9. 傍白
無愛想で生意気な女だ。
捕虜の身で一向に服従しようとしない皇女を引き連れ、荒涼とした道を州都イベリスへ向け進む。右斜め前方には虜囚の身であるリアーナを乗せた馬を、落とさないように慎重に従者が引いている。積み荷である色黒な女は後ろ手に縛られており、セビリスから終始無言を貫いていた。
カッポカッポと、空々しい音を輪唱させる左右の山々は、マドリス渓谷と呼称するように、両側が切り立った崖になっており、山合を切り開いた間道という景を成している。
丁度谷の出口を横断するように流れる河と左右の山々に支流があることから、所々に小さな池が
孤立していて、かつては王国でも指折りの絶景の景勝地だったそうだ。
しかし今では傾斜の鋭い山々は中腹まで完全に剥げ上がっていて、伐採の爪跡が風に晒され、
水はけの悪さも手伝いあちらこちらで崩落、それをごまかすように土塁で支えるという悪循環という
後先を考えない手際の悪さが、素人目にも容易に察する事が出来た。
人手が入れない山頂に残る僅かな木々が、繁栄の空しさを強調しているようにすら見える。
実際いつ崩れてもおかしくない山肌があちらこちらに見られ、土砂に巻き込まれないか不安で仕方が無い。よくもまぁこんな所を平然と往来できるものだと呆れる反面、エスパニの統治は領主に一任されている以上、これもイサークの怠慢として糾弾する案件にはなるはずだと打算的に見てしまう。
不恰好な悪所など、さっさと通り過ぎてしまえば良いのだが、遅々とした進み具合では景色でも
眺めながら心中で悪態をつくくらいしか慰みがない。
更に辛いことに、セビリスまでは護衛付きの馬車で楽をしていた分、砂利の悪路は内股の肉と腰が
痛んで仕方がない。
その馬車内で子供のようにはしゃいで煩わしかったリコですらも、この沈黙の行幸を思えば望外に望ましかったと思える。やれ皇女の動きがどうの、やれ俺の剣技がどうのと、鬱陶しいことこの上
なかったが、リアーナも返事をせざるを得なかったのか、少なくとも馬上の置物ではなかった。
とはいえ自ら話題を振ってやるほど社交的な人間ではない俺は、この女が手向かわない限りは、
極力放置すると決めている。潤滑油であったところのリコが居ないからだ。
なぜ居ないか、は、三日程前に遡る――
***
セビリスの東の門外にある馬房には、領主から借り受けた馬が三頭繋がれており、リアーナの馬を引くために遣わされた従者が頭絡や鞍準備をする最中、自分用にあてがわれた馬の顎を撫でながら、リコが口火を切った。
「ねぇ、どうしてこの辺はこんなに荒れてるの?」
「エスパニは元々火精信者……イグニストが多い土地だ。アクニストが大半を占める王都とは違い
多くの火を使うからな」
「……だからこの国は遅れてんのよ」
「自領を荒廃させてまで得る繫栄に、意味があるとは思えんな」
「生活の利便性や国の発展に、火の力は不可欠よ! お前らだって恩恵は受けてるでしょ?」
「そ、そうだよね。 僕もよく窯の火を落としちゃって、父さんに叱られ――」
「それがなんだ? 王都にも火精信者は居る、だが……だからといってお前らみたいに他の信者を奴隷にするようなことはない!」
「そ、それは……」
「セベリス領主の話じゃエスパニの奴隷制や貧富の差も、帝国の影響らしいじゃないか?お前ら一体何を企んでいるんだ」
「し、知らないわよ! お前の国の話でしょ! 皇子であるアンタが無能なんじゃないの!?」
「なんだと!!」
「ね、ねぇ! ねぇねぇねぇ! ちょーっと思ったんだけどさ! セベリスはその火精信者? とやらが多いんだよね?」
「――……そうだな。いつ頃からかは知らんが、火精信者はエスパニ領のセベリスやイベリスに、アクニストは王都や周辺都市に分かれて住んでいる」
「アクニストって何だっけ? 違う精霊を信じていることで、何か問題があるの?」
「当然だろう。信者同士の争いやイザコザは絶えず、過去には大きな衝突があったらしいからな。
住む地域は厳密に分けられている。中央通りを挟んで南西側がイグニストの居住区だ。アクニストは水精を信仰する人間の事だ」
「南西……来るときには通らなかった辺りかな?」
「そうだな。東の大門からは最奥になる。基本的に街の水精信者と火精信者に交流はないが、 別に禁じているわけじゃないからな、勘違いするなよ」
「うーん……そこが良くわからないんだよね。僕もこの前、水のスペル? を教えてもらったけど、それでも別に水が好きとか、火が嫌いとかないし」
「お前……いやリコ、好き嫌い以前に、水のスペルを習ったってことは、火の精霊術はもう使えないぞ?」
「え、そうなの?」
「水は火を消すし、火は水を蒸発させるだろ。相性が良くないからな」
「へぇ、ならリアーナは水の精霊が嫌いなんだ?」
「嫌い……と言われても、帝国には殆どアグニストは居ないから――」
「じゃ、そのアグニスト? アクニスト? は嫌いなの?」
「だから! 居なかったから分からないわよ!」
「うーん……だったら尚更、エリアスとリアーナがなんで言い合ってるのかが分からないんだよね。お互いに知らないなら、嫌い合う理由がないんじゃないの?」
「……」
「……」
「そういえばさ、領主さんが言ってた放火の話だけど」
「セベリス……のあれか。火をつけて騒ぎを起こして盗みを働く犯罪が横行しているとか」
「あれってつまり、火精の力を使ってるって事なんだよね?」
「まぁそうだろうな。火のない所になんとやらというが、火種のない所に火は起きない。勿論街中に火元はいくらでもあるだろうが、それを悪用する奴が居ても――」
「な、なによ。私は関係ないわよ?」
「そりゃそうだろ。お前はセベリスじゃなくレインフォールに侵入してきて、囚われの身だしな。
だが、お仲間の帝国兵がやったと仮定しても違和感はないだろ」
「そんなはずはないわ! 私は単独指示であの森……」
「ほう、帝国の皇女様とあろう方が、御一人で敵地に潜入、ね。随分手軽な扱いじゃないか」
「……何が言いたいのよ!」
「まぁまぁ。けどさ、帝国じゃないとしたら犯人は誰なんだろう? 火の精霊術を使うのはエスパニの人がほとんどなんでしょ? 奴隷になっているのは火精信者以外の人達だよね?」
間に割って入ったリコの言葉を聞いて、俺はこの時、僅かに感じていた不信感を思い出した。
今にして思えば、セビリス出立の前日に訪れた領主館で話したのはイサークの弟、ラウルだ。
火事騒ぎにしろ、その被害の大半が食料品や衣料であること、奴隷の信者層は、奴から聞いた事で、それを裏付ける物は何もない。気弱そうな優男だったこともあり、特に警戒はしていなかったが、
何よりあの豚野郎の弟なのだ。話自体も多少疑ってかかった方が良いかも知れない。
ただ、それを差し引いてもリコが指摘した疑問が、一つだけ確証を生んだ。
「……少なくとも、エスパニでは火精信者は上流階級で彼らが火をつける動機も必要性もない……どちらかと言えば、むしろ被害を被る側と言って良いだろう」
「なのかな?」
「ふん……エスパニの人間じゃ無いってことか……」
「王都ではその……火精信者? は何をしているの?」
「その女が言うように、火の力も生活や武器を作るには欠かせないからな。至る所で普通に職を得て暮らしている。大半は教会に在籍しているが、鍛冶師や細工師なんかの職人も多い。そういう職人は居住区もギルドも南西に固まっている。それを信仰関係無く、商人が仕入れて店舗で売る訳だから、これと言って大きな騒動は起きていない。もっとも今は教区を分けて教会が管理しているという理由もあるが」
「他の街は?」
「ルールやプローブも同様……いや、プローブは難民と揉めているな」
「な、んみん?」
「プローブのすぐ北にあるアルヘ山を超えた先、ウェス火山の噴火により発生した、麓の町ホルストからの避難住人の事で、大半がフムニストだ」
ホルストの件は、女王の勅命でプローブで受け入れ支援をしており、そのせいで王都からも何人か衛兵の手が割かれる始末となった経緯がある。住民だけではなく、避難民の火精信者とフムニスト
同士すらも互いに衝突し支援が難航していたためだ。今現在はプローブからの報告は上がっていないので事態は収束したと思われる。
「フムニスト?」
「地精信者だ。少数派だが、領区外の町に集まって暮らしていた。ホルストは地精信者が火山の麓を切り開き、開拓した街だからな。あそこでは火精信者も水精信者も少数派だ」
「地の精……火を起こしたりするわけじゃないよね?」
「そりゃな」
「なんで火精信者と……その、地精信者? が一緒に避難してるんだろ」
確かにおかしな話だと今更ながら気が付いた。仮に共に避難をしていたとしても、難民で多数派の地精信者と、少数の火精信者の争いが長引くとも思えない。元々争っているという報告も一度も
上がった事がない。そしてもし争いが起きているなら、離して保護すれば済む話なのだ。
「さぁな。俺はアルヘを越えたことがないから、あちらの様子は解らないが……」
「そうなの? 王子なのに?」
「王都以外の町は、領主に統治権があるからな。難民問題はプローブ領主が取り仕切っているんだ。そもそもホルストは領区外の自治領だからな、町長に裁量権がある」
「ふーん……なんか、ややこしい話だね」
「もう良いでしょ! 早く出発しなさいよ!」
「何でお前が仕切ってんだ!!」
***
思い出したらまた腹が立ってきた。本当にクソ生意気な女だ。
とにもかくにも――そんなこんなで、俺たちはリコと馬を一頭残し先行してイベリスに向かった。
というのも、領主館で馬の手配を依頼した際に、ラウルに何気無しにエスパニの近況を尋ねた。
すると、先日領主を訪ねて来た怪しげな男が、どうやらリコの父親らしいという事で、セベリスの
街中を探したいと申し出たからだ。
もっとも、そのヴァンとか言う男が本当にリコの父親であれば、の話だが。
嘘が付ける性格でも無さそうなので、そこの所は疑っては居ないが、恐らく探したいというより、聞きたいことが山ほどあるのだろう。それはそれで当然かとも思う。
レインフォールに何年も縛られ続けた結果が、突然の開放と謎の失踪では、奴も身の置き所や心の拠り所がはっきりしないのだろう。
……それよりも、俺の心の中に残る、喉に刺さった小骨のような疑問の方が余程気になった。
なぜ俺はアイツを連れて来た?
皇女の引渡しなど部下にやらせるか、わざわざ出向かなくとも、足しげく王都に通うあの豚に引きずって行かせれば済んだ事だ。
どうもあのリコという少年と関わると、調子を崩される。
気乗りのしない護送任務を、渋々引き受けざるを得なかった理由――
これも遡る事、一週間程前のやり取りに起因する。
***
紅白咲き乱れる花々が、変わり映え無く実に目に騒がしい白亜の庭園。
こじんまりとした用具庫の裏の一角に備え付けられた木偶人形を白木の棒で指し示した。
噴水に立てかけた愛剣を握る時と同じように、右半身で構え、左手を後ろに、腰を軽く落とし、
そして、力を抜く。
幼少に教えられてから毎日続けている一連の動作は、息を吸い、
ただ吐くだけの如く、無意識の彼方に消える。
視界の端で剪定している見慣れぬ園丁を一瞥して――沈み込むように、
踏み込む。
パン
パパンッ
という心地よい連撃の音色が、花園の欺瞞を吹き飛ばさんと、
日頃の《憂さ》を伴って、風に乗って吹き抜けに放たれていた時のことだった。
「うわぁ! スゴイね!」
「……ふぅ。何の用だ」
「え? うーん、何だろ? ただ通りかかっただけだよ」
「なら邪魔だから向こうに行ってろ」
「えー良いじゃん、ちょっと見せてよ。ねぇねぇ、あの剣かっこいいね。その木じゃなくてあっちの噴水に立てかけてある方」
「……あれは昔からこの城に伝わるものだ」
「へぇー、けど……あの印って、僕の弓にも彫ってあったような」
「は? 印って何の……って、お前あれが見えるのか? ここから??」
後で見せてあげるよ、と言い噴水を凝視した栗々頭から、愛剣までは優に30mは離れていた。
《印》とは、大昔から城の武具庫に保管されていた片刃の直刀であるサーベルの柄に刻まれた、
筆記体のGとKが重なって見える意匠の事だろう。
城に現存するのは一振りのみで、隊で支給される制式剣や鍛冶ギルドの一等級よりも優れている。形状も通常より細身で斬撃は勿論、刺突を得意とする自分好みの剣なので愛用している名剣だ。
同様の意匠を持つ武器を求めて、物置から地下まで探索していたが見つからなかった。
確かにアイツの弓はレンジャーギルドの配布するショートボウやロングボウと大きく異なり、
弓の上部が極端に長く、柄が随分と下に寄っている。弓は護衛隊の制式武器として採用されて居ないので詳しくは無いが、軌道も異様な弧を描く特殊な弓だった気がする。
異様と言えば、帝国皇女の持つあの鞭もそうだ。
通常、鞭と言えば伸縮性のある蔦や動物を革を材料にした調教用のロックスウィップの事で、
あのように穂先に刃物を備えた物は存在しない。武器製作に関しては帝国の方が一枚上ということ
なのかも知れないが、それを今聞いたところで答えるはずもない。
「……ところでお前、あの女に会ってたのか」
「うん。フローラ姉さんにお願いして――」
「お前! 女王に向かって!」
「そう呼べって言われたんだよー」
「なっ……もう良い、お前向こう行ってろ!」
アイツ等に対する姉の異常なまでの警戒心の欠如には、苛立ちを通り越してあきれ果てる。
森で会って城まで案内した身で言えた事ではないが、俺は万一の事態を自力で打破する力がある。大男は中々の身のこなしだったが、いざとなれば何とでも対処出来る。
むしろ問題はアイツだ。あの――
相手に警戒を抱かせない、抱く気すら起こさせない、あのアホ面。
毒気を抜かれるという言葉が、これほどしっくり来る奴も居ないだろう。そしてあの図太さ。
『向こうに行け』と言われようが居座る無遠慮。
「えー……そういえば、エリアスの髪って変わった色だね」
「お前……いい加減に」
「けど、すごいカッコいいよね」
「は!? 馬鹿にしてるのか!」
「そ、そんなんじゃないよ。夜みたいで好きだけどなぁ……エリアスは好きじゃないの?」
……あんな事を言った奴は今まで誰も居なかった。
この髪と、同じ色をした眼球に向けられる視線は、どれも俺の神経を逆なでする類の物でしか
なかったのだ。リコはずっと森で暮らして来たと言っていた――だからなのだろう、きっと。
「……お前は世間知らずなんだ。俺のこの髪はな……城の人間ですら嫌っているんだ」
「そうなの? 別にいいんじゃない。 僕はカッコいいと思うし」
事もなげに言う姿に、一から事情を説明する事が何となくバカらしくなった。
だから俺はあの時、あの瞬間から、アイツを小動物か何かだと思うようにすることにしたのだ。
「お前……いや、もういい、その話は。ところであの女と何を話した?」
「うん? 特に何も。足の傷を治しただけだよ」
「は? 治し……? 馬鹿かお前! あいつは敵の――いやいや、それよりもお前、精霊術が使えるのか!? いつから!? 誰に習ったんだ!? お前、あの女と戦ってる時は――」
「ちょ、ちょっと、そんな一気に聞かないでよ」
えーっと……なんだっけ? と首を傾げるリコに聞こえるように溜息をつく俺だった。
「……一個ずつ、順番に行くぞ? なぜ治した?」
「え? えーっと、射ったことを後悔してたから?」
「……精霊術が使えるのは?」
「さっき教えてもらった」
「さっき!? 誰に?」
「フローラ姉さん」
……素養が無くて何度修練しても俺には使う事が出来なかった精霊術をアイツは……
「――なんでお前みたいな、何も考えて無さそうな奴が……」
「失礼だなー君は。何だっけ? 洗礼がどうとか言ってたような、言ってなかったような?」
「洗礼なら俺も勿論受けた! ……何もならなかったが」
「僕も別に何をどうしたとか、ないと思うよ。 そもそも小さい頃であまり覚えてないし」
そして、やるせない思いを理不尽にぶつける俺に、リコは事もなげに締めくくった。
「けどさ、エリアスにはその剣の腕があるから充分じゃない? 普通にスゴイと思うよ?
カイルの槍を見た時も同じように思ったけど、自分に出来ないことを他の人が出来るのって、
何だかワクワクするよね」
そんな風に考えた事は無かった。
そんな風に思えた事は一度も無かった。
俺にとって《出来ない事》は重圧で、《やらなければならない事》は重荷だったのだ。
なぜなら誰一人として、俺の《出来ない》を許容してはくれなかった。
それを優しく許してくれた、たった一人の母はもう居ない。
俺はこうするしか無かった。
《こうなるしか無かった》だけに過ぎなかったのだ。
「……俺は、自分が《出来ないこと》が……許せないんだ」
今まで誰にもこぼした事の無い思いが、ポロリとあふれた後の――
「そんなものなのかな? 王子って大変なんだねぇ」
実に軽い言葉を聞いて、腹が立つより、
自分のこだわりがいかに小さい事なのかを、初めて自覚する事が出来た。
いや、出来てしまった。それはある意味では衝撃の事だった。
そして、たった一言で俺を縛っていた物から解放したリコは、実にどうでも良い、といった様子で話を更にどうでも良い内容にして締めくくった。
「ていうか、そのお前っていうのそろそろやめてよ。僕はリコ」
「ふん……リコ、ならお前これからどうする? 用事はもう済んだろう。森へ帰るのか?」
「ほらまたぁー……。なんで名前呼んだ後で『お前』なのさ……そうだね……特に用はないけど、
フローラ姉さんから君のことを頼まれてんだよね」
「なんのことだ??」
「友達になってあげてほしいってさ」
「……俺に友達なんて要らない。そうだな、部下なら必要だ。正規兵では無く小間使いとしてだが」
「じゃ、それでいいよ」
「――……良いだろう。お前を見習いとして置いてやる。見習いだから給金は出ないぞ」
「いいよ別に。お金の使い方も良くわからないし」
「あの大男はどうする? というより何者だアイツは。皇女の火精術をあんな長ったらしい槍で、容易く撃ち落としたのを見る限り相当出来る奴だとは思うが、アイツは何しに来たんだ?」
「さぁ? カイルの事は良く知らないよ。なんで森に居たかとか、頼まれたからってわざわざ城まで来たの理由とか。ずっとあんな調子だから、特に何も聞いてないんだよ」
「なんでおま……、いや、リコ。なぜそんな得体の知れない奴と行動しているんだ?」
「初めて会った《森の外の人》だし? あと、まぁ悪い人には見えないよね。無口だけど強いしね。そういえば初めて会った日の夜に聞いたけど、なんか昔師匠が居たらしいよ」
「ふん……少なくとも悪人ではなさそうか。奴も上手く引き込めるか?」
「どうだろ、聞いてみるよ。 あ、そうだ」
「エリアスにも、僕からお願いがあるんだ」
***
こんな調子でただの使用人に過ぎないリコの《お願い》を受けて、女王の依頼を承諾したが為に、このような面倒な道程を辿る羽目になったのだ。
『お願いが――』と、覗き込んだ屈託の無いアホ面を思い出すと脱力する。
正直な所、余りに世間知らず過ぎて呆気に取られることが多い。しかし嫌いではないのも確かで、それはリコの目からは嘘や怖れが全く感じられないことが一番の理由であると思う。
疑念にまみれた城内で生きて来た俺にとって、嫌いじゃないという事は何気に難しく、更に言えば珍しい。どことなく姉に似ている空気感も一因なんだろうと思う。
この忌々しい髪を格好良いとほざく無神経さや、女王を名前で呼ぶ無遠慮でさえ、薄ら笑いを浮かべる兵士や、顔色を伺うメイド、露骨に敵意を向けてくる豚よりは余程マシに思える。
何となく《突き放しづらい妙な魅力を持つ奴》なのだ。
そして、それとは真逆の感情があることも、俺は自覚していた。
純粋を絵に描いたようなあの無垢な両目に、人間の真に汚い部分を出来る限り見せ付けて、世界は本当はお前が思う程には優しくないと思い知らせたい――そんな空しく暗い願望をも。
皇女の身でありながら単身での敵地への侵攻を、意味も知らされずに押し付けられたこの女も、
少なからず釈然としない思いを抱えているに違いない。あれ程の戦闘技術とスペルは、幼い頃から
義務に責任を積み重ねられ、無理やり口を開けて詰め込まれるように叩き込まれたはずだ。
何も求めず、欲さず、ただ城内で生き延びる為に。でなければ、あのような目にはならない。
それが俺と似ていると思った。だからこそ《お願い》を、護送を引き受けたのだと思う。
リアーナがリコに多少なりとも気を許しているのも、きっと同じ理由なのだろう。
……だからといってどうという事はない。女王の命で受け入れ態勢を整えているであろう、あの
いけ好かない豚野郎にこの女を引き渡し、王都へ戻る。それで終わる話だ。
そして任務を片付けたらすぐにでも、俺は俺で速やかに自分の派閥を大きくする必要がある。
奴に対抗する為に。
その為の力を得る為に。
今思えばリコの入隊を安易に許可したのは、人の内にスッと入り込む、あの性格が《使える》と思ったからだ。城に残してきた大男も少なくとも俺に対して敵意はないようだし、上手く引き込めば城内に自分の手駒を増やすことができるだろう。
そう……それだけの理由だ。友達だ何だと、戯言を姉が未だに言っているという話を聞くと、
何を今更、という言葉が喉元をこみ上げる。
俺を孤立させたのは他の誰でも無く貴女じゃないか! 母さんが死んで……誰も俺を守っては
くれなかった、城内で一人で生きていくには、こうするしか――こうなるしか――
……とりあえず醜悪な面を長々と眺めていたくない。すんなり引渡しが済めばそれで良い。
そんな風に、いつも通りの陰鬱な脳内描写を繰り広げていると、時間の経つのもあっという間で、
イベリス正門の外の馬房に到着した。
この馬房というのが中々面倒で、ここからは徒歩で城内に入らなくてはならない。
王国の街中は安全面や衛生上の理由で馬の乗り入れが禁止されているからだが、エスパニの玄関
セビリスまでは馬車で往来出来たのに、馬を借りるしか術が無かったのは、街を抜けないとイベリスへ向かえないというセベリスの構造が原因である。
つまり馬車を西門馬房で預け、町を抜けて、東門で馬を借りるという手間のかかる手順となる。
なら東門で馬車を借りればよいと思っていたのだが、イベリス側は特に荒野化が著しく悪路となるため、車輪が軋み馬車が廃れたという経緯があるらしい。
各々理由は違うが、このような街構造になっているのは、セビリスだけではなく、王都周辺都市のルールやプローブも同様である。都市を建造する際に害獣や外敵の侵入を防ぐという意味合いで構造や立地を選定したと学んだ。
ルールの州都であるロレントは西部を、プローブはアルヘ以北からの侵入を阻む為と理解できる。しかし、セビリスの先にはイベリスしか存在しない。イベリスから先は大河を挟んだ向こうに帝国領があるが、あちらは地続きではない。
両側にそびえる山々の合間に挟まれるような形で鎮座するセビリスの街は、外部からの侵入に備えているというより、王国からの往来を制限している柵のような印象すら感じてしまう。
そういった経緯があり、自然と門外に馬房商が姿を現すようになった。
しかし、門から外は衛兵の圏外となる。
野生動物や獣にとっては格好の猟場にもなるので、それらを撃退できる力量が最低限必要になる。
故に馬房主は危険の伴う商売ではあるが、必要不可欠な存在で、それなりの猛者が雇われている。
「へい、らっしゃい。お客さん、馬は全部で二頭ですかい?」
俺の考察を証明するかのような、ガタイの良い親父が二頭の馬列を遮るように立ちはだかった。
「ああ、後でリコって栗毛のクリクリした奴が合流することになっている。三頭分の代金は先に払っておくから来たら頼む」
男に銅貨を6枚渡し、馬から降りる。
毎度、と声を上げ手綱を取ると、従者がリアーナをおろして荷が空になった馬を引き連れ、
馬房の奥へ引っ込んでいった。
「お前はもう良い。しばらく城内の宿に待機していてくれ。帰りは追って知らせる」
「かしこまりました。お気をつけて」
従者から受け取ったリアーナの私物――そして、武器。
しかし何度見ても物騒な代物だ。牧畜ギルドで良く見る鞭と外観だけは一致しているものの、形状がまるで違う。こんな物で調教すれば家畜はそれこそ手間も無く挽肉になるに違いない。
輪状に巻かれて結わえられた胴体は、硬さと柔軟さ、そして蛇を連想させるような浅黒さを併せ
持ち、胴体の弾力とは正反対に鋭利な突起が穂先に暗く輝く。
こんなものを喰らった日には、身体にぽっかりと風穴が開くことは間違いないだろう。
王国で見られる様々な得物とは本質的に何かが違う。
そこまで思い至った時にフッと結論が脳裏を過ぎていった。
そう、用途は別にしても、これは《殺す》事に特化した武器なのだ。
物騒な武器の調べていると、後ろ手に縛られたままのリアーナが、恨みがましい視線を向けた。
「なんだ? 心配しなくとも引渡しの時に返してやる。というか、何だこの凶悪な武器は……こんな物で人間を打ったら、どう考えても即死だぞ? 帝国ではこれが普通なのか?」
当然の如く答えは帰って来なかった。というより鼻で返事をしやがったこの女。
大きく息を溜めて吐き出してから、イベリスの城門を見る。
無骨な石積みの城壁は、王都やセビリスよりも更に高く積み上げられており、他の都市とは違って場外から内部の建物は全く伺い知れない。
城門も木ではなく鉄で出来ており、尚一層の威圧感を顕していた。火には強いかも知れない……が、これではまるで本当の意味で――牢獄じゃないか。
王城も息苦しい場所だが、ここは遥かに勝る。城の地下牢をそのまま大きくしたような街だ。
こんな所で暮らしていたら間違いなく1日も持たずに発狂するに違いない。
出来ることなら門外にこの女を放置して、置手紙か立て札を刺して帰りたい。
「……そうもいかないか。 おい、動くなよ? ここまで来て抵抗する意味も無いと思うけどな」
一度リアーナの後ろ手の縄を解いて前で縛りなおし、そして薄布をかけて覆い被せた。
怪訝そうな顔をした女の顔を無視して門に向き直り、何とか気力を振り絞って重い足取りを前に、先へと押し進める。
そびえ立つ城壁も、イサークも、無愛想な同行者も、全てが億劫で仕方ない。
義務で訪れたイベリス自体が、自らの侵入を拒んでいるように見えて気に入らない。
今はあの馬鹿正直な少年が懐かしくすら思えた。