part.16-3 溶けない氷は……
それから幾日か経って約束の土曜日となる。いつもの土曜日より早く起きた僕はまるで平日であるかのように支度をする。いつもと違って私服だが、なるべく父さんの会社に入っても浮かないよう、なるべく落ち着いた服を選んだ。とはいえスーツ姿の大人達がはびこる中、一人私服の高校生が行くのだからある程度は仕方ないのだが……。
家を出てから会社への道を歩く。家から会社は遠い為、途中までは電車を使った。父さんの会社は小さい頃に何度か行ったことがある。子守の為、父さんと一緒に車で一時期通っていた事があったのだ。電車の車窓から外の景色を眺めながら、ぼんやりと昔の思い出を振り返る。
「……それが今、こうして電車で来ている訳だ……っと、次の駅だな」
周りに聞こえないよう、ほんの僅かにそう呟きながら、ゆっくりと下車の準備をする。父さんの会社に近づく度、不自然に心臓が鳴る。それは父の会社に行くという緊張感と慣れない事をする不安感、そして父さんに会うという恐怖感から来ていた。しかしもう逃げる訳にはいかない。改札を済ませて徒歩10分、もう着いたというべきかやっと着いたというべきか、目的地である父の会社に到着した。軽く身だしなみを整えて中に入る。
「……何か御用ですか?」
受付の女性が僕を見るや、そう声を掛けてきた。
「……こんにちは、アポを取っていた佐伯翔太です。父に合わせてもらえますか?」
慣れない敬語を使いながら、受付の人にそう伝える。
「佐伯翔太くん、か……お父さんなら今4階に居るはずだから、そこに行くと良いよ」
「……ありがとうございます。」
一瞥した後、エレベーターで4階へ向かった。父さんが居る部屋のドアをノックして返事を待つ。しばらくしてドアが開き、社員と思われる人が出迎えてくれた。
「……失礼ですが、あなたは?」
「佐伯翔太です。父に用事で……」
「ああ、君か!電話担当した川上です。奥のデスクに居るから、話してくると良いよ」
「……ありがとうございます」
川上さんの手招きでゆっくりと中に入る。彼の言う通り、奥の席で父さんが黙々と仕事をしていた。随分と痩せこけている。恐らくろくに食事もとっていないのだろう。よく生きているものだ。
「父さん」
「何の用だ。今忙しいとあれほど……」
父さんが振り返るや、あからさまに顔をしかめる。
「お前……一体何しに……」
「いつまでそこに居るつもりだ、いつになったら家に帰ってくるんだよ……」
僕の問いかけを無視して、父さんはまたパソコンに向き合った。
「おい、質問に……!」
「業務妨害だ。早く家に帰れ」
父さんはデスクに向かったまま、そう言いはねた。
「業務妨害だぁ?そういうお前は家庭放棄だろうが!家に帰れだと?こっちのセリフだ!」
僕の怒号に父さんはゆっくりと振り返る。
「お前が生きられる分の金は振り込んでいるだろうが!何が家庭放棄だ!!」
「金だけで解決できると思ってんのか!!母さんが今どうなってるか知ってんのかよ!!」
「お前……!!」
「ふ、二人ともちょっと落ち着いて……!」
父さんが僕の胸倉を掴もうとする直前に川上さんが仲介に入る。
「……フン、良いだろう。場所を変えようか」
縒れた上着を直しながら父さんは言った。一人歩いていく父さんの後を黙って付いて行く。川上さんも付いて行こうとしたところを父さんが制止した。
「お前はそこで仕事をしていてくれ。これは二人だけで話がしたいんだ」
「で、ですが……」
「川上さん、大丈夫です。なんとかなりますよ」
戸惑う川上さんに僕はそう言った。
「……で、では……くれぐれも暴力沙汰にはならないでくださいね?」
「ええ、分かっていますよ」
そう言って僕は父さんの後を付いて行った。
◉ ◉ ◉
父さんの案内で屋上までやって来た。ここには僕達以外に人はいないらしい。
「……で、何の用でここまで来たんだ?」
父さんが屋上のフェンスに寄りかかって煙草を咥えた。やはり顔もやつれており、目の下のクマが目立っている。
「家に帰ってこいとさっきから言っているだろう?いつまでワーカーホリックを続けているんだよ」
「お前には関係ないだろう」
「栞が自殺した事をまだ悔やんでいるのか?」
それを言いかけた瞬間、父さんから顔面を強く殴られた。
「いちいち癪に障る事を……お前は悔やんでいないとでも言うのか!」
「悔やんでるさ!だけど父さんと違っていつまでもメソメソしてる訳じゃない」
父さんに殴られた頬をなでながらそう言った。
「……いいから早く帰って来いよ、どうせ栞の墓参りにも行ってないんだろう?」
立ち上がりながらあくまでなだめるように僕はそう言った。
「黙れ!」
「ぐっ!」
再び父さんに殴られて尻餅をつく。殴られるのは確かに痛いが、こんなのクイーンフォックスに背中を引き裂かれるよりはるかにマシだ。
「栞が死んだ事も忘れてのうのうとしているお前には分からんだろう!!大体、栞が自殺したのは誰のせいだ!俺達だろう!俺達がちゃんと栞を見てやれなかったから……相談にも乗れなかったからそうなったんだ。その償いもせずに平然としていろだと?」
言いながら追い打ちを掛けようと不用心に近づいてきた父さんの腹部を殴りつける。
「……ぐはっ!!」
「いつまでも殴られっぱなしなわけないだろうが!」
父さんがよろけている隙に起き上がる。やはり体は相当弱っているらしい。ちょっと殴っただけで相当なうめきを上げている。
「栞が死んだ事を忘れて……?誰がそんな事を言ったんだ!」
「だったらどうして……!」
父さんが僕を睨みつける。
「それじゃあ何も進まないからだろうが!!……じゃあどうするんだよ!父さんは一生そうやってるつもりか!」
「当たり前だろうが!栞は死ぬほど苦しんでたんだ、だったら俺たちは死ぬまで苦しむしかないだろう!」
言いながら父さんは僕の顔を殴りつける。しかし、さっきからパンチが大して痛くない。恐らく体力が限界を迎えているのだろう。
「それが栞の望んだ事なのかよ!」
「……がはっ!!」
父さんのパンチを躱し、死なない程度にカウンターを決める。
「だからってそうやってメソメソする事を栞が望んでいる訳ないだろう!栞が自殺した時、父さんが泣きわめいていたのと同じだ!」
「黙れ!」
言いながら父さんは殴りかかるが、最初のように僕の体制を崩す事など出来ない。
「黙るものか!……今僕たちに出来る事は少しでも前を向いてこれまでの家庭を取り戻す事だろうが!何もかもを元通りになんて出来やしないさ……だからってこのままじゃ何も進まないだろうが!」
「綺麗事を信じるのは15歳までにしろ!」
「……ぐはっ!」
父さんは僕のみぞおちに膝蹴りをかけた。油断していた。いくら弱っているからと言っても人間の弱点を攻撃されれば流石に痛い。そのまま倒れた僕は顔を強く踏みつけられてしまう。
「何も進まないからどうした!栞はもう居ないんだ、望んでいるかなんて分からないだろうが!」
「……確かめる方法ならあるさ!」
「……うお!」
踏みつけていた父さんの足を掬ってバランスを崩す。一息の後に起き上がり、みぞおちにかかと落としをかけた。
「……クソ、よくもやってくれたな?」
そう吐き捨てながら、踏みつけられた顔を拭う。仕返しにと、未だに寝そべっている父さんの腹部を踏みつけようとした、その時だった。
「……ちょっと待ってください!」
「か、川上さん!?」
僕たちの元に川上さんが駆け寄ってきた。
「随分長いから心配で……暴力沙汰にはするなって言ったじゃないですか……!」
「ご、ごめんなさい……」
「とりあえず二人とも治療しましょう。こっちに……」
川上さんはそのまま歩いて行った。僕は倒れたままの父さんを背負って付いて行く。さっきまで気が付かなかったが、どうやら父さんは気絶してしまっていたらしい。
「……こんなになるまで喧嘩していたなんて……何があったんです?」
「ハハハ……僕もここまで喧嘩したのは初めてですよ」
疲れた笑みを浮かべながらそう答えた。
「質問の答えになってないですよ……まあいいや、手伝います」
そう言って川上さんは父さんの肩を背負った。
「すみません、助かります」
「お父さんが意識を取り戻したら、ちゃんと話をしてあげてね?」
「ええ、そのつもりです」
と、僕は答えた。
続く……
TIPS!
アイスニードル:大気中の水分から氷を作り出し、針状に形成して敵に飛ばす攻撃魔法。威力は低め。




