1-1『初任務』
「……様、聞いておられるのですか、ニナ様」
空は快晴、雲一つない青くどこまでも澄んだ空が続き、周囲を飛竜たちが風に乗り優雅に飛び回っている。そんな彼らに心を奪われていた少女は、呆れたように呟く女性の声に我を取り戻した。
身長は百六十センチメートル程度、翡翠色の瞳、美しいブロンドの長い髪を三つ編みで束ね、重いプレートアーマーで身を包む。ヘンネフェルト侯国の国章である飛竜が描かれた金属盾を背負い、巧みな装飾が施された刺突剣―レイピアを携えている。
少女――ニナ=アリソン=ヘンネフェルトは騎士であった。もっとも、正式にヘンネフェルト侯国騎士団に入隊が認められたのは十八歳を迎えた極々最近の事ではあったが。
ヘンネフェルト侯国は北大陸の大半を支配するウィルランド共和国の属国であり、辺境伯ヘンネフェルト侯爵家が治める騎士の国である。ゆえに共和国の首相より領土を預かる侯爵家の人間は、たとえ女性であっても騎士に従事せねばならない規則が存在する。だから現当主ラウド=ギュンター=ヘンネフェルト侯爵の娘であるニナが騎士になったのは当然の流れともいえた。
「あ、えっと、ごめんなさいファラ。なんでしたっけ…?」
「なんでしたっけ、じゃありませんよ。今日が入隊して初めての任務だというのに、また例の突発性妄想癖ですか。一体、今回はどこの空を飛んでいたんです?」
若い騎士たちを引き連れる女性は、いわゆる竜騎士だ。翼を広げれば5メートルは超える、全身を硬い鱗で覆われた立派な体格の飛竜、ワイバーンを従え長槍で敵を穿つ空の騎士である。侯国騎士団でも三本の指に入る実力者の彼女、ファラと呼ばれた赤い髪の女性騎士は苦笑交じりに嘆息した。
「ち、ち、違います! ただちょっと、あの子たちはあんな自由に空を飛べてうらやましいなーと思っただけで…」
「まぁ、この風景を見れば気持ちは解らないでもないですけどね。でもここからはまじめにやって頂きませんと、最悪命を失う場合だってありますよ」
「ご、ごめんなさい…」
――初任務。
ヘンネフェルト城の裏山「アブギド山」には、世界的にも珍しい飛竜たちが多く棲んでいる。北大陸に多大な影響力を持つユラン聖教会にとって飛竜は信仰対象であり、その飛竜が棲まうこの地は文字通りの"聖域"であった。それゆえ山の入り口は侯国騎士団によって厳重に管理され、一般人が許可なく立ち入ることは禁止されている。
その"聖域"に獣人の一種、ゴブリンの一団が住み着いたとの報告が歩哨からもたらされたのは数日前の話だ。このまま放置すれば、やがて彼らは数を増やし、飛竜たちの巣を襲撃して卵や雛に被害が出るのは必至である。そのため、聖教会からの依頼を受けた侯国騎士団が討伐に派遣されたというわけだ。
だが、ただ討伐とはいっても敵を見つけ次第退治すれば良いという簡単な話ではない。ゴブリン族は人間の子供並みに力が弱く知性も低いが、決して愚かではない。経験から学習する事が出来、時には徒党を組んで人間の集落を襲うなど侮れない種族だ。そして彼らは斜面にある無数の洞穴に隠れ棲み、騎士団を警戒してなかなか姿を現さない。
「だから、まずは彼らの巣穴を見つける必要があるんです。でも、見つけたからって先走ってはダメですよ。相手の兵力がまるで分っていないんですから」
「つまりは偵察って事ですよ、姫様ぁー。今回はたいして激しい戦闘も無いだろうし、ま、気楽に行きましょーぜ」
声をかけてきたのは見習い騎士トマスと、ユラン聖教会所属の派遣魔術師ジェフリーだ。
茶髪のおかっぱ頭を整え、見習い騎士の正式装備を規則通りキッチリ着用しボウガンと剣で武装した生真面目なトマスとは対照に、ボサボサの長髪で頬に怪しげな入れ墨、教会から貸与されたローブをあえて着崩したジェフリーは明らかにその場の雰囲気から浮いている。
彼女にとっては二人とも年齢的にも近い古くから見知った顔なじみであった。
「そう言う事です、今回の任務はあくまで偵察。部隊を各三名の二つに分け、周辺を捜索。夜は危険ですから日没前にはここに集合しましょう。ニナ様にはトマスとジェフリーを付けます。熟知している彼らとなら連携も取りやすいでしょうし」
「ひゃっほー、流石はファラ様、わかっていらっしゃる!」
ファラの説明が終わるや否や、指名されたジェフリーが歓喜の声を揚げてニナの元へ駆け寄ってくる。そして勢いそのままに彼女の前で跪くと、うやうやしく右手を差し出した。
「おまかっせください姫様! 不肖このワタクシ、未来の宮廷魔術師、貴女のジェフリーが姫様を必ず守り通して見せましょう!」
「は、はぁ……」
「では失礼ながら姫様、お手を拝借。我々の担当地域はこちらでございます! アブギド山は初めてでございますか? エスコートはこのワタクシめにどうぞお任せください! さぁ、共に参りましょう!」
「え、え、ええ!?」
困惑するニナの様子を気に留めず、渾身のキメ顔で"姫様"の手を取ることに成功したジェフリーではあったが。調子に乗ってその手にキスをしようと頭をかがめた瞬間、その頭上に無情なる鉄槌もとい重たい木製のボウガンが振り下ろされた。
「いってぇぇ~~!!? おいトマス! お前いきなり何をしてくれやがりますか!?」
「ジェフこそ、なーにドサクサに紛れて手を握っちゃってるんだよ! ニナ様が困ってるじゃないか! 君は下心丸出しなんだよ!?」
「ごごご、誤解すんなよ! 俺はただ純粋に、敬愛する姫様にアブギド山を手取り足取り案内しようと……」
「あ、大丈夫。私、この山には何度もハルと来たことがあるから。案内は要らないです」
「へ? ハルさん……ってどちらさま? まさか、恋のライバル出現!? しかも既に何度も逢瀬を重ねていらっしゃると!?」
ジェフリーは驚愕の表情で両手を地面に着き、力なく膝を折って狼狽する。そんな彼の様子を見て少し微笑んだ彼女は、再び空を見上げた。
「違います―。ハルは女の子なんだから。見てて」
上空には相も変わらず気持ちよさそうに飛竜たちが風に乗り踊るように舞っている。その飛竜の群れの中に"相棒"の姿を見つけたニナは、手を振って呼び掛けた。
「ハル! そろそろ時間だよ、降りてきて!」
甲高い鳴き声と共に、黒い影が一陣の風と共に辺りを走り抜ける。舞い降りてきたのは周囲を舞う飛竜たちより一回り小さな子供だ。ただし小さいとはいっても翼を広げれば2メートル超、「大空の覇者」ワイバーン族に相応しい立派な体躯を持つ。
ハルと呼ばれた"相棒"は地表すれすれを滑空し、ニナが差し出した右腕を発達した後ろ足で掴むと風に乗ってそのまま舞い上がった。
「わ、ワイバーンだってーー!?」
「それじゃファラ、行ってくるね! 二人ともぐずぐずしてると置いて行っちゃうよー!」
「ちょっと待ってくださいニナ様ぁー! 一人で行かないでくださーい!」
置いて行かれることに焦り、少女を追ってトマスとジェフリーが慌てて駆け出す。
その様子を残されたファラと騎士たちは苦笑しながら見送ったのであった。