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Reverse Terra 第一章『揺蕩のレジナテリス』   作者: 吉水 愁月
第一章  揺蕩のレジナテリス
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6. 蒼穹

 王都の北西、冠雪の残る堅牢なアルフの山嶺に、視界を包まれ峠を進む。


 眼前の砂利道を道なりに且つ順調に進めば、明朝にはホルストの町に辿り着く予定だが、

この一帯は遥か遠い故郷に似ていて、入植時に一度往来して以来、二度と足を踏み入れまいと誓った場所でもあった。     

 温暖で緑豊かな王都近辺では余り見ない山岳気候で、草木が乏しい無骨な剣閣を優しく彩る白峰と薄雲を眺めると、色褪せた情景がひょっこり顔を出して仕舞い込んだ思いを苛む。


 だからこそ、二路ある道筋からエスパニ経由を迷わず選択した訳だが、奇しくもアルフルートになったのは、避けられぬ運命という名の不確定的規定路線とでも言っとけば、

雑に適当、いや適当に雑だろうか。


 リコとカイルが眠る早朝のレインフォールを出てから昼夜問わず歩き続け、王都には寄らず西エスパニ領セビリスに辿り着いた俺を待っていたのは、略称――運命の悪戯と、今まで目の当たりにすることを避け続けて来た、世界の『現実』。


 アルフの小高い山合いの狭路の両側、山中から昇る営みの煙を遠めに眺めていると、同様に峡谷に立つ州境の街、セベリスでの出来事が思い起こされた。



  *** 


 王都フランシアの東、山が隔てた半島部一帯を指すエスパニ州。


 穏やかな封建制を目指したノルドランドの中でも特に領主の力が強く、政治的内情を考慮して領主にその統治の全てを委任している。

 州都セビリスの更に東に港湾都市イベリスがあり、水精信仰者が大半を占める王国内でも、

特に火精信仰の厚い地域で、その影響もありイベリスは工業に特化した城塞都市の呈をなしている。

 

 工業といっても、重工業はまだこの世界には存在しない。

 軽工業に初歩的鋳造が混じる程度だが、建築資材といえばエスパニ製と言われるほどの大産地で、木造家屋が入り混じる牧歌的な王都や他の都市とは違い、エスパニ領の都市は高い城壁で覆われ煉瓦造りの建物が規則的に並ぶ。

言わば明確なコンセプトの元に建造された計画都市で、それは言い方を変えると監獄にすら見えた。


 そして建築に要する煉瓦の焼成に大量の薪を消費する事から、急激に荒涼化が進んだ地でもある。鋳鉄にも火の精の加護を必要とする事もあり、水や地の精の力が強ければ再び緑化するのも早いが、夏は滅多に雨が降らず乾燥した土地柄、露出した大地が波状に拡がるのも当然の結果と言える。


 初めてグレンとエスパニ地方を訪れた頃は、レインフォール並みに木々の生い茂った土地だったと記憶している。入植以来、繁栄と比例して荒野は広がった。

 王都も似たような状況ではあるが、保護政策が功を奏しているのか、比較的マシな方で、

エスパニを見ると、発達が正解であるかどうかは未だに疑問を感じる。

 

 今でこそ極東の大地で皇帝を自称しているらしい我々の元リーダーであるグレンが、

王都より数百人の入植者を引き連れて移住し、真っ先に開拓したのがセビリスだった。

従った住民の殆どが火精信者-フムニスト-だったことも、今日の発展に影響しているだろう。

火は文明が発達する上で不可欠な要素で、彼が最重視していた事にも起因している。


 振り返れば、奴が王都からエスパニへ拠点を移し始めた頃を境に、互いの溝は深まり、理解は乖離していったような気がする。 


 いや……それよりも、明確な変化を感じたのは、あの奇妙な洞窟に入った頃からだろうか。


 セベリス周辺に点在した大小の洞窟は、内部に様々な壁画があり、得体の知れない不気味さと

宗教的神々しさが入り混じった、けして居心地が良いとは言えない遺跡群だった。

 門を出て南東に地中奥深くに玄室を備える穴がある、というグレンの誘いで調査に同行したのは、名目はさておき単なる興味本位で、これと言った目的があった訳ではなかった。 

 そして最奥、怪しげな祭壇と壁一面に描かれた未知の動物に囲まれた玄室で、彼は卒倒した。

小さなランタンを片手に背負い、僅かな灯かりを頼りに暗闇から這い出た、あの時の、

体温、吐息が、奴――いや、唯一の親友との最後のボディコンタクトだろう。

 

 これは決して大げさな表現ではなく、グレンにとって友と呼べる存在が俺しか居ないという事を、

他でも無い彼本人から打ち明けられたのだ。


 しかし、俺は最後まで彼を理解出来なかった。理解しようとする事も出来なかったのだ。

それがこのエスパニという地だ。

 俺達は、エスパニの最東端、イベリスの夕焼けの河畔で最後の話し合いの場を持つことになった。


『兄弟、お前はそこで立ち止まっていれば良い。私は次のステップへ行く』


 背中越しに言ってのけた友に対して、言葉を尽くすことを俺はそこで諦めてしまったのだ。


 今になって思えば、執政官として全ての政治決定権を持っていたグレンの、強行的な手法や

開発至上主義は、あれ以降顕著さを増していったようだった。

 俺達7人が持ち込んだ知識や技術が彼らの発展を助けた事は事実で、それにより衛生状況は飛躍的に改善し、若くして失われる命を減らす事が出来たのだから確かに功績はあるだろう。

 だが、同時に俺はそれに対する「罪」を感じてしまい、そしてそれを背負う覚悟が無かった。


 彼らの穏やかな日常に憎しみと争いを生むのではないか、

彼らを俺達と同じような結果に行き着かせるのではないのか、という不安を

自らの心の奥から払拭する事が出来なかったのだ。  


 上着の袖口から胸板の上の薄緑の――カードキーを覗き込む。


《だから……止める責任が、俺にはある……そうだよな、ヒルダ》

 物言わぬ金属板に語り掛ける虚しさに歯噛みしながら、重い足を再び踏み出した。


***



「なんだこりゃ……」

 見えない何かに祈りを捧げながら、セベリスの西門を潜った直後俺の口から零れ出たのは、

驚愕と違和をごちゃ混ぜにしたような第一声だった。


 セベリスに足を踏み入れるのは随分振りだが、爆散するかの如く拡がったであろう街並みは、

見事に繁栄に成功した大都市と言える。

東西を貫く大通り沿いに建つ漆喰と煉瓦の建物郡は、年を経て古都のような趣きに溢れていた。

 

 しかし開拓当時の賑わいはそのままだが、街の諸所を注視すると、陰気な澱みが溜まって見えた。煌びやかな出で立ちで行き交う貴族とは、決して交わらない路地裏や水路脇、計画的に備わる袋小路に貧しい人間が寄り縋っており、まるで意図的にすら思えるほどの明確な格差を露呈していたのだ。

 そしてそれは《使役》ではなく、《隷属》すらを内包しているようだった。

 

 王都フランシアでも貧富の差は存在するだろうが、ここまで露骨な資本主義は存在していなかったはずだ――と、歩きながらつぶさに周囲を観察する。


 俯きがちに荷台を曳く、質素な一枚服の男。

 鎖に繋がれて貴族に付き従う子供。

 怪しげな店の奥から恨みがましい目で往来を眺める若い女。

 粗末な敷物に座り往来を見送る老人。

 

 隠遁を選択して森に篭ってからは、王都への往来くらいで他の領地へ赴く事はなかったが、

よくぞここまで格差社会が蔓延したものだ。

事ここに居たった経緯は当然気になったが、現況を知る事が先決だと、中央通りから北へ、

身なりの良い人々が行き交う住宅街の、更に奥――いや、上。

山裾の小高い丘に建つ白亜の邸宅を目指して歩を早めた。



 セベリス開拓時に領主館として建てさせた大豪邸は当初はグレンが寝起きに使っていたが、

開発を東に伸ばす際に、初代領主ファビオに委譲した住居兼執務室だ。城下町片隅の惨状との対比で殊更と際立って豪奢に見える。

 年月を考慮すればファビオは既に他界しており、存命していれば彼の息子であるディエゴが領主を継いでいることになる。勢い良く洒落た扉を開け放って邸内に入った。



「ディエゴ! ディエゴは居るか!?」


 静まり返った邸内の奥から頼りなげな男の姿が現れた。

「お静かにお願いします。 貴方は……」 

 年若で病弱そうな青年が突然の来訪者に訝しんだ表情を向けた。

「ああ、悪ぃ、お前は?」

「私は……セベリス領主代理、ラウル・エスパニョールです」

 セベリス領主代理――という言い回しに、違和感がスルっと過ぎった。

エスパニの州都セベリスの領主は、即ちエスパニ領主ではなかったか?

そんな意識をラウルの二言目が削いだ。

「父は……長く病に伏せっております」


 代替わりは当然の事だが、最後に会った時2、3才だった少年が、病に伏せる歳なのかと思うと、残酷な時の流れに愕然――いや……仄かな不安を覚える。

 森の奥は時の流れが静止しているかのようで、様々な人や物、現象への関心が薄れてしまう。

それ故に心の――魂の摩耗が抑えられて来たのかもしれない。


「そうか、大声出してすまねぇな。 ヴァン……が来たと伝えてもらえるか」


 はぁ、と覇気のない返事で奥に引っ込んだ青年に次いで、姿を現したのは痩せ萎びた老人だった。頬は痩け骨が浮き出て枯れ木のようになった風貌は、脳の側頭連合野が呼び起こす快活な少年の面影からは、とてもではないがスムーズに繋がることが出来なかった。


「おお……まさか本当に……ヴァン様、お久しぅございます」


「あ、ああ……病だってな。大丈夫なのか?」

 震えるディエゴの背を支えると、幾重もに刻まれた横顔の皺が眼に入った。

「歳相応のものですからの……仕方無いことです。しかし、貴方様は変わりませんなぁ」

「もういい加減腹いっぱいなんだけどな」


 事実、老齢の元少年を見た時に浮かんだ感情は、哀愁や憐憫ではなく――羨望だった。

年老いて、生き抜いて、灰になる。ただそれだけの事が眩しくて自然と笑いが引き攣った。

そんな思考を読まれた訳ではないだろうが、ディエゴが手を差し出した。

「言いたい事は色々ありましょうが……奥へどうぞ」


 案内された応接室の椅子にディエゴを介助して、相対して腰をかける。こうしてリコ以外の他人と向かい合って話をするのは久し振り過ぎて、気恥ずかしさは隠せないものがあったが、大前提として消しておきたい違和感があった。 

「そこの……ラウルと言ったか。親子にしては随分歳が離れすぎてないか?」


 一瞬肩を揺らしたディエゴが苦しそうに唇を震わせる。

「それは……色々ありましてな……正確には孫でして」

 聞かれたく無い話なのか、ラウルも俯きがちに目を逸らしている。

 

「あともう一つ……あれは一体どういう事だ? 誰があんなもんを導入した?」

 ディエゴは明確な名詞の無い問いを自ら補填し、沈痛な面持ちのままで重い口を開いた。


「話せば長くなりますな……今のエスパニの州統治の話ですが、私が大病を患って早や5年、

息子のイサークが領主兼全権代理を務めとります」

「イサーク……当然俺は会った事がないな」

 王都へも随分顔を見せていない。その方が良いという思惑によるものではあったが、大臣や官僚の面子が一新していても何ら不思議はない。


「元々は帝国との境にある港湾都市、イベリスの領主を治めておりましたが、奴はエスパニの

全権代理者となってすぐに州都をイベリスへ移転し、セベリスは一地方都市となりました……

まぁ、それ自体は構いません。イベリスは発展し大きな港を擁する町となりましたし、どちらも同じ領主の治める地であることに変わりはありませんからな」


 そこまで言って、ディエゴは俯くラウルを一瞥し、奥歯を噛む様に言葉を絞り出した。

「しかし奴めはセベリスを……弟のラウルに任せ……帝国と通じるようになりました」

 溜息と共に語られた事実は、ある程度は予想通りだったが、それでも疑問は残った。


「それも始めの頃は大河を挟んでの交易で程々に潤い、民衆の支持も得ておったんです……が、

問題は、時を経るにつれ次第にその荷が――」

 ここまで露骨なヒントがあれば、義務教育を受けている人間であればアンサーは容易い。


「奴隷か」


「……帝国港湾部と対岸の暗黒大陸、そしてイベリスを結んだ三点で、奴隷交易を始めるように……奴は成り下がりおった」

 年老いた少年は、息子に用いるには余り良くない言葉を用い、円卓の一点を見つめながら続けた。


「帝国からは武具や鉱石、そしてイベリスではそれらを王国産の農作物や衣料品に変えて食料や生活必需品の乏しい暗黒大陸へ、そして……暗黒大陸からは――」


 その後の言葉は聞けなかったが、そこまで聞けば発端に思い至るには充分だった。

このような方法を思いつける人間は帝国皇帝である、奴――グレンしかいないだろう。

アーリアンに思いつける発想ではない。


 結局は奴を止めなければ文明社会の歪みは解消されないという点で、当初の目的と変わらない。

リオンが向かっているであろう帝国へ向かうのが唯一解だということになる。

「それで、帝国や暗……マ・・・…マルモ・アルバロへはイベリスから渡れるのか?」


「難しいでしょうな……あそこは完全にイサークの管理下で我らの手を離れとります。まず門を通るにも手形が必要ですからな。今は住民が外に出る事すらも厳しく管理しておるようです」

 ディエゴは、何より――、と一息おいて続けた。


「今やイベリスの港では帝国兵が大手を振って歩いとります。その為に港湾区域自体が隔離されとりますから……侵入は難しい、というより無理でしょうな」


「そこまで――」 

 腐りきっていたか。と言い掛けたが実父を慮って押し留めた。


「いや……それも俗世から逃げ回ってる俺が言えた事じゃないな。ところで帝国がそういった露骨な行動を始めたのはいつ頃からのことなんだ?」

「奴隷交易自体が始まったのは2年程前かと」


「……やはりそうか」

 原因は……セシルの死だろうな。確証はないが直感がそう告げた。グレンの真意は解らないが、

色んな意味で彼女が最後の防波堤になっていたのは確かなようだ。


「エスパニ領内の内政官からは反対意見は出なかったのか?」

「元々官僚は上から下まで奴の息がかかった人間ではありましたが……奴隷になっておるのは殆どが大陸の住民と、火精信徒以外の人間や領内の犯罪者で民衆も指示しておりますからの、異論を出せる空気ではない……というのが実際の所ですな」

 貴族層にとって、これ程都合の良い便利なシステムは無いということだろう。


 上流階級にしてみれば他領地の人間やマイノリティはゴミに等しい存在で、

それらが自らの富と権力の維持に役立つとすれば文句は無いだろう。

そういった権力層が支持すれば、一市民が反対の声を上げることは難しい。

何よりその市民ですらも火精を崇め、法を遵守して慎ましやかに生活していれば、

多少貧しかろうと不都合は存在しないのだ、支持が上がるのも当然だろう。結果出来上がるのは

トリクルダウンの無い綺麗なピラミッド型の階層社会だ。


 そして、その澱みは下層に吹き溜まる。使役される側も生きていく為に従うほか無くなり、

異論は封殺されていくことになる。よく出来ていて、使い古された管理システムである。


「帝国領に渡るにはどうすれば良い?」

「そうですな……プローブからアルヘ山脈を抜け、回廊を大陸へ抜ける他ありますまい」


「だが、あそこは……」

「ええ、ウェス火山の噴火により被災者が難民となって山中へ避難して以来、山賊化しておると聞きます。お勧めはしませんが……イベリスで帝国兵と事を起こすよりは遥かにマシだと思いますな」




 ***


 記憶が想い起こさせた立ち上るウェスの噴煙は、回想と共に透けるような青空に溶けて消えた。


 ディエゴから聞いた話では、アルヘ山脈の難民は二つの陣営に分かれて争い、少ない資源や援助を互いに奪い合っているとの事だった。鉢合わせなければ良いのだが――

 そんな風に考えていたが、そのままフラグになったのか、まさにその時だった。



「おい、そこの兄さん、有り金全部置いてってもらおうか」


 ここまでテンプレ通りの山賊ワードを聞いたのは、遥か昔に見たレトロムービー以来だ。


 見渡すと眼前の頭領然とした、ガタイの良い角刈り男の背後に2人……と思いきや、

木陰や岩陰から三々五々仲間が集まり総勢7、いや8人というちょっと洒落にならない構図になってしまった。各々が切れ味の悪そうな蛮刀のようなものを担いで不遜な笑みを浮かべている。


 いやいや、ちょっと洒落にならないぞ。

 

 あんな切れ味の悪そうな刃物でどつかれれた日にゃ水精術で治癒してもらっても酷い痕が残る。

というか、それ以前にそんな仲間は今の俺には居もしない。

 思案する暇が欲しくて露骨に時間を稼ごうと試みる。

「……お前たちはどこの者だ? 山中を根城にしてるってことは……ホルストの避難民か?」


「うるせえ! ごちゃごちゃ言ってねぇで言われた通りにしろ!」


 先頭に立つ大男が他の賊を指揮しているようだが、後ろに居る見るからに一際頭の悪そうな男が、粗悪なマチェーテを振り上げてがなり立てる。


 剣の使い方は開拓時代に散々叩き込まれているし、手持ちのロングソードも質の悪い鋳造品よりはよほどマシなはずだ。


 ただ、数が多すぎる。

まともにやりあっても勝てる見込みはないだろう。

速攻でラッシュを食らわせれば……あるいはボスくらいは倒せるか。

で、周囲の仲間が萎縮した隙をついてとんずら……って、そんな上手く行くかぁ??


 寸分迷って、俺は数少ない選択肢から、いにしえの禁断のスキルをチョイスした。



 ボスの目を強く見る……


 山賊の割にはそれほど悪そうな顔には見えない。長引く避難生活で性根が曲がってしまったとか、そんなありきたりの話だろうか。それとも何か訳が……


 そんなことを考えながら、ゆっくり視線を――ボスの背後に逸らし、


 手下数名をも通り過ぎる。



 この世界の住人は良くも悪くも素直だ。初見でまず看破は出来ないだろう――



「てめぇ! どこ見てやがんだ!」


 そう! それ!!



 そこで、目―― 見、開く! 目ェー一杯!!

 くらえ!!


 「あぁ!!!」

 潮がザァッ と引くように一斉に視線が背後に四散する。


 綺麗に決まった――と、


来た道を駆け戻ろうと華麗なターンを決めた直後、


ウオッ という恥ずかしい声と

脳からの停止信号を強制受理させられて止めることが出来なかった足がたたらを踏む。



 真後ろにも扇状に広がる賊・賊アンド賊。


 終わった。

手を開いてゆっくり両腕を挙げ、所謂ハンズアップで抵抗の意志が無い事を伝えようとするが、

背後から現れた新手は人の顔を見るなり驚いたようにひそひそと話し始めた。


 何だ? 様子がおかしい。


 「てめぇ!! 騙しや……き、貴様ら!!」

 ボスの声色から察するに、彼ら側の人間ではないようだ。そういえば言っていたじゃないか。

アルヘでは山賊が二陣営に分かれて対立……いや、何がどうでも窮地に変わりは無い。


 丁度バンズとバンズに挟まれたパテのような位置に居るのだ。


 どうする――警戒している前方賊に突っ込んで駆け抜けるか?

踵を返して、面喰らってる後方賊の横をフレンドリーなピクルスがバーガーから転げ落ちるか!?


 もういっそここは踊り狂って意表を突いてみるって手も! いや、それだけは無いな!



 「貴方は……」

 迷いすぎて訳が解らなくなったところに、背後から声をかけられる。

その言葉に対して高速回転した明晰な頭脳が出した結論、それは――


 背後の賊に加勢する! 振りをする! よし、これしかない!


 ゆっくり剣を鞘から抜いて目の前の大男に気勢を放つ。

後ろから切られた時は……もうそん時は諦めよう、やるしかない。


 そう言えばアイツが言っていたな……戦いは相手を威圧する事が最も重要だと。


 そしてそれを感じたであろう山賊が一斉に武器を抜き構え、同時に背後からも抜刀の音が――

いや、蛮刀に鞘なんて気の効いた物はないので、そんな音が……聴こえた気がした。


「クッ……てめぇら! やっちまえ!」

 仲間の士気を上げんと大声を張り上げて突っ込んできたボスの、マチェーテらしき鉄塊を、

眼前横一文字に剣で受け止める。

 ギャッ という耳障りな音が開戦の合図となる――



 誘発されて右で左で、前方で一斉に剣戟による幕間劇が始まった。

周囲から否応なしに鼓膜に響いて届く、迷い無く激突する金属音が、相手の命に刃を届けようと、

風を切……毟るような音が、現実味の無い光景へと誘い夢の中を漂っているような錯覚すら覚える。


 こ……こんなにも彼らは汚染されていたのか……


 放棄した責任と悔恨の重さが、そのまま敵の刀に乗り移ったかのように、

激しい圧力で身体ごと吹き飛ばそうとするのを必死に堪えた。


 「うおおおおおおおおおおおおお」

 意図せず出た咆哮を以って、襲い掛かる断罪から抗おうと歯を食いしばる。



 敵の斬撃を受け流し、剣を突き立てる。

避けられ牽制の隙をついての追撃をバックステップで躱す。

更に踏み込んで拳ごと叩きつけてくるような剛打をガードで受ける。

 

 交差して軋む白刃から発せられる、不快な金切り音と羽零れを伴った火花から逃れようと、

力任せに体当たりをかます。体勢を崩した賊への追い討ちに迷い、正す間を与えてしまう。

 

 2合、3合、力任せの打ち合い。

その繰り返しで、心臓を中心に駆け巡る熱い血流とは対照的に、冷める手先の感覚と、

妙に冷えた頭の中で、俺は絶望的な思い違いをしていたことに気付いた。

 

 今この場、入り乱れて狂乱する参加者十数名の舞踏会の中で、ただ一人。


 俺、一人だけが『命を奪う覚悟が無い』ということに。



 互いの体躯と、お世辞にも鋭利とは言えない前時代的武器。

それらが互角であろうが優位であろうが、そんなものよりも大事なのは確固たる意志――《殺す》

というシンプルで絶対的なメンタルの熱量差が、確実に生と死の境を色分けるのだということを。


 そんな当たり前の事実を、絶望に至る思い違いを、今この瞬間まで想定していなかったのだ。


 何とか致命傷を与えずに無力化しようとする俺と、どんな手段を使っても命を刈り取ろうと

振り下ろしてくる敵の刃では、前者が軽く、そして甘いのは当然の事だった。



 殺される……殺され……殺す……しかないのか? 本当にそれしか方法が無いのか……?



 鋭利でないが故に、厚身で幅広な蛮刀を叩き折る事は、それこそ殺すよりも難しいだろう。俺の持つロングソードも骨董と呼べる代物だ。斬っても命を奪うには至らないかもしれない。

 だが……そんなリスクを他人に負わせて剣を突きつけた事など一度も無いのだ。


 山賊と言え、元は被災で流出した難民じゃないか? そんな彼らの命を奪える程、

俺は高尚高潔な人間か? 何もかもから逃げ出して、全てを放棄して森に逃げ込んだ俺が……

 混沌とした思考の中、手業のみで何とか凌いではいるが、これはもう詰んでいると思えた。

 


 そういえば……俺達が王都に揃っていた頃、王城の中庭で剣撃の稽古中に、

剣を交えながらアイツが話していた事があったな。


《一対一の対人戦において、気迫や強い意思は当然重要だけどな、集団戦は》


 集団戦は……何だったっけか?


「こいつ……てんで手ごたえがねぇ! やる気あんのかてめぇ!!」


「やる気なんてあるかボケェ!」

 怒りに身を委ねて激情を剣に乗せて叩き付けてくる奴は、俺を殺せる。

俺は奴を殺せない。ただそれだけのことだ。


 そこからはもう戦闘とはとても呼べない無様を晒した。


 山賊の攻撃を、とにかく受ける。受け続ける。こぼれた刃先を顔面に何度も浴びながら、

右に左に前に後ろに受けて躱す、もう反撃する気力も残っていなかった。



 チェック状態で、リザインせずに手を指し続けるような醜態を晒しながら、とにかく、


 死から逃れ続けた。

執着なんてものはとっくの昔に失くしているのに。


 

 思考すらも諦め、反射的に攻撃を受け続ける俺の、予想外に、しかし事態は好転する。



 恐らく敵陣営で最も戦闘に長けたであろうボスを、不本意ながらも抑えて居た為に、

周辺の賊は味方――と呼んでいいのか――が制圧していた。


「くそ……退け!!」


倒れた味方を放置して駆け出した山賊の、遠ざかる背を見ながら、

やたら重みが増した剣を地面に突き立てる。



 そうだ。続きの台詞――

 《……集団戦では、周囲の状況で一変する。戦況維持にも意味はあるぞ》 

 

 だ! くっそ! 今思い出しても遅せんだよ! 短くまとめろよ、ケンの馬鹿野郎!



 心の中で理不尽な罵声を昔の仲間に浴びせながら、その旧友が量産した失敗品のロングソードに

目をやり、刃こぼれが放つ新たな鈍い輝きを、後悔と共に鞘に収めた。


 残ったのは先程の喧騒が嘘かと思うような静寂と、それに紛れた数名の息切れの音、

そしていくつかの吐息が事切れる音だった。



 こうも容易く互いを傷つけ合う世界に、誰がした。

透けるような空の下、残った闖入者と気まずそうな視線を交わして、一人頭を垂れた。


 砂利の混じる山道に染み通っていく赤を見ながら、横たわる幾つかの死体に目をやる。

不釣合いに青く高い空が、己の至らなさを責め立ててくるような、


そんな気がした。

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