part.19-6 ヘルベチカの全容
その後、岡田先生が化学室から去って僕はピッキングの理論を学ぶ。一通りは理解出来た。後は実践のみ。
「……」
透明な南京錠を見ながらツールを使って試行錯誤する。細かい作業になるからか、いつの間にか無言になってしまう。
「やっほーしょーた!もどってきたぞー!」
「っ!」
あまりに突然の来客で僕は声にならない奇声を上げた。
「茜!?お前いきなり入って来るなよ!」
「お?良かった生きてたか」
「危うく心臓発作で死ぬところだったがな」
と、僕は茜に悪態をつく。
「そんな冗談言えるなら無事そうだね。で、何してたの?」
「ピッキング練習だよ。いざという時に脱獄するための、ね」
「なるほど。岡田も考えるねぇ……でも異世界にこんなツールあるの?」
茜は近くにあったピッキングツールを興味深そうに摘まみ上げながらそう言った。
「無くても針金なんかで代用できる。この鍵を開けられるようにさえなれば問題はないはずなんだが……」
言いながら軽くツールをいじってみたもののやはり鍵は開かない。どうやら一朝一夕で習得できるようなものではないらしい。
「んー、ちょっと貸して」
「どうぞ」
興味津々な目をしている茜にツールと南京錠を渡す。理論を軽く説明した後、茜がピッキングにチャレンジしてみたが、やはり上手くはいかなかった。
「だめー、わからん」
「まあそんなものだろうな」
「しおりちゃんなら得意そうだね?」
と、言って茜はツールと鍵を僕に戻した。
「あー、確かにあいつは細かい作業とか好きそうだし、そうかもしれないな」
そう言いながら僕は再びツールを手に取った。
「まあ、しょーたは作業してるっぽいし、私は勉強でもしようかな。何かあったら呼んでよ」
「んー」
と、僕は手をひらひらさせて答えた。
◉ ◉ ◉
その後、結局一回も鍵を開けられず、下校時刻となった。岡田先生の指示に従い、ピッキングツールを金庫の中にしまい、施錠する。
「異世界の様子はどうなってるの?確か、明日は進捗報告日のはず……」
帰り道を歩きながら、茜はそう尋ねた。
「ああ、それについては問題ない。ノルマ相応の報告は行えるはずだ」
「その場しのぎにはなるって事か……」
「ああ、ロケットが完成したら僕は用済みになるはずだ。そうなればそうなるか……」
「最悪殺しても相手はデメリットを被らないはずだからね。そうなる前になんとかしないと……」
「その為に、ピッキングの技術が必要だ。一刻も早く習得しなければ……」
「うん、明日からはピッキングの練習だね。私も付き合うよ」
「ありがとう。……ところでお前、お父さんに呼ばれたよな。何だったんだ?」
と、僕は尋ねる。
「ああ、大したことは無かったよ。たまには顔を見せろーくらいだった」
と、茜は自分の父親の真似をする。
「そっか」
「まあ、暫く帰ってなかったから結構心配掛けちゃってたみたい。お母さんももういなくなっちゃってるから……」
「そっか、茜のお母さんって交通事故で……」
「私が5歳くらいの事かな。私は覚えてないんだけど、葬式の時もずっと泣きわめいていたんだって」
と、茜はどこか遠い目をしてそう言った。
「そっか……気が向いたら、僕もそっちに顔出そうかな」
「そうしてくれるとお父さんも喜ぶと思うよ」
と、茜は言った。
◉ ◉ ◉
翌日、異世界にて僕はグレンにとある探し物を頼んだ。
「針金を探して欲しい——だって?」
「そうだ、針金さえあれば鍵をこじ開ける事が出来る」
と、僕は平然とした態度でそう言った。
「キミ……そんな事が出来たのか」
「いや、出来ない。だけどこれから出来るようになる」
「……はぁ?」
「グレンは気にしなくていい。とにかく針金を探し出して欲しいんだ。ここはパンジャンドラムの研究を行っていた場所、それらしいものがきっとどこかにあるだろう」
「まあ、それは構わないが……本当に信用していいのか?」
「ああ」
僕がそう言うと、グレンはやれやれといった様子で了承した。
「どうやら行ったみたいだな……さて」
独り言を呟きながら僕は自分が作った資料に目を通し、改めてコンセプトに矛盾点が無い事を確認する。
「おい」
「うお!……なんだグレンか、驚かすなよ」
グレンを見送ってから僅か数分で帰っていた。
「随分早いな。もう見つかったのか」
「いや、外の様子がおかしかったから戻って来た。なにやら兵隊らしき連中が慌ただしく動いていた」
グレンは息切れ気味にそう説明した。
「……何が起きているんだ?」
「分からない。だが今日は下手に動かない方がいいだろう」
「そうだな」
そう言った直後、何やら足音が聞こえてきた。直ぐにグレンを隠して待機する。どうやら足音の主は少し急ぎ気味らしい。足音のテンポが随分速くなっている。
「ミスター・サイキ」
「……エルヴィン伯爵」
足音の主はエルヴィン伯爵とその護衛だった。
「例の物はあるか?」
「はい、こちらに」
そう言って僕はロケットの研究資料の途中成果を渡す。
「……これで全部か?」
「はい」
「そうか」
そう言ってエルヴィンは資料に目を通す事無く護衛に手渡した。
「この資料は全て焼却処分しておけ」
「はい!」
「焼却処分?どういうことですか?」
僕が尋ねると、エルヴィン伯爵はこちらに向き直り、僕の手を引く。
「ヘルメピア本国に我々の居場所が特定されてしまった。まもなくロイヤルアーミーがここに乗り込んでくるだろう。そうなる前に我々は脱出する」
と、エルヴィンは言った。なるほど、外の兵士達が慌ただしかったのはそう言う事か。
「さあ来い、ここを出るぞ」
「……嫌だと言ったら?」
「どうなるかは君自身も分かっているのではないか?」
そう言ってエルヴィンは自身のサーベルを突きつけた。
「……勿論です。行きましょうか」
「それでいい」
エルヴィンはサーベルを収めてそう言った。
◉ ◉ ◉
その後、僕は手錠と目隠しをされてエルヴィン伯爵に連れられる。
『ヘルメピア本国に我々の居場所が特定されてしまった。まもなくロイヤルアーミーがここに乗り込んでくるだろう』
エルヴィン伯爵はそう言った。つまり、彼は間違いなくヘルメピア本国の意思に背いているという事だ。今まで確信に繋がる決定的な証拠は無かったが、本人からの言質が取れた。彼は間違いなく黒だという事だ。
「おい、早く歩け!」
エルヴィン派の兵士に怒鳴られて僕は歩く。何処に連れていかれているのかも分からないまま何やら土を踏んでいる感触が伝わって来た。どうやら外に出たらしい。
「お前たちはここでいい。予定通り、例の場所で落ち合おう」
「了解しました」
何やらエルヴィン伯爵の指示が聞こえる。
「ミスター・サイキ、階段を上がる。付いてこい」
「はい」
言われるまま、階段を上る。ギシギシという音から察するに、あまり丈夫に出来ていないのだろう。階段は僅か4~5歩程度で登り切った。
「ここでいい、目隠しを外すぞ」
どこかに手錠を固定された後、エルヴィンはそう言った。
「はい」
そう言った後、目隠しが外された。何やら金属製のパイプがいくつも繋がっており、狭い部屋の中にいる。中世ヨーロッパの雰囲気よりも、どちらかというとスチームパンクな世界観だ。
「ここは……?」
「驚いたかミスター・サイキ。ここはパンジャンドラム・ヘルベチカの中だ」
「パンジャンドラム……ヘルベチカ!?まさか……!」
「そう、君が察する通り、ヘルベチカ計画の最終形態となるパンジャンドラムだ。光栄に思うがいい。捕虜とはいえ君は今その中に居るのだからな」
エルヴィン伯爵はそう言った。まさかヘルベチカ計画が既に完成していたとは、そのパンジャンドラムが現存していたとは思いもしなかった。
「まさかこんな形でヘルベチカを動かさなければならない日が来ようとは……エンジン始動!」
その言葉と共にヘルベチカは動き出す。その激しい振動に慣れてきたその時、ヘルベチカはその車輪を回転させた。
「何をする気ですか伯爵……エルヴィン伯爵!!」
「安心したまえミスター・サイキ。今はまだ戦いの時ではない」
「なに……!?」
「パンジャンドラム・ヘルベチカはまだ完全な状態ではない。仕上げは君にやってもらわなければならないのだよ」
「仕上げって……貴方は一体、何処を目指しているのですか……ヘルベチカ計画とは……何なのですか!?」
「フン、よかろう。ここまで来れた褒美だ。特別に教えてやろう」
そう言ってエルヴィン伯爵は語りだした。
「パンジャンドラムはかつて、ヘルメピアの危機を救ったこの世に二つとない神器だった。当時のヘルメピアは弱かった、クレヌル帝国の属国にしかなり得なかったのだ。ヘルメピア独立戦争時の兵力差を知っているか?ヘルメピアの兵力はたったの3000に対し、クレヌル帝国は50000という兵士の数を持っていた。更にヘルメピアには剣や槍と言った武器を持ち合わせていない。文字通り農具で戦う他無かったのだ」
「その、兵力差を埋めたのが……」
「そう、パンジャンドラムだ。パンジャンドラムは膨大な数の帝国兵を一斉に薙ぎ払い、ヘルメピアを勝利へと導いたのだ。その一撃はまさに一騎当千……いや、起死回生の一撃だったとまで言われている」
「そんな事が……」
「『パンジャンドラムの再現』——それは、ヘルメピアの民であれば誰もが夢見る事。ダミーパンジャンのような模造品ではない、真のパンジャンドラムの再現こそが我らヘルメピア民族の夢であり、責務なのである」
エルヴィン伯爵は続ける。
「そして、それは遂に動き出した。きっかけはパンジャンドラムの部品と思われるものが出土したことにある。君も知っているだろう、パンジャンの残光と呼ばれるものだ」
「ええ、パンジャンの残光は僕の研究にも大きく関わっていますから」
僕が答えると、エルヴィン伯爵は続ける。
「ああ、パンジャンの残光は神の力で出来たものだと言われている。つまり、我々がそれを手にすれば、神にさえなれるという事だ」
「神に?そんな事が……」
「可能なのだよ。我々の目的はパンジャンドラムを作り上げる事だけでは終わらない。『ヘルベチカ』とは、パンジャンドラムを傀儡とした、いずれ生まれるであろう新たな神の名だ」
「それは、つまり……」
「そうだ、我々の真の目的は、この世界を統べる神となる事である。新たなるパンジャンドラムが、それを可能にして見せるだろう」
「そんな……」
『あり得ない』——その言葉は、伯爵の熱気に気圧されて口にできなかった。
「本来ならその神は、我々ヘルメピア民族がなるべきだろう。しかし、それを邪魔する存在が現れた」
「誰なんですか、それは……?」
「君だよ、君こそがヘルベチカ計画を阻害する存在だったのだ」
「僕が!?まさかそんな事……!」
「いや、君こそがまさにヘルベチカ計画の障壁だった。君は、我々が解明しきれなかったパンジャンの残光の推力源をものの見事に突き止めてくれた」
「それがどうして計画の阻害になるというのです?」
「言ったはずだ。我々の目的は神となる事……だが、こんな子供にこうもあっさり研究を進められてはそうもいかないだろう」
「……何が言いたいのです?」
「その様子だと自覚が無いようだが君が神・ヘルベチカの名に最も近い存在だったのだよ」
「……なるほど、読めてきました」
と、僕はまるで独り言であるかのように呟く。
「何がだ?」
「つまりあなたは僕に神の座を奪われるのではないかと危惧し、それを止めようと画策した。その結果がカローラさんの殺害と、僕にその罪を着せる事になった」
と、僕は言った。
「ほう、やはり勘づいていたか」
「……貴方が、カローラさんを殺したのですね?」
「フン、カローラも君もヘルメピアの血を持たない部外者だ。そんな連中に神の座を奪われるなど、ヘルメピア民族としてあってはならない事。都合が良かったのだよ、カローラを殺し、君に罪をなすりつけてしまえば二人の部外者を葬る事が出来る。一石二鳥というやつだ」
「そんな……そんな事が……!」
言いながらこみあげてくる怒りを必死に抑える。なんとか抑え切ったが、怒りを覚えているのは僕だけじゃない。
「……グレン、やめろ。抑えるんだ」
エルヴィン伯爵に聞こえないよう、小声で僕に付いてきたグレンに訴える。
「やめろ、止めるな……!アイツが犯人だったんだ。アイツのせいでボク達は……!」
「今は抑えろ、その時じゃない!」
「じゃあどうしろっていうんだ!」
「機会は必ずやって来る。その時に復讐してやろう。今行けば僕もグレンも返り討ちだ、二度とチャンスは来なくなるぞ!」
「くっ……!」
そこまで聞いたグレンはようやく僕の中で暴れるのをやめてくれた。
「はあ……」
「ため息なんか吐いてどうした?」
エルヴィン伯爵はそう言った。不味い、何か誤魔化さなければ……、
「こんな状況です。ため息くらい吐きたくもなりますよ」
「フン、違いないな。ではそろそろ行くとしよう」
と、エルヴィンは言った。どうやら勘づかれなかったらしい。
「何処へ向かおうというのです?」
「さあ?ここではないどこかだ」
そう言って僕達を乗せたパンジャンドラムは、その足を動き出した。
続く……
TIPS!
グレン②:主に対して忠実な性格でカローラを強く慕っていた




