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Reverse Terra 第一章『揺蕩のレジナテリス』   作者: 吉水 愁月
第一章  揺蕩のレジナテリス
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3. 孤剣

 石積みで作られた城が気に食わなくて仕方ない。

 幼少の頃からずっとそう思っていた。


 自室から謁見場に向かう道すがら、規則正しく積まれた壁を横目にすると、近づく者の体温すら

吸い取られるかのように感じ、無意識に通路の中央を歩いている自分に気づかされる。

 これは白煉瓦で出来た巨大な檻だと、何度つま先で小突いたか分からない。

だが任務で外に出る以外は、無機質な天井を眺めながら、漫然と渇きを癒すしかないのだ。


 忌々しさを噛み潰しながら中央階段下に来て上階を見上げると、丁度中腹の踊り場、

左側の石壁に見慣れた肖像画が目に入った。

 一歩一歩ゆっくりと上がり、そして立ち止まり、白と黒で彩られた人物を横目に見る。


 先代の王、セシリア・ノルドランド―― 2年前に他界した母。水墨画と称される色のない絵は、美しさのみが際立って生前の慈愛や柔和な空気は何ひとつ伝わって来ない。母の死後、現女王が後を継いでからは一番見たくて最も直視出来ない物になっていた。


 ノルドランド王国、正しくは女王国。王子である自分も先代の子だが、王位継承権は無い。

《プリアルタ・レゴ》により女王が王位を継ぐ定められ、姉のフローラが既に即位している。

 それ故か、王族唯一の男子は城内では腫物に触れるような扱いを受けてきた。女王が偏重される城という監獄の中で王を護る兵としての役割だけを与えられ、幼少期から過酷な訓練に耐えたものの、意義を見出せない不毛な時間は果てがないようにも感じられた。


 それでも、母が居て、姉が居た……頃はまだ幸せだったかも知れない。

 だが、肉親二人とは違う髪の色が、城勤めの大臣や衛兵の、卑屈な目や憐憫に似た態度に晒されることを強いた。たかが容姿が与える印象によってこうも環境は左右するものなのか。

そんな事を考えながら、絵の中なら同じ色ではないかと、前を通るたびに物言わぬ母の姿に、慰撫にも似た希望を探してしまう。

 単色で色彩は表現出来ないが、母も姉も綺麗な栗色の髪で、自らが持つ漆黒のそれとは何もかもが違っていた。出自どころか得体まで疑われた事は一度や二度ではない。


 生まれた時より父の存在を知らなかった境遇で、母の纏う独特の空気がどれ程に特異な王子を庇護していたかを自覚したのは、既に大きな恩恵を失った後であった。

 数少ない理解者も居たには居たが、諸々の事情で軒並み転属される事となり、そんな経緯すらも、姉や大臣の悪意に感じられ、城内での孤立から逃れる術は最早無かった。

 中央階段を登り切り、謁見場の閉じた扉の前で静止し、重い空気を全て吐き出して胸の奥底を空にしてから、視界を両手で押し開いた。


「エリアス、入ります」


 内部は広くないとはいえ国の中枢だけあって、王座を中心に扇状に十数名が着席していた。

女王のすぐ右隣、執政官が座る席は長らく空席で、王国のNo2と言える役職は、俺が物心ついた頃には既に空位だったと聞いている。その隣に監察・法務・財務の各大臣が座っており、反対の左三つの元老席は空席となっていた。

 うち二つはルール領主を兼ねるランベルト兵長と副長でプローブ領主ボードウィン両名の序席だ。そこから広がるように護民官と造営官が、少し離れた所に書記、入り口から議場中央まで、二列を成す見慣れた護衛兵士が並んでいる。


 兵士隊列の間を抜けると、正面玉座のすぐ左隣、自らの元老席を放棄して女王の傍に立つ、一際

目を背けたくなる男が見えた。


 下品た面に興味はない。と、すぐに目を逸らして御前に出ようとするが、兵士以外の全ての人の

視点が交わる位置に、1人の男が膝をついている。

 遠目にではあるが、背中に傷を負っている様子で、応急的に手当はしてあるが、頭を垂れて――というよりは、苦痛に耐えて膝を屈して崩れ落ちていると言ったほうが、より近いかもしれない。


「……後にした方がよろしいでしょうか」


 踵を返そうとするが、透き通った良く通る声が静止した。

「良いのです。こちらへ」


 出来る事なら長居したくはないが、こうも人目のつく場所で反意を示しても王威を削ぐだけだ。

そうしてやりたいのはやまやまだが、波風を立てても気が晴れる気はしないし、別段本意でもない。


 静寂と静観で満たされた空虚な議場を、十数歩前に進んで男の横に膝を突き拝礼する。


 下げた頭を動かさずに一瞥する限り、格好からも農夫である事は察せられる。不自然な創傷が肩口から背中に広がっていて、痕からは皆目見当がつかない。剣で斬ってもこのように長く撫でるような傷にはならないだろう……なんだこれは?


「エリアス……元気でしたか? 近頃顔を見せないので心配していましたよ」


 伏せた目を上向け視野の端で捉える。表情までは解らないが、声を聴く限り嘘ではないのだろう。何よりこうして姉の姿を目視するのは何時ぶりだろうか。

 長く流れる髪が腰元に届かんとすればするほど、母の生き写しに見えて胸が押し潰れる思いにさせられる。しかし眼前にいる人は既に姉でなければ、勿論母でもない。女王である。唯一の肉親と己との距離を痛感せざるをえない状況で、それでも弟で兵士でしかない自分と同じ位置まで、あくまで姉として《降りて》こようとする態度が、なおさら腹立たしく感じてしまうのだ。

 王は、王座の上で踏ん反り返っていれば良い、と言わんがばかりに顔を上げ見据えた。

「用件は何でしょう。女王陛下」


 努めて儀礼的に応えると、ふと悲しそうな顔をしたように――見えた国の象徴は腰を深く据え直し小さく嘆息して背筋を伸ばす。


「こちらの方の話では、レインフォール付近に大型の獣が出たとのことです」

「獣……レインフォールで……ですか?」

 釈然としない、言葉に出来ない奥歯に物が挟まったような異物感で、念を押して繰り返す。

「ええ、詳しくは……申し訳ありませんが、今一度話して頂いて宜しいですか?」

 到底、民の上に立つ者とは思えない口調であるが、今思えば母も似たようなものだった。


 男は一際血痕の大きな右肩を左手で抑えながら搾り出すように話し始める。

「……今朝早くにレインフォールまで薪刈りに行ったときの事でさ」


 おい、ちょっと待て――レインフォールと言えば、国が立ち入りを禁じているはずだ。

 樹木が減った王都周辺に比べ緑豊かであることから、領民が隠れて伐採を行っていることは報告にも上がっていたし、幾度か直訴もあった。そういった法に反するものを取り締まるのも近衛兵長である自分の職務だ。しかし、女王直々に看過するように言い付かったこともあり、やむを得ず見過しているという現状が、尚更自らの存在意義の否定に拍車をかけているのだ。

 とはいえ禁止区域にまで足を踏み入れているようであれば、ノコノコと報告に来られるはずもないのだから、あくまで区域外の境付近ではあるのだろうが。

 しかし……王の御前でそれを言ってのける不遜に誰も何も感じないのか?

 王が民を甘やかすから法が曖昧になり、このような要らぬ被害を生むのではないのか?


 押し込めた感情が沸き立つのを堪えるのに苦労させられるが、何にせよあの辺りに大型獣が出た

という話は初めて耳にする。

「――妙な声が聞こえたんで、気味が悪くなって引き返そうとしたんですが……急に茂みから大きい獣のようなものが飛び出して……」

 ほんの少しの間、苛立ちに意識を取られて冒頭を聞き逃したようだが、どうでも良い前置きが丁度終わったところのようだ。

 傷は何かで引っかかれたように右肩の後ろから背中を通り、左腰に及んで一本の朱色の線が止血帯に点々と走っている。深手で無いのが幸運としか言えないような長さだった。

「姿は見たのか」

少しでも情報を得ようと、男に問いかける。 

「持ってた鎌を振り回して……訳も分からず逃げてきたんで……姿ははっきり見てねぇです」


 結局何も解らないということか。そもそも大型の獣ってなんだ?

 家畜以外の野生動物でも長角牛や一角馬を超えるような大型獣は居ないだろうし、どちらも人前に出て襲ってくるような獰猛な性質は持っていない。どちらかというと臆病で、こちらから危害を加えようとしない限り害は無いし、放っておいても逃げていくだろう。そもそも王都付近では希少生物に分類されており、野生種の姿は久しく確認されていない。更に突き詰めて、それら野生の角獣が攻撃してくると仮定すれば、このような傷跡にはならない。どちらも創傷ではなく刺傷になるはずだ。

 要するに《考えても解らない》としか言いようがない。


「つまり、護衛兵長――代・理・様、の出番という事でありますよ。殿下」

 不意に投げかけられた耳障りな声と物言いを防ぐ術が無く、眉が不快感に震えた。


 エスパニ領主の息子で、病床の領主に代わり現領主を務める、イサーク・エスパニオール。

腐敗貴族の代名詞とも言える醜悪な男だ。このような輩が平然と姉の横に立ち第一席が空位の中、

自席を放り出して我が物顔で議事を仕切っている事自体があり得ない。  

 王に取り入り、官僚貴族を取り込む事に精を出しているのだろうが、このような解りやすい人間を傍に置く姉への憤懣は、この男にこそ起因していると言える。


「どういう意味でしょう?」

 投げつけるように吐き捨てる。

「尊い臣民の嘆きの声を聞いておられなかったようで?得体の知らない獣が領内を荒らしているそうですよ。貴公の出番が他にそうあるとも思えませんが?」

「貴様……」

 続けざまに放たれる癇に障る語尾の強調に、欲求が胸底から競りあがってくるのを抑えられない。


 ――斬り捨ててやる――


 咄嗟に左腰の柄に手がかかる。


「エリアス……領民が傷ついています。どうか様子だけでも見に行ってもらえませんか?」

 熱した岩盤に水を打つような姉の言葉が、煮え滾る腸の熱量で蒸気となり蓋をした口から勢いよく噴き出して来ようとする。

 そんな数多の反意を、深い呼吸で無理やり飲み込み、浮いた拳を握った。

「……命令であればそう言えば良いでしょう」

「命令などでは……」

 なぜこの人は指示を出さないのか――出せないのか。無理やりに流し込んだ本心が、吹き零れる

ように口をついて出る。

「貴方の……そのような態度が、佞臣を付け上がらせているのです!」


 周囲が水を打ったように静まりかえり、虚を突かれたイサークが咄嗟に反応した。

「無礼な! 我等を愚弄するおつもりか!」


 我等、ではない、お前だクソ野郎。


 脊髄反射的に崩れた、内面に見合った顔が見られただけでも、溜飲が下がった思いがする。

「御命、承りました。失礼します」

 即座に立ち上がり、振り向いて足早に歩き出すと、背後から名を呼ぶ声が聞こえたが、これ以上腐った空気を吸いたくないと荒くドアを開け放つ。



 顔色を伺うような衛兵をひと睨みして、階下から城を出て駆け出すように、少しでも離れたいと、城下町までの緩やかな下り坂を足早に歩いた。



 一番高くまで登った太陽の眩しさすらも、今は億劫でしかない。

伏し目がちに人ごみの中を急ぐと、周囲が避けて道を開ける。

 いつもの事だ。今や俺に声をかけるものなど居やしない。

無心で歩くと周囲の景色が薄暗く収縮して、錯覚が生み出した闇に引きずり込まれそうになる。


 獣などより、悪辣な人間の方が余程、国にとっては害ではないのか――


 姉が王位についた時、先代に服従していた3人の領主は意義を唱えなかった。内心は彼らがどう思っているかは解らない。特にエスパニはあの男が全権代理者になってからというもの、領地が大河を挟んで帝国と接している事もあり黒い噂が絶えない。

 境界や王都の防備を固めるように姉に進言したが、帝国を刺激する事になると取り合わなかった。《不可侵協約が有効である》というのが理由だ。前母王と帝国とが結んだ代物らしいが、そんなカビの生えた約束に何の保障があるというのだ。

 それ以上に苛立つのは、王の横に立ち国を憂うべき官僚、貴族がみな、唯々諾々と王や元老の言うがままに成り果て、根拠のないお花畑に埋没し、富貴を貪っている事だ。

 元老でも限られた人格者の、ランベルト、ボードウィンの両名が不在なのも原因と言える。その為に護衛兵長代理などという面倒な役を預かってはいるが――《互いの理解は剣を交えて初めて通ず》という隊での訓示を体現する数少ない理解者だった彼らが女王の傍らにいれば、ここまでの事態にはならなかったかもしれない。


 元々高級官僚は事なかれ主義で、声高な人間に付き従う傾向がある。その癖、自らの権威を守る事に腐心する。今思えば、イサークが発言力を増してきた事も、彼らの不在に起因するのではないか? 両名の領地の境で紛争が群発し、帰還せざるをえない状況になった事自体が、奴にとっては都合が良すぎる話ではないか? という疑念は常に頭を過ぎる。

 彼らを疎ましく思っていたのが奴である事は誰が見ても明らかだったのだから。更に大型獣騒ぎ。これを奴の仕業と考えるのはさすがに穿ち過ぎだろうか。

 奴とはいずれ対峙しなければならないが、自分の境遇でそれが出来るかどうかは解らない。

 もっとも今はとにかく、王直々に民の為と言われればレインフォールに出向くしかない。


 ……民。

 忘れるものか……たかが数日太陽を見失ったくらいで右往左往し、愛する母を《贄》にした愚かな大衆。下らない因習に縋って、自分で考える事もせず妄言に流された官僚と民会。

 本当に下らない、守るに価しない存在だ。

 民を愛せない俺が王にならずに済んだのは、彼らにとっては幸いだったかもしれない。


 しかし、それでもこれだけははっきり言える。腐敗した貴族に比べれば100倍マシだと。

俺にとっての優先順位は、民ではなく国。母の残したこの国を守る為なら民を犠牲にしても構わないとさえ思っている。だからこそ、この国の政体には疑問を感じている。

 書庫で学んだ知識でしかないが、もっと強く権威を発して、王が絶対的存在として国を治めるべきじゃないのか?

 腐敗を断じ、不正を罰して、民を律し――王威で国を治める。 

 そうしていれば……母も。


 消化出来ない暗く重い感情を上から押し付けるように腹の底へ追いやり、がぶりを振って城下町の喧騒の中を速足で歩く。

 城門を出て南の空を見ると、生意気にも心情を察するかのように濃く厚い雲が覆っている。


 レインフォールは雨が多い土地と聞く。それを考えるでもウンザリとする。


 唯一頼みとする愛剣の柄頭を、軽く左掌で覆い、湧き上がる溜息を一つ地面に叩き付けて、

荒涼とした一本道を歩き出した。

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