選ばれし勇者(バカ)と巻き込まれた勇者(バカ)7
広い部屋の一面を灼き尽くすほど赤い景色に覆われた炎上する戦場。燃え上がる火炎を切り裂くように魔力を放出させた黒い羽根を広げ、滑空して黒い天使は炎上する戦場を縦横無尽に飛び回っていた。そして、飛んだ先では金属と金属のぶつけ合い、火花を飛び散らす。基本戦法は力押し。連撃してから素早く後方へと下がる、ヒット&ウェイに近い形の戦法だった。
一度、動くのを停止して周囲を囲む炎を払うように体を一度翻し、彼女は標的を目に入ると一直線に突撃する。その直線上にいるのは顔まで隠された神聖を帯びた全甲冑装備となった聖騎士。
聖騎士は向かってくる黒い天使に対して体制を低くして構え、タイミングを合わせて流麗の動きで剣を、ズゥン! と炎を吹き飛ばすほどの重い一撃を放つ。
直撃すれば首が飛んだのは明らかのもの、だがそれはギリギリで距離に迫った瞬間、直前で聖騎士の頭を飛び込えるように地を蹴りだして剣の水平軌道を回避に成功。上を取った天使はそのまま頭の頂点から串刺しにしようと聖騎士に右手と一体化したランス状の剣で刺す。
が、聖騎士は重心を後ろへと移動させて後方へと下がり攻撃を躱す。外した剣はそのままガリッ! と地面を小さく砕かれる音が響く。足を地面に着くと、そこに狙いをつけた火球が五、六発飛んでくる。
だが、黒い天使はそちらには顔すら向けずに、正面にいる聖騎士が斬りこんでくるのを冷静に見詰めながら右手と一体化となったランス状の剣で対抗する。メラメラと囲む炎とは違う火花が飛び散らせる。剣戟をぶつかりあう刹那、黒い天使は左手をかざし腕に纏うように飾られた幾つものの黒天の輪、それが火球と同数が腕から離れて、向かってくる火球を全て撃ち落とす。
撃ち落とした黒天の輪はまるでブーメランのように黒い天使に戻っていくと、聖騎士を押し出すように弾き飛ばして、左手を頭上に伸ばすと乱暴にキャッチするように振って、その間に黒天の輪が左手に戻っていく。そして、また聖騎士へと斬りかかろうとすると全身を覆う影が差して、視線を上げる。
「ガウゥゥゥゥゥウーーーー!!!!」
奈落にすまう獣のような雄叫び。
黒天使の頭上にはすべてを飲み込む大波と思えるほどの巨大な炎の壁、いや炎の大波が黒天使を押し潰さんばかりに襲い掛かる。バシャーン!!! と塵も残さないほどの『焼き溶かす』の表現がふさわしい圧倒的な熱量がかぶせるように降り下り、回避に遅れた黒天使を飲み込んでくる。
炎の余波が飛び、熱風が荒れ、部屋をさらに炎上を加速させる。炎の波を浴びればまず無事ではすまないのは明白。火炎の中に呑みこまれて黒天使の焼け焦げた焼死体の一つが出来上がっていただろう。が、炎の波が落ちたところに不自然な山なりが起き上がり、ドバッと大きな火花が四方八方に散り散りに飛び交う。
そこへ現れたのはあの炎の中に襲われながらも体どころか纏う鎧にすら焼けた痕跡のない、漆黒の天使。黒い魔力によって放出した四枚羽は大きく広げあげ、見るもの全て、無機物を見るような冷徹な瞳で燃え広がる地を見詰める黒い天使のキルレアル=ホームレス・ロード。キルレアルは動く影を見つけると、そこに疾風を起こすように速く翔る。
蝶のように華麗に羽根を羽ばたかせて舞い動き、蜂のように容赦ない一撃を以て穿いて裂く。その闘う姿はまさに堕天した天使のように冷徹で、慈悲のない強さと美しさを以て、この炎上する戦場を駆け巡る。
つい数分までの涙を流し、弱音を吐き、自分の心の醜さに嫌悪を抱いていた同一人物とは思えないほどに。冷淡な表情に、何も宿してない瞳で少女は戦い続けていた。
騎士の鎧ごと穿こうと剣を突き立てる。炎狼を叩き潰そうと左手の黒き光の輪を操作して叩き潰す。黒き羽根を羽ばかさせて俊敏に相手より先回りして、一撃でも多く入れようと猛攻する。
ただ、相手を殺すために存在する兵器であるかのように少女は戦う。
だが、敵も負けていない。
白き聖騎士は黒き天使よりわずかに速さは劣るが、自身が磨き上げてきた剣の腕前と実践での経験を駆使して、彼女の動きを先読みしたように攻撃を防ぎ、また後手あろうと上手く切り返して最小のダメージと反撃を与える。
炎狼も元の人の姿よりも、炎という魔の力を得たことで人であったときに足りなかった火力が生まれる。そして致命的な一撃の際には体全身を火炎へと変えて攻撃を無効にする、という攻防において無敵に等しい力を手に入れていた。ゆえに、少女が何度突き刺そうと実際に受けて負った傷はその数の半分と満たない。せいぜい擦り傷程度のもの。
届かない。少女一人の力では二人には届かない。
黒い天使の少女こと、キルレアルは現在使っている魔法、己の意志の弱さに恥じたことによって、表れた脆弱なしがらみを無理矢理引き剥がそうとして、感情を爆発によって無理矢理発動させたのは、身体能力や魔力とありとあらゆるものが飛躍的に底上げさせ、体を変質させる魔法。人から魔物に近いものに変えるもの。
“魔人化”といわれる古の魔法。
“魔人化”した少女は格段に強くなったが、それでもキルレアルはその能力はまだ完全に取得してきれていない。
現状は充分に機能しているようにみえるが、実際は魔力の暴走状態でしかない。彼女の実力が未熟であるためだということと、発動の際、心を閉ざして自暴自棄に近い状態で発動させたために暴走している。
それでも相手を見て理性的に戦っていられるのは、自身を攻撃してきた相手を排除するための生物的な防衛機能として働きが利いているためである。もし、最初攻撃したのがホレンやディーネリスでなかったなら、キルレアルが攻撃していた対象は最初に目を合わせていた千寿と我一の二人だった可能性が高い。
現在は大きな魔力に感情を閉ざした状態でいる彼女は理性があるようで全くない。合理性はあっても知的はない。戦う兵器であっても戦う者ではない。己から逃げたくて、力に縋りついて暴れる。
それが現状の彼女だ。
それに対する彼女たちが使っている力もまた魔人化と同じものだった。
だが、彼女たちの場合はキルレアルが使用しているものとはまた異なるものだ。それはキルレアルの力に目をつけた、最悪人類の救世主こと岡之原亮介が手を加えたことで、別の切り口によって改良に改良を重ね続けて完成されたもの。魔人化と基盤は同じでありながら別の代物である。
制限を加えたために彼女たちが扱う魔人化よりも質力や効力的な面でみれば、キルレアルの魔人化がまだ上。けれど、キルレアルは制御不能。
だが、それは彼女たちも同じで、力として完成に近いそれを扱うための訓練する機会が少なかったため使用者たる、女騎士ホレンと女盗賊ディーネリスたちは扱い仕切ってない面もまた存在する。
一対一の局面ならばまだ暴走状態とはいえ、戦いの行方はキルレアルの方に勝算の可能性が高かった。それでも高かっただけだ。
現状は二対一である以上、かなり難しいものがある。
「ガゥウウウウゥゥゥゥーーーー!!!」
騎士と鍔迫り合いを繰り広げている時、不意をつくように炎狼が襲いかかってくる。その数は三匹。
周囲を囲んだ火炎にて作られた炎狼の分身体が上、右、左から攻めてくる。
騎士の剣を押し出して、一瞬の隙きをみせた騎士の胴体を壁のように蹴り出して一回転し、羽根からの魔力を噴射し騎士を吹き飛ばす。そのまま上からの炎狼に蹴りを繰り出して、右からの炎狼はランス状の剣で頭を穿いて、左からは黒天の輪を使い消し飛ばすが、そのどれも炎で出来た分身。一撃をもらうと炎に戻っていく。
分身だと理解すると、警戒して瞬時に目だけで見渡して敵の位置を探ろうとするが姿は一向に見えない。
だが、地面に着地すると同時に散っていった炎が、三重のラインとなって、キルレアルの周囲を取り囲んで炎の籠、煉獄の檻が出来上がる。捕らえられた。
煉獄の檻から逃れようと黒天の輪を使い、強引に突き破ろうとする。
「オゥウウウウゥゥゥゥーーー!!!」
瞬間、炎狼が黒い羽根を灼熱の牙を以て片側を引き千切った。
「―――!!?」
感情を閉ざしたはずの無表情になったキルレアルが始めて、その顔を歪ませて地面に膝つく。
黒き羽根は一種の心臓“魔人化”に置いての一種の心臓部分。羽根を全て引き散られたら収束していた魔力が無くなり魔人化が解かれる。それは魔人化について研究した際に見つけた弱点であり、元仲間であった二人は知っていた。
まずは一つ、と言わんばかりに口元を釣り上げて嘲笑いながら、咥えた黒い羽根を灼く。
その様子を見て、歯を噛み締めたキルレアルは煉獄の檻を突き破って炎狼に突っ込んでいく。けれど先ほどの速さよりも劣ったもの、やはり羽根を失ったことが大きく、本調子ではない。
構わずに剣を突き立てる。しかし、炎狼は再び陽炎のようにゆらゆらと炎へと姿を変えていく。当然ながらキルレアルの突き攻撃はかすりもせずに炎狼は炎の中へと消え去っていく。
「!?」
背後から気配がした。そこには聖騎士のホレンが剣を構えてもう片翼の羽根をもぎ取ろうとした、一撃を振るう。それにギリギリ反応ができて、右手のランス状の剣で一撃を防ぐことに成功した。カキィーン!と甲高い音が響く。
強化された肉体も弱体化して著しく下がった筋力は剣の重さに負けて潰されそうになる。
ランス状の剣を斜めに傾け、横に流して一回転してからの顔をめがけてハイキックを繰り出す。ゴキン! と金属音が鳴る。
しかし、騎士は肩とヘルムを器用に扱って挟んでその一撃を受け止められた。足を押そうも引き抜こうも、ガッチリと掴まれているせいでピクリともしない。
キルレアルは剣で頭を貫こうと狙い定める。が、その前にホレンの拳が横腹に貰い、そのまま飛んでいく。
飛ばされたキルレアルは横腹の痛みに堪えながら片側しかない羽根を使い、空中で体を反転させては衝撃を殺し、体制を立て直そうとする。
が、獣は逃さない。弱った獲物の時こそは獣は絶対に逃さない。その獰猛さの真価が発揮させる。
狙ったようなタイミングで周辺の炎から飛び出て、鋭利で熱を秘めた火焔の爪で羽根を裂こうとする。
キルレアルからは完全な死角であり、反応するのも必ず遅れが存在する。避けるにしろ防ぐにしろ間に合わず、それができるとするならば予め、未来を予知していなければ避けられない、確実な一撃だった。
キルレアルは忍び寄る獣に対してほんのタッチ差、必然によって出来上がったタッチの差によって、迫る獣の影に気づくのが遅れる。炎狼は火焔の爪が切り出してくる。
そして、火焔の爪が羽根を切り裂こうと爪が羽根に触れた瞬間。
黒い羽根の中から黒天の輪が出現し、爪の一撃を防いだのだ。黒天の輪をさり気なく隠していたことに逆に驚きの顔をみせる炎狼。その隙きにキルレアルは呪文唱える。
「“ドラッグ ジューン ケープティ ルゥー”」
黒天の輪は鎖へ形を変化して炎狼の全身を絡め捉える。けれど、これも黒天の輪でできた鎖と剣から先ほどやってみせたように体を炎に変えて逃れようとする。そして、もう一度チャンスを窺って羽根を千切落とす。次は黒天の輪ごと灼き尽くす火力を以て灼き切る。
そう方針を決めた炎狼は鎖で捉え上げられた現状から逃れるために肉体を炎へと切り替えようとする。
「!?」
しかし、炎狼の肉体は炎化しなかった。何度も炎化させようと試みるが、毛並みを纏う四つん這いの獣の肉体で黒鎖に縛られたまま、一向に変化は訪れない。炎狼ことディーネリスはどういうことだと混乱に陥るが、解はすぐに頭に過る。
(反魔法!?)
そう。キルレアルが放った鎖は先ほど放った鎖と違い、鎖で縛り上げて捉えては魔法も封じる鎖。炎へと姿を変えられるディーネリスの能力にも鎖の効果は有効だった。
完全なアンチでなく、封じのための魔法。ディーネリスの炎狼化を瞬間的に解くまでいかない。だがそれも時間が経過すれば炎狼化を解いて、人の姿まで戻すことも可能。
だからといって、キルレアルは待つことはしない。無防備の状態でいる炎狼に向かって剣を容赦なく刺すとする。炎狼は鎖を牙で焼き千切ろうとするが間に合わない。
「アウゥウウウウウゥゥゥゥゥーーーー!!!」
肩から背中辺りの部分に突き刺されて、赤い血は吹き出して泣き叫ぶように咆哮する炎狼。
「キルレアル!!」
その声を聞きつけたと言わんばかりに怒声を放ちながら聖騎士が炎の中から飛び出す。そのままキルレアルの背後へと回り込んで黒い羽根を斬り裂いた。
今度は黒天の輪は隠されていない。羽根は斬り裂かれて魔力が弱まっていく感覚を朧気になりながらも実感していくキルレアルは、突き刺した炎狼を力の限りに投げ飛ばす。
投げ飛ばされた後、炎狼は力が弱まり始めた鎖の具合を確認すると力の限り鎖から抜け出そうと足掻いた。
(抜け出したら真っ先にあの小娘、頭から喰い殺す!!)
あの弱虫が、泣き虫が、一人では何もできない他人に縋って生きているアイツが、私に傷を、致命傷を負わせた。あの、ただの幸せものが! 不幸面している甘ったれが!
ディーネリスの中で黒い感情が蠢いた。自身に傷を負わせたことがディーネリスの中で酷く許せないことだった。自身の主人たる岡之原亮介から無傷で連れてこいと、言われたことも忘却の彼方へと飛んでしまうほどに。
そして、仲間同士であったときの貧民生まれの捨て子であるディーネリスと禁忌を犯して王族側近から一気に堕ちた一族のキルレアルの、彼女たちの二人の間にできた友情の記憶すら私怨の炎で灼き尽くすほどに、彼女は怒りを覚えた。
まだ絡みつく鎖を乱暴に引き裂こうと暴れて、炎の火力を上げて焼こうと、牙で噛み切ろうと、ありとあらゆる方法で足掻く。けど、引き千切ることができずに怒りを帯びた赤い眼で睨みつけるようにキルレアルとホレンの二人を見やる。
ホレンはとどめの一撃を繰り出そうと上段に構えを取っていた。対面するキルレアル羽根が全て引き裂かれて、魔力も殆ど残っていないためか、本当に意識があるのかどうかわからないほどにその瞳には光は映し出されておらず、目が深く沈みかけて今にも眠りに堕ちようとしていた。
剣が振り落とされる直前。彼女は最後に力を振り絞る。
左手を前へ、聖騎士へと伸ばす。消えかかった黒天の輪は残り三つを伸ばした掌の前へと滑るように現れる。
「“ドラッグ アジュール ゼノル ゴフレット”」
その言葉に反応して、最後の力を振り絞るように黒天の輪はから三つが一つに重なり合い、そこから溢れるドス黒い魔力波が聖騎士めがけて放たれる。
何もかも消し飛ばそうとする黒き光の奔流。それに対して聖騎士は黒き光の光線を切り裂こうと上段から大剣を振り下ろす。
ホレンの握る剣は魔人化の力によって業物から聖剣の領域にまで至る。大抵の魔力波ならばその力を以て切り裂くことすら可能の剣。
だが、相手もまた魔人化による魔法。
魔法と剣がぶつかり合う。両者とも一歩として引かぬ、全てを注ぎ込まれた火力と聖剣クラスの絶対の一振りがぶつかり合う。目が離れない。
だからだろう、直前までその様子を眺めつつ、鎖を裂こうとしてディーネリスに巨大な魔力の塊が接近しているのに気づかなかったのは。
視界に入り、それに気付いた時にはもう既にそれは目の前に。
ヤバい、と頭に過ると噛みついていた鎖を一気に炎狼を縛り付けていた鎖が解ける。急いでその巨大な魔力の塊を避けようとするが、遅れてディーネリスはあえなくそれに直撃した。
そして、城を崩壊せんばかりの黒い衝撃が巻き起こった。
× × ×
『お前のことはこれからキルレアル様と敬い、隷属として徹する。だが、勘違いするな、これはお前との関係に対する最低限のケジメだ。馴れ合わないための。他人として一線を越えないための必要処置。オカノハラを打倒後までの契約だ。終わり次第、約束通りお前を殺す』
『キルレアル様。今回の志願者で現メンバーは四十名を超えました。オカノハラの敵対意識は以上に強いものも、我々以外にもこの世界にはやはり存在しま、失礼しました。私事が多かったです』
『オカノハラは何やらヨクマークで動きがあったそうです。奴は、次は一体何をやらかすのやら。キルレアル様は何かご存知では? そうですか……わかりました。最善の注意を払いつつ、密偵には調査を、え? それはやめろとは一体どういうこと? あなたもしかしてまだオカノハラに情が…! 危険? 密偵がですか? オカノハラの危機察知能力は異常ですと?』
『勇者の聖剣についての情報はまだ調査班から上がってきてはおりません。勇者が召喚される残り二か月ほど。あまり時間がありません。こちらは尽力させるよう言っておきます。そう、暗い顔しないでください。あなたはどんなことがあってもこの世界を救うことの最善の尽力を尽くしています。そのことを私は知っています』
『お茶にしましょう。甘いものでも食べて、気分を落ち着かせましょう』
『もう本日はお休みになられたら……眠れないのですか。悪夢が……そう。……お時間がありますのなら、少しだけ私の話を聞いていただけますか?』
『いよいよ、明日ですね。大丈夫です、何があって目的を果たすまでは、私はあなたの味方です』
思えば随分とアイツと一緒にいたものだ。
「………全く、本当に仕方がねえ奴だ」
―――もう少しだけ待ってろ。俺もすぐにそこへといくよ……。
× × ×
「……生きてる」
目覚めてから体を起こして、自身の安否を確認できるとため息を吐くようにしてそう呟いた。
雨崎君に言われたとおりに魔法名を唱えて、ホームレスちゃんがやったような魔法ができると思ったんだけど、世の中が上手くいかないことを僕の人生の大半を犠牲して理解していたつもりだったけど、切羽詰まっていたせいでそこまでの考えが及ばず。結果的にただの魔力の塊が出るだけで終わった。
ただ、何も無駄で終わったわけではない。放たれた魔力の塊は軌道上にどういう訳か炎狼が存在しており、これが直撃した。
偶然の産物で、ただのまぐれ当たりしかないけど、それでも直撃したことに変わりない。やはりパワポケは偉大だ。どんな屈強な場面でも時間選択肢を間違えなければちゃんと打破できる。そして、僕に人生について説いてくれる。そのことを改めて認識させてもらった。
パワポケの加護をこれからも信じようと決意しつつも、適当に放ったはずの魔力の塊の軌道上に何故炎狼が現れたのか答えは何となく。ホームレスちゃんだ。炎狼の体には直前まで黒い鎖で縛られては動きを封じられていた。それを狙ったのか、それとも偶然なのかは分からないがホームレスちゃんが炎狼を動かして奇跡に僕がでたらめに放った魔力の塊に直撃することになったんだろう。
そんなことをパッと思い付きながら確認のため視線を移すも、視線の先にあった光景は、騎士に追い込まれていた両羽根を切り取られたホームレスちゃんが決死の一撃と思われる一撃を放ち、とてつもない衝撃の余波が襲ってきて、避ける暇も叫ぶ暇もなく、景色はブラックアウト。
あの衝撃のせいか、部屋中を囲んで撒き散らしていた炎もその余波によって殆どの炎が消え去り、城の内部事情が物理的に半壊たる現状になっていた。
そして、これがパワポケなら体力と寿命パラメータは確実に大幅に減って、筋力などのパラメータの上昇と特殊能力「ピンチ○」や「チャンス○」あたりがついていただろう。
顔を上げて天井を見る。天井から埃が流砂の下砂のように流れ落ちてきて、今にでも崩れ落ちそうな……というか崩れ始めている。
早く逃げなくては、とまず目に入った近くに岩と岩に挟まれている木刀が見つける。見る人によって伝説の剣並に神々しく、長年の間引き抜かれる勇者を待つようにみえたりもするだろうけど、残念ながら僕にはただそこに運悪く挟まった修学旅行の際に買ったと思われる木刀にしか見えない。それに手を伸ばして、引っこ抜く。
あれ、気のせいか? 重さが無くなっているような。
「…………」
木刀はポッキリと無残な姿をしていた。……どうしよう、これ。
あ、そっか。握っている間は魔力で強化されていたから、剣と無事に渡り合えたけど、手元から離れると魔力供給が切れて強化は消えるわけで、それで壊れることになると……。
いやいやいやいや! 我が物顔で思いきっし振り回していたけど、これって僕のじゃあないんだよ。ヤバッ、どうしようこれ、幾らくらいだ? 結構色艶からして良い品のようにみえるし、実際問題中二病拗らせた人が当然のように木刀買うときって、二、三千円ものよりも破格な万札くらいの買っちゃうからな。
分割か一括払いの弁償で悩むけど、今はそれ考えている状況ではない。ひとまず、木刀はまだ消えきれてなかった炎の中に焚き火に追加する枝の要領で投げ捨てる。
ボキボキ、と火が焚かれる少しだけ心地よい音を耳にしながら同時にゴゴゴゴ、と城が崩壊し始めている音も聞こえてくる。
改めて早くこの場を離れないと思いを強まり、僕は声を上げる。
「雨崎君どこだい。おーい、ロリコン! 最近清楚系天使よりも悪戯して挑発してくる小悪魔系に嵌り始めたロリコン!! どこだ!」
「変なことを堂々と声にするな!」
ゴツン! と後ろから後頭部を殴られる。痛む頭をさすりながら振り返ると、そこには顔も体も黒く薄汚れた姿の雨崎君が立っていた。
「ったく、お前には危機感はないのか」
顔を右手で拭う仕草をしながら呆れた調子で言ってくる。薄汚れているけど、特に目立った外傷などはなさそうなので、とりあえず大丈夫そうだ。この子もなかなかしぶとい。
「そんなことよりも今のうちに逃げよう。さっきの衝撃で城も崩れてきているし、早く逃げないと、ぺしゃんこになるよ」
「ああ、……いやちょっと待て! あそこにキルが!」
彼の特有のロリコンレーダーでも反応したのか、彼の指を向ける先には一人倒れているホームレスちゃんの姿があった。だが、気絶しているのか、彼女は全く動く気配がない。
その様子に不穏に感じた僕らは見つけるや否やそこへ急いで駆けていく。
瓦礫でできた壁を避けて、まだ灯火残った炎からは距離を取り、割れた地面を飛び越えていく。過去これまでないほどの生命のピンチを脅かす障害物レースがあっただろうか。
僕の住んでいるところではつい最近、といっても一年近く前だが、震災があったけど僕の地域自体はそこまでの被害にはあわなかった。だが、震源地で町の建物や道路にヒビが入って、家が半壊した状態。電信柱やカーブミラーも倒れて道を塞ぎ、土砂で何もかも津波のように呑み込んで埋め尽くす自体に陥ったそうだ。
もしかすると僕のいた場所によってはこれと同じか、それ以上の障害物レースをしていたかもしれない。あっちには電信柱とかあって倒れたら地面に電気流れたり、海に面していると津波被害があったりと、場合によっちゃあ過酷な二次被害が待ち受けている。そう思うと、この城の崩壊は地震に比べればそんなに深刻な問題じゃあないような気がするとも言える。いや、言えないか。
「おわっ!?」
崩壊が本格的に始まったのか、天井に飾られていたシャンデリアごと天井が崩れ落ちてくる。ガシャン! とガラスが割れて飛び散ってくる。落下石を避ける為に咄嗟に後ろに下がり、膝をついて体制を低くした状態。飛び散るガラス対策として両手を前にガードの構えを取って顔を守る。
「夜名津!」
「こっちは大丈夫! いいからホームレスちゃんのところに行って!」
間に壁が出来上がるように瓦礫が崩れたせいで雨崎君と二手に別れるようになってしまった。雨崎君は心配そうに声を掛けてくるので自分は平気だと返答すると、「気をつけろ!」と一言告げてから彼は先にホームレスちゃんの元へ急ぐ。
少なくともリアル生命のピンチと、地震とその二次被害の総合性での危険性については、この状況で比べている余裕はない。今は三人で無事に逃げることだけに集中しよう。
そう考えを改めてから二人に合流しようとルートを確認する為に周囲を見渡していると、待て! と呼び止められる。
声のした方へと顔を向けると、そこにはヘルムを取れて短い銀髪、鋭い目つき。変身前の状態に戻った、けれど鎧はボロボロでまるで虫食いの被害にでもあったのではないか思えるほどもの。左の籠手は完全に無くなっており、そこから肌を露出させた腕からは流れる血。満身創痍の状態の女騎士が立っていた。
「逃さんぞ、勇者!」
息は絶え絶えといった調子でそう彼女は言ってくる。
あの一撃を受けてもまだ生きているのか。彼女の生命力の強さに驚愕しつつも、現状でも彼女が立ち向かってくることに、ヤバイと額に汗を流す。避けることはできないと観念して僕は彼女の方へと向かい合うように振り返る。
「……それは助けを求めているんですか?」
「ふざけるな!」
我ながらあり得なさそうでありながら、それでももしかするとの希望的な願いで思いついた考えを提示するけど、案の定激怒した様子で女騎士は僕の戯言を切って捨ててくる。
やっぱりか、と自分の願いが叶わなかったことにショック受けつつも、それを顔に出さず(出せずに)僕は冷静なトーンで話を続ける。
「なら早く要件をすませてくれませんか? 城も崩れそうだから早く逃げたいんですけど。……あなた達も逃げるなら急いだほうがいいですよ」
「随分と余裕の様子だな。私がこの状態だから余力がないとでも思っているのか?」
「いえ、全然全く」
殆ど話を隙きの差などないほどにスピードで返す。って、あ、しまった。つい面倒くさい時にしてしまう、対応で返してしまった。こんな時まで僕どれだけ愚かな選択肢を迷いなく選択するんだ。
自分自身の馬鹿さ加減に心底呆れながらも、慌てて言葉を紡いで続ける。
「……ただ、今はそんな場合ではないと思っているだけです。命が大事だからこそ今の状況で避難を最優先しているんです。あなた達だって同じですよね?」
僕の言葉を聞き、騎士は目を瞑って何かを考えるような顔になるがすぐさま、違うな、と口を開く。
「私の目的はあくまでもお前たちを殺すことだ、勇者よ。リョウスケ殿のため、リョウスケ殿に危険を晒し、命を奪う。危険性を秘めた貴様たちを刺し違えてでも殺す。……私はあの人の為に命を捧げると決めたんだ」
「……その亮介って人も君の死までは望んでないと思うよ」
「だろうな。あの人は優しいからな」
「…………」
普通の人の神経でも死まで望んでないと思います、と突っ込むべきかシリアスな展開のために迷う。
でも、多分この人ってなんたら亮介君とやらのヒロイン候補みたいなもんだから変に刺激したくなんいんだよな。主人公を神格されているヒロインは主人公に対する攻撃と、敵に対するときの攻撃の容赦のなさじゃあ全然変わってくるからな。あの女盗賊の人もだいぶ崇拝している感はあるし、この人もだいぶ危ういというか、普通に危ない感じがある。
変に指摘して余計な怒りを買われるのは得策じゃないだろう、僕は黙ることにした。
「だからこれはただの私のエゴだ。私は剣、主人のため貴様たちを排除すると決めたんだ」
「……そうですか。……だからといって、はいそうですかと言って首を差し出すほど僕たちも命いらずじゃないんだ」
「だろうな」
睨み合う僕ら。当たり前のように会話は平行線。彼女自身も自分の理不尽さは承知の上で、それでもなお言葉を一切曲げようしない決意。僕らに何か恨みがあるのではなく、むしろこれから起こり得る未来の話を以て、先に処理しようとしているのだ。
先に面倒ごとに対して芽を摘む姿勢は大いに結構なことだろう。摘まれる身としては溜まったもんじゃあないけど。
ドン、とまた城のどこが崩れ落ちたような音がする。城全体の崩壊の響きも徐々に大きくなっていくのを耳にしながら、これはもう本格的にヤバイな、と頭の片隅に過る。
一度だけ深く深呼吸をして、彼女に思いを告げる。
「最後のお願いだ、見逃してくれ。僕は君のボスに手を出さない!」
「駄目だ、信用ならん。何度も言っただろう? 恨むならばツイってなかった貴様の運命を恨め!!」
その会話を合図に剣を構えて襲い掛かってくる女騎士。
数メートルあった距離は一気に詰められて僕の首を狩りとる、一閃が奔る。それをギリギリで回避。
その一閃から隙間から垣間見た彼女の本気の目。何が何でも信念を貫こうとする強いもの秘めた目のように見えた。手負いの獅子ほど手強いものはないと聞く。そして、彼女の気迫はまさにそれを感じさせる。
ドクン、と心臓が大きく高鳴った。
呑まれる。
さらに彼女の連撃は続く。
木刀はさっき捨てたので僕の手元には何もなく。ただひたすらに嵐のように振るわれる攻撃を躱しまくる。
ズゥン、ズゥン! 鋼鉄を振り回す音は一撃を、喰らえば終わってしまうことを頭に連想されほど鋭く重いもの。満身創痍でありながらも変身する前、僕とやりあっていた時と変わらないほどのキレで攻めてくる。
マズい、呑まれる。
このままだと彼女に呑まれてしまう。気迫に勢いに圧されて、呑み込まれて、命を落としてしまう。
何事も流れや勢いというものが存在する。例えば、ギャンブルにおいて馬鹿勝ちや、スポーツにおいての連勝、小説の執筆ペース……それに乗っていることで何かもが上手くいっている感じ。実際にそうなるあれだ。僕の彼女の互角に戦っていたときも小さいがその気配が予感はあった。だから上手く戦いについていけたとも思える。
けど、今は逆。流れは完全にあちら側にあるような気がする。
自分の命を投げ打つ、決死の覚悟で攻めてくる彼女。それに対して城の崩壊に不安と焦り、手元にも武器がなく、戦うためにも自身を守るものもなく、命を狩られる恐怖心、一瞬で全てが終わってしまうかもしれない絶望感、そのせいで心に余裕がない。
回避する体力の消費も心なしか前の時よりも激しい。
少なくともこのまま続ければ彼女に勢いに圧せられて負ける。呑み込まれて死ぬ。
そして、脳裏に焼き照らすように浮かび上がるのは、あの日の光景。
ギィ、と歯を噛み締める。
やってやるよ。
僕は覚悟を決め、ギュッと拳を強く握りしめる。
「テェイイイイィィィィーーーー!!!」
雄叫びを上げ、ギューンと片手から放たれる突きの一撃を繰り出してくる女騎士。薄く頬を切られながらも何とか躱し、距離を取って逃げる僕。彼女は追ってくる。
呑まれるな呑まれるな呑まれるな落ち着け落ち着け落ち着け、落ち着くんだ!
体力にしろ魔力にしろ、ホームレスちゃんとの激戦を繰り広げたあちら側のほうが消費は大きいはずなんだ。いわば瀕死の相手なんだ。一発当ててればKOできる相手なんだ。なら、チャンスはある。
けど、今のままじゃあ何もできない。武器だ、武器がほしい!
必死な思いで周囲を見回すけど、どこもかしこも瓦礫ばかりでとても武器になりそうなものはない。いっそのことあれを投げて使うという案も出てくるが、斬られて終わりだと思う。
ん? 待てよ。木刀の時は鉄と木でやりあっても折れなかったし壊れなかったならあの岩もなんとかなるんじゃあ……いや違う。あれはあくまでも魔力を纏わせて強化を経っていたからできた行為だ。木ができるなら岩も同じのはず、いや同じだ。そして手元から離れたら強化性が失うから使い方はこれだ!
僕は手頃な大きさの瓦礫、だいたい体幹トレーニングとかダイエットグッズのバランスボールほどの瓦礫を持ち上げる。
重っ!? 全身を強化させたはずなのに瓦礫の重さは予想以上に来るものがある。だけど、僕は歯を食いしばり、火事場の馬鹿力を無理矢理発揮させて重さを全力で無視し、踏ん張りを利かせた足を力強く地面を蹴り出して、
「ん、んーーーんん!!!」
接近する女騎士に岩を盾であり鈍器として、全力でぶつけにいく。純粋な岩の殴打。今時なかなかない原始的な攻撃。魔法ありしの異世界ファンタジーバトルにおいて華やかさは足りないけど、僕としては十分アリの攻撃。
迫りくる岩に対して眉をよせて顔をしかめた女騎士だが、大剣を抱え上げて岩を斬り裂こうと振り下ろす。
ガッ、と剣と岩がぶつかりあう鈍いおと―――キィーンと岩は真っ二つに割れた。
(きいてない!?)
攻撃が効かないし、岩が剣で斬られるなんてそんな話聞いてない。そんな二重の意味で女騎士にはきかない。僕の予想を大きく裏切られたショックでそんなくだらない洒落を咄嗟に思いついた。
どうしてだ? 強化しきれてなかった? 岩が大きすぎたから? 予想以上に僕の魔力の消費が激しかったから?
失敗した原因として様々な推測が浮かび上がってくる。それと同時に斬られたことで持っていた岩のバランスが崩れ落ち手持ちが無くなったことの虚無感を覚える。
そんな放心状態の僕に対して、騎士は容赦なく振り下ろした剣を切り替えて、左下から右上斜めへと斬り返えす。
ハッとして我に返る僕はそれを見て、無理矢理体をそらして躱そうとするけど躱しきれずに左横腹が斬り裂かれて血飛沫が吹き出る。
横腹の、鉄が肉を斬り裂かれた痛みは同じカッターを使っている際にうっかりと指を切ってしまうとは比べならない痛み。片目になって斬られた箇所を抑える。一瞬で目に涙が込み上がってくる。
痛いと恐い、二つの感情が同時に生まれる。そして、それらは化学反応を起こしたかのように過剰なまでに掛け合っていき、僕を襲う。それはまるで全身を巨大な手で握りつぶされるような強いもの。凍りつくようにその場に膝をつく。
痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い、痛い!
背中の負傷した時は怪我の大きさと、先にメンタルがぶっ壊れたから痛みが幾ら走っても諦めや焦燥感……死の瀬戸際を実感したからこその最後の足掻きであれだけの動くことができたんだ。
剣はさらに来る。ギラギラと輝かせながら荒ぶる暴風のように迫ってくる。斬られた箇所を左手で抑えたまま、下半身と右手に力を入れ、地面を力の限りに押し出して後方へと下がり回避。
飛んだ先に細々と散らばったガラスの破片が床にあり、それが地面に手をついたときに刺さって反射的に振り払う。手のひらを広げて確認すると予想通りに皮が切れ真っ赤に染まっていた。
それを見ているとさらに涙が溢れてくる。痛みと恐怖、そして悔しさが込み上げてくる。それは不甲斐なさからくる悔しさで、自分に対する怒りの涙だ。
情けない! 何がやってやる、だ。何が瀕死の相手だ。何が、チャンスがある、だ。何が武器さえあればどうとでもできる、だ。ふざけるな!
相手を舐めるのを大概にしろ、思い上がるのもいい加減にしろ、大馬鹿野郎! 僕が簡単に成功して、上手くホイホイとのし上がっていけるほど僕の今まで人生は、簡単じゃなかっただろう!
思い上がって、付け上がって、調子乗って、軽んじて、甘く見積もって、成功しないで失敗する原因なのに!今までどれだけの苦汁を味わってきたのかいい加減に覚えろよ! 今日もそれで失敗してきたんだろう!
騙そうとした時も、一騎討ちした時も、二人に再開した時も、今この時だって!!
「うぎゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁーーーーー!!!!」
叫び声が聴こえた。今の声は雨崎君だ。
顔を上げて声をした方に目を向けるけど、瓦礫が邪魔してそこがどうなっているのか見えない。
なんだ、何が起こったんだ、今の悲鳴からしてただ事じゃない。
頭に過る嫌な予想を思い浮かべて、今まで感じていた別の恐怖で心を締め付けられる。大丈夫なのか、彼らは?
「あちらの勇者もどうやらディーネリスのやつが、仕留めているようだな。今の悲鳴からして無事ではないだろう。そして」
「!? ッガハ!!! ゴボっゴボっ!!?」
接近してきた女騎士に剣を胴体へと深々突き刺される。口から血を大量に吐き出す。心臓を貫かれたのか血が止まらない。この痛みから抜け出したいため必死に剣を引き抜こうと剣を掴む。今度は両手から血が出てくるけど、そんなもの知っちゃこっちゃない。
早く早く、これを抜かないと、じゃない
痛みが、痛覚が、神経が、意識が、ありとあらゆるものが壊れる。生としてあったものが破壊されていく。僕自身の自我が保ってない。
血と唾が混ざったものが口からダラダラたれながら、涙目で剣を抜くが、剣はピクリとともしない。それが歯痒い思いで、剣を殴る。殴って壊そうと野生の動物、原始人並の単純思考で殴って殴って殴る。
剣は壊れない。僕の指が表も裏も真っ赤な血まみれになるだけで全く意味がない。その上、力が入ってない。魔力の強化すらしていないただの殴打だ。そんなこと、今の僕には、わかっていない。ただ、痛みから逃げ出そうとするために拳を振るっている。
早く壊れろ、壊れろよ! 早く抜けろ、抜けろよ! と駄々をこねる子供のように稚拙で、あうあうと言葉にならない涙声で、弱々しく殴り続ける。
「お前たちの運命はここで尽きた」
女騎士はそう呟き、斬り上げるように一気に引き抜かれて鮮血が広がる。僕は地面に倒れた。