15.紅蓮 ー後編ー
バシャバシャバシャバシャ
薄暗い地下道の薄い水面を叩く四つの音が、円蓋状の天井に跳ね返って反響する。
リアーナを肩に担いで息を切らすエリアスと、弓を手に背後を伺いながら後を追うリコは、
地下水路の排出口に繋がる最後の直線水路を、汚水に塗れる事も厭わず走る。
「なぜ……こんな……なぜ、お前が私を助ける!?」
かつてのように胸を潰される体で重荷と化したリアーナは、絞り出すように問いかけた。
「リコに言え!! そいつがしつ……うぉっ」
あわや、といった所でリコがリアーナを抑え、エリアスは転倒を堪える。
「エリアス! 滑りやすいから気をつけて!」
「あ、ああ……ところで、出口は解るのか?」
「一度通った道なら間違えないよ!」
背丈以上の高さの小さな滝の前で、先刻降りて来た梯子を前にエリアスとリコは立ち止まった。
「外を逃げた方が良かったんじゃないのか!」
「女の人を担いで街中走ったらさすがに怪しまれるんじゃないの!?」
「こいつ意外と考えてやがる……まぁ上がった所で結局正門を通れない事に変わりはないか……
しかしどうやって昇――って! いや、お前! もういいだろ、いい加減降りろ! 重いんだよ!」
「……なっ 私はそれほど――」
放り投げるように薄い水面に下ろされたリアーナは足を取られそうになりながらも着地する。
「リコ! お前が助けようって言いだしたのに、なんで俺が背負ってんだ!」
「じゃぁ弓と矢筒背負ってくれる?」
「ぐっ……」
弓を使えない者が弓矢を担いで、射手に荷を背負わせる愚行よりは流石に理に適っている、と
不満を飲み込んで、エリアスは肩から降ろした積荷を拘束していた縄を手早く切った。
リアーナは赤く腫れた手首を擦るように摩る。
「おい!! 答えろ……なぜ私を……!」
「話は後! 追ってくる気配はないようだけど、とにかく早く出よう!」
リコはリアーナの背を押すと軽快に梯子を登り、弓に番えた矢先を出口に向けた。
「ちょ、ちょっと――」
「いいから早く行け! グズグズするな!」
急かされるままに格を蹴り、段を上がるリアーナが、通路へ這い上がるのを見届けてから、
エリアスも後を続く。
交差し、登坂し、分岐する幾つもの道を止まる事なくリコを先頭に走り抜ける。
往路で灯しておいたランプの明かりが、通りすがるたびに左右に揺れ水路内を明滅させる。
「お、おい! あれ何だ??」
隊列の真ん中を走るエリアスが速度を落として指を差す。後ろを追っていたリアーナは釣られて
歩みを止めた。
「ハァハァ……何……?」
見上げるリアーナの先には、逃げ惑う蝙蝠の群れを包むように、薄汚れた粉塵が舞っている。
そこらかしらから吹き込む噴煙は、水路の下へ下へと落ちて行く。
「……何かが吹き込んで――」
「――何やってるの! 早く行こうよ!」
足が止まったエリアスとリアーナの耳に、先行していたリコの声が遠くから響く。
二人と一人は再び足音を奏でながら出口へと走り続けた。
「あ! ほら、明かり」
リコが指さすそこには水路入口の重い鉄扉が光を漏らしていた。
「ふぅ……エリアス、扉はそのまま開けておいて」
「はぁはぁ……そういえば……お前、今朝も聞いたがなぜこんな道を――」
「ハァハァ……とにかく早く出なさいよ、臭くて息が……!」
呼吸を整えながら三人共が無言で水路脇の側道を早足で駆け抜け、階段を上がり地上に出た。
「やっぱ急に外に出ると眩し……くないね。なんか暗くない?」
「……まて! 様子がおかしい」
リコを静止して、エリアスは警戒しながら外掘沿いを門側へ向かって歩き出した。
リコとリアーナは互いに見合って、その後に続いた。
「え、エリアス? どうしたの?」
リコの問いかけに答えず、エリアスは時間をかけて前後左右を見渡しながら、最後に天を仰いだ。
「……な、なんだ……! あれは?」
残る二人も同様に空を見上げた。
6つの瞳に、城壁より少し上空、町全体を覆う暗闇の天蓋が映る。
3人は一様に口を開いて呆然と立ち竦んだ。
内部は噴煙で黒く染まり、丁度東の空から差し込むはずの日の光を遮って、城門外周に大きな影を落としている。
「こ、これは……? 何だ……」
「……と、とにかく離れた方が良いわ」
リアーナの言葉に無言で同意し、外壁から遠ざかるように馬房へ向かって列を成して駈け出すと、リコが後方を見やって声を上げた。
「あ、待って! あっち!」
リコが指さした城門側に誘導されたエリアスの目には、特に何も異変は見て取れなかったが、
その言葉を信じるに足る確かな根拠があった。
「……行くか」
エリアスの言葉に応じて、今度はリコとリアーナが後ろを追走する。
右側に城門が姿を現す。
本来開け放たれ、人々が往来しているはずの鉄城門はその口を固く閉ざしていた。
「あれは……なぜ城門が閉まって――」
「……違うわ! 橋は降りてる……あれは……フムニスペルよ!」
遠目に渡し橋のたもとを見ると、門兵と思われる二人の男が地に伏し、代わりに異質な雰囲気を纏ったローブ姿の術士が傍らに立っていた。
その二人の術士の間に立つ人影が、術士に何やら指示を出している。
「……あいつは! 鞭を返して! 早く!」
最後尾に立つリコが、地下牢の看守室で回収してきた輪状の鞭を前方に放り投げる。
それをリアーナが片腕を上手く穴に通して受けた。
「帝国兵か?」
エリアスの問いには答えず、リアーナは城門目がけて駈け出した。
***
「おい! ここで何をしている!」
橋の両脇に立つ素顔の見えない長ローブの術士二人は、リアーナの誰何にも微動だにせずスペルの発動を続ける。
キシッ キシンッと、軋むような音色と共に少しずつ抉れていく橋の袂の地面が、術士の両手を
介して微細な粒子となり一直線に向かう先で、城門を埋め尽くす土壁と変化していく。
術士とリアーナの間に割り込むように一歩前に出た明らかに異質な雰囲気を纏った背高の術士は、歪んだ口角で微笑んだ。
「あらぁ? これはこれはリアーナ皇女殿下ではありませんか。お久しぶりですねぇ」
「お前、その格好・・・・・・ここで何をしているエンリーチ!」
エンリーチと呼ばれた帝国の術士は、頭の上に纏め上げた焦げ茶の髪を整えた。
「貴女にお答えする義務はないと思いますけどぉ? そんな事より私をエンリーチと呼ぶのは止めてくれます? 私はエリーチェ、帝国第一師団部隊長エリーチェ・マクガフィンよ」
中性的でねっとりとした声で名乗る士官は、両隣の下級術士に小さく顎で継続の指図をする。
指示を受けた術士が詠唱を続けると、地面から競り上がるような荒い砂粒が閉じた門を埋め尽くすように無骨な土塁の厚みを増し続けた。
「貴様! 答えろ!」
「うるさいわねぇ……掃除ですよぉ。それより貴女……ジャスパー様に処刑されたんじゃ?」 「だ、黙れ!!」
「それに……随分と薄汚れたわね? 臭うわよ??」
「黙れと言っている!!!」
エンリーチの煽りに乗せられる形でリアーナは鞭の戒めを解き放ち、地面を打ち穿った。
「おい、リアーナ、何だこの気色悪い女は」
「兄……司令官の配下で四候の1人、第一師団ガストン直属の部隊長だ……以前はこんなんじゃ
無かったが……あとコイツは男だ」
目を瞬かせるエリアスの眼前で身体をくゆらせるエンリーチは、リアーナを睨み付ける。
「相変わらずムカつくクソアマ女ね。麗しきジャスパー様の妹だと思えばこそ我慢も出来たけど、 今となってはその必要もなくなった訳だし遠慮も要らないから~殺しちゃおっかしら」
「おい! 司令は何をしようとしている!? この妙な天蓋は何だ!」
先鞭を指で挟み射線を捉えるリアーナの詰問を、エンリーチは土壁を一瞥して鼻で笑う。
「それを貴女に教える義務も義理も無いと思うのだけど~?」
「……貴様!」
「リアーナ、放っておけ。壁を破壊してから腕づくで吐かせれば良い」
「あら、素敵な殿方ね……ゾクゾクするわ……貴方から可愛がってあげようかしら」
「アンタ達、そのまま続けなさい。間に合わなかったら……痛い目に合わすわよ?」
二人の術士は慌てるように二度三度頭を下げると、周囲を気にかける事なく詠唱を続けた。
そんなやり取りを注視しながらエリアスは、背後で静観していたリコに小声で意図を伝える。
「リコ、お前は後ろで構えてろ。隙を見て……二人の術士を――」
撃て、を聞かずに察したリコは半歩下がって弓を肩口から抜き、左に持ち機会に備える。
意識的に気配を消そうとしたが、揺れる心が震わす手を、抑えようと弓を強く握りしめていた。
背後の栗毛の挙動を察して、エリアスは剣を抜いた。
「リアーナ、アイツの武器は何だ? 見たところ何も持ってないようだが」
「昔はダガーを使っていた……とにかく防御系のフムニスペルが上手かったと思う」
「ウォールか……時間稼ぎをされると面倒だな」
二人の話を聞いてか否か、エンリーチは腰に下げていた小さな棒を手に取った。
「いつの話をしているのかしら? 貴女がトレセンを辞めた後も、タシは地獄のような修練を続けてたのよ……皇女だか何だか知らないけど、アンタよりアタシの方が上なんだから!」
「ego! coget! dust! Lamina!」
張り上げる声と同調するように振り下げた棒は、三倍程の長さとなり先端に鈍い輝きを放つ。
その輝きに呼応するようにエンリーチの足元から抉れた土石が砂岩の結晶となり、頭上に2つ、
4つ
8つと分裂し、高速で周回し始める。
「こ、これは……!」
「お、おい、リアーナ、なんだあれは?」
「……研究されていたのは知ってたけど――フムニスペルを転化したもの……かも」
リアーナにとっても未知の術に対して先手を打てるだけの策はなかった。
二人は眼前の攻撃に対して即応出来る態勢を維持し、状況を注視し続ける。
「あいつの持ってる棒切れみたいな物はなんだ??」
「わ、解らない。 私は見た事が……」
「……今リコが機会を狙ってる。少しでも引き伸ばせ――」
速度が増していく黒い煌めきは、解き放たれるのを今か今かと心待ちにするかのように、
互いにぶつかり合って鮮やかな火花を散らす。
「ふふっ 教えてあげましょうか? これはね……スペルロッド。ラボの研究の結晶よ」
「精霊術研究所……ただの棒じゃないの!」
「そうねぇ……ロッド自体はどこにでもあるんじゃないかしら? 重要なのは――この先端」
剣の半分くらいの長さの棒の先は球状になっていて、滑らかな光沢を放っていた。
「これはね……って、そこまで話す訳ないでしょ!」
「――昔はウォールを使った接近戦を好んでなかったかしら?」
リアーナは間髪入れず会話を続ける。
「昔の話よ……結局アンタには一度も勝てなかったんだから……そりゃそうよね。鞭の攻撃範囲に
対して、いくらなんでも短剣じゃ分が悪すぎだもの」
「あ、相性の問題でしょ? 私以外には負けた事は無かったはずよ!」
「アンタに勝てなきゃ意味なんて無いわ。それで考え方を変えたのよ。ダガーを捨ててスペルの修練に全ての時間を注いだわ。そりゃぁ初めはバカにされたものよ。換装で補助に使うならともかく、
スペルを習うなら最初からラボに入れって話よね」
詠唱後の溜めが長引くほど、感情が高ぶるのと呼応して、回転の速度と頻度を増し軋み始める。
「けど……ガストン様は認めて下さった! アタシの為に、いけ好かないババアに頭まで下げて……あの方の為にも、私は――」
語尾を踏みつけて強くロッドを握りしめたエンリーチは、一歩右足を前に、叫ぶ。
「知りなさい……アタシの……これまでの屈辱と、舐めつくした辛酸の苦さを!!!」
振り抜いたロッドの先端に導かれるように放たれた黒き尖刃は、幾重にも連なって不規則に並んで一直線にリアーナとエリアスの眼前に襲い来る!
鞭を手首で返しながら迎撃し、リアーナは打ち漏らしを躱す。
エリアスは眉間に構えた剣で最小限の飛石を切っ先で捉え弾き飛ばしていたが、各々が全ての飛来を処理する事は不可能で、腕に、足に、頬に、微細で鋭利な傷を残す。
エンリーチの足元は、二人の下級術士のそれとは比較にならない速度で地面が軋む音と共に抉れ、術士を中心に輪状の轍を深く刻んでいく。
自分の足場を囲う溝を飛び越して、エンリーチは再びロッドを構えた。
その一挙一頭足をエリアスは冷静に見つめる。
「そうか……奴が橋ではなく、たもとに居るのはこの為か」
「……どういうこと? 何か考えはあるのか?」
リアーナは新たに受けた裂傷から滴る鮮血に目も向けずにエリアスに問いかける。
「とにかく攻撃しない事にはどうしようもない。リアーナ、防御は任せていいか?」
エリアスはリアーナの後ろ、リコの前に立ち、中間で再度の飛来に備えた。
リアーナは促されるように最前列に立ち、一対一の様相でエンリーチの眼前に立ちはだかる。
眼前の褐色の少女を見据え、次第に笑みが生じる顔を左手で隠し、術士は右手に持つロッドを
彼女の心の臓を延長に前方へ突き出す。
照準を合わせるように目を細め見据えた。
「やっと借りが返せるわぁ……アンタ、私がこの程度のスペルしか持ってないとでも?」
「……どういうことだ!?」
「ふふっ……今更知る必要なんてないわよ……ego! eqaerere! demand!――」
「――Framea!!!!!!」
一際大きな声量で噛みしめるように唱えた術により、大きく急激に剥ぎ取られた地面の土は、
エンリーチの頭上に大きな斜方形の石槍を構築し、その凶悪な先端をリアーナに向けた。
「くっ……初級術、イグニッションを唱えたリアーナは、黒鞭を頭上で大きく振り回し、零れ落ちる炎の中で刃の飛来を待った。
「死になっさあああああああああああああああい」
悪意の言葉と共に発射された邪悪な石塊は、空気を切り裂いてリアーナに襲い掛かる。
リアーナは大きく後方へ鞭を振り上げて、
力強く火鞭の先端で捉えた――
ぶつかる火蛇と石竜
盛大な破砕音
飛散する土埃
「リコ!」
「え……あっ!」
エリアスの呼び声にリコが動く――
鳴弦と共に滑空する、迷いとためらいを乗せた、前後二本の矢。
リコが同時に放った右から左へ弧を描いた矢は、刹那の時間差を置いて、
両端の術士二人の上半身を、正確に貫いた――射手の意図に、反して。
「な……っ!」
次の瞬間、エンリーチが土煙の中で見たのは、風の速さで霞を切り裂く漆黒の影だった。
「く……そ! Egosperovisfums!」
高速詠唱で展開した防護壁が、間一髪二人の間に割り込み、エリアスの刃を弾く。
突進による勢いで砕ける石壁と共に後方へ大きく弾き飛ばされたエンリーチは、自らが詠唱により刻んだ穴に足を捕らわれ短い呻き声を漏らし、掘へ落下していく下級術士達と同期して転げ落ちた。
「うっ……」
ガクッと膝を付いて、身体中から赤い滴りを落とす褐色の少女。
「――リアーナ!」
リコの声に反応するように、エリアスが駆け寄ろうとしたその時――
「貴様ら……やってくれたわね……許せない。絶対に許さない!」
穴の淵に手をかけ起き上がろうとするエンリーチを、エリアスが剣先で牽制する。
「リコ! こっちは任せろ、止血してやれ!」
「あ……え……」
エリアスはリコの動揺に気づかなかった――いや、気づけなかった。
穴から這い出た砂塗れの男は、洒落っ気をも地の底へ落としてきたかのように汚く猛る。
「くっそ・・・・・・ファック! ファック! ファアアアック! ムカつく糞アマども!!!!! 糞○×▽の○×に▽×○してやる!!!」
天を衝くエンリーチの醜い怒号に応じるかのように、底響く地鳴りが大地を揺らす。
「ちょ、ま、待て……お前、いくらなんでも――」
しかし、焦るエリアスを他所に、エンリーチは自らの怒りを強引に鎮火していく。
「……っや!! 始まったじゃない!!!」
虚を突くように急遽背を向けて門へ走り出すエンリーチ。
「まっ、お前! 待て!!」
エリアスの制止を聞かず、自らが抉った三つの穴をひょいひょいと軽快に飛び越える。
橋の袂まで戻ったエンリーチは振り返り、乱れた息と髪を整えた。
「ふぅ……悪いけどぉこれ以上アンタ達の相手をしてる暇はないのよー」
「待て! リコ、そっちは頼んだ!」
後を追うエリアスを、ぼんやりと見送るようにリコは、眩む意識の中でリアーナを癒す。
「……あれ、やるしかないわね……不安だけど」
独り言のように呟いたエンリーチは、自らも初めて使うスペルを静かに呟く。
城門を覆い隠す土壁に右手を添えると、指先から順に暗い光を放ち、微細な粒子となって、一歩づつ前に踏み出すエンリーチの、右腕、右肩、胴体――と、自身が土壁と同化していく。
「アイツ、何の真似だ……リコ! 撃てるか!」
追いつかないと察したエリアスは、後方でリアーナにトリートを使うリコに援護を促したが、
当の水精術師はスペルの影響で焦点の定まらない目をしている。
「くっ……無理か! 間に合――」
状況のみならず、立ち位置からも三人の中で真っ先に異変を察知したのはエリアスだった。
「おい! ヤバい! 離れ――」
踵を返したエリアスの眼に映る景色――
緩やかに膝を付くリアーナを――
蹲るリコを――
大きな三つの穴を――
縺れる足を――
走馬灯のように、ゆっくりと網膜が捉えた――
地の底から何かが這い上がってくるかのように大地が揺れる。
城壁が撓むかのように波打つ。
――遅れて――激しい爆発が轟いた。
「な、なんッ!」
衝撃に煽られ着地点を誤ったエリアスは、最後の穴に転げ落ちた。
ドーン、ドーン、ドドーンと、何度も何度も、何度も続き城外の空気をも震わせる。
城内で吹き上げられた爆風と噴煙、ありとあらゆる物質は、空に境界があるかのように
空中で跳ね返り、再び内部へ押し返され火花を連ねる。
余波は城外にまで及び、鼓膜を苛む。
永遠に続くかのような爆発――
無限に続くような震動――
やがて、溶けるようにアーチは霧散し、
次いで黒煙と細やかな粉塵が天高く舞い上がった。
寸分の後、赤黒く質量を帯びた豪雨が頭上に、一気に降り注ぐ。
「痛っ! な、なんだ……!?」
リアーナが唸った。
「雨か!? こんなに晴れて……土か……? ……いや赤い……これは!」
聞こえてか知らずか、エリアスが答えると触発されたように――
「う、ぁ、あ、あ、あ……うわあああああああああああああ」
叫声を上げたリコは、ふらふらと立ち上がり、転げながら門を目指した。
「おい!! リコ! どうした!!」
穴から顔を出したエリアスは、リコを見た。穴に落ちる事も意に介さず、這い出ては転び、
落ちては昇りを繰り返して、桟橋を進むリコの顔は、悲痛と恐怖で満ち溢れていた。
門の前に辿り着いたリコは、エンリーチを飲み込んだままの巨大な土壁を叩きながら叫ぶ。
「な、なんで!!!!!!!!! こんな……!! なんで!!!!!!」
「嘘だ……嘘だ、嘘だ……嘘だ……クロエが……まだ中、に……う……そ……だ……ぁああああああああああああああああああ――」
慟哭は沈黙へと変わり、リコは糸が切れたように崩れ落ちる。
「お、おい……リコ!」
穴から飛び出て名を呼んだエリアスは、慎重に窪みを避けながら回廊を駆け出した。
「リアーナ! 動けるか!?」
リアーナも触発されるように、痛む身体を引きづりエリアスの後を追う。
「中で何が……」
リコの右腕を取り、引き上げようとするリアーナの肩をすかさずエリアスが掴んだ。
「リアーナ! 何だこれは! 奴等は何をした!?」
エリアスの言葉の意図をリアーナは瞬時に察し、何かを思い出そうとしながら俯いた。
「こ、この事に関しては何も……本当よ」
「……とにかくリコを連れて、すぐにここを離れるぞ! 手伝ってくれ!」
リアーナは考えるのを止め無言で大きく頷くとエリアスの反対側に回り、挟み込むようにもう一方の腕を肩に担ぐ。
小柄なリコの足先を引きずりながら、二人は重い足取りで出来る限り早く――と、門を離れた。
背後から聞こえて来たのは恐らくは――数多の悲鳴、痛苦――声にならない音。
エリアスは唇をかみしめながら馬房のスイングドアを蹴る。
「わ! な、なんだお前ら! いきなり!」
馬房主は洗浄中の鞍を落として、突然の来訪者に目を剥いた。
「あんたは昨日の……さっきの凄い音はなんだ?? その坊主はどうした??」
エリアスはリアーナ一人にリコを任せて、自らの馬を連れに馬房を出た。大男はエリアスの後を追って鞍を渡す。
「おい!あんた! どうしたってんだ? 何をそんなに急いでんだ??」
「お前も今すぐ逃げるんだ! セビリスへ行け!」
「逃げろったってあんた……何を言ってんだ??」
リアーナと二人でリコを馬上に担ぎ上げ、自らも騎乗すると、リアーナに指示して落ちないように胴を縄で結ばせる。
「リアーナ、弓具はお前が持ってくれ」
「あ、ああ――」
急速に進行する支度を尻目に、馬房主はやっと問いかけを挟む隙を得た。
「おい! お前ら一体なんなんだ! あれやこれや偉そうに!!」
「俺はノルドランド王子、エリアス・ノルドランドだ!」
「げぇ!!お、王子!?」
「悪い事は言わん、今は言う通りにしろ! 事情は後で説明する!」
巨大な体に似合わずオロオロとする男に構わず、エリアスは馬房の馬を見渡した。
「リアーナ、馬は乗れるか?」
「自信はない……私は……騎竜しか――」
「おい、お前! コイツを後ろに乗せてやってくれ!」
「な、んなんだ……くそ! 来い! 嬢ちゃん!」
馬房主は言われるがままに手近な馬に飛び乗って、リアーナを引き上げた。
「とにかくセベリスへ急ぐぞ! あれは、恐らく帝国がイベリスに侵攻したせいだ。街は……
壊滅だろう」
「そ、そんな!! あっしの家族が中に――」
降りようと鐙を外す馬房主の前にエリアスの馬が回り込んで静止する。
「とにかく今は引くしかない! ここに居ても帝国兵に殺されるだけだ!」
「……そ、そんな」
「今は……とにかく逃げてから、後の事を考えよう……それと残りの馬だが、残りは全て逃がせ。
帝国兵に使われたら厄介だからな。心配するな、後で補償はしてやる」
「いったいぜんたいどうしてこんな事に!?」
「……俺にも……解らん。だが、お前を含め全員の命が危機に瀕していることだけは確かだ。
というか、俺だっていきなり過ぎて頭が付いて来ないんだよ! あんなあっさりとあの豚野郎が死ぬなんて――」
力なく項垂れた馬房主が両手が手綱を握るのを確かめてから、エリアスは勢い良く振るった。
駆け出した二頭の馬と、四人は失意と恐怖を背に負って一路セベレスへと急ぐ。
似た毛並をした何頭かの馬は途中まで随行していたが、次第に一頭、また一頭と散って行き、
やがて使命を載せた二頭が並走するのみとなった。
背後には収まらない噴煙を貫くように立ち上る無数の火柱が、
空を焼き大気を揺らす轟音が、
狂ったような嘲笑と、絶え間ない悲鳴を添えていつまでも鳴り響いていた。
第一章 了