過去
時は少しさかのぼる。
顔を俯かせとぼとぼと家に帰っている少女の名前は神崎千幸。千の幸せという名前をもらいながらも幸せなど少なすぎる人生を送っている。逆に不幸なら数え切れないほどあった。
最初は誕生の時だった。健康で病気ひとつしたことがなかった母親がお産の最中に血栓症で亡くなってしまっのだ。突然妻を亡くした父親はショックのあまり親であることを放棄した。家庭や娘を顧みることなく、仕事を逃げ場にするようになったのだった。彼女は誕生と共に母親だけでなく、父親までも失ったも同然だった。だが、彼が逃げ場にした仕事は、不況のあおりで行き詰まり、あっさり倒産する。大きな負債を背負った彼は心労で身体を壊し、千幸が2歳になる前に今度は死という形で永遠に彼女前から去った。皮肉なことに残された負債は彼が死ぬことによって生命保険で完済された。
引き取ってくれる親戚もおらず、天涯孤独となった千幸は当然のように施設に引き取られた。だが、そこでも彼女の心に深い傷をつける出来事が起こった。施設の院長は彼女に母のような愛情をもって接してくれた。一緒に暮らす仲間も兄弟のように接してくれた。しかし、幸せは長くは続かない。火事が起こり千幸以外全員死んだ。辛い出来事から表情をなくした千幸は里子として引き取られた先でも笑うことができず、里親から疎んじられるようになった。食事を抜かれ、殴られ、蹴られる。家から夜中に追い出されることもあった。
自立するために高校で必死に勉強し、念願の大学に受かり千幸はひとり暮らしを始めた。これでもう関わらなくて済むと思ったのだが、義父はたびたび千幸が住んでいるアパートに来てはストレスをぶつけ帰っていく。家に帰るのが嫌になるのも当たり前だった。また来てるかもしれないと怯えなければならない。
ため息をつき部屋への階段を上っていると、
「何をしている。さっさと中に入らないか」
と突然後ろから低いダミ声が聞こえてきて、千幸は飛び上がらんばかりに驚いた。
「ご、ごめんなさい」
「お前が隙を見せるのは珍しいな」
ニヤリといやらしい笑みを浮かべた義父がさらに近づいてくる。さっと背筋に寒気が走り、千幸は数歩後ずさった。「お前を引き取って育ててやったのは誰だ。義父は舌なめずりをしながら怯える千幸に近づいてくる。
「痩せっぽちでかかしのような子供だったのに年頃になって多少肉付きがよくなってきたじゃないか」
じろじろと胸元を見られ、千幸は咄嗟に両腕で胸を隠した。細い体とは裏腹に千幸の胸は服の上からでもはっきりわかるほど大きくなっていた。それを義父に見られていると思うと背筋が凍り付く。
「お前を養ってやったのは俺だ。疫病神と言われ路頭に迷っていたお前を引き取ってやったのだ。……命の恩人である俺がお前をどうしようとも、なんの問題もないな。」
間近から酒臭い息を吹きかけられて千幸は必死に義父から顔を背けた。義父は千幸が成長するに従い、たびたびこうして気持ちの悪い言葉をかけてくるようになった。青ざめてぶるぶると首を振る千幸の胸元に遠慮のない義父の指が伸ばされる。背中に冷たい壁かあたり、これ以上逃げ場がない。義父の指に触られそうになったその瞬間、千幸の体に激しい嫌悪感が沸き起こる。
「い、いやっ!」
思わず義父の体を突き飛ばす。うめき声を上げ、ゆらりと起き上がる義父を見て千幸はハッと我に返り青ざめる。
「ご、ごめんなさい……」
「お前!誰に向かってその口を聞いているんだ!身の程を知れっ!!」
頬に熱い痛みが走り、千幸はそのまま意識を手放した。
遅くなってすみません。