後編
そこは、スーパーから俺の家の反対方向に真っ直ぐ行ったところに
あった。
「ここ。私の店」
看板には『栄福亭』の文字が刻まれていた。
「まずは傷の手当からするから、座って待っててね」
女はそう言うと店の引き戸を開け、中に入っていく。
女を追って店に入ると、中はこじんまりとした机や椅子が並んでいた。
「そこ、座って」
女が椅子の一つを指さす。俺は素直にそこに座った。
「傷、手当てするね」
女は手際よく消毒液や包帯を俺の体に巻いていく。
おかげで特に痛みもなく治療は完了した。
「さてと...鯖だったわね。すぐ出来るから、待ってて」
そう言うと、そそくさとキッチンに隠れてしまう。
俺は何をするでもなく、ただ居心地の悪さを噛みしめながら
待っていた。
暫くして、鯖が運ばれてくる。
「お待たせ」
鯖が俺の前の机に置かれる。俺はすぐに箸を取り、身をくり抜く。
「へぇ、身、取るの上手いんだ」
女はそう言ったが、俺は構わず鯖の身を口に頬張る。
懐かしい味だった。昔、何処かの店で食べた味。そう、かつて俺が
最高の味だと絶賛した、あの味だった。
「......これ......」
「思い出した?」
彼女は俺の顔色を伺う。その顔はどこかにこやかだった。
彼女のにこやかな顔。俺は、見覚えがあった。
「........華衣.....ちゃん....?」
俺は中学校の頃の同級生を思い出した。
俺は親のDVと悪人顔で、学校でも有数の不良だった。
近づく者は喧嘩好きと、PTAと、変人だけ。
その変人の中にいたのが、華衣ちゃんだった。
「将太くん、いつも怪我してるね。大丈夫?」
彼女はいつも僕の身を心配をしてくれていた。
世間から切り離された、この僕を。
「華衣ちゃん...もう僕に、関わらない方がいいよ...」
そう言っても、華衣ちゃんは離れなかった。
孤立していた僕を放っておけなかったのだ。
僕と華衣ちゃんはよく土手の上で座って話し合っていた。
稀に警官が《不良が女子学生をカツアゲしている》ものと勘違いして
危うくお縄になりそうなこともあったが。
そんな彼女は中学最後の夏、引っ越した。俺は彼女に気持ちを伝えられない
まま、彼女と僕の中学生活は終わった。
「....この味は...」
「.......華衣ちゃんの.....定食屋....」
思い出した。
華衣ちゃんはご飯を与えられずに外に放り出された僕を
見つけ、自分の家、定食屋『栄福亭』に連れ帰ったのだ。
僕はそこで、初めて鯖を口にする。その時の味は、今の今まで
記憶の中で生き続けた。彼女の家が引っ越した後も。
「そうだ...華衣ちゃん....君は.....」
「私は高橋 朱里。高橋 華衣の娘だよ」
彼女は言った。その顔は、華衣ちゃん、そのものだった。
「私の母さんはね...あなたの事、ずっと気にかけてたよ。
母さんがこの町から引っ越した日、あなたと約束したんだって。
『またここで会おう』って」
そうだ...約束したんだった....またあの土手の上で会おうって。
「そうか....君は.....」
「私はね、父さんに逃げられたの。元々お爺ちゃんの紹介で結婚
してたみたいだけど、反りが合わなくてね。母さんはそんな時、
『将太くん』の写真をよく見てた。だから私も、あなたをよく知ってる」
「それでね...父さんが逃げた日、母さん言ったの。『将太くん』に
会いたいって。それで、私達はこの町に引っ越してきた。あなたに
会うために」
俺は、もう抑えられなかった。目元が熱くなっていく。
「私、あなたを見つけるなんて無理だと思ってた。だって、30年も
前の話だよ?顔も変わってるし、引っ越してるかもしれない。それでも
母さんはここに引っ越した。『将太くん』が待ってるって。
そして、私はあなたを見つけた。これは、運命だったんだよ。
君の目の下の傷、母さんの写真で見た傷。
もう『将太くん』ってすぐに分かったよ」
僕は、彼女に縋り付き、泣いた。
自分の不幸、不運、その全てを呪いながら。
そして、そんな自分でも心配してくれる人がいた感動を噛みしめながら。
「なぁ、華衣ちゃん....俺、来たよ」
俺は、かつて土手だった所の上にいる。
華衣ちゃんは黙ったままだ。
「正直に言うとさ...俺、ここに来る約束、忘れちまってた。俺、馬鹿だよなぁ。
ホンット...自分で言い出した約束なのにな...」
俺は華衣ちゃんの頭を撫でる。
「それでさ...まぁ、何というか....遅くなってごめんな?
...俺も、思い出してからは出来るだけ早く来れるようにしたんだけどな...」
俺は静かに泣いていた。
「俺な....就職決まったんだよ....お前の娘んとこの定食屋。いいだろ?
お前そっくりの女だぜ?」
少し皮肉を言う。それでも華衣ちゃんは静かに、そこに佇んでいる。
「じゃあ、俺は仕事あるから。あいつ、野菜早く切れって五月蠅いしさ...
また来るから、そん時はお前の娘と一緒に来るよ...じゃあな...」
俺はそう言うと、土手跡地に出来た墓地を出て、定食屋の帰路に着く。




