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Reverse Terra 第一章『揺蕩のレジナテリス』   作者: 吉水 愁月
第一章  揺蕩のレジナテリス
15/20

13. 無明

 なんて醜悪な街だ。


 イベリスの正門を潜って真っ先に感じたのはそれだった。


 活気――と言えばあるにはある。

 正門から丘陵を降るように真っ直ぐ伸びる大通りは往来で溢れ、立ち並ぶ商店からは精力的な

客寄せの声が交差し、着飾った男女が下品た表情で商品を舐め上げるように、あれこれと手に取る。

 

 次に目に、いや鼻に付いたのは今までに感じた事の無い匂いだった。臭いと言って良い。

まず近場の店舗から煙る様々な料理の香しさが届く。そしてすれ違う女共から強烈な香気が、巨大な花が巻き付いたかのように頭の中を締め付ける。


 更にはそういった生活臭とは明らかに異なる臭い。

これは王都南西のギルド区で嗅ぐ工業臭だ。しかし王都ほど甘いものじゃない。


 イベリスという街は河沿いの斜面に建っており港側が眼下になる為、正門の前に立つと全景が一望出来る。港湾区は高い壁に隔たれているので様子は伺い知れないが、生産系のギルドは全てが最下層の港側に密集しているのが解る。何故か――明らかに視覚的に――大量の白煙が見て取れるからだ。


 そして、数多の臭気が複雑に絡み合い、こもる原因、それが背後から港湾へと延びる高い壁。

全てが石壁で囲まれたこの街の構造は、何から街を守っているのか、誰を閉じ込めているのか、意図をもって建造された巨大な石牢のようにすら見える。


 後ろを振り向くと仏頂面のリアーナが、訝しんだ表情で周囲を見渡し、時折手を口に当てる。

手枷を解かれた――今更逃げる意味も無い――女は、丸腰の空手で目を擦りながら口を開いた。

「ちょっと……なんなのここ。 息苦しいんだけど」


 久し振りの言葉が悪態か。と言いかけたが、気持ちは解る。全く同感だからだ。

「俺はイベリス自体初めてだからな……帝国も似たようなもんじゃないのか?」


「こんな酷くないわよ! それに何なのこの壁……こんなんじゃ空気が澱んで当たり前じゃない……それに……」

 そう言いながら不意に立ち止まると、奥まった細い路次の先の暗がりを見据えて続ける。

「あれって……何でこんなことになってんのよ??」



 気にはなっていた。が、意図的に視界に入れる事を頭が拒否していたのかもしれない。

自治領とはいえ、ここまで王都とかけ離れた統治を許して居た事を認めたく無かったのだ。


 足を止めたリアーナの目線の先には、闇があった。


 ただ薄暗いだけじゃない。まともじゃない大通りですら住人じゃない人間には辛い環境だが、

そこらかしらの袋小路には全ての陰気が吹き溜まり、子供とも大人とも知れない、人か獣か判らない何かが蠢いている。

 一見華やかな表通りとは反した暗がりからは、泣き声とも呻き声とも取れない音にならない響きが生暖かい風に乗って届いてくるかのようだ。


「……帝国にも階級はあるけど、最下層の苦力でもここまで酷い事にはなってないはず……だもの。

ちゃんと施設で寝起きしているし、食事だってきちんと与えられてる。お前、王子なのに何でこんなことを許してるの??」


 正門から見えた、周囲から完全に浮いた領主館と思わしき豪邸へ向かう為に通りへの進行を再開すると共に、立ち止まるリアーナを言葉で引きずる為に答えた。


「……俺がこれを許してると思うか? 姉……いや、女王ですらこんな惨状は知らないだろう。帝国がどういう統治になってるのかは知らんが、このノルドランドという国は幾つかの州を、各領主が

治めている。そこにあのお人よしな女王陛下の意向は全く関与出来ない」


 小走りで追いかけて来たリアーナが不意に肩に手をかけた。

「お前、昨日私になんて言った? 『エスパニの奴隷制や貧富の差も、帝国の影響じゃないか』

そう言ったのよ!? それに私はこう答えた――」


「――王子であるアンタの責任じゃないの!? って!」


 気がつくと俺は乱暴にリアーナの手を振り払っていた。

「……んな事……言われなくても俺が一番解ってんだよ!!」



「この国は『女王国』だ! お前が単身敵地に放り込まれるのと同じように、この国の王子は女王の命令で使いに送られる程度の存在でしかないってことだ!! この国の《王子》には……俺には……何の価値も無いんだよ!!」



 想いをぶちまけて、俺はやっと理解した。


 結局の所、俺がいつまでも苛立って凝り固まっているのは姉の態度や城内の人間にじゃない。 

自分で自分に価値が無いと解ってしまっているからなのだ。

 

 だから同じように粗雑な扱いをされているであろうこの女の移送を断らなかったのだ、と。


 そんな気持ちを察した訳では無いだろうが、少し口調を抑えて眼前の女は手を降ろした。

「価値って……」

 グッと言葉を止めて俯いた女の燃えるような髪の色に、俺はこの街の行く末を重ねた。


「……誓ってやる。俺が豚を始末してこの街を根本から潰してやる。時間はかかるだろうが、

俺にとって今一番の敵は帝国でもお前でも無い、あの豚野郎だ。奴さえ排除すれば――」



「……帝都にしたって、マシと言うだけでそんなに大差はない……いえ、私が見てないだけでもっと酷い事もしているはずなのよ。目を背けて来たって意味じゃ……大差ないわ」


そう呟くリアーナに答えず無言で歩みを再開し、中央広場に達すると喧騒は更に色濃くなった。


 容姿を見知られている王都とは違い、群衆が仮初の王子に見向きもしないという点にのみ、気楽に歩く事が出来るこのイベリスという街は、下層向かう程に空気の流れが悪いようで視界に広がる景色も徐々に地中に埋まるように圧迫感が増していく。


 中央広場には王都とは異なる大きな火時計が鎮座して立ちふさがり丁度その真裏、奥には港湾地区へと続く大門が姿を現した。

 大門は開かれているが、手前には厚手の鎧を身にまとった兵士が何人も屹立しており、時折荷馬車が門衛に誰何され往来を制限されているのが一目で見て取れた。


 セベリス領主代理であるラウルの話では、港湾は帝国兵が我が物顔で闊歩しているらしく、王族が近づくのは得策では無いだろうが……何をしているのか気にならないと言えば嘘になる。


 中央広場から右に折れ、再び緩やかな勾配を上がりながら下品な邸宅へ向かう。既に周囲を伺うのを止めて黙々と後を歩くリアーナに振り向かずに声をかけた。


「……答えないと思うが、一応聞く。帝国兵はイベリスの港湾で何をしているんだ?」

「……信じないと思うけど、一応答えておくわ。私は元々軍属じゃないから、各師団の任務とか、

目的とか、それ以前にどこに居るかも知らないのよ」


 信じがたいが、こいつが一々嘘を吐く理由が思いつかない。

 単に俺が嫌い――というのが一番しっくりくるが、それでも何も答えなければ良いだけの話だ。

騙したいのならもう少し何か別の話をした方が良い気もする。

 後はこいつ自身が何の為にレインフォールに居たのかという疑問だが……話はしないだろう。  

今の言葉を仮に信じれば、それこそが恐らく皇帝から直に与えられた主任務なのだろうから。 



 思案を巡らせていると、鉄条網を冠した煉瓦の壁と鉄柵で囲まれた領主館に辿り着いた。


「女王陛下の使いだ! 領主に会わせてもらおう」

 気持ちに反した言葉を、門を挟んで両側に立っていた二人の守衛に投げかけると、こちらを横目に何やらヒソヒソと話を始める。

 兵士の教育がなって無さすぎるだろう。


「おい! 聞いてるのか? 護衛兵長代理エリアスだ。帝国皇女リアーナの引き渡――」


 言葉を遮るように二人の兵士が槍の穂先をこちらに突き立てる。

「な、何の真似だ!?」 

「お、王子! 貴方には捕縛の命が出ております! すみませんがご同行願います!」

 

 ど、どういう事だ?? 

 リアーナを連れてイベリスを訪れる事は、女王からイサークに話が伝わっているはずだ。

こんな真似をしてアイツに何の得がある?? それとも……姉の命だとでもいうのか……?


「おい、ふざけてるのか!? 俺は王子だ! お前の一族全て罪に問う事も出来るんだぞ!」

 そんな権限どこにもないが、張りぼての『王子』だろうと状況が分からない今、使うしかない。


 実際それで1人は怯んだように見えた。

 切っ先がゆっくり下に降りて行こうとするのを、もう1人が怒気を込んだ声で一喝する。

「おい!領主に逆らえば、家族が奴隷になる事に変わりないんだ! ……やるしかないぞ!」


 尻を鞭で打たれた馬のように穂先を持ち上げると、委縮した顔でこちらを睨み付ける。 

 駄目だ何を言っても……こいつらは完全にイサークに弱みを握られて――


 ――と逡巡する間も無く、俺の両頬の横を二つの熱気が勢いよく掠めた。


 ボゥっと眼前を飛去した二つの火球は、虚を突かれた兵士の顔に直撃する。



 「うわあ!! 熱ぃ!!!」

    「何やってんの、逃げるわよ!!」


 真後ろから発せられた声に今度は自らが打鞭されたかのように、その場から身を引き離し、

中央広場への道を駆け下りた――



     ***



 巡回する兵士が全て敵に見え、行く先々で避け続ける。

逃げ着いた先は裏路地に掛かる小さな桁橋の下、夕焼けで無駄に輝く汚水を眺めながら一息ついた。


「はぁはぁ……気にして見て無かったが、どこもかしこも兵士で溢れてやがる」

 領主館まで辿り着くまでの間にも何度かは衛兵と擦れ違っていた。それは間違いない。

あの時点で手出しをしてこなかった事が不思議だったが、良く考えれば俺はここに来た事が無い。 

 エスパニと王都の往来も余りない。しかもセベリスならともかく、この町の人間が容易に他領に

往来していたとは考えにくい。要するに俺の顔を見知っている者が居ないと言うことだ。


 同じように膝に手を付いて息を整えようとしていたリアーナが一息目で息を止めた。

グゥッと蛙が潰れたような声で両手を口に当てて息苦しそうに吐き出す。

「……ァハァ、ちょ、ちょっと……ここ……すっごい臭いんだけど……ウッ」


 言われてみれば確かに臭う。というより、理由は一目瞭然だろう。

目の前に流れる小さな水路の水が異様に汚く、大量のゴミが浮いて泡立っている。

悪臭の原因は明らかにこの水にあるようだ。


街中の生活臭、人工臭、そして工業臭。それらを全て樽に入れて攪拌して長期熟成したような、

そんな何とも言えない臭いだ。


 どうやら領主館から逃げる際、坂道を下る他なく、下層へ下層へと進んでいたらしい。

 

 通りからはかなり離れたので兵士どころか人気は無いが、そのせいかこの辺りは澱みが酷く、

空気も水質もかなり悪いようだった。

「確かに酷いな……必死だったから気づかなかったが、相当下層まで降りてしまったようだ」

「……ふぅ……これからどうすんの? ここって……入口って正門しかないんじゃ……」


 その通りだ。

 イベリスという街は唯一の通用門である西門以外は全て壁に囲われており、抜け出す場所は無い。登れるような高さでもない。港湾の大門は衛兵に見張られており近寄る事は出来ない。

 石牢に例えたが、文字通り巨大な牢に閉じ込められたと言っても言い過ぎではないだろう。


「……もうすぐ日が暮れる。暗くなるのを待って通りの外れから上に向かっていくしか――」


「正門に着いた所で、結局門を通れなければ同じ事じゃないの?」

 恨みがましく斜めに見上げる女の目から視線を逸らして、周囲を観察する。


「ならどうす……いや、少なくともお前は大丈夫じゃないか? 豚が狙ってるのは俺のようだから、領主館に行けば保護して帝国に引き渡してくれるかも知れないぞ」


 少し迷ったように俯いて、顔を上げずにリアーナは唇を突き出す。

「……冗談でしょ。自分の国の王子ですら捕えようとするような奴なんでしょ?本当に帰してくれるのか……とてもじゃないけど信じられないわよ」

 

 チョロチョロと汚水が流れる排水路から、新鮮な汚臭が供給され、更に顔をしかめる。

 眼前に流れる汚水には、新たに上層から流れ込む排水とは別に、更に下層へと吸い込まれて行く

流れが、橋桁のたもとに見受けられる。

 

 幼少時に国史を学んだ際に、イベリスの事を少し聞いた事がある。

 この町は元から丘陵地に建造される事が決まってから、先に水路を建造したとのことだ。


 王都のように上下水が発達していないイベリスでは、傾斜を利用して上層から下層へと自然に

流れる地下水道を作ったという。

 そう考えるとこの汚水も説明が付けられる。水精術の力を借りて簡易処理が出来ない下水を、地形を利用してそのまま河川まで流す、つまり――

「――そうだ。この地下には恐らく地下水道があるぞ。そこに潜り込んで上流か下流へ進めば、

何とか脱出できるんじゃないか?」


「ちょ、ちょっと! まさかとは思うけど……そこの排水路に入って地下に潜ろうってんじゃ」

「他に何か良い手はあるか?」


「い、嫌よ!! 匂いだけでも死にそうなのに、そんな所に入るなんて死んでもお断りよ!」

束ねた長い赤髪を解いて、頭ごと振り乱しながら、リアーナが小声で怒鳴る。


「んなこと言ってる場合か!  完全に日が落ちてしまったら地下に潜るのも難しくなるぞ?

それとも何か? お前に考えでもあるってのか?」


「そ、それは……と、とにかく嫌なもんは嫌!」


 遠くから聴こえる夕暮れの喧騒と、途切れ途切れに落ちる水音が大小交差する中、面倒臭い沈黙が流れた。


 どうする……他に方法が思いつかない。


 既に巡回している兵士には、俺を捜索する命令が出ている可能性が高い。

一歩でも大通りに出ればすぐに見つかってしまうだろう。といってここに居てもどうにもならない。通行証で入って来た人間が通用門以外から出て行く事が出来ないのが、このイベリスの構造だ。

 

 イサークと交渉してみるか……いや、リアーナはともかく俺の無事は保証出来ないだろう。

そもそもこの女を引き渡す為に命までかける義理は無い。いざとなれば1人で地下水路に飛び込む

覚悟はしておいた方が良いだろう。そうすればコイツも衛兵に保護を求めに行かざるを得ない

はずだが……いや、待てよ。

 

 この女は港湾の帝国兵に接触した方が話は早いんじゃないのか?

 

 そもそも帝国に引き渡す為にイベリスくんだりまで来た訳で、豚を通す必要は何も無い。

「いっそ、1人で港に向かって帝国兵に保護してもらったらどうだ?」


目を泳がせて煮え切らない態度で顔を背けるリアーナが重々しく口を開く。 

「え……っと……それは……ど、どうだろ」

 

 何だ?? 帝国兵に見つかるとマズイのか??

自分だけなら何とか逃げ切れるかも知れない。王都に戻りさえすれば、この件を女王に伝えて

イサークの野心を知らせる事も出来る。コイツに構っている余裕は正直な所――


 ――違う……そうじゃない。

 この事を、俺が1人で姉に伝えた所で、信じない可能性が高い。

 『何かの間違いじゃ』なんて生ぬるい返事が返って来る気がしてならないのだ。

そうなると、1人じゃ駄目だ。証人が居る。


 結局の所、コイツも一度王都へ無事連れ帰る必要があるという事だ……



 参った。

結局振り出しじゃないか――


  ――巡る思考を、ザリッ という砂利を擦る音が遮った。



 「誰だ!」

 俺の問いに弾かれるように、リアーナも振り向いた。


 斜面を降りて来たのは……ヒラヒラした白い服にお洒落な帽子をかぶった少女だった。

 橋の下には似つかわしい、明らかに貴族の子と思われる幼い娘は、ゆっくりと靴音を慣らしながら近づいて可愛い声で喉を鳴らした。

 「おにぃさん、おねぇさん、こんなところでなにをしてるの??」


 見るからに無害そうな幼女を前に、警戒を解いたリアーナがこちらに向き直して言葉を待つ。

 「俺達は……いや、それよりどうしてここに居る事が分かった? 上からは見えないはずだ」


 「おうちのまどから、そとをみてたら、おにぃさんたちがおりていくのがみえたんだよー」 

 クスクスと笑いながら答える子供に、何かしらの違和感を覚えたが、それを上手く頭の中で言語化する事は出来なかった。

少なくともこの娘に見つかった事が、状況を好転させる方に繋がるとは考えづらい。

早めに追い払って、リアーナを説得した上で地下水路に飛び込むしか、この窮地から抜け出す方法は残されて居ない。


「そ、そうか……俺達がここに居た事は秘密にしておいてくれないか?

 子供は嫌いだが、事を荒立てたくない俺としては、出来る限り丁重に言葉尻を下げる。

「私達、大事な用があるので急いでるのだけど、なるべく早くここから出ないといけないのよ」


 初めて協力態勢を見せるリアーナに心中でヨシと頷いて、後を引き継ぐ。

「ああ、そうだ。この先の港に抜けれるような裏道とか、別の方法を何か知らないか?」


 え? というように、こちらに振り向いたリアーナの表情で何を言いたいのかは察した。

 咄嗟に港と言ってしまったが、結局門を抜ける事が出来ない以上、河岸から外に抜ける方法を探す他に道は無いだろう。

港に抜けてしまえば最悪の場合、二人で脱出が無理でもリアーナだけは帝国へ戻れるかもしれない。


 というような思惑を眼力に込めたがイマイチ通じて居なさそうだ。

「うーん……んとね、はんたいのむこうにしたにおりるかいだんがあるんだよぉー。とびらがあってかぎがかかってるけど」


 反対?向こう?

 周囲を見渡して該当しそうなのは、目の前の水路に掛かる二つの橋桁の向こう岸。

 こちらからは視覚になっていて確認出来ないが、どうやら対岸の橋の下に地下へ降りる連絡階段があるということだ。

 鍵がかかっていると言っていたが、いざとなれば何とでもなる。少し希望が見えた気がした。


「そうか、ありがとうな。リアーナ、とりあえず上に――」

――いや、ダメだ。橋の上に上がればどこかからか目視される危険が高い。

 そもそもこの幼女も俺達を自宅から見かけてここまで来たんじゃないか。

リアーナは嫌がるかもしれないが、水路自体は深くないので濡れても踝くらいまでだろう。

「リアーナ。折り入って話があるんだが……」


「何よ……嫌な予感しかしないんだけど」

「……とりあえずこっちに来い」


 状況をかいつまんで説明をする。当然拒否されるが、一から十まで順を追って他に選択肢は無い事をかいつまんで伝える。やがて今まで見た中で一番渋い顔で諦めたように目を伏せた。


「……仕方ないわね。どこかに着いたらすぐに足を洗わ……」



……!?





 目の前でぐらりと、恐ろしくゆっくりと傾いていくリアーナを眼球で追う――



――次に意識が捉えたのは、虚ろな褐色の瞳と、眼前を流れ……る、泡立つ……汚ない水。





 ……な……なんだ……なにが起き……た


 力……が……はいら……ない



 何かを、いいたそうに、口をパクパクしている、リアーナのめが、ゆっくりと、瞬く。

 何かを、つたえたくて、口を動かそうとするが、ことばがでずに、うっすらと、瞑る。


 ……な……なんだ……目のまえが……くらく……



“キャハハ、やったやった”


 かんだかい声が、きえんとする、意識を、かろうじて、繋ぎとめる。

 おちていく瞼を、ふりしぼって、首筋を、むりやりに、後ろ向ける。



“やったーごほうびもらえるー”

 くるくるまわって、ひときわのえがおをみせると、こちらをのぞきこむ。



“ねぇねぇ、ねむいでしょー?”

  “おにいちゃんのこと、パパからきいて、しってたんだー”

 ひらひらと、ちいさな、ピックを、ふって、みせると、つづける。   



     “これねぇ、サンギスドロップっていって……”

         “……とかに……ママに……れるん……けど”

              “……るくらい……ぐ寝れ……よね……”  



       “ねぇー、きいてるー?”


 とおざかる、こえが、ちかづいて、きこえる。

 ゆがんだえがおが、めのまえで、はじける。


“おにぃちゃんをイサークさまにわたせば、きっとパパにもママにもほめられるんだよー”


   “おうちにも、きっとごほうびがもら……える……うんだー”

   

 だ、だめだ……おち……る。




 狭くなる視界とは反して、消えかかる蝋燭の炎のように、一瞬の間だけ、脳がはじける。



 残された時間で、俺は考えた。考えて考えて考えた。


 ほんの一時か、永遠にも思える時間、考えた。



 そう、俺は何も解って居なかった。

知った風にあれこれ思考を巡らせた所で、何一つこの町の本質を理解していなかった。



 俺を捕える檻は、完成していたのだ。

 女1人にまで、奴の手は及んでいた。



 それ自体が目的かは解らない。

 他の何かがあるかもしれない。



 薄れゆく意識の中で、俺は心に秘めた。

 


 必ずこの異質な支配を打破してやると。

 必ずこの醜悪な都市を破壊してやると。



 イサークの野心を叩き潰して見せると……そう……誓っ

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