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ヘンネフェルト白書  作者: Hira@黒幕
第一章 侯国編
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1-11『小休止』


 ――おい、起き―――勝手なこ―――手に――――じゃねぇ!



 夢か(うつつ)か、誰かの声が聞こえたような気がする。



 ――あああ、どうしたら―――――――

  ――そ、そうだ、緊急時は―――昔に姉貴に教わ―――――

   ――えーえっと、鎧を外せ―――どこいじりゃ外れ――――あ、これか。



 ガチャガチャという金属音と共に、身体が揺すられたような感覚を覚える。

 脳裏に響く声は徐々に明瞭になっていく。誰かが自分の近くで呟いているのだ。



 ――よ、よし、外れ―――でも心肺蘇生って……相手は女の子―――

  ――い、意外――あるんだな……このへんを圧迫す―――いいのか?

   ――クソ、迷ってる場合じゃ―――――やるっきゃねぇ!



 (……ん? 心肺、蘇生――?)



 もう少しの間まどろんでいたい欲求はあったのだが……。

 耳に飛び込んできた単語を咀嚼してその意味を探り、散り散りになっていた意識をかき集めてゆっくりと瞼を開ける。


 唐突に視線が合った。それも互いの息がかかるほどの近距離で。



「―――あ」


 時間が止まる。一瞬の沈黙。



 やがて、冷や汗をだらだらと垂らしながら、明らかに狼狽し青ざめた表情で眼前の人物が口を開く。


「……あ、ええと―――オハヨウゴザイマス」


「―――う」


「………う?」


「うっきゃああああああああああああああああ!?」



 自分でも驚くような悲鳴をあげて即座にガバッと起き上がり―――。


 目の前の人物の顔面に盛大に額をぶつけ、ニナの視界に火花が散って暗転した。




 「………もうちょっと、離れてもらえます?」


 「だから誤解だって! そんなつもりじゃなかったんだよ!」

 

 「―――」


 川に面した深い森の中。月の光は鬱蒼と茂る樹木に覆い隠され、地表にはほとんど届いていない。加えて川霧が立ち込め、周囲は深い漆黒に包まれている。

 こんな視界の効かない状況で、魔物が闊歩する夜の森を歩くのは危険である。

 ――それ以前に、冷たい水に浸かり体の芯まで冷えてしまった為、既に二人とも疲労困憊で動く気力さえなかったわけだが。


 兎にも角にも、まずは身体を温めて体力を回復しなければ城下町への帰還すらままならない。

 落ちている枯れ枝を集めて焚火を起こし、それを囲むようにニナと耳長の青年は力なく座り込んでいた。


 どれくらいの時間が経ったのだろう?

 一、二時間気を失っていたのだとしても、朝日が昇るまでにはもうしばらく時間がかかるだろう。

 パチパチと音を立てて燃える焚火の音以外は何も聞こえない静寂が辺りを包む。二人の間にも会話はなく、気まずい空気が数分続く。

 体力回復のためにはこのまま寝てしまった方が良いのだろうが、こんな所で熟睡して魔物に襲われたらひとたまりもない。

 そんなわけで眠るわけにもいかず、ニナはこの場の空気をどうしようかと思案を巡らせながら、悟られないように薄目で焚火の向かい側の青年を観察する。


 正直な感想、悪い人ではないのだろう、とは思う。

 トラブルに巻き込まれることを承知で酒場の店員を守った件もそうだし、他人を巻き込むまいとマルティン侯の部下たち相手に一人で戦おうとした件もそう。

 話し方はぶっきらぼうだし少々短慮な所も気にはなるけれど、きっと根は良い人なのだろう。

 だからきっと先ほども気を失ってる自分を必死で助けようとした結果、あんな事態になったというわけで。


 うん、わかってる、わかってるんだけど――。

 素直に認めるのは少し悔しい気がする。未遂とはいえ男の人にあんな事されかけたの、初めてだし。


 「……なんか痛い視線を感じるんだが」


 気付かれた。悟られないように観察してたはずなのに表情に出てしまったらしい。失敗失敗。

 ニナは深く嘆息すると眉間にしわを寄せ、警戒する様子を装いながら口を開いた。


 「……わかりました、一応信じます」


 「お、おう、悪いな……」


 「それでまだ名前を聞いていないんですけれど、貴方の事は『変態さん』て呼べばいいですか?」


 「全然信じてませんよねぇそれ!?」


 反応が面白くて笑いだしそうなのを我慢してたのに。

 顔を真っ赤にして突っ込む青年の姿に耐えられなくなって、ニナは小さく噴き出してしまった。

 先ほどまでの重苦しい空気を吹き飛ばす小さな笑い声が静寂の森にこだまする。


 「な、なんだよ、なにも笑うこたぁねーだろうが! オレ一人で必死になっててバカみたいじゃねーかよ!」


 「ご、ごめんなさい、でもなんだか緊張感が抜けてしまって……」


 「……どういうことだよ?」


 「えと、ほら、死んじゃったかと思ったけど、改めて助かったんだって実感できたというか」


 突然襲われて青年を庇い、腕を撃たれて川に飛び込み、危うく命を落としかけた。

 けれど、そんな危機的状況からもなんとか命を拾う事は出来た。

 意識を失いつつあったあの川の中で、空気を求め力なく伸ばしたその手を取ってくれたのは、きっと目の前の青年だったに違いない。

 だから、改めてちゃんとお礼を言わなければ。そう思った。


 対する青年はニナの発言の真意が読み取れず、怪訝な表情のまま呆気に取られている。

 やがてニナがひとしきり笑い終えたところを見計らって口を開いた。


 「……ラインバートだ、長いからラインって呼んでくれればいい。オレもお前の事はニナって呼ぶからよ」


 「川で助けてくれたの、貴方だったんですよね、ありがとう、ライン」


 照れ臭かったのか頭を掻いてそっぽを向く青年に、ニナはにっこりとほほ笑んで右手を差し出した。



*****



 「……起きてるのか?」


 「……うん、半分だけ……」


 あれから数時間。気付けば周囲を包んでいた霧も晴れ、東の空が少しだけ白んでいる。朝日が昇るまでもう少しといった所か。

 見張りは自分がやるから寝てて良いと青年に言われたのだが、外で寝たことがないお嬢様育ちのニナはまどろむ事はあっても熟睡は出来なかった。

 寝心地が悪くて体勢を変えようと身じろぎすると、左腕に眠気を一瞬で吹き飛ばす鈍痛が走る。


 「―――ッ」


 崖に飛び込んだ瞬間に銃弾が掠めたのであろう。痛みに思わず右手で左上腕の内側、肩アーマーの隙間を探ってみれば、その掌には乾いて固まった血の破片がこびりついていた。

 痛みに顔をしかめるニナを心配そうにラインバートが覗き込む。


 「傷の具合はどうなんだ?」


 「暫くは大丈夫。治癒魔術で応急手当はしたから、血は止まったみたい」


 「そうか、そいつは良かった。薬も何もかもみんな川で流されちまったからな。俺は回復系は使えねぇし、どうしようかと」


 「だけどこんなのは本当にその場しのぎで……私の魔術なんて素人同然だから」


 先刻、治癒魔術を行使した右の掌を見つめながら彼女はそう答える。

 治癒(ヒール)はヘンネフェルト侯国の国教であるユラン正教会、その敬虔な信徒に伝授される秘伝の一つであり、現状のニナが唯一使える光属性の基本魔術である。

 ヘンネフェルト侯爵家は魔術師の血が先祖代々受け継がれており、事実、父ラウドや兄ユーリは多彩な術を行使する魔法剣士でもある。

 しかしニナは身体を動かす剣術の訓練を好む一方で教会での勉学を疎かにした結果、まともな術を扱えないまま士官学校を卒業することとなり、宝の持ち腐れだと父に嘆かれたのは記憶に新しい。


 「……まぁ、自業自得なんだけど……ははは……」


 自虐気味にため息をこぼしながら力なく笑う。

 腕を動かさなければ我慢できないような痛みではない。しかしこのままでは盾を持つこともままならならず、いざ戦闘となった場合に左腕が使えないのはかなり問題である。

 そもそも傷口の消毒すらできておらず魔術で無理やり止血しただけなため、放置すれば確実に膿んで悪化することは間違いない。清潔な環境での治療が必要なのは明白であった。


 「とにかくその傷の手当も必要だし町に戻るしかねーな。霧も晴れたしそろそろ移動しようと思うんだが、歩けるか?」


 「えと、それなんですけど問題があって……ちょっと迷惑かけてもいいですか」


 「迷惑?」


 その発言の意味が解らず怪訝な表情をするラインバートを後目に、ニナは「あ、駄目、もう限界」と呟くとそのまま崩れ落ちるように地面にうつ伏せに倒れ込む。


 「お、おい!?」


 「ええっと……空腹でまったく動けません。町まで連れて行ってください……」


 「――は?」


 地面に突っ伏したまま恥ずかしげもなく言い切る騎士娘の姿に、長耳の青年はポカン顔を浮かべてその場に固まった。



 

 「重ッ……!」


 ブツブツ文句言いながら、動けないニナを背負おうとして開口一番に出た台詞がそれである。女の子相手にデリカシーがないにも程がある。

 口先をとがらせてムスっとした表情の彼女の様子を知るはずもなく、自分から背負うと言い出した手前、後には引けない青年は仏頂面のまま両足に力を込めて立ち上がる。

 

 「なんかすごく失礼な事言われた気がするけど、それは装備のせいですからね!」


 背中の少女は不快感を隠そうともせず、むくれた様子で反論してくる。

 胴回りを覆う金属製のプレートアーマー、それに小手と脛当てがワンセット。青銅製の盾に鞘付きの細見剣。身体を鍛えていなければ大人の男性でも悲鳴をあげそうな重装備だ。

 そこに一般的な成人女性の平均体重を考慮すれば、合計で六、七十キロ前後はいくはずである。

 大雑把に頭の中で計算をして弾き出された解答にラインバートは青ざめた。背中でぐったりしている娘はこんな重装備で昨晩、自分と大立ち回りをやってのけたのである。


 「この重量で走り回ってたのかよ! マジ半端ねぇな!?」


 「それはもちろん……鍛え方が違いますから!」


 「移動を他人に頼ってるくせにずいぶんと偉そうだな!?」


 ドヤ顔で胸を張るニナに――もっとも青年の位置から彼女の顔は見えなかったが――思わずツッコミを入れる。


 「だ、だって仕方ないじゃないですか! この装備で動くのって体力いっぱい消費するんですよ。空腹で動けなくっちゃうのは仕方ない事なんです。昨晩だって本当は食堂でウィレム様とご飯に行く予定だったのに……騒ぎになっちゃって」


 「オレのせいかよ……」


 ラインバートは諦めたように被りを振ってうなだれると、朝日で白み始めた森の中を意を決してゆっくりと歩き始めた……のだが。


 数キロほど進んだところで遂に彼は音を上げた。「ちょっと休憩……」と力なく呟くと、ニナを背負ったままぐったりと座り込む。

 精霊に近しい存在である長耳族(エルフ)は、人間と比べて魔力を有する代わりに体格・筋力共に劣る傾向があるとされる。

 事実、多少鍛えてるとはいえ、ラインバートの身体は人間の成人男性と比べれば細身で華奢な体格をしており、筋肉質とは程遠い。

 とはいえ、例え彼が人間で恵まれた体格の持ち主であったとしても、足場の悪い森林地帯を人一人背負って歩く事に難儀するのは間違いない事なのだが。


 「オレの方から背負うって言っといてアレなんだがよ……腰が限界だ。少しだけでもいいから自力で歩けませんかねぇ、おじょーさま」


 「ああ……楽ちんです……ありがとうございます……」


 「人の話聞いてます!? そもそもよく考えたらアイツだよ、あの飛竜。アイツ呼べば移動問題も全て解決するんじゃねぇのか?」


 「……ハルのこと? ああ、多分まだこの時間は無理かも」


 「なんでだよ」


 「飛竜は暗闇では視界が利かないから……もうちょっと明るくならないと私達を見つけるのは厳しいと思うの。それにあの子、お寝坊さんだし」


 「だああっ、もう!」


 なかなか上手くいかないものだ。ラインバートは嘆息すると、別の手段を模索する。


 「はぁ……ならせめて、鎧を脱ぐとか装備の軽量化にご協力頂けませんかねー」


 「鎧を脱ぐ……脱ぐって……?」


 だらりと力なく全身を預ける彼女は、青年に言われた言葉の意味を脳内でゆっくりと反芻し、


 「ああ、やっぱりやましい事を考えているんでしょう! 『変態さん』なんですね!?」


 「違うわああああ!!」


 全力のツッコミが身体に謎の活力を与え――勢いよく立ち上がったラインバートは再び歯を食いしばり歩きだした。



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