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ヘンネフェルト白書  作者: Hira@黒幕
第一章 侯国編
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1-3『弱者の意地』


 ニナは幼いころより負けん気の強い活発な子供だった。

 歳が四つ離れた兄と共に城下町に降りては地元のガキ大将と取っ組み合いの喧嘩をして、兄妹そろってボロボロになって帰宅し両親を驚かせた事も一度や二度ではなかった。

 いつしか城下町では『領主様の兄妹はとんでもない悪ガキだ』という噂が立つようになり、父ラウドはいつも頭を痛めていたという。


「知ってるか? 城のずーっと西に古びた塔があるだろ?」

「うんー、父さまが絶対に近づいちゃいけないって言ってた塔の事でしょ?」

「そうだよ。あそこさ、なんで近づいちゃいけないのかお前知ってるか?」

 

 ヘンネフェルト城の一室。兄ユーリが発した唐突な質問に、奇麗に着飾ったお人形でおままごとをして遊んでいた幼き日のニナはしばし考え込んだ。


「わかんない、兄さまは知ってるの?」

「前に爺やに聞いたんだ。あの塔には魔物が棲んでいるんだよ。近づく悪い子は食べられちゃうんだってさ」

「そうなの?」

「でも不思議なんだ。その塔に爺やが一週間に二、三度はこっそり行って様子を確かめてるようなんだ。気にならないか?」

「うーん、でも…」

「なんだ、お前怖いのか?」


 挑発するように悪戯っぽく笑みを浮かべる兄の様子にムッとして、思わずニナは言い返した。


「怖くなんかないよ! 私、怖い物なんてないもん!」

「へー、じゃあこれから行ってみようぜ。魔物の正体を見極めてやるんだ」



 城を出て子供の足で半刻ほどの距離にその古びた塔は存在した。本来監視用に建てられた見張り塔だ。だが現在は使われていない様子で、周囲は雑草だらけな上に手入れが全くされていない蔦が塔全体を無造作に覆っていた。

 入口のさび付いた扉には不釣り合いな真新しい鎖付きの錠前が取り付けられている。ここに人の出入りがあるのは確からしい。


「鍵がかかっているよ、どうするの?」

「へへーん、これを使うのさ。爺やの目を盗んで持ってきたんだ」


 ユーリはポケットから金色に装飾されたカギを取り出すと、慣れた手つきで解錠にかかった。

 その様子を見ながらニナはだんだん自分たちがいけない事をしているのを実感して、たまらず弱音を漏らす。


「ねー、兄さま本当に大丈夫? 父さまに怒られるし帰ろうよ」

「今更怖気づいたのかよ。バレなきゃ平気だって。さぁ開いたぞ、入ってみようぜ」


 塔の中は吹き抜けになっており、石造りの階段が壁に沿って最上階の部屋まで続いている。本当に魔物がいるのだとしたら、恐らくあの部屋だろう。そこかしこにクモの巣がかかり、すこしカビ臭い淀んだ空気が漂っていた。

 埃だらけの階段――とはいっても、段の中央部分だけは最近人が歩いたような不自然な跡が見られるが――を見上げながら、ニナは部屋の奥に潜む者の正体に思いを巡らせる。

 少しは興味がある。その魔物はどんな姿をしているんだろう? どうしてあんな狭い部屋に閉じ込められているんだろう? でも、何故だろうか。何かとてつもない圧迫感を感じる。

 平然と階段へ歩みを進める兄に対して、言葉には上手く現せないが漠然とした不安に襲われた妹はその一歩がなかなか踏み出せないでいた。この奥には進んではいけない。"それ"を見てしまったらきっと後悔する――。


「やっぱり怖いか?」


 彼女の心情を見透かすようにユーリがニヤリと笑う。ニナはなんだか無性に腹が立った。ただし兄に対してではなく、良く解らない理由で怖気づいている自分自身に対してだが。

 彼の言葉をスルーして勇気を奮い立たせ、妹は兄を追い越してふくれっ面のまま無言で階段を昇っていく。そんな彼女の前に古びた金属製の大きな扉が立ちはだかる。身長が低い子供のニナには見上げるほどの高さだ。


「兄さま、扉があるよ。でもここも違う形のカギがかかっているみたい」

「なんだって? 参ったな、カギはこの一つしか持ってきてないぞ」

「これじゃ中には入れないね、どうしようか」

「このまま帰れば説教確定なんだけど、成果無しってのは怒られ損だよなぁ。その鍵穴から中の様子を見られないか?」

「ここから覗けばいいの? やってみる」


 鍵穴の位置は幼いニナの身長よりやや高い位置にあったため、精いっぱい手を伸ばしてドアノブに手をかける。そして懸垂する形で頭を鍵穴の位置に寄せ、彼女は恐る恐る中の様子を伺ってみた。


「―――――え?」



 鍵穴の奥、暗闇の中には瞳があった。血で染まったような真っ赤な瞳。そこに映る者を射殺さんばかりのどす黒い怨恨と憤怒と、そして絶望に満ちた瞳。それが鍵穴を通してニナをじっと見つめていた。

 やはり見てはいけなかったのだ。声なき悲鳴を上げ、プツリと細い糸が切れるように彼女の記憶はそこで途切れた。



*****



 幼き日の出来事を夢に見ていたような気がする。ただ、夢とは儚きものだ。目が覚めればたちまち霧散してしまい殆ど記憶に残らない。

 そんな事よりも――と、夢か現かまどろんだ状態で独り言ちる。

 上手く呼吸ができず息苦しい。瞼の裏が真っ赤に染まり身体が鉛の様に重い。手足を動かそうとして、身体中を駆け巡る熱いものに薄れ掛けていた意識が一気に呼び戻される。


「―――痛ッ」


 瓦礫に埋まりうつ伏せに倒れている事に気付くと同時に、激しい痛みに思わず身をよじる。目を開くと激しい衝突を物語る崩れかけた壁が視界に飛び込んできた。オークの強烈な一撃を胴体に喰らった彼女は、そのまま壁に叩きつけられ意識を失ったのである。

 倒れこんだ際に岩で額を切ったらしく、拭ってはみるが流血が止まらない。また左の脇腹にも鋭い痛みがある。あばら骨が二、三本折れているのかもしれない。

 鎧をまとっていなければ先ほどの一撃で恐らく即死していただろう。だが生きている。この程度で済んだのは運がよかった、とニナは胸をなでおろした。


 崩れた瓦礫から這いだしたニナは、刺突剣を杖代わりにしてよろよろと立ち上がると、周囲を警戒して意識を配った。天井の隙間からわずかに差す日の光以外に光源がない薄暗い洞窟では良く見えなかったが…近くに人や魔物の気配はない。

 仲間たちは無事に逃げ出せたのだろうかと思いを巡らせ、そして一つの答えに行きついた。自分は意識を失っていたのにとどめを刺されていない。仲間たちの姿もオークの姿もここにはない。


(――二人は囮になってまだ逃げ回ってる――!)


「行、かなきゃ…! じゃないと、二人が、殺される……!」


 ボロボロの少女は腰のポシェットから回復薬の入った小瓶を取り出し飲み干すと、痛む脇腹を抑えながら洞窟の奥に向かって走り出した。


 

******



「どどどど、どうするんだよぉこの状況!! 相手はオークだよ! たった一匹で村を壊滅させるようなとんでもない化け物だよ!?」


 共に顔中から涙やら鼻水やら色んな汁を垂れ流しながら、薄暗い洞窟をトマスとジェフリーは全力で走り抜けていた。何があっても脚を止めてはならない。すぐ後ろに迫っている狂戦士からとにかく逃げなければ命はない。時折前方に空気の読めない小柄なゴブリンが飛び出してくるが、そんな雑魚に構ってなんかいられない。蹴散らし体当たりで吹き飛ばし、時には武器で殴り飛ばしてただひたすらに逃げ回る。


「先の事なんかなんも考えてねぇよ! とにかくアイツを姫様から遠ざける、それだけだ!!」

「ええええええっ!? で、でもこの先は確かさっき僕たちが落ちてきた広場で…行き止まりだよッ!?」

「んなあああああああ!?」


 もはや絶望しかない。重装備で盾役を務められるニナが居たならば状況はまた変わっていたのかもしれないが、ここに居る二人は軽装兵と魔術師。オークの強靭な肉体から繰り出される攻撃を一発でも喰らえば命はない。


「なななな、なんか作戦考えろよ! お前そういうの得意だろ!?」

「こんな追い詰められた状況じゃなんも思いつかないよ!!」


 そうこうしているうちに、二人は彼らが最初に落ちてきた広場にたどり着いてしまった。行き止まりである。もはや袋のネズミ、逃げ場はどこにもない。

 眼前に立ちはだかる壁を背に恐る恐る振り返ってみれば、そこにはやはり希望を打ち砕く巨大な狂戦士が不敵な笑みを浮かべて立ちはだかっていた。 


「あー……途中で撒いていたら嬉しいなーなんて、ちょっと思ったりもしたが……」

「現実は、厳しいね……ハハハ」


 広い空洞に彼らの乾いた笑い声がこだました。二人を追い詰めたオークは勝利を確信でもしたか恍惚の表情を浮かべ、ニナの血で染まった凶器を高々と振り上げゆっくりと歩み寄ってくる。もはや迷っている暇はない、戦うしかない――。


「こうなりゃやぶれかぶれだ! オレが目くらましをかけっから、その隙にアイツの心臓をえぐり飛ばしてやれ!」

「そ、そんな無茶な!」

「やらなきゃ二人とも死ぬだけだ! 期待してるぜ相棒!!」


 狼狽して抗議の声を上げるトマスを後目に、ジェフリーは半ばやけくそ気味に詠唱を開始。魔術の構成を脳裏に描き、杖を振り上げ解き放つ。


「光よ――ッ!!」


 光源を最大まで上げたジェフリーの光魔法(ライティング)が発動。杖の先からこぼれだした光の奔流は周囲の暗闇を全て消し飛ばし、オークの視界を真っ白く染め上げた。


「トマス! 今だーーーッ!!」

「うあああああああああああああッ!!」


 直接光を浴びないように半眼でオークの真横に回り込んでいたトマスは、意を決して剣を構え敵の胸元目掛けて一撃を繰り出した。

 作戦的にはまずくはなかったはずである。これが人間相手だったり、一般的なゴブリンやコボルトといった獣人クラスだったなら十分通用したであろう。

 しかし――。


「……へ?」


 心臓をえぐり飛ばすはずだった必殺の一撃は無情にも怪物の硬く発達した大胸筋に阻まれて、胸元に浅い傷を突き刺さっただけで止まってしまった。 

 間髪、オークの左腕が放つ強烈な裏拳が、弾かれた衝撃でのけ反るトマスの腹を捉え反対側の石壁まで軽々と吹っ飛ばす。


「ふぐうっ!!」


 受け身も取れずに地面をもんどりうって転がるトマス。腹部を中心に身体を駆け巡る激痛に吐き気を催し、のたうち回りながら何度も胃液をぶちまける。

 対してそれをやった当の本人は胸元に刺さった剣を無造作に投げ捨てると、勝ち誇ったような表情でジェフリーの方を向き直る。

 肩が小刻みに震えている。笑っている。こいつはこちらを見て笑ってやがるのだ。まるで人間ごときの攻撃など自分には蚊ほどにも感じないとでも言わんばかりに。圧倒的強者の余裕。自分が負けるなど微塵も思っていない――。


 それを理解した瞬間、ジェフリーの頭の中にどす黒い感情が湧き上がってくる。こいつは今、何をした?俺の親友に、何をした?


「てんめぇ……よくもやりやがったなぁーーー!!」


 興奮して脳内をアドレナリンが駆け巡る。びびって震える手足を湧き上がる怒りで無理やり抑え込み、叫び声に乗せて魔術構成を展開、暴走することも厭わずに全力の氷結魔法を解き放つ。制御する事を放棄されて発現した吹雪にも似た暴走状態の冷気の奔流は、洞窟内の空気を一瞬にして低温に冷やし白い霧を巻き上げて怪物の全身を氷漬けにする。


 洞窟内に一時の静寂が訪れる。


 だが、それも長くは続かなかった。死んだかに思えた怪物が氷漬けのまま吠える。その咆哮に共鳴するように全身を覆う氷塊はひび割れて砕け、細かい氷の粒が雪のように周囲に舞い、そして消えた。


 全力で魔術を放った反動だろう。ジェフリーの全身を耐えがたい倦怠感が襲い掛かる。その場に尻もちをつき、がっくりとうなだれる。


 ――情けねぇ、俺はこの程度か――。


「ジェフ、逃げて……」


 未だ立ち上がれないトマスが、振り絞るようなか細い声で叫ぶ。

 わかってはいる、わかってはいるんだ。今動かなければ確実に殺される。でも身体が動かない。そもそも動いたところでどうなるっていうんだ?全力で放った魔術もたいして効いた様子はない。これ以上どうしようもないじゃないか。オレは頑張った。頑張ったけどどうにもならなかったんだ。だから――。


「ジェフーーーッ!逃げろーーーーッ!」


 怪物が凶器を振り上げた。もう数秒後には頭をぐちゃぐちゃに潰された魔術師の遺体を見ることになるだろう。親友の最期を直視できず目をそらしていたトマスは、拳を固く握りしめて彼の名を絶叫した。




 ――その時だった。


「諦めないで!!」




 唐突に眼前を風が通り抜けたような気がして、トマスは顔を上げた。視界に飛び込んできたのは盾を構え、鉄鎧に身を包んだ一人の少女。

 あれは――。


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