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ユーデックスの光を  作者: ムール貝
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塊街

 処女作。小学生のころにかいた小説(?)が酷いものだったので記憶を塗り替えるたまに書きました。

荒れ狂う濁流の中を力強く泳ぐ誰かがいた。一生懸命に声をかけても、彼には届かない。当然といえば当然。協力を仰ごうと周りを見回す。だが誰もいない。皆この流れに自ら身を投げてしまった。その場にへたり込む。空は今にも泣き出しそうな曇り空。その空が、落ちてきた。


  1・塊街

「おっはよおございまあす!」

 部屋中に響く声で目が覚めた。とは言っても、声の主は部屋にはいない。隣だ。

「半額半額! 今から三十分限定だよー!」

 煽てられるようにベッドから跳ね起きた。せめて日によって文句を変えてはくれないのだろうか、そううんざりしながら体に染み付いた流れ作業で素早く身支度を整える。特に何かに遅刻しそうになっているわけではない。この声からいち早く逃げ出したいのである。

 自分の身支度が終わったところで、上下右左前後の三六〇度で生活音がし始めた。この怒号で目覚める人はどうやら僕だけではないらしい。

 勢いよく玄関のドアを開け、身を翻して素早くドアの鍵をかける。外の鋼板を踏む音はますます大きくなった声にかき消されてしまった。

 隣を覗くと、顔面めがけ容赦なく声の機銃掃射が始まった。

「おう! おはようサラ! 目え覚めたろ!」

 確かに目覚まし時計としてはとても優秀だ……。

 しかしそれは、昨日のものをそのまま切り取ってきたかのような、いつもと変わらない光景だった。この人の声と文句とマッチョと仁王立ちは一生変わりそうにない。

「その呼び方やめろって言ってるだろ」

 頭の周りにまとわりつく声を振りほどきながら、店内にならぶ水々しい野菜を眺めた。

「なんか買ってくかい」

 ここでようやく声のトーンが普通になる。

「じゃあ……きゅうり一本」

「ああ? まーたきゅうりか。栄養失調になっても知らねえぞ」

「そんな無駄な組織を僕はつけてませんので燃費がいいんですよ」

 加川天智。八百屋「やおやお」の店主だ。かわいい店名と裏腹に店主はただ声が大きいだけのマッチョマンである。

 加川は片眉を上げ、やれやれと言うように屈み、きゅうりの梱包を始めた。彼が屈んだだけで店内はだいぶ広く感じられた。

 この地区屈指のマッチョマンである彼が通れるように幅が広く設けられた通路の両脇に、隙間なく綺麗に野菜が並べられている。あれほど太い指でどのように入れたのだろう…

「ほれ、いっちょあがり」

 巨大な手と小さな袋が目の前にあらわれた。袋を手から外し、代わりに代金を握らせる。上目遣いで彼を見ると、それもまたいつもと変わらぬ笑顔が張り付いていた。

「仕事頑張れよ。サラ」

 店を出ると再び早朝セールの大声が響き始めた。建物の外ではあるがその光景はとても無骨で、足元は縞鋼板、他の建物の壁が周りを占め、見上げても複雑に絡み合った配管と上の層の通路くらいしかない。なので外はいつも薄暗く、橙色に鈍く光る電球が、錆臭く乾いた空気の漂う空間を照らしていた。

 職場は七十九層にある。そしてここが六十三層だから十六層分も上にあるのだ。そこへ登る階段は付近に二つほどある。一つは急で短いもの、一つは緩やかで長いものである。どちらを使うか迷うのが毎日の日課であった。

 今日はどうしようか……コインで決めてもいいが、少し運動したい気分だったので急な方を登ることにした。

 と、ここで左手に握られているものがコインではなくきゅうりだということを思い出した。危うく野菜を職場に差し入れるところだった。危ない危ない。

 丁寧に包装を剥がすと何も知らないきゅうりがひょっこりと顔を出す。錆びた鉄と腐りかけの木材ばかりでできた風景の中に原色を纏って登場した水々しい野菜は、ため息が出るほどの純粋さを放っていた。かじってみるとシャキッと果肉が飛び出し、その音はパイプを伝って上の方までこだました。やはり水々しいものは周りの緊張感をほぐしてくれる。

 少し顔を緩ませつつ歩いていると、目の前に螺旋階段が現れた。久しぶりに使うのでたどり着けるか少し不安だったが、案外あっさりと着いてしまった。ただ、運動したい気分とはいえ目の前にそそり立つ急階段を見ると少し顔がひきつってしまう。

 階段とは、これまた縞鋼板でできている。脚を踏み出すと、薄い鋼板を踏むカンカンという音ときゅうりをかじる音が雑に混じり合い、愉快な不協和音を奏でた。鼻歌でも歌おうかと息を吸い込んだ瞬間、ふと妨害が入った。

 振動。何かが階段の下から猛烈な勢いで迫って来ているような振動。その正体が何かはすぐに察しがついた。「運び屋」だ。

 彼らは最大で四十キログラムにもなる荷物を抱えて通路や階段を縦横無尽に駆け回る。その進路を妨害することは死にに行くようなものだった。

 なんとかして回避しなければならない。選択肢は大きく二つある。途中の層で降りてやり過ごすか、目指す層まで一気に駆け上がるか。

 焦っていたのもあるが、なぜだか変なものに火がついてしまい、僕は後者を選択していた。

 大きく息を吸い、腰を落とす。筋肉に最大火力を命じて蹴り出すと、薄い縞鋼板が少し変形しながらも脚を支えてくれているのがわかった。

 手と脚が踊り動き、螺旋階段と並行する細い鉄パイプたちが、上へ下へと波打ちながら付いてくる。他の景色は見えたかと思うとあっという間に下へ飛び去っていった。

 気づくともう七十九層に着いていた。脚を止めると同時に、心臓と肺が忘れていたかのようにせわしく動き始める。どうやら運び屋は途中の層で降りたようだ。一生懸命に呼吸を整えながらふと目を下にやると、食べかけのきゅうりが、戸惑いの顔でこちらを見つめていた。


 さなえ書店、それが僕の職場の名前である。

「おはようございます」

 そう言いながらカランカランと音の鳴る扉を開けると、冷房の風と紙の匂いの混ざった心地よい空気が流れ出してきた。

「あら、今日は早いのね。サハラ」

 本棚の並ぶ十畳ほどの空間の、その奥にいる女性がくるりとデスクチェアをまわして振り返った。電線時計を見ると、まだ七時前だった。

「運悪く運び屋とニアミスしちゃいまして」

「……あんたそんなに運動好きだっけ?」

「え、いや」

 相変わらずの頭の回転の速さだ。

「私さっき起きたばっかなのに。まったく仕事熱ひんあんあらあ」

 後半はあくびと混ざってよく聞き取れなかった。彼女は台座から降ろしてある監視カメラからテープを取り出し、デッキに入れた。

 僕は小さく伸びをしてから、本棚の整理を始めた。たまに手に取った本を適当な場所に戻す客がいるからだ。……今日は多いな。

 沈黙が訪れた。場違いな場所に入れられた本を一冊一冊本来の場所へと戻していく。六冊ほどそれを繰り返して、手が止まった。『瞳合わせ』?

 こんな本あったっけ。ページをめくってみると、線が細めの漫画だった。おそらく少女漫画だろう。この類の漫画は正直苦手だ。当然詳しくもない。これは店長に聞くしかない。

「向田さん」

「ふぇっ!?」

 監視カメラの映像を早送りで見ながらうとうとしていたのだろう。変な声を発しながら店長が飛び起きた。

「さ、佐奈江でいいって言ってるじゃない」

 彼女は冷静を装うように言ったものの、手元が狂って停止ボタンではなく巻き戻しボタンを押してしまった。

 慌てる彼女を見て思わず吹き出すと、テープを止めると同時にしかめっ面で睨みつけてきたので固まった。こう見えて怒ると怖いのだ。

「で、なに?」

 恐る恐る問題の漫画を差し出すと、今度は彼女の顔がみるみるうちに輝きだした。

「あ! これ探してたのよ!」

「向田さんのですか?」

「当たり前でしょ。まったくだれよ私の本勝手に読んだ奴は」

 そう言いながら彼女は頰を膨らませてみせたが、残念ながら彼女の憤りにはあまり共感できなかった。というのも、彼女の私物の本と売り物の本はほとんど見分けがつかないからだ。

 なので一日に一回は客が彼女の本をレジに持っていって怒られていた。

「ちゃんと店の本とあなたの本と分けてくださいよ」

「私はわかるもん」

「はあ……」

 僕は仕方なく本棚の整理に戻った。

「というか、漫画ばかりじゃなくて、少しは小説とか読んでみたらどうです?」

「え〜。退屈じゃん文字ばっかで」

「それが本屋の店長の言うことかよ」

「なんだって?」

「なんでもないです」

 再び沈黙が訪れた。聞こえるものといえば、店長が漫画のページをめくる音、僕が本棚から本を抜き差しする音、電線時計の秒針の音、冷房の音と言えないような音くらい。そして僕はそれらが支配する空間が大好きだった。

 それに加えこの紙の匂いである。本というものは注意してみると一冊一冊匂いが違う。この書店は新古書どちらも扱っているのでそれが顕著だった。

 最後の一冊を終え、大きく息を吐いた。開店まであと三十分以上ある。僕は本棚から慣れた手つきで一冊抜き取り、踏み台のかわりにしている椅子に座った。

 薄い布で覆われた硬い表紙が、めりっと音を立てて開いた。


 ––––今が何の暦の何年なのか、それを知る者はいない。もとより、知ろうとする者がいないのである。

 終戦後の莫大な賠償金による急成長は、同時に急激な人口増加をもたらした。技術の進歩と共に貧富の差が開いた結果、それは技術を「持つ者」と「持たざる者」の差となっていった。

 人口増加は留まるところを知らず、富裕層らは臭い物に蓋をするかのように、貧困層、つまり「持たざる者」を完全に隔離する政策を打ち立てた。

 それは、閉じた地区に押し込めるだけ押し込み、水道と電気のみ与えて放置するという内容であった。

 彼らは最も人道的な処置であると主張したが、伝染病でも流行って全滅してくれれば好都合、というのが彼らの本音であった。

 だが人々は彼らの考えほど甘くなかった。自らの持てる僅かな技術を互いに共有し、時に工夫し助け合い、独立した社会を築き始めたのだ。

 家長制度などはまもなく崩壊した。

 人口が増えるにつれ一人一人が自分の人生を選ぶようになり、数々のドラマを生んだ。建物は小さなものが上へ上へと積まれるように増えていった。建物同士を繋ぐ鉄骨や通路はそこに根ざす人々の生活を表すかのように複雑に絡み合い、支え合った。

 やがて巨大な一塊の人工物となったそれは、いつしか「オラム」と呼ばれるようになった––––


「もしもし。店員の方ですよね?」

 見上げると店長がニヤリ顔で立っていた。時計を見ると、開店まであと四分。

「す、すいません」

 本を読んでいるとつい時間を忘れてしまう。急いで準備を整えていると、彼女が店の服装ではないことに気づいた。

「買い出し。『瞳合わせ』の新刊出したって昨日電話があって。てなわけで、店番よろしくっ」

 そう言うと僕の反応も見ずに店を出ていってしまった。

 本屋はたいてい得意先に作家を十人程抱えている。彼らは自分の店を開いて生活しているので、本屋はあちらこちらに売っている本を一箇所にまとめ、代金を上乗せして売るのだ。

 古本は中古品の回収屋から仕入れる。ただし、一度に多く仕入れるので運び屋を使うことになり、代金は割高になる。

 でもまあ世の中には色々な人がいるわけで、古本マニアと呼ばれる人間もそれなりにいるのである。僕のような。

 冷房のダイヤルを少し強めに合わせてから、ショーウィンドウのシャッターを開いた。店は静かに開店を迎えた。

 店番と言うくらいなので客足は少ない。特に午前中は、暇を持て余した老人が本の表紙を見に来るくらいである。この店は立ち読みを容認しているが、彼らにそれをする腰がないのだ。

 一人の男性が一冊の本を持ってきた。僕はそれを穴が空くほど見て記憶を掻き漁る。店長の本かどうか見分けるためである。

 過去に一度ほど、それをやらかしてしまったことがある。その後のことは…思い出したくもない。さて、と、この本は……。

「……七十円です」

 大丈夫。自分を信じるしかないんだ。

 男性は軽く頭を下げて出ていった。……運び屋を頼んでいない? ということは近くの階層の人だろうか。

 運び屋の仕事は本来は物運びだが、頼めば人も運んでくれる。エレベーターなどという代物はいままで一度見たかどうかと疑うほどに少ないのだ。

 それにあれは落下事故が多く、近所にあったとしても利用する人は多くないと聞く。

結局午前中に本を買ったのはその男性だけだった。今日は一人なので昼飯の間は店を閉めなければならない。

 商売の特性上周りの昼休みとは閉店時間をずらさなければならないが、あまり気が進まないのが正直なところだ。午後の半端な時間にお腹が空き、必要ない糖分を摂取してしまうからだ。

 紐を引っ張って冷房を消し、店内の蛍光灯を消してから店を出た。

 外は既に午前中のピークである。室外機の吐き出すむさ苦しい空気を、運び屋の足音や安売りの声、修理屋がリベットを打つ音が満たしていた。

 一つ下の層に僕の行きつけの牛丼屋がある。聞いた話によるとついこの間に子供の一人が店を引き継いだとか。

 なんとなく手すりの上に手を滑らせながら歩いていると、いつのまにか手に血がついていた。ぎょっとしてハンカチーフで拭きとった。まったく縁起が悪いな……。

 店の前はいつもと変わらない香りが漂っていた。硝子でできた引き戸を開ける。

「いらっしゃいま……あ、四葉さんじゃないですか!」

 一人の少年が振り向いた途端にぱあっと顔を明るくした。

「まさかお前昌平か?大きくなったんだな」

 僕は思わず彼の頭をポンと叩いた。

「大正解ですよ。まだ半人前ですけど。つい二日前に引き継いだんです」

  こいつは小さかったときはよく親父の脚にしがみついていた。それがここ数年見ていなかったのだ。

「ずいぶんと急なんだな。病気でもしたのか?親父さん」

 ぎっくり腰にでもなったのかと思って聞いたのだ。老いを感じさせない活発な人だから。だが聞いてすぐにしまった、と思った。

「……帰ってこなかったんですよ」

 彼の言葉は理解の領域に入って来ず、ひたすらに頭の中を駆け巡った。ありもしない返答を探して、唇が乾いていく。

「ご注文はどうします?」

 昌平は表情一つ崩していなかった。

「……牛丼ひとつ。玉子と七味も」

 口をついて出たいつもの注文文句。思考がついていけていないのを感じた。

「かしこまりました」

 一番近い席にゆっくりと座った。落ち着こう。こんなこと今まで散々あったではないか。

 帰ってこない。というのは端的に言えば行方不明ということだ。一番多いケースが通路からの転落で、老朽化による通路の崩壊が原因のほとんどだった。

 決まった地面のないオラムでは、転落したら最後、あちらこちらに張り出した屋根や鉄骨や通路に衝突しながら、釘に翻弄されるパチンコ玉のように、最下層あたりまで落下することになる。まず助からない。通路の整備不良となれば避けようもない。

 下層には他にも、修理屋の転落事故や自殺による死骸が折り重なっている。ほとんどが原型を留めておらず、まず身元調査などされずに処分される。

 なので吹抜けのようになっいる部分の通路には至る所に凹みがあり、誰のものとも知らぬ髪がこびりついていることもあった。

 血の滲んだハンカチーフが視界の中で歪んでいく。

「へいお待ち。熱いっすよ」

 昌平のすっかり様になった声が僕を現実に引き戻した。コトンと目の前に牛丼が置かれる。

「どうか気にしないでください。仕方のないことなんです」

 はっとして上げた顔に色々と書いてあったのだろう。昌平は悲しげに笑顔を作った。彼の自慢の赤毛が、扇風機の風に揺れていた。


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