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Reverse Terra 第一章『揺蕩のレジナテリス』   作者: 吉水 愁月
第一章  揺蕩のレジナテリス
16/20

14.輝闇 ー前編ー

 イベリスは計画的に建造された港湾城塞都市である。


 大河沿いのなだらかな斜面を利用し、東の水際から唯一の往来口である西門まで、両手を広げる

ように扇状に広がっている。


 扇の外縁には外部の侵入を防ぐ為の高くそびえ立つ石壁と、水を取り込む為の外堀が覆う。

そして地下水路が傾斜を利用して汚水を港に流す、という唯一下水道が発展した都市である。

 街の地下を通り過ぎた水が辿り付く、最も東に存在する港湾地区は、唯一の通用口である東門を

帝国兵が監視し住民の往来は制限され、帝国の租界と言ってよい程に異様な様相を顕していた。

  

 往来以前にそびえ立つ石壁で完全に隔絶されて居るため、特段用が無い住民が近寄る事は無く、

その秘匿性は長らく帝国と領主の間で堅守されて来たと言える。

 帝国領や暗黒大陸との輸送に従事している埠頭に並ぶ幾艘かの船は、どれも小型で輸送出来る量も限られているが、最も北側の豪奢な商館の脇に一際大きな埠頭が存在する。

 大型船が接岸出来るよう喫水を上げる為、水路の排水口近くに設けられた帝国用の岸壁である。



 澄み渡った抜けるような青空と海風の心地よい好天気の下、件の埠頭――

ふくよかな男が護衛と共に到着する船を待っていた。

 男の隣には再び拘束された褐色赤髪の少女が、護衛兵の1人に後ろ手をとられながら、その幅広い背肉を睨み付けている。


 視線を感じたのか、男は振り返り下品た笑みを浮かべながら二重の顎を指で磨った。


「おやおや、皇女とあろうお方がそのような顔をするもんじゃありませんねぇ」

「――黙れ! 帝国皇女に対する無礼な処遇、必ず後悔させてやる!」

 男はきょとん、とした顔で咄嗟に噴き出し、歪んだ顔で吐き捨てた。


「おバカさんですねぇ……これは帝国側の指示ですよ。『逃がさず連れて来い』と、いう――貴女の兄上、ジャスパー様の……ね」

 

「な……そんなこと――あるはずが!」


 ピンッ と張った縄が手首を絞るのも意に介さず、衛兵を引き釣る勢いで2歩、3歩と詰め寄る。

鬱陶しいそうに一歩下がった巨漢は埠頭へ向き直り、振り返った。


「知りませんよ……貴方何かヘマでもやらかしたんですか?」

 男の、左手で払う仕草に従って、兵士に強く引き倒され尻餅を付く様に転げたリアーナが呻く。


「……まぁ、縄を解いた所で、ここは隔離された港湾ですからね。逃げ場はありませんし……

とはいえ、万一はありますから……ね」

 そう言うと、親指の爪を噛みながら潰すように苛立って見せた。


「くそ……あの生意気な王子をやっと始末出来ると思ってたのに……小火騒ぎまで起こしおって……たるんだ当直兵は全員処刑してやる……!」

 縄を手にする衛兵と、男の隣に立つ護衛が気まずそうに眼を合わせて下を向いた。


「そういう訳でぇ、縄は解けません、ごめんなさいねぇ」

 おどけた物言いをする男の声を、降りかかる汚水のように頭上から受けながら、リアーナは歯を

食いしばって綺麗に掃き清められた地を見つめた。

「ほぅら、そうこうしてたら来ましたよ。お む か え が」



 打ち寄せる波と共に大型埠頭に侵入してきた一隻の船は、帝国でもまだ一艘しか配備されていない三段櫂船で、下層二段から伸びる櫂を漕ぐ苦力と、上層の立派な船室から姿を覗かせる士官が、

その船体構造に階級制度を如実に投影していた。


 右舷から突き出た何十という櫂が、大きめの半鐘の音に応じ敬礼するように突き立てられ、綺麗に整列して飛沫を垂らす。

 緩やかに接岸する船体の舳先から一人の船乗りが、ロープを手に岸壁に飛び降り手早く係留する。

 船員の手旗で降ろされた渡り板を兵卒が駆け足で渡り、接岸部の両側へ直立し右手を胸に当てた。




 少しの間を置いて、漆黒の士官服を身に纏った男女が、渡し板を靴底で手荒に鳴らす。

 恰幅の良い中年男は、その巨体を揺らしながら可能な限り早足で桟橋へ駆け寄った。


「これはこれは、船旅お疲れ様ですジャスパー様」


 埠頭に降り立った男は、風に揺れる金色の長い髪を翻し、自らの輝きで日の光を跳ね返すように

王国の大地を踏みしめる。

 斜め後ろに立つ、表情一つ変えず佇む白髪の少女が、隻腕と共に幻夢のように揺らめいた。


「イサークか。妹はどこだ」

 イサークは落ち着きなく右手を上げて手招きすると、二人の護衛兵に前後を挟まれるようにして、

リアーナが引きずり出された。

「ああ! こら! も、もも、も申し訳ございませ……逃亡の怖れがございましたので、このようなぶ、ぶ無作法を……す、す、すぐに縄をお解きします!」

 気まずそうに何度も頭を下げるイサークを、金髪の男はリアーナと共に見下ろした。

「その必要はない」


 そう言って静止し、兄は妹の元へ歩み寄って冷笑した。

「無様だな?」


「……ジャスパー兄様……申し訳御座いません! 此度の失態は必ず――」

 リアーナの隣を通り過ぎたジャスパーは事も無げに周囲を、そして西門を見た。

「あ……の、兄様……?」


「お前の始末は皇帝から一任されている。好きにしろとのことだ」 

「――そ、そんなはずありません!」

 振り向きもしない兄に駆け寄ろうとして、リアーナは再び縛めによって前のめりに崩れ落ちた。


「お前、疑問に思わなかったのか」

「な、何を……」

 初めて実妹を見据えてジャスパーは鼻で笑いながら続ける。


「騎竜なんぞで海越えをさせられ、挙句森を焼け――そのような馬鹿げた指示に……本当に――

なんら、一切疑問を持たなかったのか」

「そ、それは……」

 感情の篭らない瞳で打ち据えるジャスパーは、俯く妹の後ろ髪を握り締め、乱暴に引きあげる。

苦痛に歪む目に、自らの眼光を被せて明瞭に、そして明確に言い放った。


「だとすれば、実に愚かな女だな、お前は」

 不意に手を離され自重で落下したリアーナは、地に突いた指を砂と共に掻いた。


「お前はただの囮だ」

「……そんなことは! 父上は私に任せたと――」


 見上げる妹の懸命な言葉の語尾を踏み潰すように、ジャスパーが覆い捲し立てる。 

「皇帝が! あの男が、他人――ましてや自分の子に大事を託す人間だと思うか!? あの化け物が他人を信じると!? だからお前もロニーも愚かだと言うのだ!」


 感情の発露を抑えるように一息ついて、ジャスパーは振り返り背を向けた。

「俺は、父の言葉を信じたことは無い。一度たりともな。王として学ぶ所はある、だがそれはあくまで自分の為だ。俺自身が皇帝となった時の、な。それが出来ず盲信するだけのお前や、逃げ回ってる愚かな愚弟には、帝国の行く末を担う資格など無い!」

「そ……んな」


 力を失い膝をつき項垂れる、半分だけ血の繋がった妹を、唾棄するような眼差しで見下ろし、

ジャスパーは動静を卑しい表情で見守っていたイサークに近づいた。

「伝令にあった王子というのはどこだ」


 イサークは聞かれたく無かった事を聞かれ身振り手振りを右往左往させ笑顔を歪める。

「あ、ああ、あの……そ、その……申し訳御座いません! 愚鈍な部下の不始――」

「逃がしたのか」


「は、ははははい……部下の、ふ、不始末……本当に屑共で! 申し訳……厳重に……ハイ」

 ジャスパーは、眼前に下げられた薄い頭を無言で見つめると――そっと右手を腰にやり、



 長剣を抜き、左下から右上へ一振りに斬り上げた。


 イサークを斜めに裂いた一閃は、巨体の下腹部から肩口に至るまで、一直線の痕跡を残し、

少しの間を置き、赤黒い血が噴き出した。


「ジャ……スパ……様……な、なに……を」

 悲鳴を上げる暇も余裕も無く傷口を押さえ、左、右と一歩ずつ埠頭に血痕を残しながら、にじり

寄ろうとするイサークを、ジャスパーは粗雑に蹴り倒して、濡れた愛剣で風を切り、血飛沫を埠頭に叩き付けた。


「使えん部下は使うな――用いるならば……全ての責はお前が負え」



《ウ、ウワァァァァ》

 金色の悪魔の囁きに触発されたかのように、二人の護衛兵は散り散りに背を向け駆け出す。


 ほぼ同時に――ジャスパーのすぐ右隣をかすめるように通り過ぎる真空の刃が、風を裂くように

二手に分かれ、逃亡兵の背中を正確に襲い、撫でるように切断した。


 ぐらりと下半身から離れた胴体が、ズシャっと地に落ちる。


 風の刃を放った白髪の少女は、それでも顔色一つ変えずに、地面に転がる物言わぬ塊と化した

男の姿と、項垂れる赤髪の少女を、ただ、眺め、そして見下した。

「そ……んな……バカな……こんなと……こ……ろ」


 イサークの事切れの末期を追うように、傍らで理不尽な死を目の当たりにしたリアーナは落涙し、糸の切れた人形のようにガクッと頭から崩れ落ち肘を付いた。


「リアーナ、残念だがお別れだ。お前に対して特段何の感情もないが、後々面倒だからな」

 慈悲も肉親の情も篭らないジャスパーの白刃が、リアーナの頭上に掲げられ、刀身に今なお残り、くすみ始めた血の痕が、鈍く日の光を吸い込んで怪しく光る。

「……兄様」


 

「死ね」

 という言葉と、左に高速回転する矢羽の風切音はほぼ同時に発せられた。



「グァッ」

渡し橋の右側に立つ兵士が海へ落ち、水柱が上がる。

           《――いいぞ! やれ!》

「――なんだ?」

望外の方角からの物音と異変に気を取られ、ジャスパーは発生源を探した――




***


 停泊している帝国船の、船首側にある排出口から繋がる、埠頭への連絡通路では、二人の少年が

岸壁の影に隠れて港の様子を伺っていた。


 ――アーナ――だがお別れ――もないが――だからな――


「エリアス! マズイよ! 行こう!」

「……くそ、仕方ない……――いいぞ! やれ!」


 リコは波打ち際の通路からひょっこり顔を出して、板橋の左脇――丁度埠頭へ上がる階段の傍に

立つ衛兵を確認すると速射で矢を放つ。


弧を描いて右肩を射ぬかれた兵士が呻き声と共に水面に落下するのと同期するように、

すぐさま水路から流れ落ちる水に手を入れ、口早に唱えた。

「ego…………sprash!」


 突如蛇のように増幅して膨れ出した水が、弧を描いて立ち昇る水柱を飲み込むように上昇すると、今度は急激に膨れ上がり、パンッ と弾けて周囲に四散し霞がかかる。


***


 エリアスは埠頭の一角が靄に紛れるのを確かめてから、その中に飛び込んだ。


 ジャスパーは半歩下がり自ら副官の少女の前に立ち、煙幕にかざした掌に付着する水滴を指で擦りながら薄く笑った。

「これは……スプラッシュの応用か」


「うわっ」        「ジャスパー様! ご無事ですか!」

    「馬鹿! 気をつけろ!」



「構うな。高位の水精術士が居るぞ、備えろ」

 

 エリアスは様々な声が交錯する靄の中を、屈みながら地面を手で探り、刹那の記憶を頼りに進む。

暗闇の中で断崖を進むかのように、見知った人影を探した。


 そして――

指先に褐色の腕が触れたのを感じると、迷わずに引き上げ一息に肩に担ぎあげる。


「貴様……!」

「黙ってろ! 舌噛むぞ! いいぞリコ!」


「……そ……こ、か!」

 突如横薙ぎに放たれた切っ先が、エリアスの眼前ほんの先を横切る。

切り裂かれた霞の裂け目越しに、エリアスとジャスパーは再び靄が覆い隠すまでの一瞬の間、


見開いた熱い視線と、浅く睨めた冷たい眼差しを交差させた。



 エリアスの合図で、再度詠唱を唱えたリコが放つ濃霧の中へ、エリアスはリアーナを担いで

駈け込み――階段を駆け下り、滑りこむように地下水路へと飛び込んだ。



「……追いますか」

 騒ぎの中、抑揚も無くジャスパーの後ろに立つ白髪の女は、自らの上官に対して上申する。



「放っておけ。どうせこの町に居る限り結果は同じだ。万一運よく脱出出来たなら……それはそれで構わん。アイツが王国に入り込む時に使える。それとも会って話でもしたかったか?」


 茶化すように微笑むジャスパーに、女性士官は一瞬だけ眉間を動かした。

「……予定時刻まであと二刻です。予定通りであれば東西の門の配置は完了していると思われます」


「邪魔な王国兵を一掃しろ。豚の商館にも一応人手を回しておけ。アイツが先に着いてるはずだ」



 総司令の言葉と掲げられた副官の右手を受けて、船上で待機していた数十名の兵士は駆け足で

埠頭へ降り、方々へ散って任務を開始した。


「あの眼……面白い。あんな奴が王国にも居たか――」



「……様」

 ジャスパーは虚ろな目で自らの袖を掴む女の垂れる白髪を、一瞥して嘆息し、懐から出した小さな包みを手渡す。

「――……やり過ぎるなよ、セラフィナ」



 セラフィナと呼ばれた白髪の少女は、一方しかない右の掌の上に置いた包みを親指で上手に広げ、

薄い朱色の粉末を、片方の鼻に指を当て一息に吸い込んだ。


…………フフッ



「…………うふふふふふふふうふふふふううふふ、あははははははあはあははあははあはは!!き・・キタキタキ・・・キャアハハハハハハ!!! アハハハハうふふふふ」


付着して残った粉を舐め上げてから、背中の杖を掴み、目を閉じて早口で詠唱する。


《ego! coget! srash!!  srash!!  srash!! rash!rash!rash!rashrashrashrash!!!!!》


 突如巻き起こる気流によって後ろ髪が棚引き、爪弾いた包み紙が舞い上がり蒼天に消えた。

 意に介さず、間髪入れずに横一杖に空を薙ぎ払うと轟音と旋風が水霞を吹き飛ばす。



 埠頭に横たわり、既に事切れているイサークの血だまりが薄く波打ち揺れる傍らで、突風によって身体ごと吹き倒された護衛兵達は、怯えた視線をセラフィナ一人に集めた。


 セラフィナの放った二杖目は、千畳の薄い風の鎌になり、意識を持つかのように逃げようとする

王国兵を追い、正確に――では無く、手数で周囲ごと見境無く――背を切り裂く。



「テメェら!! 薄汚い○○糞野郎共を焼き尽くすわよ!!!」


 流れる水のように肩口に戻らんとする綺麗な白髪を鬱陶しそうに掻き乱しながら、不確かな足取りで前進するセラフィナの両翼に、数名の術師が慌てて横一列に並ぶ。



 先行して西門を制圧していた帝国兵は、事の成り行きから事態の進行を悟り、急いで門を閉じた。


 往来していた荷馬車を街中へ追いやり、港湾地区が完全に隔離されたのを確認して、ジャスパーはセラフィナの元へ進み、彼女の儚げな後ろ姿を見つめた。


 もう一つの小さな包み紙の膨らみを握り絞めて、忌々しそうに上着のポケットへ押し込む。



「……さぁ、盛大にもてなしてやろう」


 そう言いながらセラフィナの肩に手を置いて引き寄せたジャスパーは、

白を飲み込む影のように、蒼天から降り注ぐ光すらも吸い込んで、なお一際に輝いた。


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