1-7『斜陽』
夕暮れ時。城下町を見下ろす城門前広場にウィレム大公とニナの姿があった。
「そう言えば先ほどちらっとユーリに聞いたのだが。獣人狩りで活躍したそうだな。具合はもう良いのかね?」
「はい、バッチリです」
アブギド山での死闘から二週間。全身打撲に左前腕並びに左あばら骨の骨折など、名誉の負傷を負い歩くこともままならなかったニナではあったが。魔術師達の献身的な治癒魔術を受け続け、現状はほとんど日常生活に支障のないレベルにまで回復していた。
左の掌を握ったり開いたりして、大公に快癒をアピールしてみせる。
「もう戦闘訓練も再開しているんですよ。でもしばらく休んじゃったから身体が重くて」
「ははは、流石はラウド候の娘だな。それだけ酷い目に遭ったというのに全然懲りないと見える」
「ちゃ…茶化さないでください…」
「いや、これは失礼」
おどけて一礼する大公の姿がなんだかおかしくて、ニナの口元から笑みがこぼれた。その様子にウィレムは笑顔を浮かべ満足そうに頷くと、崖下の城下を見下ろしながら彼女に問うてみた。
「君はこの国は好きかね?」
「はい、大好きですよ。ヘンネフェルトは周りに比べたら小さくて力の弱い国だけど、私はこの国に住む皆を愛しています。だから私もこの国を守るために、少しでも父さまや兄さまの助けになれたら良いなと思ってます。その為にまだまだ頑張らないと……」
そこまで言いかけて、ニナは吐息を漏らした。先ほどまでの笑みは消え、街並みを見下ろしながら無表情でポツリと漏らす。
「――でも、また戦争が始まるんですよね?」
斜陽の光を浴びてオレンジ色に染まった少女の横顔は、この国の行く末を案じて憂いているように大公の目に映った。
「戦争は……嫌いです。五か月前の戦いでもヘンネフェルト騎士団は多くの仲間を失いました。もう、あんな悲しい思いはしたくないです……」
それに、と付け加える。
「父さまの事です、戦争が始まったら自分も出撃するとか言ってませんでしたか?」
ふと、どう応えたものかと思案する。だが誤魔化したところで意味は無いだろう。聡明な彼女は自分の父親の性格をよく知っている。
「頑固な男だからな、説得は諦めた。お前の事なんか知るか―と突き放してきたよ、ははは」
お手上げだと言わんばかりに両手を上げて笑う大公につられ、ニナも思わず苦笑した。
「ウィレム様は幾度も戦争を経験されてると伺ってます。戦いが嫌になったりする事って無いのですか?」
「そりゃあるさ。君と同じだよ。戦争になれば少なからず人は死ぬ。何度経験しても気の置けない仲間達の死は身に堪えるよ。だが――」
そこまで言って。
「――戦わねば守れぬものだってある」
ウィレムの口から突如発せられた一言に彼女は目を丸くする。それは静かで冷たくて。一瞬別人かと見まごうような感情の凍えた声音だった。突然の彼の変化に戸惑うニナの前で、大公は鉄柵にその身を委ね振り返る。夕日の逆光に隠れたウィレムの表情をうかがい知ることはできない。
しかし、一拍置いて続ける彼の声は普段の落ち着いた声色に戻っていた。
「エルサーナは年の半分は雪に覆われる寂れた国だ。土地は痩せ作物は満足に育たず、国民は常に飢えと寒さにもがいている。彼らを食わせていくには仕事が必要だ。だから兵を育て、他国の戦争に貸し出すことで外貨を得る。戦わなければ国民を守ることはできないのだ。誰かが戦場で死に、その対価で糧を得て別の誰かが生きて行ける。我が国の民は何年も何年もそうやって生き伸びてきたのだよ」
「それは………」
答えに詰まり、言葉を発することが出来ない。戦いに明け暮れる大公を非難したつもりは毛頭なかった。だが今の質問は失敗だった。大公は自分が非難されていると感じたかもしれない。相手の国の事情も知らず、何と失礼な事を聞いてしまったのだろう。
「ご、ごめんなさい! 私、そんなつもりは……」
「ははは、私の応え方がいけなかったのだ、気にするな」
周囲に闇が迫り街道沿いのガス灯が点灯し始めた。逆光で見えなかった大公の顔が照明の柔らかな光に照らし出される。彼は、少し寂しそうに笑っていた。
「昔から何度も訪れた所ではあるが、いつ来ても活気に満ちた良い街だな」
黄昏に染まった町並みでは大勢の人たちが家路を急ごうと、忙しそうに行き交っている。それらの光景をぐるりと見まわした後、複雑な表情で立ち尽くしているニナの姿を確認し、大公はやってしまった、と頭を掻いた。
「すまない、なんだか辛気臭い話になってしまったな。このあたりで止めておこう。それよりも小腹が空いた。良ければおすすめの店を紹介してもらいたいのだがな」
「は、はい! それでしたらウィレム様のお口に合うか解りませんが、行きつけの食堂が―――」
城下を案内するという自分の役割を思い出し、ニナが慌てて眼下の商業区を指さし、そう言いかけた瞬間。
大量の真っ白い煙を巻き上げて、轟音と光熱波が商業区に霹靂の様に響き渡った。