異なる視点の物語
「あっ起きた?気分はどうかな?」
僕の目の前で女性が言う。彼女はとても綺麗な人だ。
僕の気分は良い。でもちょっと問題がある。ここがどこで僕が誰で、目の前の彼女も誰なのか全く分からない。これはいわゆる記憶喪失というやつだ。
僕が訳が分からないという顔をしているのを見て、彼女は「帰る場所ないの?分からないのかな?じゃあ家にいる?」と言った。
僕はうんと頷いた。帰る場所があったとしてもどこなのか分からない。
ここは彼女の家らしい。綺麗に整頓され、可憐な彼女が住むに相応しい清潔感がある。ここで暮らすなら悪くないと想った。
部屋の扉が開いてもう一人の女性が入って来た。彼女の髪と服は濡れていた。彼女もまた美しいと言って問題ない女性だった。
「あー雨にやられた~」
「おかえりなさいハルカ。傘持ってなかったのね」
「持ってたらこんな姿になってないよ。お風呂沸いてる?」
「うん。これから入ろうと想って、こっちも一緒にね」
ハルカは私を覗きに来た。
「ユイ、どうしたのよ。こないだ男と別れたと想ったらもう新しいのを連れてきて」
「雨の中で倒れていたから家まで連れてきちゃった」
目覚める前の記憶がないのだが、彼女の話を聞くに、僕は雨の降る中彼女の家の前に倒れていたという。
僕を助けてくれた女性はユイ、遅れて帰ってきたもう一人はハルカという名前だった。
ハルカは僕がいる前で濡れた服を脱いでいる。
「いいよ。皆で入ろうか」と言った時、ハルカはもうブラとパンツしか身に着けていなかった。
大胆にもユイとハルカは、今日会ったばかりの僕を連れて一緒に風呂に入ろうと言う。僕も体が濡れていいた。雨にやられたみたいだ。寒い。速く暖を取りたいから僕としてもその案は受け入れて良いと想った。
風呂は決して広くはない。でも、詰めれば皆で入れないこともない。
女性の裸を初めて見た。記憶がない今の状態なら当たり前だ。
ユイは細身ながらも身長が高く、美しい黒髪は肩にもかかるくらい長い。総じて美しい。
ハルカはユイよりもやや肉付きが良くやや背が低い。ブラジャーの締め付けを逃れても尚胸はしっかりと上に向いて張っている。巨乳にあたるサイズだ。こちらも総じて美しい。
二人に挟まれて僕は湯船に使っている。冷えた体が温もりを取り戻す。風呂は気持ちよかった。
「とても大人しいのね?美女二人とお風呂は緊張するかしら?」とハルカが言った。
「疲れているのよ。とても気持ちよさそうに浸かってる」ユイが笑顔で言った。
ユイはたっぷり泡を付けて僕の体を洗ってくれた。あちこちを触られるのは恥ずかしい気もしたが、それよりも気持ちよかったので抵抗することなく彼女に見を委ねた。この日の風呂は最高だった。
女性の暮らしとはこんなものなのか。彼女達は風呂から上がってもしばらくは服を着ない。パンツは穿いているが、上はバスタオルを羽織っているだけだ。目のやり場に困ることなく二人の揺れる乳房に視線が行ってしまう。
「あっ、おっぱいめっちゃ見てるね?お母さんの恋しくなった?」
記憶はないが僕はもうそんな歳ではない。でもハルカはからかって言った。
ハルカとユイは部屋のソファーに座って体に籠もった温もりが逃げるのを待っている。
ユイはお尻一つ分ずれると「ここ、おいでよ」と私を招いた。私は招かれるままにユイとハルカの間に座った。
「結構スケベな奴ね。おっぱいばかり見てさ」
「もうハルカってば」
二人は談笑している。
「乙女の花園はいかがかしら?男はなかなか見れる所じゃないのよ」とハルカが言う。乙女の花園ってのはこの部屋のことなのか。よく分からない言葉だ。
「ねえ君……あっ名前が無いんだ」とユイがそれに気づく。「不便だから名前決めないと。自分の名前も分からないんでしょう?」
残念ながら名前も覚えていない。
「うーん、雨の日にうちに来たから雨君かな」
「ユイ、センスないよ」
二人は僕の名前を考え始めた。僕の名前なのに僕に決定権はないようだ。二人であれこれ考えている。まぁ拾ってもらった立場だし、相手のやることに従おう。
「レイン、いや和風な顔立ちだからないかな。五月の雨、五月雨かぁ……」とハルカがブツブツ言っている。
「五月なら皐月は?昔は五月のこと皐月って言ってたよね」とユイは閃く。
「でも、皐月って何か女の子っぽくない?」
「じゃあ、イツキは?五はいつつって数えるじゃない?いつつと月とくっつけて」
「いいねソレ!じゃあ君は今日からイツキだ!」ハルカが私を指さして言った。
僕は今日からイツキという名前になった。
「あ、喜んでる?」
結構嬉しかった。この名前が気に入った。だから僕はユイの方を向いて嬉しそうな顔をしていたらしい。
「ふーん、ユイの方が好きなのかな~」
相談したが最後にはユイが決めた名前。そのせいかハルカはちょっと不満そう。ハルカにも感謝している。だから彼女にも笑顔を向けた。
「イツキは何だかどこにもいい顔しそうな感じがあるわね。ねえ、ユイと私、どっちが好き?」ハルカはそんなことを言い出した。
「さぁイツキ、どっちなのかな?そこら辺はっきりしてくれないと」ハルカが迫ってくる。
困ったのでユイを見れば、彼女は口を閉ざしてはいるものの、キラキラした目で僕を見ている。自分を選んで欲しいと絶対に想っている顔だ。困った。どちらも僕に親切にしてくれた感謝すべき相手だ。どちらか一方を選べとは酷な注文だ。
僕は困って何とも言えなかった。
「ははっ」ハルカが笑いだした。
「ごめんね、困っちゃたね」ユイは笑顔で言った。
「イツキは優柔不断男かもよ。こういう時はどっちかスパッと言っちゃわないと」ハルカは楽しそうだった。
ここで二人の体もいい加減に冷めたようだ。二人はパジャマを着た。
二人はそれぞれのベッドで寝て、僕はソファーで寝た。僕が寝るには十分な大きさのソファーだった。
こうして僕達三人の生活が始まった。
ユイは医療関係の仕事をしている。ハルカも会社員として日々働いている。二人が働きに出た後、僕は家で一人になる。こうして彼女達に養ってもらっている以上、何かをしてあげたい。でも僕は記憶がなく、金になるような働きも出来ない。
彼女達はいつも汗をかいて帰って来る。今は夏で外はとても暑いからだ。僕はタオルを持って玄関に迎えに行く。二人はとても喜んでくれる。
ハルカの嫌いなピーマンは僕が食べてあげる。ゴキブリが出たら男の僕が退治する。おかしなセールスマンが訪ねてきたら男の僕がビシッと言って追い返す。そんな小さな何でもないことだが、二人のために僕が出来ることなら惜しみなく何でも行った。僕は益々二人が好きになった。
「イツキ、ちょっと来て」
ある時、ユイが僕を呼んだ。彼女はなにやらニコニコしていた。
「今日はイツキにプレゼントがあるからね」
ハルカもニコニコして言った。
ユイがビニル袋からプレゼントを取り出す。
「これ、イツキに似合うと想って……」と言いながらユイは僕の首に何かを当てている。カチリと音がするとそれが首輪だと分かった。何か違和感がする。首が何かで覆われているという感覚は初めてのことだった。ユイは何でこんなものをくれるのだろう。
「似合う似合う。これでイツキは私達のものだね」とハルカが言う。
「ちょっと、もの扱いは止してよ」とユイが返した。
僕の生活を作ってくれているのは二人だ。二人のものと言えばそうなのだろう。僕は否定しなかった。
「逃げたりした時に困るでしょ。だからこれ買ったのよ」とユイは言うが、僕が二人から逃げる訳がない。
「大分元気になったし、たまには外にも出たいでしょ?」そう言いながらハルカは長い紐をビニル袋から取り出した。紐の先には銀色の金具が付いている。金具を首輪に引っ掛けると、僕の首輪とハルカの握っている紐が繋がった。
「これで逃げらんないでしょ?」とハルカはニヤついて言う。
だから僕は逃げる気などないのに。というか、ここを出て一体どこに行けば良いというのだ。どうやら二人とも束縛したい気があるらしい。大切にされているということなのだろう。ありがたいことではあるが、余計な気を回している気もする。
それよりも、ハルカが言った通り僕はここに来てから一度も外に出ていない。体が少し弱っていたこともある。近頃は体もしっかりしてきて確かにちょっと外を歩きたい気分だ。僕は廊下へと歩き出した。僕が歩くとハルカも首輪と繋がった紐を持って歩き出した。
「じゃあ夕飯前に三人で散歩に行こうか」ユイも歩き出した。
玄関扉を開けて僕は久しぶりに、と言っても記憶がないから、初めての外出を行った。オレンジ色の光線が僕の目を射す。眩しい。陽が沈みかけていた。初めての夕陽は美しかった。
二人は大きな家の二階に住んでいる。階段に向かうまでにいくつもの扉があった。中はどうなっているのだろうか。階段を降りる途中、小太りのおばさんと会った。二人は「こんにちは」と挨拶した。おばさんも笑顔で「こんにちは」と返した。
「あらあら、可愛い家族が増えたのね」
おばさんは僕のことを言ってる。彼女はニコニコして僕を見ていた。いい人そうだ。
「お名前は?」とおばさんが尋ねる。僕が答える前にユイが「イツキです」と答えた。
「イツキちゃんって言うの、可愛いね」
「これからよろしくお願いします」とハルカが言った。
「大人しくて賢こそうな子ね。それに男前~」僕はおばさんの好みに合う男だったらしい。
「気をつけていってらっしゃい」と言うとおばさんは階段を上がって行った。
ユイとハルカに挟まれて真ん中を僕が歩く。歩くのが楽しい。ついつい歩くペースが速くなる。
後ろを見ると三人の影が並ぶ。ハルカとユイの間にある僕の影が一番小さい。
最近知ったのだが、僕はユイとハルカのような人とは違う、犬という種類の生き物らしい。