6
片手に本を一冊持って店の方に向かってきた。瞬は慌てて、近くの本棚から一冊手に取った。
「おお、いらっしゃい。気づかずにすまないね」
住居と店の境に置いてあった下駄を履いて現れたのは、中年の男性だった。額が薄くなった白髪交じりの髪に、華奢で小ぶりな丸眼鏡。顎には髭が伸びている。タートルネックの茶色セーターを着て、カランコロンと下駄を鳴らしながら近づいてきた。瞬は本を読むふりをしていた。
「あ、こんにちは」
瞬はそのおじさんにそらとぼけて挨拶をする。
「去りゆく四季か……」
「え?」
瞬はおじさんの唐突に発せられた言葉にキョトンとする。
「ん? 君が持っている本のタイトル」
「え、あ! あはは。そうです! 去りゆく四季」
瞬は狼狽気味に微苦笑を浮かべながら、本を小さく持ち上げた。
「気になるのかい?」
「えっとー……はい……」
瞬は咄嗟なことで嘘をついてしまった。
「その本はね。とっても悲しい物語なんだ」
「悲しい?」
「ああ、ある一組の大恋愛した男女の話なんだが。ある日、彼が病に倒れてしまうんだ。そして、程なくして亡くなってしまう。彼女はあとを追おうと自殺を図るんだが、思いとどまり、一年という期間を決めて生きてみようと思ったんだ。それでも、死にたければ彼の元へ逝こうってな……」
瞬はおじさんの話を聞きながら本の表紙を見つめていた。日焼けしてしまったページは茶色く変色している。微妙に歪みもあった。
「本当に悲しいお話ですね……」
「ああ、これ以上はネタバレになってしまうから、伏せとくけど。どうするかね? 買うかい?」
「えっとー……おいくらですか?」
この空気の中、買わないとは言いにくかった。あまりこういう作品は読んでこなかった。自分には合わないと思っていたし、それに、嫌なことも思い出してしまうからだ。
「裏にラベルが張ってあると思うよ」
言われた通り見てみる。二百五十円だった。
「じゃぁ、お願いします」
瞬は本を会計カウンターまで持っていく。薄っぺらな財布から小銭をみる。
「カバーはつけるかね?」
「いえ、大丈夫です」
ギリギリあった。二百五十円ちょうどで出す。
「はい、もしよかったらまた来てくれよ。その本の感想も聞きたいしな」
「わかりました。また来ます」
そう言って、瞬はそこを後にした。外は大分暗くなっていた。太陽が南西に沈むところだった。空を見上げると薄い月が見えた。嘆息する。白い湯気のようなものが天へと消えていった。昔、白い息の事が気になり調べたことがあった。原理は人の体温と外の温度の差が大きいと、息の中にあった水蒸気が急に冷やされ、人の視覚でも見える細かい水の粒になるのだ。カップラーメンの湯気みたいなものだ。――もしかして、人間はカップラーメン? いや、意味が分からない。そんなことよりも、思いがけない買い物をしてしまった。袋から、一冊の本が見える。――きっと読みそうにないな。瞬は小さく息をついた。