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ビビット・コーラル・パーカッション

作者: 依田鼓

人前にさらすのは初めてです

感想、批評、なんでもいいのでほしいです

見てくださってありがとう

「この町の外は、すでに滅亡していて、空は青いが、その向こうはきっと何もない無であるのだろう。」

そんな一文を宿題の作文に殴り書きして、席を立った。鐘の音を聞いたとたん、何もかもやる気が失せて消えてしまったのだ。くしゃくしゃと原稿用紙を丸め、教卓に放り投げた。そのまま普通を装って廊下へと飛び出さんとする。

「おい、待て!」

教師の制止などお構いなしだ。全力で扉を開け、廊下へと身体を繰り出す。危うく眼鏡女とぶつかりそうになるがこれを避けて、そのまま駆け抜ける。手すりを伝って階段を滑り落ち、靴箱へ。乱雑に上履きを脱ぎ捨て、適当に靴箱へと放り込む。使い込んだラメの靴に履き替え、いざ外へ、巨大な昇降口を潜り抜けた。



外は存外暗かった。そして静かだった。空は黒く雲は厚い。いかにも一雨きそうな感じだ。休み時間に入ったというのに誰も出て来やしない。みんな雨に濡れるのが億劫なのだろう。腕を服に引っ込ませ、蛇腹で袖をぎゅっとつかむ。少し湿っていた。

「このまま学校を出て、町の外へと向かおうか」

 独り、呟く。突発的だが、どうせ午後の授業も退屈だろうしこのまま戻ると教師に何されるかわからない。……。うん、すごくいい案だ。決まり。校門の方へと目を向ける。邪魔者は見えない。これは前方に見える給食を運ぶトラックとだけの秘密にしよう。そんなことを考えながら、しずかに門を開け、かしゃん、と小さな逃避行の音を立てたのだった。


 この時間に学校の外へと出ることはないから、とても新鮮だった。休みの日は外を出歩かないし、仮に外出したとしても浮足立った人しか見ないのである。だから、誰もいない、静まり返った道路は、もはや不気味でもあったが、またそれも、自分にとっては刺激であった。

 大股でずんずん歩く。ふとどこかでカラスが鳴いた。音に敏感になっているのか、少し驚く。歩みを止めないまま探していると、連なる屋根の稜線の、その奥に見えた電線の上に、カラスを見つけた。カラスは、まるで太陽をにらみつけるようにジッと上を向いていて、その姿はすぐに、大きなマンションの陰に隠れ、次にそこを見たときにはもういなかった。

 大通りへと続く曲がり角にさしかかったところで、人を発見した。知った顔だった。そそくさと壁を背にし、頭だけで様子を確認する。買い物袋を提げて歩いているのは近所の婆さんだ。

今ここで会ったらおとなしく学校に戻されるだろう。それはならぬ。おとなしく、壁の凹みに身を合わせて通り過ぎるのを、足元の蟻をつぶして待つ。ぶち、ぶち。蟻酸を舐める。ちょうど7匹目のときに婆さんの気配は消え、再び歩き出した。

 一番の難関だと思っていた大きなバス通りは、その実閑散としていて、車こそ走れど、人といえば傘を持ったサラリーマンと、合羽を着た花屋しかいない。そそくさと横断歩道を渡り、傾斜のきつい、狭い路地へと入る。ここを進んでいればいずれ隣町の一本道に合流する、はず。うろ覚えであるが、自然に自信がわいてくる。きっと大丈夫だ。

依然として、空はどんよりとしていた。気温は高くないが、湿度のせいでじわり汗をかきだして気持ち悪い。しかし、今更雨ごときで戻りはしない。木々に陽光を阻まれて、次第に道は暗くなってゆく。足元のコケは瑞々しい。撥水された雫が集光して、まるで自らが輝いているようであった。


 木々に囲われた小道を進む。この山は非常に低く、高木よりは灌木が目立つ。また、木々にまとわりつく蔦が繁茂していて、山というより、せいぜい野放しにされた林ほどである。しかし、それでも道は暗く、よく舗装もされていないために、ここを散策気分で訪れる人は少なそうだ。

「今頃みんな、どこを探しているだろうか」

独りほくそ笑む。膝に手を当て、丸太を埋め込んで作られた階段をのぼる。すでに息は切れて、ハァハァ、と荒く漏らす。

「だれもおれなんか探していやしないか。」

ふと遠くに、蜩の声がした。夏の残響である。毎年毎年、セミは旺盛な声をあげて、その全てが死んでゆく。残るものといえば、蟻の行列と、ひとひらの感傷だけ。上へ上へ行くごとに、徐々にセミの声は濃くなっていった。

階段の終わりが見える。そこにはガードレールがあった。ちょうどアスファルトと垂直になるように、今までの道は続いていたのだ。あとは、車道に沿って右でも左にでも行けばこの町を抜け出せるだろう。はあ、はあ、と、今度は安堵の息を吐く。

ついにここまで来たのだ。町というものに囚われて過ごした日々を抜け出せる。そう思うと、わくわくして仕方がなくなった。

ふと左を見る。こんな晴れやかな気分でいるのに、この気持ちを阻害するやつがいるのだ。急斜面にもかかわらず立派に耐えている木の幹にしがみついて、忙しくワンワン泣くセミ。耳につくのでこいつをつかんで放ってやろうと素早く抑えた。



そのとき、世界の音が止まった。

「やめろ。最期までなかせてくれ。」

セミが喋った。何の疑念も抱かず、そう思えた。世界はすべてモノクロになっているにも関わらず、おれの左手と、その内にいるセミだけが色を有していたからだ。

「うるさい。ほかで泣いてろよ。」

「何もかも終わるのだ。わが友も、わが家族も、わが子孫も。それが悲しくてたまらないとないている。」

「何が終わるっていうんだ。」

「御覧。あのガードレールの先を。もうそこまで来ているのだ。」

ハッとした時にはもうすでに世界は動き出していた。しかし、左手の中のセミは足が丸まって固くなっていた。

 数段、のぼる。ガードレールの横に立つ。目の前は真っ黒で塗りつぶされていて、足元を見ると、地面が少しずつ、じりじりと焦げてやがて炭に灰になり、奈落へと溶けてゆく。 

しかし、無にのまれた後の空は、本当にきれいな青だった。


 このままではいられない。

「こんな面白いことを誰かに話さずには。」

後ずさりし、振り返り、走り出す。階段を落ちるように下る。もはやセミの声は耳に入らなかった。とにかく今は、学校に戻ってこの目で見たこの世の終わりをみなに伝える、そんな使命が俺にはあるように思えた。

たまらない気持ちだ。手が震えるほど興奮していて体は芯から熱いのに、こころは静かに落ち着いている。目じりのあたりがスーッとする。

あんなに時間をかけて辿った道のりも、気づけば大きなバス通りまでもどっていた。あれだけ閑散としていた通りは、いつの間にか賑わいを取り戻していて、花屋も、せわしいサラリーマンも午後下がりの晴れやかさを受けて、眩しそうな顔をしていた。

眩しそうに。

ふと振り返ると、濁った灰汁のような雲を押しのけ、真っ青でぬけぬけとした空が侵食してきていた。

山はじりじりと焦がれ、しかし微塵も煙を出さずに黒に溶けてゆく。止まっているのか進んでいるのかはっきりわからず、まるでそこだけ時間という概念が消失しているようだ。

戦慄した。同時に俺は思った。

「あれはおれを生かしているのだ。今この瞬間のために。」

そしてやはり高揚しているのだ。にやりと笑い、帰路を急いだ。


「お前!」

真っ赤になった先生が校門に立っていた。近くにパトカーと警察らしい人も何人か立ち構えている。僕の知らぬ間に、何やら大事になっていたようだ。

「どこ行ってたんだ「いきなり飛び出して「誰に聞いても「どこ行ったかもわか「いったい何を「手間取らせ「この収拾「泥だらけじゃ「なんとかいえ!」」」」」」

よってたかって喚き立てる。うるさくて敵わない。日常とはこれなのだ。しかし今おれは非日常の最中にいる。こいつらの言うことを耳に入れることはない。

「町を越えようとしただけ。何かがあると思って。でも何もなかった。」

「当たり前だ。お前は馬鹿か。」

うまく説明できない。息が上がっているのもあるが、言葉が出てこない。寸暇も惜しいのに、不甲斐ない自分と、何も理解せず罵倒を続けるこの人間らに、腹立たしさが沸々とわいてくる。

「セミが言った。この世は終わる。だからあんなに騒々しく鳴いてるって。何も終わることが悲しいことじゃない。みなを憂いて泣いてるんだ」

そこまで言って、自分がずっと泣いていたことに気付いた。あいつらの最期の声を聞いたのはおれだけだ。俺が伝えないと絶対ダメなんだと、そう思った。見上げる。自分よりずっと背の高い、ただそれだけの人たちを。

「山はもう、消えてなくなってるんだ。陽に焦げて、闇に溶けて。見えるだろう、きれいな青空が!」

「何を言ってるんだ。今日は曇り空だ。どこにも真っ青な空なんてない。」

愕然とした。お前にはあれが見えないのか、と、教師の肩の先に見える、悪びれもしない青空を一瞥して、再び視線を戻す。言葉に詰まる。

きっと、彼らにあれは見えてないのだ。そう思った。そしてそれは絶望だな、とも思った。こいつらは極めて日常的な現実に生きている。おれは非日常を探して向こう町を目指した。学校という日常をほっぽり出して、得た事実はこの世の終わりだった。なんという皮肉だ。あの闇は俺だけを取り込んで、あとはそのままにするつもりなのか。



怖かった。何が?わからない。大きな手を振りほどき、校庭へと一目散に走る。給食を運ばんとするエプロン姿の隊列が目の前にあった。彼らはおれをかわいそうなものを見る目で眺め、列に穴をあけている。おそらくおれが通るためではなく、後ろからくる重々しい足音のためだろう。後ろから叫び声がするのだ。さっきと同じ口調で、俺を呼び止めようとする怒声ばかり。もう何も聞こえない。おれはあの闇に追いつかれるまではずっと走らないといけないのだ。

ドン。

隊列の奥に、もうひとつの隊列があったことを、おれは知らなかった。勢いを止められず、重そうに寸胴バケツを抱える給食係にぶつかる。ワンテンポ遅れて、バッシャーン、と汁物の惨たらしい音が鳴り響いた。どうやらひっくり返してしまったらしい。落とした本人は泣き出している。おれもすっころんで、走っていた真逆の方向を向いて着地していた。そのとき、見てしまった。

すでに校門は真っ黒に飲み込まれている。そこに立っていたはずの警察や教師の姿は見えなかった。

先ほどのよりも純粋な、恐怖。あれにのまれれば、死よりも恐ろしい何かが起こる。その何かがわからなくても―――わからないこその、巨大な恐怖だった。鳥肌が一斉に起き上がる。すぐさま体勢を立て直し、走り出したはいいものの、受けた衝撃が予想より激しく、よろけてすぐに倒れてしまいそうだ。それでも、必死に前へ、前へと進む。

しかし、視界がぼやけてくるのだ。目頭が熱い。意識が朦朧としてきて、感覚が曖昧であやふやになる。世界の輪郭が蕩けて、混ざり合い、おれは宙に揺蕩うような感覚を覚える。

 

「ああ、きれいな空だ。」


「目が覚めたかい。」

あのときみたいだ。つんざく声で鳴く、セミを払おうとしたあの瞬間。

「…おれはもう、」

「随分と弱気だねェ。」

乾いた高い声で笑う。なぜか、おれはこの声に何か懐かしさを思い出す。

「死んでなんかねェよ。」

「死んでないなら、なんでこんなにしずかで何も見えはしないんだ。」

おれはおれの手を見ようとしたが、どこにも見当たらないし、そもそも「手」の動きが感じられなかった。

「ここは境界サ。どちらでもあってどちらでもない、ただの空間だ。」

手だけではなく、自分の身体に力が入らなかった。実体があるのかどうかすら疑わしい。重力を感じず、宙に浮いているようだ。上も下も、なにもなかった。

「なんでこんな場所に、いや、そうか、おれは…。」

「まァ、爆弾の衝撃波に勝手に触れて寝込んでる、ってとこか。」

嘲笑八分の高笑い。耳障りでないのがせめてもの救いか。

「おれはただ、町の外へ行きたかっただけなんだよ。こんなになるなんて。」

「違う。何もかも違ェさ。被害者面してんなよ。おまえは逃げたんだよ。大人に立ちすくむしかできないただの子供サ。

こんなになっても?お前はなんとかなると思って戻ったんじゃねェのか?太陽も運命も世界も、そんなに甘いもんじゃねェんだよ。」

「・・・・ひでえや。」

でも、その通りだった。全面的に正しい。何も言い返すことができない。反論する余地がない。

「…くせェな。嫌なにおいだ。じりじりと肉が灼けるこのにおい。きっとみな、爛れながらも、必死に、喰らいついて…。」

おれには、闇の中から聞こえてくるこの声の主の顔は全く見えなかったが、とても悲しそうな顔をしているような気がした。

「おまえはいかなくていいのか。」

「オレは見張りサ。適材適所って言葉を知ってるか。お前と違ってビビりではねェがよ、オレの羽根は羽ばたく間もなく、灰になるからよ。

俺も昔は守護者だった。あの烈火をついばんで、人間どもに分け与えたんだよ。おれの黒いのは、その罪の烙印サ。」

「そうか、お前は。」

確信した。こいつが誰なのかも、懐かしさを覚えた理由も、親しみを感じる理由も。なぜこいつがここにいるのかも。

「世界ってのは糸みたいでな、無数にあるその線の一本が、いきなり切れたりすんだ。でも、糸自体はずっと続く。そして大事なのが、誰もが同じ世界に居るわけじゃねえんだってことだ。オレとお前の世界は違う。平行に限りなく近い線だといずれ交わるんだよ。平行だか平衡だか、もうどうでもいいっちゃいいんだがな。

俺らの世界はこうして灼け焦げている。だがな、お前の居る町は何も変わらねえんだ。」

「じゃあなんで」

「二つの線が交わったって、摩擦はたいしたことない。せいぜい、空がぐずるくらいさ。だがな、今回は三つだ。」

三つ。長々考えて、やっとその意味が分かった。

「じき、世界は分離する。ここからは選択の時間サ。」

「おれは…。」

「まァ、そうだよなァ。おまえは、世界から逃げたんだ。」

その言葉は重かった。だからといって、これ以上逃げることは許されない。

「お前が望んだ世界は滅ぶ。その上で、お前は何を望んで、どこへ行く?

このまま俺らと消えるのか。おまえの言うところの、クソみたいな日常に戻るのか。」


気のせいかもしれない。でも、ここにならいるかもしれない。遠く、遠くに、小さく、小さく、蜩の鳴く声が聞こえた。本当に、悲しい響きだった。


鐘が鳴った。時計を見ると、すでに下校時間だった。教室は陰り、薄い窓ガラスから濃い夕陽が落ちてきている。

「誰も起こしはしないんだな。」

誰に言ったわけではない。自分にも向けた言葉でもない。どうでもいい、無駄な言葉をこぼす。空虚は渦を巻いて絡まり、埃になって部屋の隅に集まる。おれはそれをゴミ箱へ投げ入れるのだ。

悲しくない。寂しくもない。だけど、楽しいことはなにもない。これが日常という。明るすぎる朝と、うるさすぎる昼と、寒すぎる夜と、繰り返し繰り返し、何かを浪費してただ過ごす。何が無駄なのか、何に費やすのか、全く分からないまま。


ベランダの、横開きのドアを開ける。溝に砂が溜まって、ギギギ、と苦しそうな音がした。フワりと教室に舞い込んだ風が、おれを包む。机の上のプリントがバサバサと音を立てたのを、背中で聞いた。

「これが、この世界の終わりだ。」

まだ暖かい柵を握り、夕焼けを眺める。空に棚引く細い雲は、夕闇と黄金を湛え燦然としている。赤と黒のグラデーション。陽は赤熱し、今まさに、この世は焦げ落ちんとしている。

鮮やかで淡い、珊瑚色に溶ける世界。だが、明日もどこかで何かが消えて、それを知らないままおれは生きてゆくのだ。

吹奏楽の喧しいセッションが、校庭にいっぱいに鳴り響く。

おれはふと足元を向き、そこに一枚のカラスの羽根を見たのだった。


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