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Reverse Terra 第一章『揺蕩のレジナテリス』   作者: 吉水 愁月
第一章  揺蕩のレジナテリス
18/20

    転章

 時を遡る事、数刻。


飛翔体が西から東へとアルヘ上空を通過した。

背には二人。大男と少女。


飛翔体は考える――何かが起こる、と。

自らの背に跨る人間はまだそれに気づいていないのだ、と。


飛翔体は羽ばたく――無粋と無邪気を乗せ、白麗の峰を眼下に。



   *** 


「マスター。 下、マーコ・シンドロ。次、どこ行く」


 幼いながらも透き通る珠のような声で男に問いかける。

この娘――カエデの声音が、我は最も好ましい。

 これの母親も祖母も一様に美しく、容姿に相応しい音色で私に問いかけ優しく撫でてくれたが、

その血脈の結実とも言える小さな鈴鳴は、ただそれだけで身も心も癒してくれるかのようだ。


「あー……ひっでぇなこりゃ。まさに《灰の海》か。火山の灰で湾内が完全に泥沼じゃねぇか。

これ以上近づくと降灰に巻き込まれっから、とりあえずセベリス北側の山沿いに大河に出るぞ?

あと……誰かに気づかれるようならすぐにでも引き返す……監視頼むぜ」

 

 野太い声で注意を促すのは我が主、ケン。

 長い付き合いになるが、この者の色音は実に粗野である。


 人間としては優れた膂力を持ち、多才に長ける実に非凡な男である事は認めざるを得ない。

 自らを受け入れた懐の大きさ、決して見せないよう時折覗かせる優しさ、この小さな偉丈夫には

尊敬すべき点が多々ある事も充分理解している。

好みの問題でしかない。すまない。


「マスター。なぜわざわざ遠回りする」

「そりゃ、こんなデカいモンが飛んでりゃ町の人間がビビるだろーが。特に王都の民衆には見つかりたくないしな。わざわざアルヘの北を周って来たのも噴火の様子を確かめに行くついでもあるが、

単純に人が居ないからだしな。帰りは南に大きく迂回していくぞ」

「マスター。そもそもなぜ行く」


「そうだな……これはあくまで予感でしかない。俺は、アイツの……セシルの死を聞いた時、強烈に胸騒ぎを覚えた。俺は……奴がこの先どうするか……何となくだが知っている」


 この男は、私が感じる不穏の根拠を知っているようだ。

 しかし、それを話はしない。ケンショウ・ヤマトと言う男は、自分の事を一切語らない。 


「マスター。なにゆってるか分からない……ムカツク」

 そう囁いて背をトントンと差し指で叩くカエデに、嬉々と応じて自らの躰を大きく傾かせる。



 「どわああ!」

 左側に勢いよく滑って行くケンが、翼の根本にしがみ付いて叫ぶ。


「落ち……落ちる落ちる落ちる! バ、バカ! やめろ焔神!!」


 エンシェン――男が私に付けた名前は《火の神》を表すそうだ。

 サラマンダを始祖に持つ身には相応しいのだろうが、最後に喉底から噴炎を吐き出してから、

幾年月を重ね久しい。そういう意味では最早相応しないだろう。

 何より我をそう呼ぶ主、この男こそが、我が炎を切り裂き消し去った張本人である。


 男と対峙した時、我は人を恨み、世を呪い、天を衝き、身を焦がさんばかりの怒りを抱えていた。それは、不変であり不滅で不可避の衝動的行動だった。


 目の前の『人間』を、微粒子一つ残さず消し炭に化えんが為に無限の熱量と激情を纏った轟炎を、渾身に放つ――ほんの刹那垣間見たのは、

細い一本の奇妙な剣で一閃され、左右に裂かれた赤熱の残滓だった。


 男は、言った。

 『すっきりしたか?』


 我の前に初めて青い空が拡がった。

 

 あの日の衝撃は今も尚褪せずに脳裏に映る。あれが我が主と仰いだ瞬間、そして――


「あ……ちょ、マジマジマジ! 落ち……」


 濁音と同期して左右に揺れる長い一本の黒馬毛に、悲壮感が漂い始めたので翼を水平に戻す。

右側に寄っていた小さな重みも、中央に戻りストンと腰を下ろした――のを、感じた。

「あの……カエデさん? 何か怒ってらっしゃいます?」


「マスター。いつもそう。王国の事、女王の事、なんにも話さない」

「あー……ほら……なんだ。聞いても面白い話なんてひとっつも無いしだな……それに、お前には

そういうのは関係なく、お前自身の道をだな……ん、や、ちょっと待て」


「ぁんだぁりゃ」

 ケンが目の前の光景を見て声を裏返した。

恐らく‘なんだありゃ’と言いたかったのだろう。



 左に大きく傾斜する都市の上空と、地上で明らかに違う大気の色。

 一線を境に隔てる、何かしらの『卵膜』のような存在。

 透き通る空と、噴煙に包まれる街、巨大な青と黒で二分する世界。


 しかし、我の双眸を強く引き寄せたのは、円蓋の中ではなく外壁の外。


 河岸の港、その埠頭に屹立する―― 一人の男。

 眩いばかりの光を放つ闇。


 我は意識を音に託し、思考の指向性を定め放つ。

 波は真っ直ぐに埠頭に押し寄せ、打ち寄せ跳ね返る。


 そして眼を閉じ、感覚一点に集中した。


     《マスター。あれは何》

             《グレン……お前そこまで……》


  二人の声が急激に遠ざかる。

 遠望に写る、眩いばかりに輝く闇のような男と、近づく人影に引き寄せられる視野。

 

 耳骨が捉える音が、脳に伝える言葉を、砂粒の中から輝石を寄せる如く拾い集める。





 ***




 《いやー、盛り上がってますね》


《クリスか……で、あったのか?》

 《馬鹿正直に商館に貯め込んでましたよ。何の為に領主館じゃなく港湾の商館に保管させたか、

  何の疑問も持たなかったんですかね。身の程知らずですよねぇ、あの程度の頭で……って》


 《あれ? 殺したんですか??》


《ああ、目障りだったんでな。俺の最も嫌う類のゴミだ。豚にも劣る》


 《いや、ま、そうでしょうけど……困るなぁ、まだ利用価値はあったんですが》


《お前なら何とでもするだろ?》

 《やだなぁ、その厚い信頼……で、それもなんですけどー 良いんですか? あれ》


《ああ……量は抑えてある。元々あれを試す為の指令でもあるからな、釈然とはせんが仕方ない》


 《え? ああ、まぁ便利そうですねアレ。間近で観たのは初めてですけど、簡単に術の威力を

  底上げ出来るってのは良いですね」


《止めとけ。セラフィナは仕方ないが、あんな不確かで不安定な物に頼っても碌な事はない。

 今回は第3が術士を寄越してきたから使っているが、俺はあんなものをつかわせる気はないぞ》


 《いえいえ使う気はないですよ? そもそも武官じゃないですし。それもなんですけど……

  街ですよ街。別に破壊しなくても残しておけば後々役に立つでしょ?》


《ああ、イベリスか……ここを破壊する理由は3つある。第一にここのイグニストが俺達に力を貸す確証もなければ、豚が反抗を抑えきれる保障もない。まとめて綺麗に掃除した方が手っ取り早い》


《第二に《魔女の遺産》の検証だ》


 《魔女……《フラーマ・ソルチルティーノ》ですか、眉唾すね。私はその人を知りませんが、

  複合精霊術なんて物を実証させたら世界は大きくかわりますよ》


《そもそもMAD自体がそれを研究する為のもの……というより副産物だからな。シェリーが血眼に なってなければ俺も信じやしないが、アイツなりに何か確証があるんじゃないか」


 《そういえば、当の姉さんは来てないんですか? 絶好の実験機会なのに》


《分かってて言ってんだろうが、俺がセラフィナを引き抜いた時から疎遠だ。来んだろう》


 《そこが分かんないんですよねぇ……姉さんって基本同僚にも部下にも優しいじゃないですか?   それに、彼女って元々ラボ生でしょ? 最初の被験者になった事といい、どうにも扱いが……   言っちゃ悪いですが生徒というよりモルモッ――》


《――言うな》


 《あー……すいません、含みは無いです、珍しく》


《まぁ俺も詳しい事は知らん。なぜああまでセラフィナを毛嫌いするのか。あるいはそれとは無関係にグラセス家の汚名をそそぐための、先代に対する反抗心みたいなものが原因かも知れないが》


 《聞けば教えてくれますかねぇ?》


《どうだろうな……シェリーの事は別にしても、俺は魔女とは会ったことがある。幼少時だが、

あの女はいつも俺を仇でも見るような目で睨みつけてきた。まだ二つ三つの小僧を、だぞ?》


 《何かしたんですか?》


《何もしてない。というより、そんな歳でも無いしな。トレセンに入ってからは会う機会すら殆ど無かったが、あの女が姿を消すまで俺は一度もまともに話したことはなかった》


 《へぇ……どういう感じだったんですか? 美人だったんですかね?》


《一言で『魔性』だな。見た目は……まぁそんな事は今はどうでもいい》


《残念。また暇なときにでも教えてくださいね》


《相変わらず緊張感がないなお前は……遺産だが、あの女も皇帝――父上同様化け物の一人だ。

 あの若さで精霊術の始祖とまで言われた女だからな。荒唐無稽な理論が俺達に理解出来ずとも、

 明確な理論があっても不思議ではない》


 《愚者には考えも及びませんねぇ》

《お前が愚者なら王国の人間は全員ゴミだな》


《お褒めに預かりーですが、正直この国の人間は馬鹿が頭文字に付くほど単純ですからねぇ。

 元老長のイサークですら《自らの欲》に正直すぎるがゆえに、操るのは実に簡単で張り合いが

 ありませんでしたよ》


《知ってますか? アイツが帝国の侵攻を手引きした理由》


《さぁな? 豚の話をまともに聞いた事はない》


《女王を娶って裏で国を牛耳ろうとしてたんですよ。セベリスまで前線が拡大したら間を取り持つ とか何とか適当な与太話で。笑っちゃいますよねあのナリで……どこをどうしたらそんな発想に

 なるのか……笑っちゃいますよね》


《野心家は嫌いでは無いが、無様だな。とはいえお前もお前でよくそんな奴を放っておいたな》


 《王国内の権力だけは持っていましたからね。仕事で使う分には便利だったんですよ》

《ならお前の仕事を邪魔してしまったかも知れんな。謝って欲しいか?》

 《いえ、後が面倒そうなんで遠慮しときます。まぁ良いですよ、根はまだありますから》


《もうひと働きしてもらうぞ》

 《わかってますよ……そういえばあとひとつはなんです?》


《ん? 何がだ》


 《やだなぁ、理由ですよ、イベリスを破棄する理由。三つでしょ?》


《ああ――ここが、皇帝の作った街だからだ》


 《ほー……というと?》


《もっとも、あの男は最早この都市には何の関心も持っては居ないが。俺がこの先、王座を奪うには ――奴が築いて来たものは全て破壊して一度更地にする必要がある》

 《遅い反抗期って奴ですかねぇ、それって帝都もですか?》


《足元を破壊するのは賢くは無いな。旧臣は全て殺すが……その後、師団の人間に挿げ替える」


 《へぇ……随分大きな野望を持ってたんですね。始めて聞きましたが。そんなに嫌いですか?》


《別に感情の問題だけじゃないぞ? 元々ここの領主は奴との繋がりが深い。だからあの豚が簡単に 帝国に協力したのだろうが、目的の為には帝国と王国、両国から皇帝側の人間、都市や権力は少し づつ削っておかなければならない。いっそ永久に眠っててくれれば良いんだがな》


 《なるほど……何となく殺したわけでもないんですね》

《いや、衝動だ。別に今じゃなくても良かった》


 《あちゃぁ》


《そう言うが、お前の『第五』もそれなりに人員を割いたはずだぞ? アイツらどうしたんだ》


 《うーん、そうですねぇ……例えばですよ? 背中に腕が百本生えてたとして、便利です?》


《……いや、邪魔だな》

 《そういう事ですよ。腕は2,3本あれば充分なんです。ま、3本もある人は居ませんけどね。

 人ばかり寄越されても使える数は限られますし、その場で駒増やした方が、後も楽ですから》


《そういうものなのか。ああ、あとな、リアーナが向こうの人間に連れ去られた》


 《あれ? 確か引き渡しに応じたって聞いてましたが??》


《ああ、何か豚が連れて来てたな。面倒なんでついでに処理をしようとした所を急襲された。

 あれは中位のアグニスペルだな……珍しいもんを見たってことで良しとしよう》


 《いやいやいやいや。いやいやー、良いんですかぁ? 仮にも皇女、妹でしょ》

《敵に捕まるような愚図どうでも良い。血も半分しか繋がってない、一緒に育ってもいない。

 情なんてある訳ないだろう……それを言うならお前はどうなんだ?》


 《へ? どうとは?》

《お前の兄貴が捕縛されたら助けるか?》


 《……兄の話はしたくありませんね》


《お前も大概だな。わからなくはないが……『第一』が捕えたらお前の好きにすればいい》


 《……感謝します。ああ、そろそろ始まりますね実験。騒ぎになる前に王都へ向かいます。

 その方が都合も良いですし。そろそろ王城に忍ばせた根から報告が上がる頃なんで――》

《待てクリスト》


《王都の任務も俺に取っては、どうでも良い指令だ。落ちようが落ちまいが知った事じゃない》

 《はぁ》


《適当で良いぞ》

 《ですが……王都の工作は弟君の任務に関わってくるでしょ?》


《知った事か。あの臆病者がどうなろうと、俺には好都合なだけだ》

 《怖い兄上様ですねぇ……ちょっと同情しますよ》

《とにかく自分を最優先しろ。俺の国にお前は不可欠だ》


 《……唐突にキますねぇ》

《率直に言ったつもりだが?》


 《……わかっていますよ。次期皇帝のお心のままに――では》



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