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ユーデックスの光を  作者: ムール貝
3/7

情報屋の夢

「あら、今日は早いのね。サハラ」

 奥にいる女性がくるりとデスクチェアをまわして振り返った。肩につかないくらいで切りそろえられた茶髪が、少し太めの赤縁のメガネでふわっと膨らんでいる。電線時計を見ると、まだ七時前だった。

「ちょっと身支度に気合を入れてみました」

「何か変わったことでもあったの? 周りで」

「え、いや」

 相変わらず妖怪じみた頭を持つ人だ。

 あれから数日が経った。変わったには変わったが、それは天王寺が出勤するのを見かけなくなったくらいだった。まさか流入品のパズルに興じるあまり、仕事をサボっているんじゃないだろうな。

「私も少し早起きに挑戦してみたわ。でも朝が眠いのは変わらあいえ」

 後半はあくびと混ざってよく聞き取れなかった。彼女は台座から降ろしてある監視カメラからテープを取り出し、デッキに入れた。

 僕は小さく伸びをしてから、本棚の整理を始めた。たまに手に取った本を適当な場所に戻す客がいるからだ。しかし今日はそれほど無さそうである。

 沈黙が訪れた。本たちを本来の場所へと戻していく。三冊ほどそれを繰り返して、思いがけなく手が止まった。

『パーソナルコンピュータ読本』

 こんな本あったっけ。……ページをめくってみても日本語だとわかるだけで、意味不明な単語ばかりが使われている。眉が徐々に寄っていくのを感じた。所々に、細かく描かれた図説が挟んである。内容がさっぱりなのに加えて、この独特の不快感。ということはメカ関係だろうか。一度天王寺の所に持っていってみるか。

「向田さん」

「ふぇっ!?」

 変な声を発しながら店長が飛び起きた。

「な、なに」

 ビデオは止めずに、彼女が振り返った。

「持ち出したい本があるんですが……」

 彼女は僕が机に置いた本を見ると、顔を曇らせた。

「これ多分流入品なのよね。持ち出しはいいけど、気をつけてね」

 僕も顔を曇らせた。あの噂には半信半疑だが、ここまで「これ」に縁があると流石に不気味だ。そもそもあの噂の元はなんなんだ。

「知りたい? その噂の元」

 店長がそう言いながら身を乗り出してきた。……この妖怪め。

「知ってるんですか?」

「ちょうど私も知りたいところなのよ」

 彼女はいつものニヤリ顔を浮かべた。自分では上手いジョークを言っているつもりらしいが、いつもワンパターンなので気味の悪さの方が優っている。しかも、その度に彼女のニヤリ顔の奥から、見てはいけない闇がこちらを覗いているような気がするからなおさら……。

「きっと誰かが面白がってくっつけたんですよ。一人歩きする間もなく消えるんじゃないですか?」

 ジョークをスルーされた彼女は、不満げな表情を浮かべて椅子に深く掛け直し、腕を組んだ。

「でも不思議とみんな知ってるのよねぇ」

 彼女の落とした視線の先には昨日の店内の映像がブラウン管に映っている。テープの消費を最小限に抑えるために映像は一秒に一コマで、それが今は三倍速で流れていた。

 と、画面の中の一人の男に視線が吸い寄せられた。男は、本棚に伸ばした手をそのまま肩にかけたトートバッグに入れ、再び本棚に手を伸ばした。その間ぴったり三コマ。万引きだろうか。

「あら、万引き?」

 店長も同じところに目が行ったみたいだ。彼女は素早く一倍速に戻してから巻き戻した。

 一倍速であっても三秒の出来事。随分と手慣れているが、顔が割れた以上あまり意味はない。それにしても、男が手を伸ばした位置と、僕が持ち出そうとしている本が入っていた位置がほとんど同じである。本が一冊減っていたら普通は気付けるのだが。

「僕が電話しましょう」

「いや、いいわ。わたしが後でやっとくから」

 食い気味で返された。いつもは面倒くさがって自分からやろうとはしない。早起きといい、彼氏でもできたのか? そんなわけないか。

「それに、今日はあなたに買出しを頼もうとしてたからね」

 鼻で笑ってから一転、ぎくりと心臓が固まった。彼女の頼んでくる量は一日で終わるかギリギリを攻めている程にえげつない。いや、ギリギリを攻めるのが楽しいと前に彼女自ら話していたな……。

 しかし予想に反して、買ってくる物のメモを受け取り目を通すと肩透かしを食らったように気分がつんのめった。

「マヨネーズとしか書いてませんよ?」

 メモにはでかでかと「マヨ」とだけ書かれていた。

「たまには羽を伸ばさなきゃ。あなた休日は家にこもって本ばかり読んでるじゃない」

 ちょっとまて、何故それを知っているんだ。あ、いや、前に僕自ら話していたな。要するにこれは一日外出券というわけだ。

 僕は店長に礼を言い、レジの隅のラックの前でしゃがんだ。

「何かおすすめのCDありません?」

「ドラマCDならおすすめがいっぱ」

「やっぱいいです」

 店長とはある程度の信頼関係は築いているつもりなのだが、趣味のしの字でも含むこととなった瞬間とことん合わなくなる。しかし必要以上に距離が近づかないので実際は助かっている。

 これでいいのだ。と自分に言い聞かせながら店の扉に手をかけた。

「カルド街に行ってみたら? 気分転換になるわよ」

 とても優しい声だった。振り向きはしてみたものの、あまりいい言葉が思いつかなかったので目線で返事をした。

 僕は、少し歩いてから肩にかけた鞄からCDプレイヤーを取り出し、イヤホンを無造作に耳に突っ込んだ。蓋の端を押し込むが、若干へたり気味のスプリングは薄いプラスチックの蓋を開けるのも大変そうである。再び鞄に入れた手に触れた適当なCDを取り出し、蓋の下に放り込む。再生のボタンを押した。が、音は流れてこない。いつも通りにバンと手で叩くと、面倒臭そうに音楽が鳴り始めた。

 カルド街とは、近くにある大きな吹き抜けにできた繁華街の名前だ。吹き抜けなので空からは日の光が届き、空気もいい。もともとは、大昔に起きた大規模な崩落の跡地だったらしい。

 オラムでは通路が建物を支え、建物が通路を支え、それぞれが宙に浮いたような構造になっている。崩れなければいいと無計画に増築したのだから当然だ。その結果、昔は構造の一部が破断したりして連鎖的に崩壊が起こるといった事故がよくあったという。そうやって各地にできた穴ぼこに、虚勢や見栄の張りたがりが集まってきて店を開き、現在に至るというわけだ。

 足元を見ると、左右の建物から伸びた鉄骨が鋼板の下を貫いている。溶接された箇所はさらに溶接が重ねられ、錆が酷い箇所は補強のための鉄板が貼られている。

 下、上、左右に曲がりくねった道を歩いていく。歩くだけの仕事に飽きた頭が、余計な考えをぐるぐると掻き回し始めた。この埃っぽい空気に加え、なんとも言い難い不安が僕の跡をつけ、足は自然と速くなっていった。

 

 そうやって歩いてあまり時間はたっていなかったが、音を失った周りの景色がますます不安を駆り立てるので音楽をかけたのを後悔しはじめたその時、突然イヤホンが耳からすっぽりと抜け落ちた。どこかに引っ掛けたのだとすぐに気づいたが、今度はその引っ掛けて落ちたはずのイヤホンが見当たらない。プレイヤーから目で辿ると、コードは頭上へと続き、そこには……イヤホンを手に絡めた少女が頭を下にしてぶら下がっていた。

「わえっ!?」

 情けない声が出た。直後に腰に激痛が走った。腰を抜かしたのだった。

「そんな漫画みたいな反応しなくても……」

 曲げた膝を鉄骨に引っ掛けていた少女は、こうもり降りの要領でふわりと通路に着地した。

「ちょっとしたイタズラのつもりだったんですけど」

 少女は気まずそうに頭を掻いた。身長は見た限り僕と同じか少し小さいかくらいなのだが、シルエットが引き締まっているので全体的にとてもコンパクトに感じる。

「えっと、大丈夫? お兄さん?」

 その言葉で、自分が危ない状況かもしれないことに気づいた。なるべく素早く立ち上がり、少女をしっかりと見据えた。

 と、ここでようやく彼女の格好がしっかりと目に入り、再び体の力が抜けた。

「ああ、運び屋さん、でしたか」

 ノースリーブのダウンジャケットと、滑り止めが付いた指先の出たグローブ。運び屋の身分証明書のようなものである。

「あれ? 意外です。てっきり初対面でも歳下の女性には意地でも敬語を使わない類の人だと思ってました」

「初対面でタメ口きくより酷いことしてますよね。あなた」

「あんなに驚くと思わなかったんですよ。それに、私にとっては初対面じゃないですし」

「はい?」

 彼女は片足の踵を立てて綺麗に一回転した。

「一回階段で鬼ごっこしてくれましたよね」

 ……三拍ほと置いて思い出した。あれは彼女だったのか。僕の顔を覗き込むと、彼女は満足げに微笑んだ。

「まあこっちから馴れ馴れしく接触したのは謝ります。ちょっと仲良くなりたかっただけですよ」

 そう言うと、彼女は右手を差し出した。

「ここら一帯を担当している角目文です。今年で十六になります」

 突然の挨拶に僕も引きずられるように右手を差し出した、のだが。

「四葉佐原でああー! いたいいたい!」

 無防備に握手をした手が、猛烈な力で圧縮されたのだ。

「あ、ごめんなさい。いつもの感覚で握ってしまって」

「角目さん。握力いくつあるんですか……」

 そう言いつつ僕は少しひしゃげた右手をさすりながら若干涙目になったのを隠すのに必死である。

「えーと。左右で平均して七十五、くらいですかね? これでも低いほうなんですよ」

 僕が少し上げた視線に、彼女の決しては太いとは言えない腕が目に入る。しかしそれには、極限まで効率化された物の影を見ることができた。

「あと、私のことはあやと呼んでください」

「名前で、ですか?」

「名字があんまり好きじゃないんです。それと、もうタメ口でいいですよ」

 彼女は口を開こうとした僕を遮り、間を取るように、円を描くように歩きだした。その動き方だけでも、体重より重い物を体の力だけで運ぶ職業の者であると説明するのに十分であった。

「私担当している地区のすべての人から名前で呼ばれるのが夢なんです」

 回転を続けた彼女はそのまま通路の手すりを両手で掴んだ。後頭部で縛られた髪が電球の淡い光に貫かれ、少し茶色がかって見えた。

「年配の人には孫のように、中年くらいの人には娘のように、若い人には後輩のように、同じくらいの年齢の人には同級生のように、歳下の人には先輩のように……」

 彼女は語り続ける。

「人の記憶こそ生きた証だと思うんです」

 そう言いつつ、少し彼女は恥ずかしげだった。

「運び屋はけっこう孤独なんですよ。この業界では多分最年少なんでしょうけど、頼れる先輩なんかは一人もいません」

 彼女と同じように手すりを掴んでみた。錆のざらざらとした感触が伝わってきた。

「だからせめて、私はここにいると。私はここにいたんだと」

「自分の価値、みたいなものですか?」

「少し違います」

 彼女は体を通路の外へ向けたまま、下から視線を回してきた。

「自分とか……それこそ人生なんてのはですね」

 そして彼女は体もこちらに向けた。

「消えてこそ価値があるんですよ?」

 一瞬周囲が静かになった。すこし軋むような音を立てたあと、いつも通りの動きに戻った。

「……すみません。つい自分語りを」

 彼女は僕が落とした鞄を拾い上げ、僕の前にぶら下げた。

「ところで四葉さん。何処に向かう予定だったんですか?」

 若干ぼんやりとしていた僕はそこで我に返った。

「えっ……と、ぶらりとカルド街にでもと」

「ぶらり? そうは見えませんでしたけど。ま、今はそこには触れないであげます」

 鞄を受け取り肩にかける。

「一緒に歩きませんか? ちょうど次の仕事まで時間があるんです」

 僕は反応に困った。ただの好意によるものなのか、無理に言っているのかわからなかったからだ。

「なに、逆ナンされたと思えばいいんですよ」

 彼女は最初のいたずらっぽい顔に戻っていた。


 歩き出してしばらくしても、会話の主導権は文が握っていた。

「下層には行くなって小さい頃教えられましたよね」

「そう、なのか?」

 下層とは大体は第二十層以下の地区のことを指す。

「知らないんですか?」

 僕は試しに今までの経緯を語ってみた。十二歳より前の記憶がないことや、半ば拾わせた形で育てられたことなどだ。

「基本的な生活のあれこれはけっこう刷り込まれたけど、下層の話はあまりされなかったな」

「へえ……よく生きてこられましたね」

 ごく真面目なトーンの彼女の言葉に僕は思わず苦笑いをした。

「運があった。ということでは?」

「運、ですか」

 彼女は肩をすくめた。

「下層は闇ですね。闇なんですよ」

「そりゃ陽の光なんか微塵も届かないだろうな」

「そうではなくて」

 彼女は声を一段階小さくした。

「賭博に売春、薬、殺人。無法地帯ってやつですか? まあここも法はありませんが。こういう仕事をやっていると下層を訪れる機会も多いんですよ。運び屋ってオラムができる前はイケナイ物を運ぶ仕事のことを指す言葉だったそうですし」

 考えれば当たり前のことなのだが、それはあまり予想していない台詞だった。口をあわあわさせていると、想定内だったのか彼女は構わず話を続けた。

「ご心配なく。下層であろうと私達は生活の生命線。手を出すようなバカはいません。それと」

「それと?」

「オラムを網羅するようなものですから、あらゆる情報が入るんですよねえ。人と仲良くなるとなおさら。何か……あるんじゃないですか? あくまで私の勘ですが」

 彼女は見透かすような目でこちらを見た。一瞬心臓がきゅっと縮んだが、それ以上に好奇心が心から湧き上がってきた。

「じゃあ、あの、流入品とやらの話も知ってるのか?」

 彼女はニヤリと笑い、何も言わずに人差し指と親指で輪を作った。

「……金取るんだ」

「ビジネスとして成立するならどんなことでも。ほとんどの運び屋は情報屋も兼業してますよ」

 彼女の表情は待ってましたと言わんばかりだ。

「でもそうですね、今回はお近づきの印に、特別に無料でお話ししましょうか」


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