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ユーデックスの光を  作者: ムール貝
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天王寺

 家の扉を開けると、薄暗く暑苦しい空間が迎えた。靴を脱ぎ捨て、安っぽいスプリングが入ったベッドに身を投げた。ベッドはギャシッと悲鳴を上げ、すぐに静かになった。おそらく大量の埃が宙に舞ったが、今はそんなことはどうでもいい。

 僕と親父の出会いが人生の始まりだった。なんともロマンティックな聞こえだが、実際そうなのである。十二歳より前の記憶がなく、覚えている中で初めて出会った人が親父だったからだ。もっとも、僕が勝手に牛丼屋の天井を突き破って落ちてきたのだが。

 事故だったのか自殺しようとしたのかはわからない。とりあえず、気がつくと、少し加齢臭のするベッドの上でギブスまみれで寝ていた。人間の頭というのは不思議なもので、記憶がすっからかんでも言葉は理解できた。そして思わぬ養子を、親父は息子のように迎えてくれた。

 だから偶然とはいえ、親父は僕の命の恩人だった。

〈運に恵まれなかった人の分までしっかりと生きなさい〉

 オラムの人々の教訓のようなものだ。確かあの時も同じようなことを言われたか。人は死ぬときは死ぬ。その人の分まで精一杯生きることが、その人のためであり、一番の供養である。生きている、だから、生きてゆく。それが、この世界の道徳であると。昌平も、つい最近のことだったのに、もう親父の分の仕事もこなせるようになっていた。

 なんだか、少し先輩面をしていた自分が恥ずかしくなってきた。こんな気分でベッドに転がっているのが情けなかった。

 とりあえず電気をつけようと玄関の方に体を向けると、ドアの郵便受けから何かが少しはみ出ているのが見えた。意地悪なタイミングだ。取り出してみると、かなり大きめの封筒だった。……よりによって送り主不明。なにか薄くて硬いものが入っている。手紙、ではないような。

 ぴったりと入っていたのだが、下に向けて振ってみると案外するんと出てしまった。

「あっ」

 板のようなものが少し床の上を転がり、すぐにパタンと倒れた。拾い上げてみても、それは「板のようなもの」から発展しなかった。少し安心した。よくわからないものの方が気が楽だ。茶色っぽいプラスチックの板の上に、細かい部品が所狭しと乱立し、隙間には埃が詰まっている。何かの機械だろうか、という考えが頭をよぎった瞬間、思わず顔をしかめた。機械というものは大の苦手だ。電気というものを使う、というところまでしかわからない。僕の機械音痴っぷりは生活が危ぶまれるほどである。だが、幸い近くに優秀な人材がいるのだ。

 僕は部屋の隅に行き、床を叩いた。

「天王寺。起きてる?」

 少しして、返事と言えないような声がしてから、どすんと何か大きいものが床に落ちる音と振動がした。もちろんこちらから向こうは見えないが、予想はつく。おそらく本体が落ちた音だ。部屋の隅とは、すぐ下に彼女のベッドがある位置である。

 僕は素早く玄関を出ると、目の前の手すりを片手で掴み、ひょいとジャンプした。つま先が手すりに引っかからないよう慎重に脚を抜きつつ、空中で体を半回転させる。もう片方の手で床材の端を掴み、手すりから離した手も添えて下の通路めがけ体を放り出す。

 がうんっ! とかなり大きな音を立てて着地した。一つ下の階層への移動はこの手に限る。筋力こそ自慢できるものではないが、身のこなしは少し自信があった。それに、思い切り体を振り回すと気が紛れる。

 手についた錆を落としつつ、彼女の家のドアをノックする。ほどなくしてドアが開き、相変わらずのボサボサな髪に覆われた彼女が姿を現した。身長は百五十センチもないのに髪は腰に届くほど長いのだから余計にそれが目立つ。そして当然のごとく寝巻。リサイクルショップの仕事以外の時間はとにかく寝ていたいらしい。

「なに、あんたまた洗濯機壊したの?」

「いや、そうゆうわけじゃくて」

 そう言って、ズボンに挟んでおいた封筒を取り出した。最初彼女は怪訝そうな顔をしたが、中身を渡すと、彼女の雰囲気が何か上の方向に昇るのを感じた。まったく、オタク心を抑え込むのが下手な奴。

「あんた、こいつをどこで……」

 目線一つよこさずに聞いてくる。彼女は粘性を持った目で、埃まみれの地表に立つ建物群を一つ一つ見ていた。

「名無しさんからのプレゼント。郵便受けの中に入ってたんだ」

「ふ~ん」

 完全に自分の世界に入り込んでしまう前に、彼女は自分の生返事に気づいたようだ。はっとした後にこちらをチラリと見て、顎で僕を招いた。

「……ま、入りなよ」

 天王寺の生態は僕のそれとはまるで正反対だ。朝に起きるのは苦手で、それでいてかなりの機械オタク。部屋はいつも散らかっていて、その中に本は数えるほどしかない。なので彼女の部屋に入るときはいつもめまいがするものだ。

 彼女は小さなテーブルにそれを置き、かわりに煙草の箱を手に取った。そして椅子に腰掛けて煙草を一本取り出し、フィルターの部分をシガーカッターで切り落とした。

「最初から両切りを買わないのか?」

 愚問だとはわかっている。シガーカッターの、あのバッチンという音が少し苦手なだけだ。彼女はマッチを擦り、炙るように火をつけた。

「こいつがいいの。最近の両切りは味が薄くてさ」

 彼女はゆっくりと火を進め、口に入れた煙を漏れ出させるように空中に漂わせた。肺まで吸わない手合いなのが幸いである。肺喫煙をする輩の、あの蒸気機関のような煙の量は一種の化学兵器と言えよう。

 椅子はそれ以上部屋になかったので、仕方なく彼女のベッドに腰掛けた。僕がいた場所を彼女がふかした煙が埋めた。八センチのロングサイズ。控えめのフィルター。

「ハイライトか」

 彼女は少し驚いた顔でこちらに顔を向けた。 

「やってたっけ? あんた」

「いいや、親父が愛飲してたから」

「そっか。親父さん元気?」

 ギャッとベッドのスプリングの一つが悲鳴をあげた。振られたくない話題だった。彼女と親父は一応ではあるが面識がある。哀しみとも恐怖ともいえるようなものが少し心を支配した。

「……うん、相変わらず元気にしてるよ」

 彼女への気遣いなんてものではない。自分の弱さを、無理やり優しさに置換して殻にこもっているだけだ。

「えっと、大丈夫?」

 顔を上げると天王寺が不思議そうに首を傾げている。

「いや、なんでもない。それよりも、それがなんなのか知りたいんだけど」 

「ん? ああ」

 もとより僕は機械オタクの天王寺に会いにきたのだ。もちろん言っていることはちんぷんかんぷんだったりするが、文字で読むのと違って苛立ちや不快感はない。僕の知らない世界を見つめる彼女の眼が、彼女の世界をいっぱいに映したその眼が、不思議な魅力を持っているからなのかもしれない。

 彼女は寝かせてある例の物を立てた。いつのまにか大体の埃は落とされている。

「わからん」

「は?」

 機械について天王寺がわからないことなど今まで一つも無かった。ということは、機械の類ではないのか?

「まあおそらく流入品の一つだろうな」

「流入品……ってあれか? 外から入ってきたっていう」

 噂には聞いていたが、本当に存在するとは。オラムの周りの警備はとても厳重で、人やものの動きを検知して機銃を掃射する装置が設置されている。それにも関わらずどういうわけだか、オラムでは外から入ってきた品々が見つかることがまれにある、と。

「わからないって……でも魚の水を得たるが如し、だったぞ。渡した時」

 誇張して少しからかったつもりだったが、なぜか予想よりもびっくりしている。指に挟んだ煙草が落ちかけていた。

「え、うそ、そんな顔してた?」

「まあ雰囲気の話だけど」

 昔からなぜか僕は人の表情や雰囲気を読むのが得意らしいのだ。もっとも、自分にとっては何ら特別なことではないので、あまり自覚はない。

「そう……」

 彼女は少しその流入品に視線を落とし、少し眉を寄せると、すぐに表情を直してこちらに向き直った。

「ちっちっち。水を得たりとは少し違うんだな」

 そう言うと彼女は、部屋の隅まで歩き、クローゼットのドアを開けた。

「あんまり人に見せられるもんじゃないんだけど」

 クローゼットの中から取り出されたのは、一つの大きな段ボールだった。彼女はがらがらと音をさせながらそれを運び、床に置いて蓋を開いた。

「こいつらも流入品だよ」

 段ボールに入っていたのは、用途もよくわからない、異形のものばかりだった。

「本当? ガラクタのようにしか見えないけど」

「そ、実際のところ用途もわからないガラクタばかり。それがオラムで見つかる流入品ってやつ。ただ……」

 ガサゴソと手を巡らして彼女が段ボールの中から取り出したのは、何やら黒く四角い箱と、短めの電気コードのようなもの。そして、箱の方に開いた穴にコードの端っこを押し付けると……パチンと音がして二つの物が一つとなった。

「どうやらなにかのメカの一部らしくてね。うまくパーツが集まれば、外の技術をここで使えるかもしれないのさ」

「そのために流入品を集めているのか?」

「その通り」

 彼女はわざとらしくウィンクしてみせた。

「リサイクルショップに勤めているのも」

 と、彼女はそこまで言って言葉を詰まらせた。一瞬なにか考え事をしたあと、様子を伺うようにこちらを見た。

「……いや、なんでもない」

「なんだよ。リサイクルショップに勤めてるのは知って」

「そういえばあんた本屋やってるんだっけ?」

 彼女は引きつった笑顔で、話題を断ち切るように遮ぎった。

「え、まあ下っ端だけどね」

「じゃあさ、なにか流入品に関する書籍とかあったら持ってきてよ。なにかの参考になるかも」

 ……まあ機械音痴の僕ができる協力はそれくらいか。

「いいよ。題名くらいでしか判断できないけど」

 そう言って腰を上げようとすると、彼女に止められた。

「ちょっと待った」

 彼女は再びクローゼットの方に行き、今度はそこそこの大きさの金庫を取り出した。ダイヤルを回して鍵を開け、何やら黒い塊を取り出して僕の隣に置いた。

「お前、これは」

「持っときな」

 拳銃だった。それもかなり本格的なオートマチックの。僕がいつも携帯しているのは、デリンジャーという護身用の簡易的な二連発銃だ。

「流入品の噂を聞いたことがあるなら、何か妙なものも一緒にくっついてきたでしょ」

 弾倉に弾薬を込めながら彼女が言った。

「持っていて人に見せたり、売ったりすると災いが降りかかるとかとかなんとかっていう? 噂であるかも危うい代物じゃないか。そんなに警戒することじゃないだろ。ましてや銃なんて」

「念には念だぜ?」

 彼女は僕の手に銃を乗せた。

「一度怖い思いをしたことがある」

 いたずらっぽくそう言われたが、嘘ではなさそうだった。銃の、ずっしりとした重みと金属の冷たさが脳まで昇ってくる。

「使い方はわかるね。初弾を薬室に入れたら、安全装置を外してズドンだ」

「……わかった」

 青ざめた僕の顔を見て、彼女は面白がるように笑った。

「何も人を殺せって言ってるわけじゃないんだから。周りに気を付けてさえいれば、そいつの出番はまずない」

「あ、えっと、ホルスターも欲しいんだけど」

 彼女はまた笑った。少し悲しげに。


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