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Reverse Terra 第一章『揺蕩のレジナテリス』   作者: 吉水 愁月
第一章  揺蕩のレジナテリス
5/20

4. 逢着

「ふー遠いね」


 どれくらい歩いたのか、険しい道を降りたのか、太陽と月が1度づつ頭上を通り過ぎた。

森から出るなと言われてはいたけれど、小さい頃なら出たくても出れなかったんじゃと思う。


 今頃の時期は比較的穏やかな気候で、雨ばかりのレインフォールは珍しく曇り続きだった。

昼は時折射す穏やかな木漏れ日と囀りに包まれて、夜は静寂と奇妙な安心感の中で眠り、

二日目の朝から、ついに空が陰り始め昼前には風が湿っぽくなった。


 カイルという名前の大きな男は、話しかけてくる事は余りないが、返事がないということもなく、何かしらの反応は返ってくるので、動物に話しかけるよりは少しは楽しいと感じられた。

 前置きも無く父が姿を消した朝、彼から聞かされた話を信じてここまで来た訳だけれど、

今の所不満や不安はない。幼少時からふらっと消える父のことだから、気にしても仕方ないし、

遠くまで歩いた事すら初めてで、変わらぬ景色や見慣れた植物すらも新鮮に感じられた。


「少し休む、ぞ」


 独り言のようにカイルは沿道の大樹にもたれかけるように腰をかけた。このように時々休みを挟む大きな相棒だけど、いつも上手い具合に空腹や疲れに合うので。従う事には何の疑問も無く、

父と一緒に居るような安心感すら覚えた。

 木の根に腰をかけ、弓や矢筒、水筒、荷物を降ろす。足をさすろうと身体を倒すと、上着の内側に慣れない冷たさを思い出した。


「ねぇ、これって結局何なの?」

 弁当に持ってきた干し肉をかじりながら、急に首から下げるように言われた金属板を、服の下から引っ張り出して見せる。


「鍵、だ」

「それは聞いたけど……どこの?」

「解ら、ない」


 この人は何で良くわからない物を、初めて会った父の言うまま首から下げてるんだろう……

人の事は言えないが、隠すよう言われたので胸元に忍ばせているせいで気になって仕方がない。

そもそも昨日の晩、なぜ話の途中で寝てしまったのか……楽しく話をしていたはずなのに。

やけにホットミルクを勧められた気はするが、他に何も変わった事は無かったように思う。

「父さんはどこにいったのかな?」


「……解ら、ない」

 先程の解らないより何かを含んだ言い方だったが、これも何度も繰り返された質問と答えだ。

同じ話題に興味が無くなったので、思いつく限りの質問を彼に投げることにした。『解らない』しか返ってこないかもしれないが、それはそれで。


「カイルはどこからきたの?」

「マルモ……アル、バロ」

「マル・・・・・・?」


 そういえば昔、少しだけ聞いた事がある。レインフォールやノルドランドよりもずっと北、ここよりもっと木々に覆われていて、光も殆ど射さない事から《暗き森》と呼ばれている場所があるということを。レインフォールも雨が多く霧がかかっている事が多いが、それ以上というのだから、だいぶ想像がつかない。

 雨が嫌いな人が外の世界には多いのか、父が言うにはこのレインフォールの森に近づく人も、

住む人も、他に誰もいないということだった。


「そこは人が住んでるの?」

「多く、は、ない」

「カイルのお父さんはどこに行ったんだっけ?」

「解ら、ない」

「僕の父さんも同じ所に行ったんだよね?」

 

「そう、だと思う」

 まとめると、父とカイルのお父さんは昔からの知り合いらしい。父にそんな人が居ることは

一度も聞いたことはなかった。知り合いどころか、他の人間を見ること自体が初めてで、

母のことも父から聞いた話でしかない。

 小さい頃に居なくなったらしい母を思うと、今でも胸の奥が鈍く痛む気がする。


「そうだ、カイルのお母さんはその森に住んでるの?」

 今までパロットのように返事を返していたカイルが初めて黙った。


 聞いてはいけなかっただろうか。けど……もし同じなら少しは分かり合えるかもしれない。

 そして、間を置いて無言でゆっくり腰を上げた。

「行く、ぞ。日が暮れる前、に、もう少し、進む」

「え、うん」

 やはり聞くべき事ではなかったようだと、立ち上がると同時に頬に雫が滴った。


「やっぱり降ってきたね。いつものことだし慣れてるけど」

 右に、左に、尻についた木っ端や草っきれを払いながらカイルが空を見上げた。

「森に、は……雪、も降る」

「雪? 何それ?」

「雨が、凍る。白く、冷、たい」

「こおる??」

 聞いた事がない言葉だが、まだ見たことが無いものが一杯あると思うと興奮する。

カイルもそれ以上説明してくれる様子はないので、見てからのお楽しみにしておこう。

「水が節約できていいね。干し肉はどうしようもないけど」

 食べ物はいざとなれば狩りをすればいいやと、水辺から離れた事を考えて、少しでも水分を

集めようと大きく口をアーっと開ける。

 前後、左右に雨水を迎え入れていると、カイルが行く先を指差した。

空を覆う木々のお陰で、さほど濡れずに進めるが、強く降り始めたら雨宿りをしなければいけない。


「こっち、だ」

 家を出てから、ずっと先導して来たカイルは、どう見ても人が通るような道では無い所を、

ずいずいと迷うことも無く進んでいく。

「本当にそっちであってるの?」

「恐、らく」

「あ、そっか。一度ここを通って湖まで来たんだっけ」


 カイルは先程より少し短い間を置いて答えた。

「……話で、は、夜か、明日に、は着く」

はっきりしない答えに不安になるが、いざとなれば戻れば良いだけなので気にしないことにした。

それより狩りはともかく、この空模様では火を熾すことの方が難しそうだ。二度目の野宿をするより早く森を抜けた方が良いかも知れない――その時


――聞いた事もない、刺すような甲高い音が両耳に届いた。 


「……何の音?」

「解ら、な……い」

 目を閉じて意識を集中すると、遠くの音が良く聴こえる……ような気がする。


 雨の音――

    所どころで囀る虫の声――

  小さく打つ鼓動――


         それらの合間、何かが藪を擦る音――


そう遠くない場所から発せられているようだ。


 同じように耳をすませていたのだろうカイルを見て、小声で確認した。

「もう少し先の、右の茂みの奥……かな……行ってみる?」

 カイルは槍を前に倒して、最大限足音を消して歩き出した。

「……解った。後ろ、から来て、くれ」


「なんで?」

 表情を変えずに背中の弓を見て、前方に向きなおして続ける。

「弓、は後、ろから、が良い」


 そりゃそうか!


 言われてみればその通りだ。狩りをする時はいつも一人で、たまに父さんと獲物を追う時は後ろで見ているだけだったから、何も考えずに前に出ようとしていた。

 カイルの後を追ったが、森で育った自分から見ても、彼の動きは物凄く上手い。

獣道から茂みに入ると草木が密集しているので、弓を手に移し、隙間を縫うように歩く必要があるのだが、カイルは更に長い槍を、大柄な身体で持って、まるで滑るように木と木の間を進んで行く。

足音や、気配の消し方がとにかく上手で、そうしながら確実に、そして素早く近づいていく。 

 本格的に降り始めた雨も音を消すことに役立ったし、風が吹いてないことも幸いしたが、

それを引いても森での動きを熟知している動きだと思う。


 そんなことを考えていると、風――がそよぎ始める――マズイな。

 と思ったが、どうやら風下のようだ。風上だと匂いが届いて気づかれる。狩りで大事なのは目や耳よりも……と鼻先に意識が移ると同時に、生温かい風が異臭を運んで来る。

自宅の炭焼き窯を思わせるような、何かが焦げる匂い。


 誰かが肉でも燻しているのだろうか、と考えていると前方奥に開けた場所が目に入る。開けた――のではなく、燃やして拓いたのだと気づくまで時間はかからなかった。


 木々が燃え、それを雨が消して煙と蒸気で視界がぼやけている。じっとりと流れる暖気は、

熱気と言っていいくらいに、顔から首筋に巻き付き、足元が冷たく感じた。

 徐々に雨が一面の煙を洗い流して、その姿を浮かび上がらせる。

「……――!」


 思わず声が出そうになったのを、必死に手で押さえて呑み込み、目を細める。


 見た事もないくらい大型で身体のゴツゴツした獣が、尖った口先から赤く長い舌を出したり

引っ込めたりしている。長く太い首を前に倒して藪を突いているのか、何かを食べているのか、

ここからは確認が出来ない。  


「カイル……あれ……何?」

「解ら、ない」

 声になるかならないかの囁きで相棒の意見を聞くが、暗き森にも生息しない生物のようだ。

初めて見る物は《よく観て察するように》という父の教えを思い出し、見ることに集中する。


 体長……カイルの倍はあるだろうか。背伸びをしたらどうなるかわからないくらい大きい。

人と同じように二本の足で立ち、両腕の先は……よく見えないが、カイルの槍の先端のように鋭利になっているようだ。肘から背中に向けて、鳥か蝙蝠の羽のようなものがついている。

 飛ぶ……? あの大きさで?


「ここ、から、射、れる、か?」

 思考の合間に割り込んできた問いかけに対して、今の時点で判断する。


「当てることは……出来ると思う。けど頭や心臓……って、どこにあるか解らないけど、

 急所を狙うのは難しい……かな」

「解っ、た」

 カイルは対象物を凝視したまま、すり足で距離を詰める。同じように、更に声を落とした。


「あの、羽。狙える、か?」

「うん……割と大きいから、多分」


「当たった、ら、行く。距離、をとって、狙、い続け、ろ」

 こくこくと無言で二度頷いて、背から矢を取り番え、ゆっくり半ばまで引く。

一度見やってカイルが数歩にじりよったのを確認してから、右手を引き絞る。


 靴底が砂利を擦る音を、雨が洗い流す。

 枝が邪魔になって当たらないように、弓の先を右手に倒しながら狙いを定める。

普段の状況と大して変わらないのでさほど苦にはならない。

 湧き上がる高揚を抑え、静かに息を吐きながら手の甲を顎に添えた。

 いつも以上に引き手に力を込めると、狙いは不安定になるが、貫通力が増す……気がする。

 あれほど大きな的なら……

 目標が不意に首をあげ、羽を大きく広げた。


 大きい!

 的が広い! これなら……当たる!


 パンッ という弦の音に、翼獣が反応して振り向こうとするのとほぼ同時に、矢は右上から左へ弧を描いて左羽のほぼ中央に突き刺さった。

 カイルゥゥ――と視線を移した時には、既に大男は信じられない速さで飛び出していた。


 目標との距離を半分に詰め、左前右後に構えた長い武器を、照準に捉え――

  るよりも先に、翼獣が深呼吸をするように頭を後ろに反り、真っ赤な舌を――

「カイル! 前!!」

 ボウッと轟音がしたかと思うと、カイルは大きな体躯を、獲物を狙うリンクスのように地に伏せ、頭上を通り過ぎる舌――じゃない! あれは……火! 

 真っ赤な柱が横なぎにカイルが立っていた空間を焼き払い、雨を一瞬で蒸発させて薄く霞がかかるほどの、瞬きの間――

 それでいて酷く長く感じられるほどゆったりと流れるような動作で、カイルは槍を自分の腰の後ろへ引き寄せる――時間が力と共に凝縮するように――


 いち、にい、さん!

 今度は目で追うのが困難なほど、物凄い速さで三度、左腹部を突き立てる!


 pgyaaaaaaaaaaaaaaaaaaau


 奇声を上げた獣は大きく後ろによろめき、踏み止まって巨体をこちらに向き直す。

再度矢を構えるが、前を向いていると的が細長くなり狙いが定めにくい。藪から出たほうが良い――

と、考えるよりも早く、弓を倒してカイルの後ろに飛び出す!


 羽を広げてジタバタとうごめく翼獣は、飛ぼうとしているのか、態勢を保てずにふらつく。 

 

 どうやら放った矢が、羽を貫通して胴体に刺さっており、飛翔の妨げになっているように見える。

カイルの一撃……三撃は、深々と腹部を刺したようで、止めどなく黒っぽい血が流れている。

 そのカイルは射手が飛び出してきたことに、気づいていないのか、気に留めていないのか、

先ほどの炎の届く距離の外に離れて、動きを見計っている。声をかけて彼の気を逸らすよりは、

攻撃に合わせて反撃しようとしているのなら、それに合わせて援護した方が良いかも知れない。

 もっとも、今まで反撃をしてくる獣に会った事が無い。もし炎に焼かれたら……熱いだろうか? ツメに引き裂かれたら……

 そんな考えが嫌でも頭をよぎり、弓を持つ手が震える。

 

 ボッボッと次の炎を捻り出そうとしているのか、傷の影響で漏れているのか、お互いが相手の動きを様子見しているかのように呼吸の音だけが周囲を包んだ。

 火を吐く獣……そんなものは今まで見たことは勿論聞いたこともなかった。

父はあれの存在を知っているのだろうか――

 などと考える暇もなく、目の前の獣は大きく鳴いて、左の翼を自らの身体に叩き付けた。

 バキッという鈍い音が、矢をへし折ったそれと気づくのとほぼ同じ一瞬の間に、火獣はより

大きく、高く首を上げ息を深く深く、もっと深く、掻き集めるように吸い込み始めた!

「お、大きい!!」


 藪の中から狙いを定めていた時の倍、いや三倍はあるようにみえる巨体に圧倒されて、矢を番えるか、後ろに下がるかの判断がつかない!

「来る、ぞ」

 カイルが声色も変えずに――足が・・・・・・!


 地面に縫い付けられたように動かない、自分の二本の足を見た。

 震え……てる?


 怖い……怖い? 怖いって……なに!?





 怖い怖い怖い怖いこわいこわい……これが、怖いってこと?


 足よりも強く騒ぐ心臓の音が、身体全体を固く強張らせる。


 前方一面の視界が、ゆーっくりと、赤く・・・・・・染まる――

 カイルの飛び出し、槍の動き、に見たように、時にゆるやかに、時に目に追えない速さで、

周りの動き、を、ちゃんと、正しく、認識出来、ない・・・・・・

 全てが、遅く、そして、確かな、死を、感じ・・・・・・るよりも。


 一瞬早く右から飛びついて来たカイルに地面に押し倒された!


 背中を強打しながら仰向けに見た炎は、明らかに先ほどよりも広範囲の空気と雨を燃やした。

熱風に身体ごと持ち上げられ、炎に吸い込まれそうになるのを、必死に両手をまさぐり土ごと掴む。既に膝をついて備えているカイルを、涙で歪んだ景色の中で見上げた。

「起き、ろ。死ぬ、ぞ」

 

 なんでこの人は、こんなに平然と落ち着いているんだろう。


 狩りでも緊張するし、動揺を抑えるのも苦労する。けどこの大男は、そういった感情自体を

最初から持っていないように見える。そんな人が本当に居るのかは分からない。


 促されるままに立ち上がり、同じように膝をついて落とした弓を手繰り寄せる。

とにかく、今は彼の大きな背中の後ろに控えていることが心強くさえ思えた。

「あの傷、では、何度、も、火は、出せない。少し、大きな、獣、そう思、え」


 根拠は無いのに変に説得力を持ったカイルのたどたどしい言葉に、早打つ心臓が、

駆け巡る血の流れが、少しずつ静まるのを感じた。咄嗟に雨音に耳を澄ませ、それを助けた。

 軽く息を吐いて湿った唇についた雨粒を飛ばして立ち上がる。


 そうだ。ここはレインフォール。いつも通りの雨が降っていて――僕の庭、そして縄張り。

炎がどれだけ大きくても避けていれば当たらない。


 いつもの……退屈――だった日常と同じ。


 二射目を構えて、大地に捕らわれた足を、今度は逆に根を張るように、大きく歩幅を取る。

目で合図を送ると、カイルはふっと笑うような顔をして、槍を突き出して向き直った。

 笑うんだな、この人でも。少し可笑しくなって全身が雨で溶けた気がした。

「ねぇ」

「何、だ」

 こんな時に話をしている余裕があるのか分からないが、聞きたいことがあった。

「どうしてそんなに落ち着いてるの?」

 そうありのままをぶつけると、集中を割いて応えてくれる相棒は少し考えて答えた。


「……獣、より、怖いの、は、人間……だから、だ」


 風のようにしなやかで、怖れなんてこれっぽっちも持っていない人が、静かに、

そして強く絞り出すように言った。

「それって……」


「話、は後、だ。来る、ぞ」

 獣はゆっくりと歩行を始め、少しずつ距離を詰めようとしている。炎によって焼かれた場所は

それ程広くなく、お互いの背後に藪が見える程度でしかない。

追い詰められて背を向けて飛び込んでも、ついでに焚き木になるだけだろう。

あれこれ考えていると集中を取り戻していく。

一度波打った心を鎮める為に、この先の世界のことを思い描いた。


 これからは、森の外で何かと戦う機会もあるだろうか。

何本も何日も弓の練習したように、今は出来ることをして、一歩ずつ、強くなればいい。

 出来ない事は誰かに任せればいいんだ。


 そう思えると、大きな獣はやはり見ていて恐ろしい生き物だが、一回りも二回りも縮んで見えた。

 とにかく対峙する勇気の根拠は持てた気がする。カイルと同じように、相手の動きを見て、

矢を放てばいいのだ。いつもやっていることと何も変わらない。

 指の力を抑えて的中に徹する。この距離で外せば炎に巻かれて、骨も残らないかもしれない……

けど、これなら絶対に外さない!


 そんな迷いを察してくれたのか、カイルが次の指示を出した。

 「左に、回って、右の、羽」

 頷いて、ゆっくり獣の左前方に距離を保ったまま歩き出す。

次いでカイルが槍を構えたまま右前方に摺り足で回りこみ、翼獣を挟んで反対側で立ち止まった。

 けど、これだと矢の射線に……カイルが――

 ――目を見る。その眼光の奥の意図が、小さな雷になって、背中を走り抜けた。


 そうか……外すなってことか!


 自信はある。 けどここまで信じられると……なんか、楽しくなってくる!


 獣は羽を広げ飛び立とうとしているが、左羽を貫いた矢が折れたまま刺さっているようで、

動きを妨げている。右翼だけが身体を持ち上げようとするので、よろけるばかりで飛びたてるような状況ではない。それを自分でも理解したのか、飛ぶのを諦めて再び攻撃態勢を取る。


 どっちに来る……カイルの方なら背中に一発お見舞いしてやればいい。

 けど、こっちに来たら――どうしよう?

 そんな迷いが伝わったのか、右腕の先の鋭利な……爪。異常に長い人差し指の爪を、こちらに

真っ直ぐ突き出して、ゆらぁっと右足を踏み出――その時!



 ガサッ と鳴る藪、翼獣のほぼ正面、こちらから見て右前方に突如現れる影……人!?


 「……・! なんだこいつ!!」

 

 綺麗な白い服を着た、漆黒の髪の少年が驚きの表情を固まらせたまま、咄嗟に剣を抜く。

その動作に反応したのか、大型獣はその巨躯にそぐわない速さで少年目掛けて突進する!


 ――くっ!

 必中の二射目を放つ。右翼に横から突き刺さる軽い音と共に、カイルが跳躍した。

 真っ直ぐ、肩――腕――槍――穂先と、目一杯射程を伸ばした一撃は、

まるで稲光が伸びるかのように、力強く左腹部を貫いた!



 ghusssssssssssaaaaaaaaaaaaaaaaaa


 悶絶するように首を大きく左右に振り、痛みと怒りを全身から、周辺からかき集めるように、

今までで一番深く、長く空気を飲み込み始める……!


 危ない――そう思う時間は無かった。


 白衣の少年は、迷わず一歩前へ右足を大きく踏み出すと、

右手を左腰にやり、左下から右上へ振り上げ、一閃!

 空を薙いだ。




Gysssssssssaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa



 今までで一番大きな悲鳴を上げた翼獣は、吐き出そうとした炎をボッボッと漏らしながら、左手で左の眼を押さえ、右手の鋭利な爪先を漆黒の少年に突き付けた。

 こちらからは見えないが、どうやら少年が獣の左目を切ったようだ。


 そこからは一瞬だった。


 少年は、突き出された右腕を左下から切りあげて落とし、後ろによろめいた翼獣との距離を一足で詰め、左胸を一突き。

 動きを止めた獣から、するりと剣を引き抜くと、


 再度、左から右に切り払った。


 物凄く緩やかに見えた動きと、静けさの後。


 

 頭を失った翼獣の首から、まるで炎が溢れ出るように赤黒い液体が噴き出す。

放たれた熱と共に蒸発したそれが、周囲を赤く煙らせる。


 霞んだ巨体は左右に揺れながら、斬り飛ばした首が落下し、

転がったのを、自らが確かめるかのようにして……そして、大きく、音をたてて倒れた。



 雨は血の煙が収まるのを待っていたかのように止み始め、

周囲の静けさと共に静まる鼓動と吐息の中で、僕達は互いに見つめ合って立ち止まっていた。

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