1-9『逃走劇』
爆発事件の現場となった食堂前は物々しい雰囲気に包まれていた。商業区を警備する侯国騎士団員が駆け付け、何事かと集まった野次馬がその周りを取り囲んで騒いでいる。
ニナとウィレム大公が駆け付けた時点で事件は既に沈静化しており、容疑者は逃亡。怪我人の治療と現場検証が騎士団によって行われようとしているところであった。
「――目撃者の話によれば、容疑者は若い男。長い耳を持つ魔術師だとの情報もあります。男は既に西の方へ逃亡しており、団員数名で後を追っています。次に被害報告ですが……」
ニナが若い隊員から事情説明を受けている間、その傍らでウィレムは腕組みをして、入口の扉が破壊されて内部が丸見えになった店内の様子を眺めていた。
千切れた扉の蝶番は外側を向いている。つまり建物内部から外へ向けて爆発が起こったという事だ。容疑者が魔術師ならば爆裂魔法の類だろうか。もしくは火災が発生しなかった事を考慮すると風属性――衝撃波による破壊痕の可能性がある。
そんなことを考えながら建物の奥へ目をやる。そこでは床に寝かされている負傷者数名への応急手当が救護班によって施されようとしていた。彼はその負傷者たちの中で何やらわめいている中年太りの男の顔に見覚えがあった。
(あれは―――?)
「おのれええええええええ!!!」
負傷した腕に包帯を巻こうとしている医療班の腕を振り払って負傷者の男が喚き散らす。
「あの山猿め! このバルニエ=マルティンに何をしてくれたッ!」
「閣下、暴れないでください、傷の手当が出来ません!」
尚も手足をばたつかせ、顔を真っ赤にして駄々っ子の様に暴れる中年貴族を冷めた目で見ながら、大公はやれやれといったように両手を挙げた。
「……マルティン候か……面倒な事になったな」
「ウィレム様、知っているのですか?」
「共和国の権威を傘に着て揉め事を繰り返す典型的なおエライ様さ。高慢で悪名高い男だよ」
「そ、そうなんですか!?」
「ああ。だが……無駄に爵位が高いせいで誰も彼を咎めることが出来ないのだ。関わらないほうが身のためだぞ」
一身に罵声を浴びながら渋い顔で負傷者の治療を行っている救護班の団員に同情しつつ、ニナは眉間にしわを寄せて一歩後ずさりした。
だが、そうは言っても事件に関わらないわけにもいくまい。彼女はヘンネフェルト侯爵家の一員であり、これは侯爵家が管理する領内で起こった事件なのだ。必ず容疑者を捕えねばならない。
しかし、今の彼女は客人である大公を案内するという大役を任せられている。自分から声をかけた手前、今更それを反故にするのもいかがなものか……。
「あー」とも「うー」とも言葉にならない呻き声を発しながら、どうしようかと頭を抱えるニナを見て、大公はクスリと笑うと空気を読んで助け舟を出した。
「容疑者を追わねばならぬのだろう? 行きたまえ」
「で、でも――」
「構わんよ、デートの続きはまた次回という事で」
「えっ!? ちちちち、違うんです、そんなつもりで誘ったわけじゃ……!?」
耳まで真っ赤にして慌てて否定する少女を片手を挙げて制して、続ける。
「冗談だ。私の事は気にしなくて良い。君は君の役割を果たしたまえ」
「は、はい! ありがとうございます!」
ほっと胸を撫で下ろし――深々と大公にお辞儀をすると、ニナははるか上空を旋回している相棒に声をかけた。
「――ハル!!」
黄昏の薄明かりの中を走り抜ける影。ニナの相棒――飛竜のハルは瞬時に彼女の元へ滑空すると、差し出された腕をつかんで空高く舞い上がった。
*****
「良いか! あの山猿はワシの顔に泥を塗ったのだ! 必ず殺せ! ワシの元へその首を持ってこい! わかったな!!」
暴言を吐きながら担架で手下に運ばれていくマルティン侯を横目で見ながら、ウィレムは次にどうするべきか思案していた。流石にこんな状況ではもう食事どころではない。ならば早々に部下と合流して携帯食で軽く済ませ、帰国の途に就くべきか――。
そんなことを考えていると、ふいに後ろから女性に声をかけられた。
「あ、あの、騎士様!」
亜麻色の髪がカールした可愛らしい女性だ。事件現場となった店の者だろうか? フリル付きのエプロンを身に纏ったその女性の青い瞳は夕日に照らされ物憂げな光を放っている。
「失礼ですがその恰好……ええと、侯国騎士団のお偉い方……ですよね?」
「いや、私は侯国の者ではなく……」
そう言いかけて途中でやめる。女性は何故かそわそわして焦っているように見えた。彼女が何を言わんとしているのか少し興味が湧いてくる。
「――君はあの店の者か。怪我はないかね?」
「はい、私は大丈夫なんですが……それより聞いてください!」
話を聞いてくれる相手が見つかったことに安堵したのか女性の表情が一瞬パッと明るくなる。だが次の瞬間には険しい表情に戻り、意を決したかのように両腕を広げ、ウィレムに必死に訴えかけた。
「あの人は悪くありません! あの人は私を助けてくれただけなんです!」
「……どういうことだ?」
事の経緯を店員の女性から受ける。だが、彼女が話すマルティン侯から受けた仕打ちに、ウィレムの表情は徐々に硬く険しいものになっていく。
共和国の連中はいつもそうだ。周辺国を属国と蔑み、そこに住む者たちを二等国民と呼んで対等な扱いをしない。今の共和国の体制が変わらない限り、周辺国の者たちはこれから先もずっと彼らに苦しめられるのだ。それはウィレム自身が治める国、エルサーナ公国の領民たちとて例外ではない。飢えと寒さに苦しみ、生きるために戦地に赴き死んでいった愛する者たちの顔が脳裏に浮かぶ。
領民たちを救うにはどうすればよい?
父の跡を継ぎ当主となった自分に何ができる?
動くべき時が、きたのかもしれない。
(―――やはり、終わらせねばならない―――)
その瞬間、心の奥底に渦巻いていた靄が一気に晴れるように、"エルサーナの黒狼"から迷いが消えた。もう後ろを振り返ることは無いと固く誓う。例え後世の歴史学者に裏切り者だと罵られようとも、我は前に進むのみ―――。
*****
(爆破――! あそこだ!)
商業区西側の細い路地で派手に土煙があがる。追撃する騎士団を追い払うためだろう。逃走者は魔術を放ちながら逃げ回っているのだ。路上には爆発の土煙に咳きこんで立ち尽くす見習い騎士たちの姿が確認できる。この調子ではいずれ逃げられてしまうだろう。その前になんとかしなければ。
「ハル、あの煙の向こう、急いで!」
相棒はニナをぶら下げたまま力強く羽ばたいて空高く舞い上がると滑空して、逃走者との距離を一気に詰める。その速さは風の如く。飛竜の飛行速度は人間の走る速度より圧倒的に早い。このまま飛べば先回りも十分可能なはず。
だが、ニナのそんな計算を見越したかのように、男の声が黄昏色の路地に響き渡った。
「気付いてないとでも思ってんのか! しつこいぞ!」
「ハル!」
声に反応してハルが即座に回避行動をとる。直後、つい先ほどまでいた空間の近くを空気を引き裂く真空波が通り過ぎ、背後の建物の壁に着弾して破片をまき散らす。
ニナは即座にハルの脚を手放して地表に降り立つと、体勢を整えて視界の正面に立つ魔術師の男に向かい合った。
翡翠色の髪と瞳。灰色のジャケットに、首元にはオレンジ色のマフラー。腰にはサーベルをぶら下げ、魔術を放った右腕をこちら向けたまま皮肉げにつり上がる目で観察している。なにより特徴的なのは男の耳だ。長く尖ったそれは「精霊に近しい存在」の証、すなわち魔術師としての適性を持つという事である。
上空を飛ぶハルを一瞥し、警戒しながらゆっくりとこちらを振り返った男が口を開く。
「ワイバーンを使役する騎士……竜騎士ってやつか。厄介だな」
「侯爵を襲ったのは、貴方ですね」
「だったらどうするつもりだ?」
「答えて下さい、どうしてあんな事を?」
ニナの質問に、耳長の男は鼻で笑って答えてみせる。
「ハッ、理由を話したら逃がしてくれんのか?」
「……それは」
逃がすわけにはいかない。目の前の男のせいで店が一部損壊し、負傷者が出ているのだ。しかもその負傷者というのが共和国の貴族だというのだから質が悪い。このまま逃がしてしまえばヘンネフェルトの名に傷がつくのは間違いないし、何より慎重に扱わねばこの事件が切欠で国際問題になりかねない。
「……負傷者が出ています。私は貴方を逮捕しなくちゃいけません。だから大人しく降伏して――」
「じゃあー交渉は決裂だ。俺は捕まる気は毛頭ないんでね」
長耳の青年はニナの発言を遮るように言い放つと、ビシッと彼女を指さした。
「だからいいか、追ってくんなよ! さっきはわざと外したが次は当てっからな! 脅しじゃねーぞ!」
「逃がしません!」
捨て台詞を残し、身を翻して脱兎のごとく走り去る耳長男。それを見失うまいとニナも全力で彼を追いかけた。狭い土地に建物が雑多に並んだ路地を駆け抜け、雑草だらけの枯れた花壇を踏み抜き、建物同士の間に張られたロープに干された洗濯物を払いのけ、走る走る――。
彼女にとっては子供のころから兄と共によく駆け回った場所だ。土地勘はあるし足にも自信はある。けれど相手は軽装で身軽なのに対してこちらは鎧姿の重装備、なかなか追いつけない。
「ハル! 先回りして!」
ニナを追うように上空を旋回していた相棒は、主人の命令に空高く飛翔した。そして空中で標的を確認すると風に乗って滑空し一気に接近、逃げる男の目前へと舞い降りて威嚇するように吠えた。
「くっそ、面倒くせぇ!」
青年は突然目の前に現れたワイバーンを見るや急停止。クルっと右へ九十度方向転換して、そのまま真横の暗い裏路地へとその身を躍らせる。間髪置かず彼を追ってニナもその路地へ飛び込もうとした、その瞬間。
「――吹き飛べ!」
狙いは真後ろ。青年は振り返ると声高に叫んで魔力を解放した。薄暗がりに波打つように突如発現した無色透明の衝撃波は、裏路地をそのまま真っすぐに突き進み向かいの建物の石壁に着弾。派手な爆音と土煙をあげて壁に大穴を開ける。あのまま追手が路地に入っていたなら確実に爆発の範囲内にいたはずだ。手加減したため死にはしないだろうが無傷では済むまい――。
「へへっ、悪ぃな、忠告したのに追ってくるお前がいけないんだぜ」
爆発の衝撃で強引に押しのけられた空気が吹き返しの風を起こし、周囲に舞う土煙を払いのける。そこには勝ち誇るように両手を腰にやってふんぞり返る青年の姿があった。だが、勝利の余韻に浸る間もなく抗議の声が静けさを取り戻した裏路地に響き渡る。
「いきなり何するんですか! ハルが音に驚いて逃げちゃったじゃないですか!」
破壊されて崩れた瓦礫を押しのけて、鎧姿の少女が憮然とした表情で姿を現す。あの一瞬でとっさに建物の影へ身を隠したのだ。
「な……マジか、あれをかわしたってのかよ!? 冗談じゃねぇ!」
「待ちなさい!」
「待てと言われて待つ馬鹿が居るかよ!」
再び踵を返して裏路地の奥へと走り出した青年を追ってニナも走り出した。
そんな両者の前に高さ三メートルほどの木製の小屋が現れる。あの上へ登ってしまえば――。
「だったら、これでどうだ!」
走りながら左手を掲げ魔術の構成を編み魔力を注ぎ込む。掌に熱の塊を確認するとそれを石畳に叩きつけるように振り下ろし、青年は力ある言葉を叫んだ。
「エア・バースト!」
先ほどのものより威力を絞った限定的な衝撃波が石畳を直撃し爆散する。その反動を利用して身軽な男は空中へ跳び後方宙返り、そのまま小屋の屋根の軒先へと華麗に着地を決める。
「着地成功、十点満点ーってか」
「あ……」
呆気にとられ立ち止まるニナを屋根の上から見下ろして、長耳の男は子供のような悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「そんな重装備じゃこんな芸当できねぇだろ。どうやら鬼ごっこは俺の勝ちみたいだな!」
「むっ……!」
負けず嫌いの彼女は悔しさから唇を噛みしめて、屋根の上でふんぞり返る男をキッとにらみつける。けれどこのまま取り逃がすわけにもいかない。対抗策が無いわけじゃない。妙案を思いつき即座に実行に移す。
軒先の上の男と張り合うように不敵の笑みを浮かべたニナは、スラリと左腰のレイピアを抜き放った。
「じゃあ、これならどうです?」
刹那、気合一閃。振り下ろされた刃は軒先を支える柱を捉えて両断、支えを失った軒先は派手な轟音を立てて屋根ごとその場に崩れ落ちた。
「なあああああっ!」
狭い路地に再度巻き上がった土埃の中から哀れな逃亡者の悲鳴が響き渡る。ニナはそのまま前へと突き進み、瓦礫に埋まり仰向けでもがいている男の首筋にレイピアの刃を突き付けた。
「いってぇ……お前、卑怯だぞ!?」
「私の勝ち。そろそろ観念してください」
「ちぃぃっ……」
長耳の男は瓦礫の山を両の拳で何度も叩きつけ、顔を真っ赤にして全力で悔しさをアピールする。だが、やがて深くため息をついて落ち着くと、観念したようにかぶりを振って両手を上げ降伏した。
「わーった! わーったよ、お前の勝ちだ、認めるよ! もう抵抗しねぇから剣を引いてくれ」
「……信用しても、良いですか?」
「エルフは契約を重んじる。抵抗しねぇといった以上、お前に対してはもう抵抗しない」
青年は決意したように顔を上げ、神妙な面持ちで正面からニナの顔を見据えた。澄んだ翡翠色の瞳から放たれる真っすぐな視線からは、嘘偽りといったような感情は一切見受けられない。
(ああ……なんだ、この人はこんな顔も出来るんだ……)
これまでのやんちゃな様子からは想像できなかった意外な反応に目を奪われていたニナは、彼の「おい、ねーちゃんどうしたよ?」との声に我を取り戻し、
「な、なんでもないです」
ちょっとだけ頬を赤らめて顔を背け、大きく息を吐いて緊張を解きほぐすと、愛剣を鞘に納めたのであった。




