが、クライヴの抱いたいい方の印象通りならば、今必要なのは自分の想いをわかってもらうことのみ。
「──で、スヴェン様はどうお感じに?」
「うん……私は彼とルシアを会わせたい。 クライヴ卿の言葉通り、なにか誤解があるのだと思う」
「……あら」
スヴェンの『判断が得意ではない』理由のひとつは、自信のなさにある。ルシアが来たときも、自信がないからこそ人の言うことに流され、簡単に噂に振り回されたのだ。
だが自ら動くうちに成長し、自信がないことを恥とせず慎重さとして受け入れたスヴェン。彼は相手の意見をよく聞いて観察し、その上で信頼出来る数人の意見を聞いてから判断するようになった。
──そんな、即時判断は必要な時しかしない彼だ。
おそらく「まずは会ってみてくれ」と言われると思っていたレミリアは、如何に真摯にクライヴが訴えたかが理解出来た。
「……彼は『見るだけでも』と言っている」
ルシア自身の意を敢えて聞かずに、目視でそれを確認するつもりだという部分は、『無事だけ確認すればいい』というような無関心さではなく、彼女への配慮にほかならない。
もとより手紙を送ったくらいだ。ルシアの傍にはついているつもりではいたが、家人が来たら勿論、会わせはした。
ふたりは『公爵家の者』が来ても、まさか『公爵代理』が来るとは思っていなかった。
本来ならば、会わせないという選択肢などない。
当然それをわかっているのに、強引にことを進めるのをよしとしなかった彼に、スヴェンは最初のあたりから既に好感を抱いていた。
もしも彼女の意とは反していると感じたなら、なにをしてでも容赦なく奪い返す──クライヴはあの後話す中で、そう告げていた。その言葉や、強い眼差しにも。
「まずはお会いしても?」
「ああ、そうしてほしい」
まさか自分からそう尋ねることになるなんて、と思いながら、レミリアはクライヴと対面を果たした。
「初めまして、ホーエンハイム卿。 ハーグナー侯爵家が娘、レミリアと申します」
「クライヴ・ホーエンハイムです。 ハーグナー侯爵令嬢……ルシアの歓待、公爵代理としてお礼申し上げます」
口では信用していないとは言っても、話をしたことで互いにある程度までの信用はもうしている。行き違ったが、手紙は送った旨をスヴェンから聞いていたクライヴは、洗練された仕草で丁重に礼を述べた。そこに不遜さや傲慢さはなく、こちらを疑っていることや格下相手であることを感じさせない真摯な態度だ。
レミリアも第一印象としてはクライブに好感を抱いた。
(スヴェン様の言う通り、少なくともこの方は言葉通り、ルシア様を大切に思っている気はするわ)
暫く話した結果、やはりスヴェン同様にそう感じはした。そして『公爵代理』と名乗るクライヴが本当にそうならば、公爵もそうなのではないか。
だが、クライヴは肝心なことをなにも話さない。
なので会わせるのには抵抗があった。
「ホーエンハイム卿のお気持ちはわかりました。 貴方の仰ることを信用したい……ですが、私達のことも信用していただけませんか?」
「レディ、私も同様の気持ちです。 おふたりを信じ、最大限に譲歩しているのはこちら…… 聡明な貴女だ、おわかりでしょう?」
「……」
本来会うのは当然で、こちらが不敬な態度を取っていることになる。だがもともと会わせるつもりではいたのに、今になって会わせたくないのには、レミリアなりの理由があった。
「……仰る通りです。 礼を失しているのはこちらの方……ですが、私達のそれも彼女を思うが故。 そこを信じていただく為にも、一旦彼女の様子をご覧になった後で、話の続きを致しませんか?」
★★★
『彼女は私の大事なお友達なの。 でも緊張しなくていいわ、ローズメリア。 貴女は普段通りで。 礼節は大事だけど、貴女の大切なお友達をもてなすつもりでね』
ローズメリアの生家であるアンダーソン子爵家は、そんなに裕福ではない。愛されて育った彼女だが、愛嬌はあっても特別な取り柄のないウッカリ者の次女に、学園に行かせる余裕はなかった。
田舎貴族の末娘、出会いも伝手もなく、婚約者もいない。
そんな彼女を何故か気に入り、侍女として呼び寄せ必要な知識や経験を与えてくれるお嬢様に、ローズメリアは大変な恩を感じている。
(なのにこの体たらく……ッ!)
ローズメリアは自らの失態に結構なダメージを受けていた。
自業自得だが、彼女に悪気などない。ウッカリ小説を手に取ってしまったのは、待ちの緊張感に耐えられなかったのである。『期待してもらえた』ことへの喜びで意気込み過ぎていたので、より一層。まあ……それはまだしも、のめり込んだのは阿呆としか言い様がないが。
ローズメリアはまだ14。田舎で奔放に育った彼女は、働き者ではあるが他より大分幼いところがある。真面目で特別不器用でもないローズメリアが粗忽者なのは、概ねこういう部分に原因がある。
(気を取り直して挽回しなければ!)
緊張には弱いローズメリアだが、立ち直りは早い。痛む爪先には我慢をして立ち上がり、ピシッと背筋を伸ばした。
「失礼致しました! お嬢様、只今朝食のご用意を……!」
「……」
(う~ん、お腹があまり空いていないわね……昨日はいつもより大分多く食べたし……)
昨日レミリアに連れ回され、街で食べ歩きをしたルシアの腹具合は微妙だった。それに寝坊したので朝食には遅いし、レミリアは『昼頃戻る』と言っていた。今食べたら昼食は無理だ。
部屋に置かれた小さなテーブルには、銀の蓋。『朝食の用意』とは、お茶を淹れてくるとかそういう感じなのだろう。
そんなことを思いながら、目の前の珍妙な侍女に視線を移した。
「それより貴女……ローズメリア?」
「はい! 名前を覚えていただき光栄です!!」
(なんだか兵士みたいね……)
ビシッと直立したローズメリアに、公爵領で似たような態度を緊張した面持ちの若い兵士に取られたことをなんとなく思い出す。
ルシアは特に深い意味もなく、先程ローズメリアが足の上に落として、後で慌てて戻した本を手に取ってみた。
動きは兵士でも、読んでいたのは恋愛小説のようだ。
「食事はいいわ、それより」
そう言いながらルシアはソファに座り、ローテーブルに積まれた本を上から順に下ろした。題名を見ると、全部娯楽本らしく中には冒険譚らしきものもあるが、恋愛小説と思しきものが殆ど。
「コレ……面白かった?」
「! 」
ルシアは恋愛のある話など、異国の伝説を集めた本などでは読んだことがあっても、それがメインの大衆恋愛小説なんて読んだことがない。興味がどうとかよりも、そもそも本棚に並んでないのだ。
「もっ……申し訳ございません!!」
「? ……ああ、別に怒っていないわ。 それより貴女、こういうの詳しいの?」
「え? ……あっ? ──は、はいッ!」
「ふぅん。 面白いのはどれ?」
「ただいまー……あら?」
レミリアが王宮から戻るとルシアは湯上りで、横になってローズメリアに筋肉痛の身体をほぐすマッサージを受けながら、本のあらすじを彼女に語らせていた。
ルシアは特に恋愛小説に興味があるわけではない。ただ、面白いなら暇潰しに読んでみてもいいかな、と思った程度の気持ちでローズメリアに尋ねた──だが思いもよらず、ローズメリアは恋愛小説に本当に詳しかったのだ。
一番上のは新しいらしく、彼女も読んだことがなかったそう。「それ以外は全て読んだ」と言うので、あらすじを話させ、気になったところや聞いてもよくわからなかった部分、オススメされたシーンだけ、掻い摘んで読むことにした。
語ったことで緊張が解れたローズメリアは、そろそろレミリアが戻るので出掛ける準備の為に湯を用意した。その際『筋肉痛だ』とルシアが零したので、現在に至る。
ローズメリアは意外とマッサージも上手かった。
「……随分仲良くなったのね?」
ふたりの相性は良かったようである。
レミリアはちょっと複雑な気持ちになりながらも、今日のお出掛けにはローズメリアも連れて行くことにした。
(楽しそうなルシアちゃんを見て、あの方はなんて言うかしら……)
そして、その後どう動くつもりでいるのか。
自分達を信用し、彼女を任せる気になったとしても、それでは解決しないだろう。
すれ違いや誤解だと言うなら、スヴェンとレミリアはその経緯を話して貰わねば、結局なんの力にもなれないのだ。
レミリアはそれをとても、もどかしく感じていた。
ご高覧ありがとうございます!
ストックが切れたので、二日程更新をお休みします。
制作工程上数話作るので、それから暫くはまた毎日更新です。
再開時に是非またご高覧いただけると、大変嬉しく思います。




