選ばれし勇者(バカ)と巻き込まれた勇者(バカ)6
「コールは……コールはどうしたんですか!」
「え? 殺したに決まってんじゃん」
何ともないといった調子であっさりと悪魔は告げる。その一言を耳にした瞬間、少女ちゃんの瞳に困惑の色が映し出される。
「嘘。……だってコールは……あの人は……」
女盗賊の話がとても信じられない。だが、真実味があるせいで混乱し、うわ言のように呟く。瞳は大きく見開いているが目の前の景色は上手く映っていないようにみえる。それほどまでに動揺の色をみせ、茫然とした表情になる。
その様子から彼女がどれほどのショックを受けているか理解できる。
女盗賊は、よっと、と掛け声とともに座っていた手すりから落ちて僕らと同じ階に降りてくる。僕と雨崎君は警戒心を強め、雨崎君は少女ちゃんを護るように彼女の前へと立つ。
そんな僕らの様子を一瞥してから、肩を竦めてやれやれといった調子で女盗賊は告げてくる。
「キルちゃんはさ、なにがやりたいわけ?」
「え?」
近くのちょうど椅子になりそうな瓦礫を見つけて、それに腰かけて壁に寄りかかり、楽な体勢をとって両手を頭の後ろに回した彼女は続けて言ってくる。
「いやさー、一族の罪とか無知な自分の業とかで、リョウスケから離れて、組織作ったり、勇者たちを仲間に引き入れようとしたり、そういうのってやるのはべーつーにー、アタシ的にどーでもいいんだけどさ。あ、リョースケを裏切ったことは怒っているし敵対するのはチョームカついているんだけどそこは、か、勘違いしないでよね」
……なぜ最後だけ明らかなまでのツンデレ風に言ったんだろう? 少女ちゃんのことが好きなんだろうか? それなりにシリアスの空気なせいで突っ込んでいいのかが分からない。
別の意味で戸惑いを抱いている僕のことなど露知らずに、女盗賊は人差し指を顎に当てながら目を瞑り、う~ん、と何か考えているような唸り声を上げる。
「なんて言うかさー、やりたいことはわかるけど。う~ん……あ、そうだそうだ。キルちゃんって、何もやってないじゃん」
「!? そ、そんなことはありません! 私はオカノハラリョウスケに対して」
「対してなに?」
女盗賊は少女ちゃんの次の言葉を聞き返すけど、台詞を待っていても、少女ちゃんは「私は…私は…」と顔を下げて小さくつぶやくだけで言葉は続かない。まるで叱られていることで、怯えて上手く話せない小さな子供のようだ。
その様子を見てから、「やっぱり」と呆れて、侮蔑を含むように眼を細めてから女盗賊は告げる。
「リョースケの元を離れたのはなんで? 別に離れなくてもあのまま近くにいれば、止めるために、殺せるために、ならチャンスが一番近かった、すぐ側でチャンスを待てばよかったじゃん。少なくともアタシがキルちゃんの立場ならそうするね。リョースケは用心深いけどさぁ、でもアタシたちのこと信じていたからそれを狙って不意打ちすれば成功する可能性はあるよ。確かにアタシたちはリョースケに四六時中一緒にいることが多いからその中では難しいけど、キルちゃんならチャンスならいっぱいあったでしょ? 抜け駆け禁止なのに破るし、現に別れる時は二人っきりだったわけだし」
少女は何も答えない。目を落として地面を見つめる。
「組織を作った? けどそれってたぶん骨格とか形とかは殆どあの眼鏡のオッさんのおかげでしょ? 王族の側近だけど軍を従える魔術師というよりもキルちゃんの場合は研究者寄りだって言ってたよね? それにリョースケとの冒険の時も自分一人じゃできること少なくて他人甘えることのほうが多かったから、キルちゃんってリーダーとか上の存在には向いていないよ。自分でもわかってるでしょ」
少女は何も答えない。肩を震えさせて拳を強く握りしめている。
「勇者にリョースケを倒して世界を救うことを頼む? それこそまさに一番駄目なやつじゃん。危険な汚れ仕事を他人に押し付けているだけ。魔王の時や魔獣の時ときに召喚はされたことと訳が違う。自分の失敗の尻拭いを押し付けただけの完全に他人頼み。口では綺麗事並べても本質的には自分の手を汚さないための手段だよ。ホント、綺麗好きだよね」
少女は何も答えない。唇を強く噛み締めている。
「結局さぁ、キルちゃんは罪とか業とかカッコつけているだけで、やっていることはただの小さい子供のワガママだよ」
本当さ。と、彼女は続ける。彼女はやめない。
少女は何も答えらずに、ただ紡がれる彼女の言葉を耳に入れる。
―――人の任せのくせに、本当に何ができるの?
「―――私だって!!」
その瞬間、女盗賊が最後にそう告げると今まで我慢していた全てが解けたように腹の底からの雄叫びを上げながら女盗賊へと駆けようとする。
けれど、その前になんとなくそう動くであろうと予想を出来ていた僕は、つかさず飛びかかろうとする彼女の肩へと手を伸ばして捕まえる。それでも走り出さそうとする少女ちゃん。彼女は女盗賊を斬りかからんばかりの勢いをやめずに、見た目の以上に強引な力で僕の手を引き離そうとする。
「お願いです! 止めないで、離してください!」
「やめなよ、落ち着きなって」
「そうだ、落ち着けキル。挑発を受け入れんな!」
僕と雨崎君は少女を必死に宥めるけど、力強く抵抗をする。
細剣も振りそうとするので仕方ないと判断し、僕は少女ちゃんに足狩りして身体のバランス崩させる。うっ、驚きの声を上げた瞬間、剣を握っていた方の手から叩き、剣を引き離して流れように後ろへと手を回して、頭もきっちり掴んで無理矢理地面へ挟むように抑えつける。
「離してください、離してください! 私は、わたしは!!」
それでもなお身体を強引に動かして全身で殴りつけるように地面へ体当りをして、もがき激しく暴れて抵抗をするが、彼女の華奢な小柄な体躯のおかげで少し押し返されるけれど問題なく抑え込めた。
しばらく抵抗するけど、徐々に力は弱くなっていくのを感じて、あと僕が潰れないように気をつけて体重をかけ直していく。
「そうだ、落ち着きなって。深呼吸でもして。ホラ」
「そうそう、図星を突かれたからって怒っちゃうなんて。本当そういうところが子供で、相変わらず変わらないんだよー☆」
「―――ッ!!」
「聞く耳を持たない、落ち着いて!」
落ち着きかけた時を狙ったように女盗賊は挑発をして、少女は再び暴れ始める。弱めていた力を入れ直して僕は彼女を抑えつける。雨崎君も「落ち着け!」と一緒になって声をかけて宥めようとする。
視線を上げ、女盗賊を睨みつけるように見つめると「おー、怖い怖い」とニヤニヤとしながら軽口を叩いては完全に舐めた様子でいる。騎士もただ黙ってこちらを向いているだけで仲間を咎めることもせずに自由にさせている。
クソ、これじゃああちらの思う壺だ。ただではさえ絶望的な状況の中なのに今ここで少女ちゃんが完全にキレて、女盗賊に突っ込んで行くならば完全に返り討ちにされるのが目にみえている。あるいは少女ちゃんの心が折られたら逃げられない。
ならば、彼女を置いて僕らだけで逃げるか?
ノーだ。彼女を置いていくなんて選択肢は存在しない。見捨てる、見殺す、なんて僕の心を傷める行為は僕にはできない。そんな選択肢の存在を許さない。
たとえその選択肢ができたとしても雨崎君と二人で逃げ切れる可能性はゼロに等しい。すぐに追い詰められて殺されるのが目にみえている。
少しでもこの状況を打破することができる可能性があるというならば、それは彼女が立ち直ってくれること。そして、この世界のこと、魔法とかの知識や城の地理についてのことを逃走のために知識を貸してくれることしかない。
だれど、彼女の精神を持ち直させるにはどうすればいい!? 怒り、壊れかかっている子を立ち直らせるには!
必死で考えこむのだけど、先に少女ちゃんが答えを出した。抑え込んでいた少女ちゃんからは抵抗はなくなり代わりにグスグスと泣き声が聴こえてくる。
「わたし、私……だって……! 」
悔やんだ涙声で頬を濡らしてポロポロと涙が流れ、地面に雫が落ちていく。
心が折れたのだ。
涙ぐんだ声で彼女は語りだしていく。
「わかって……います……本当は…自分じゃあ……なにもできない……力がないことも……、周りの人の力を頼りなのも。そんな全部一番私がわかっているんです! それじゃだめで……本当の意味で、帳消しなんてことにならないことも、承知しています! だけど…だけど……」
逃げている時に少女ちゃんは言った。寄生する自分は害虫だと、軽蔑されても仕方ない、とそうハッキリと口にした。
背中越しで顔は見ていないけど声からして、自身の弱さを、無能を、彼女は誰よりも自分のことを理解っていたんだ。だけど他にどうすればいいのかわからないまま、ずっとずっと悩んで苦しんでいた。
「それでもどうにかしなきゃ、ってことは何も変わらない! 彼を止めなくちゃいけないんです!!」
今まで心に抱いていた、抑えていた感情が耐えきれず爆発し、彼女は吼えた。己の弱さを強かさを人頼りを慈悲を無能を、胸に抱えていたもの全て吐き出す。ずっとしまいこんでいた感情が溢れ出る。
「でも自分が何もできない子供で、わたしは誰かに縋らなちゃ何もできなくて! お祖父様もヤヲソク叔母様もお父様もお母様も皆みんな、世界の誰もを護りたかっただけなのに! 救いたい、とその思いで禁忌に触れた! 信じていたからありとあらゆる犠牲をはらって、召喚術式は完成したのに」
「……」
「だけどそれは間違いだった! 魔獣から救われても、あの人こそが本物の悪魔の存在だった! 優しさはまやかしで人を人と思わない、傲慢な支配者。あの人の存在のせいで世界を狂い始めて。……その間違いに気付いた時には遅くて。……もう、そのときには皆みんないなくなって……いて、わたしは……一人で! 周りの皆もそのことを認識はできなくて………わたしは…一人。だからこそ、なんとかしなくちゃって思って、でも恐くて、……逃げだして! 遠く遠くに逃げても……闇が、恐怖が、ずっと……付き纏って、毎日毎日が、地獄で!」
「………」
「戦う覚悟を決めた! 立ち上がることを……ただの投げやりの自暴自棄だったけど、ヤケクソだけど! なんとかしなくちゃいけない責任感が押し寄せて………怯えながらも毎日毎日、必死にしがみついて生きて努力した! そうして……コールに出会って、皆に出会えて、闇の中を抜け出せる光を見つけたのに! ようやくチャンスが来たのに!」
「…………」
「なにが悪いの? なにがいけなかったの? ……理解っているよ! 私が悪いのは!! 私が何もかも悪いことは!! 弱いからいけなくて、間違えたから悪くて、他人に協力してもらうのが堕落で、自分は何もできないのに……優しい良い人ばかり巻き込んで、わたしは………自分が本当に嫌いだ!嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ、大っきらいだ!!」
「…………」
「ぅぇぐ……もう……こわいよ…。つらいよ、いたいよ、……いやだよ。……もう死にたいよ……助けてよぉ。……でも……私は助けら……れちゃいけなくて……………なんとかしなくちゃ……どうに…すれ……なら………だから、……本当に、どうすれば? 」
彼女の嘆きは支離滅裂で無茶苦茶でぐちゃぐちゃでボロボロの、誰かに伝えようと伝わって欲しいと願いから次々に口から溢れ続ける本音だったけど、だがそのことは結局周りからは誰にも理解されず、自分にしか伝わらない感情でしかない。
今の彼女が壊れそうな状態であることは見れば、聞けば、触れれば誰にだって解るけどその中身の本当の傷は見えない、聞こえない、触れられないのだ。
見ていられない、と優しさ人からは同情して「わかる」と暖かいことを言われるだろう。
ウザい、と強い人からは切り捨てて「同情してもらいたいのか」と説教じみたことを言われるだろう。
他にも様々な言葉と心情があってそのどれかに彼女を立ち上がらせる言葉があって、救う言葉があって。だけど実際にはそれは全部耳心地の良い綺麗事でしかない。
だって、彼らは少女ちゃんではないから。少女ちゃんの言葉の意味は自分は、その全てを理解ってはもらえない。
本物の感情ほど、誰にも伝わらないことを僕は知っている。
知ったからこそ僕は僕に“成った”んだ。自分だけを助けられて、自分だけを護れて、自分だけを……でいる。僕に。
だからこそ、今の彼女は僕と似ているくらいに似ていない。心情を痛いほど共感できて無痛覚なまでに理解できない。
どこまでいっても真っ赤な他人。
人と人は違う生き物で、僕と少女は違う人。
「悪い? ……私が…皆が……お父様、お母様……。リョウスケさん……………………たすけて」
最後に、そう、涙とともにこぼれた一言は今の彼女の中で一番の願いであり、あろうことか自身の最大の敵である人物へ対する想いだった。
僕はそのことについては何も思わず、雨崎君は何とも言えない固まった顔になり、女盗賊はゴミでも見るように軽蔑とした冷えた目になり、女騎士は相変わらずヘルムで表情は分からないが内心では女盗賊と同じと思われるが、ただ黙って存在し。
口に出した本人ですら泣くのを止まってしまった。
ほんの数秒間だけ場は凍りついたように冷えきって、なんの音も聞こえない、静寂さが支配した。
そして、涙を流していた彼女は思い出したように、自覚し。
い、
「いやあああああああぁぁぁぁぁぁぁーーーーー!!!」
絶叫すると、まるで彼女の自身が抱いた拒絶心と重なり合うかのように魔力が爆発的に跳ね上がり、それによって少女ちゃんを抑えていた僕は弾き飛ばされる。
× × ×
嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌いきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらい、
だいっきらいだ!
みんな、みんな、きえて―――なくなっちゃえ……。
× × ×
少女ちゃんに吹き飛ばされた衝撃で、また派手に壁に激突するなんてことはなかったが、それでも衝撃のせいで少し距離が離されたけど、難なく着陸。
近くにいた雨崎君も同じで、密着していた僕ほど飛ばされなかったけど、後転に失敗したかのように、ズボンが割けるのでないかと思わせるほどに豪快に大股を開いた状態で地面に転がっていた。その姿は相当ダサい姿だったけど、ぶっちゃけどうでもいい。
僕は飛ばされた場所を確認する。
少女は起き上がっていた。その手には落としたレイピアを握られており、彼女を中心に禍々しい魔力を纏うようにして周囲に現れる。その余波か、突風が部屋に巻き起こる。
両手を前にやって防御する。その雨崎君も押されるように反動で転がって起き上がることができ、僕と似たように防御する。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
少女は何かを唱えているようだけど聴き取れない。いや、正確には聞き取れているんだけど、言葉が全く理解できない。まるで別の国の言葉でも聴いているような気分だ。……よく考えればここは異世界なので普通に考えたら今まで言葉が通じ合っていたのがおかしいのだけど。
しかし、聞く限りでは何かしらの呪文のようで随分と長い詠唱だけど、一体何をする気なんだ?
近寄って止めようにも、彼女を中心として溢れ出る魔力の余波のせいで彼女には近づけない。
少女の背中を見えるけど、今の彼女がどうなっているのか分からない。完全に壊れてしまったのか、自棄になってしまったのか、その心情は後ろ姿だけでは窺えない。だが、プラスの感情に働いていないことだけは分かる。
決別したはずの敵に縋り、頼ってしまった。己の弱い過ぎる心の悍ましさに恥じて、何ともいえない、気分の悪い感情があふれてくるのは当然のこと。僕ならそんなことしたら間違えなく死を選ぶ。
そして、彼女と対峙する二人はそれぞれ自分の得物を抜いて構える。
「やっぱー、最後はそれに頼るんだ。ホント甘ったれだなー☆」
―――ホント、ブチ殺したくなっちゃうなー。
殺意込めた冷たい一言を吐き捨てる。
「やめろ、そこまでする必要はない。リョウスケ殿からはキルレアルに手を出すなと言われているだろう」
「わかってるよ。けど、少し反省させなちゃいけないでしょ?」
「……それについては同感だな。幾ら感情的になって出てきた台詞とはいえ、言ってはならないことを言った。少しお灸を据えなければならない。それにあの状態になるなら、手加減はいらんな」
「だよね☆」
そう二人は相談を終え、結論づけていた。殺さない程度の状態にして彼女を止める、と。
……これはどうすればいい? ここで彼女たちが行動を移す前に僕たちが先に少女を無理矢理止めるべきなのか。
でも止められるのかあの力を?
呪文を唱え続けるとともに増幅していく力。あれを前に立ち向かい、止めることができるのか? たとえ、止められてもその後、あの二人から逃れられるのか?
無理だ。僕には少女を止めることも、彼女たちをかわす術もない。
ならどうすればいい!
考えている間に女盗賊も少女に対抗すべく、ある呪文を唱える。
「“ガルシアム・ジーク・クラウン”」
「!?」
女盗賊が言った台詞。それは確か、あの女騎士が今の状態になった時に唱えた同じ言霊だったはず。
途端に彼女にも女騎士と同じように魔力とは何か別の力が現れて、魔力とともに混ざり合って女盗賊の姿を包んでいく。色は赤。
そして、神秘的な赤い光が弾けるとともに変貌した姿が現れる。
そこにいたのは女盗賊では……人間ではなかった。
「おお、か、み?」
そこにいたのは、炎の狼だった。
体長は人間だった、元の倍以上ほどに巨大となって四足の地面を這う姿勢、全身に赤い毛のようにみえるが実際にそれは熱を感じさせる炎の毛並み。口にはギラギラと凶悪そうに大きく発達し、灼熱を喰らっているのでないか思わせる、赤く、熱い、禍々しくも犬歯。狙った獲物は一切見逃さない鋭い目。グゥルルル、と腹の底よりも地獄から底から響きだすような唸り声をあげる、それの姿はまさに地獄から来た狼だった。
彼女は炎狼へと変貌を遂げていた。
女騎士とは違い、騎士のように武装だけが変わるのではなくて、人から狼へと……つまりは身体の骨格そのものが変化し、肉体そのものが大きく変化している。
となると、あの唱えた呪文は僕の聞き間違いだったのか? 僕の記憶力なら十分にありえる可能性だ。雨崎君以外の人間の名前、さっきから皆の名前が思い出せなくて少女や女騎士、女盗賊と名詞で呼んでいるのがいい証拠だ。
少女の名前がキルなんとかちゃんらしいけど、それとは別に僕の中で他にもっといい愛称付けたはずなんだが、それを思い出せない。なんだっけな?
「違う。アレは……一応犬らしいぞ」
「犬? あれが?」
いつの間にか僕の近くにいた雨崎君が言ってくる。
「あの、ディーネリスとかいうのはクーシーで、普段耳とか尻尾は魔法で抑えて人間の姿にしているってキルが言ってた」
「つまり、あれが開放状態というか、……完全体みたいな、あ、妖怪化ってやつ?」
「せめてそこは世界観的に魔獣化とか大犬化みたく言えよ」
なら肉体が人から大犬に変化し、その上、炎を纏った炎の犬ということで、少しひねりも入れて……。
「赤犬、か」
「それは色々な意味でなしだ。あれは悪魔の実じゃあないぞ」
などど、話していると少女の方も詠唱の終わりの段階なのか、最後の一節のみ聴き取ることができた。
「■■■―――“キルレアル=ホームレス・ロード”」
その最後の言葉を告げると周辺にあった魔力が彼女へと着せるように流れていき、魔力が変換し形となっていく成形していく。背中にはクロアゲハを連想させる霧状の黒い妖しくも幻想的で美しい四枚羽。またその背中から魔力のラインらしき赤黒い回路が身体に張り巡らせるように浮かび上がって顔などの露出している部分にはハッキリ見える。その影響からか、髪も青さが消えて赤を帯びていた。
レイピアを握られた右手は、一つの武器化として杭のように細いランス状のガントレットに変わっていた。反対側の左手には何も持っていいないが、数十個ほどの黒い光の輪が飾られていた。
「キル……なのか?」
戸惑いながらも雨崎君が確認するかのように、疑問げに呼びかけると……ホームレスちゃんはこちらへと振り返ってくる。
あ、そうだ、ホームレスちゃんだ。今の詠唱の最後で聞き取れたことでようやく思い出せた。彼女は、キルなんとか=ホームレス・ロードで、間からホームレスを取ったんだった。
ホームレスちゃんは涙とともに瞳の光が消えて、冷たく、何も感じない無機質のまるで人形のような瞳をしていた。そのせいか背丈は変わってないものの今までの愛らしい年相応の少女さを消え失せ、一段階成長した女性としての落ち着きと美しさを魅せられた。
こちらを振り向いただけで、ホームレスちゃんは何も言わずに僕らを眺めていると、そのときには既に女騎士が少女ちゃんに接近し、暴風を吹き荒らすような大剣の一撃を少女ちゃんへ繰り出す。
隙をついた死角からの最速の一撃。しかも僕のときよりもさらに速いスピード。
けれど、そちらへと振り返ることなどなく、武器と一体化した右手で女騎士からの不意の一撃を受け止める。甲高い金属が部屋中に響き、衝撃の余波がこちらまで飛んでくる。
僕は姿勢を低くして体重できるだけ前へとやり、なんとかその余波に堪えるけど、ズズッ、と後退りする。雨崎君も似たような状態だ。
ゆっくりとホームレスちゃんは僕らから目を離して、視線を女騎士へと向き合う形を取る。
剣とランスで押し合い、均衡しあう二人。
その刹那、赤い影が二人の上を差す。元女盗賊で大型の犬こと、あの炎狼だ。炎狼は灼熱の刃と思わせる牙で持ってホームレスちゃんに飛びかかる。
影を察した瞬間、女騎士は下がり、炎狼は前脚から巨大な炎の爪を作り出して襲いかかる。
「!?」
炎狼の攻撃は躱された。否、ホームレスちゃんは消えた。
どこに行ったのかと探そうとすると、カキン、カキン! と甲高い音が鳴り響く音が聞えてそちらへと視線を向けると、ホームレスちゃんと女騎士が激しく斬り合っている。
ホームレスちゃんは黒羽を優雅に広げて飛び回っては、左手のランス上の剣で女騎士へと攻撃する。まるで、蝶のように舞、蜂のように刺す、の言葉を体現するかのような戦いぶり。女騎士も負け時にそれを応戦する。
「“ドラッグ オーン バレッティ ソール ”」
ホームレスちゃんが何かしらの魔法呪文を唱えると、左にあった数十個の光の輪の一つが左手から抜け出して、天へと浮かび上がって大きな輪となり、そこから無数の黒い光の玉が雨のように打ち出される。女騎士は黒い光の玉を華麗に避けてはその中でホームレスちゃんと鍔迫り合いを繰り広げる。
輪の外にいた炎狼は火球を放って輪を破壊する。
「“ドラッグ ジューン ムラッディ キスタ”、“ドラッグ ソー グラム ソルドゥ ”」
輪が破壊されると、黒い羽根を広げて舞うように飛び回って女騎士と斬り合いを続けながらも、新たに呪文を唱えて左手の光の輪が三つ、炎狼へと手裏剣のように飛んで行く。
やってくる光の輪に対して炎狼はもう一度、火球を放ち打ち払おうとするが、当たらずに光の輪の二つは鎖へと変わり、炎狼の体を縛り上げて捕らえる。最後の一つは禍々しい光を放つ黒剣に成って、炎狼の顔を目掛けて穿こうとする。
「ガウゥゥゥゥウウウウー!!!」
だが、炎狼の身体は自らが毛並みだけでなく全てが炎と化して、陽炎のようにゆらゆらと縛られていた鎖から摺り抜けて飛んでくる黒剣の一撃を躱す。
炎は再び狼の形へと戻っていき、元の形に定まった途端、二つ鎖と黒剣は炎狼を追ってくる。炎狼は振り払おうと階段へと駆け上がっていく。
視線を移す。ホームレスちゃんと女騎士、二人の闘いは熾烈さを増して加速していた。激しく移り変わる速い攻防と展開の流れ。斬り、刺し、受け、弾き、流し、突き、叩き、捌き、払い、ならし……と、一連の流れが視えているようで全く見切れていない。
集中して彼女たちの闘いを見ているはずなのに、気が付けばいつの間にか彼女たちの姿は消えていて、慌てて周囲を探すと違う場所で戦闘を繰り広げている。
部屋にあちらこちらに場所を移り変わっていく、二人の闘う光景が全く目で追いきれない。
さらにそこへ剣と鎖を払い除けた炎の獣も混ざり、さらに闘いに過激さが増して繰り広げられる。
三人の闘いはあまりに次元が違っていた。
速さすぎる上に、一撃一撃が重くて強力なもの。めまぐるしい展開に見ているだけなのに、こちらの体力までも減らされていく奇妙な気分になる。
「グゥルルル!!!」
炎狼の外した火球がこちらに飛んでくる。避けようとして、すぐに動くのだけど、三人の闘いに呆然としたように眺めて、周囲がちゃんと見えていないのか雨崎君は迫りくる火球に気づいていない。
僕は急いで雨崎君に駆け寄って襟首を掴んで彼を投げ飛ばす。「痛って!」と現実に戻ってきたかのように言う彼の言葉を聞き流しながら、迫ってきた火球が横を掠めるぐらいギリギリのタイミングで回避する。
その際、火球の熱気で肌が焼けるかくらいの熱が伝わってきて非常に熱かった。
「夜名津こっちだ!」
投げられた後の場所が良かったのか、雨崎君は戦いの衝撃崩れた瓦礫や柱が壊れ、ひっくり返った棚などで運がよく自然にできた防御壁の後ろに避難をしていた。僕もそこへ避難しようと走り出す。
避難が完了すると安堵の息を吐きながら、後ろの光景を確認する。部屋の中は火事現場のように炎が蔓延し始めて、そこから黒い羽を生やした少女と白き聖騎士、そして地獄の炎狼が全てを破壊せんばかりに荒ぶりまわっている。
これは決して三竦みの戦いではなく、二対一の戦い。その上、炎の中を活かせるだろう炎狼の独壇場ですらある。
そんな絶望的な中であるはずなのに、先程まで泣き言を吐いていたホームレスちゃんは見る影は一切なく、ただの戦うだけの兵器の如く、あの二人に対して互角にやりあっていた。
「スゲェーな……全然見えねぇよ」
「魔力を目に集中させれば、まだ見えるよ」
「そんな子供の頃の悟飯に指導するピッコロさんみたいなことを言われても分かんねーよ……」
僕以上に目で追いきれてない雨崎君は戦いに目を離さないまま突っ込んでくる。僕も戦場を見ながら彼に言う。
「……雨崎君、どうする?」
「どうするって、……何をだ?」
何を、と返されると「夕飯は何がいいかしら」「何でも」並に困るのだけど。僕は少し考えるように視線を落とし、言葉を探ってから言う。
「正直僕も何をしていいのか分からないけど、……少なくともホームレスちゃんと、あの二人がドンパチと暴れまわってくれる以上ここにいるのは危険だ」
「ああ、わかっている。お前はなんかの力的なものが目覚めているから何とかなるかもしれないけど、俺は何もできない」
「僕も対した力は持ってないよ。あの三人の戦いぶりをみたらなんてことない、素人に毛が生えた程度だ。実際にそのとおりだし」
できたのは魔力を使って身体を強化させることだけど、あの三人と比べたら酷く出来の悪いものでしかない。実際にあの騎士からは一方的に弄ばれた。
あの時、調子に乗って戦いを長引かせずに隙きをついて逃げ出せればどれだけ良かったか、そう悔やまずにいられない。
「……一先ず逃げよう。ここにいても僕らにできることはない」
ここにいるのは危険だと判断して雨崎君に提案する。さっきまでホームレスちゃんを置いていくのはなしだと考えていた僕だが、今は状況が違う。
今の彼女を止められる術がないし、だからといって彼女へ援護をすることもできそうにない。次元が違いすぎるのだ。
ならここで僕らにできることは彼女の邪魔をしないことくらいで、逃げることぐらいしかないのだ。
だが、それでも僕の心の中では嫌な突っかかりを覚えて、内心は穏やかでいられない。けど、頭の中で無理矢理理性を働かせて、必死で抱いてくる黒い感情を抑えつける。
融通を利かせろ。僕が犠牲にして逃げる時間を稼いだ時と同じ状況だ。今は僕ではなく、彼女がやってくれるだけだ。言うことを訊け。……そう自分に言い聞かせる。
雨崎君はこちらを見ずにゆっくりと話してくる。
「……ああ、それには賛成するけど」
彼は戦場から一旦外して、何かを探るように辺りを見回してから。
「でも、逃げるたってどこにどう逃げるっていうんだ? 出口はあの三人の先にあるんだぞ。二階に行こうにもあの犬が暴れたせいで階段は半崩壊してるし、また流れ弾が飛んでくるかもしれないんだぞ、どこに逃げる!?」
雨崎君の言うとおりだった。いま現状で逃げられる場所はないに等しい。出入り口は戦場のど真ん中を走り抜けなきゃ越えられそうにない。迂回して行くにしろ、階段に上がって逃げるにしろ、流れ弾が飛んでこない保証はない。
だけど、ここにいつまでも居座り続けるのも危険なのは変わらない。どうする? この炎の嵐が止むまで僕らはここに留まらなければならないのか。
「クソ、パワポケだったらここで時間制限選択肢が出てから十中八九死ぬ運命コースだ。初見プレイで運がなければマジで死ぬよ」
「この時にまで……あーもう! 具体的にどんな選択肢だ?」
呆れたような顔をしながらもそれでもちゃんと聞いてくれる彼はいい人だと思う。ただいっぱいいっぱいの状況でやけくそのどうとでもなれ、というだけかもしれないが。
僕は咄嗟に思いつく選択肢を出してみる。
A, 留まる
B, 階段から逃げる
C, 一直線に突っ込む
D, 迂回する
E, ひぃー、もうダメだ。
F, 魔力を使う
G, 覚醒する
H, これは夢だ、時期に覚める
「Gでお願いします!」
「僕もそれに丸をつけたいけど、パワポケならそれは外れだ。『え、でも覚醒ってどうやって……』とか言いながら思考停止をしている間に流れ弾で死ぬ。あと、それをきっかけに覚醒して復活するなど甘いことはない!」
「なんかリアルな答えだなおい! なら何が正解だ!?」
「狙い目としてはDかえふ来たぞヤバイ!」
流れ弾が飛んでくる。僕ら急いで頭を引っ込めてバリケード頼りにして両手で頭を抑えて身体を丸めて護りの態勢になる。
ドーン! と、壁の隙間を通って熱気と衝撃と煙が入ってくる。しばらく、屈めた状態をキープして衝撃が完全に終わったことを恐る恐ると言った調子で顔を上げる。
「ゴボッゴボッ、……生きてる?」
「何とかな、って熱っちい! 」
何とか回避に成功し、互いが生きていることを確認しあっては起き上がる僕ら。飛んできた流れ弾のせいで壁が少し焼け始めていて、そのせいで熱が伝わってくる。僕らは壁から一歩離れる。
「パワポケなら時間切れか、Gを選んだ扱いで死んでた」
「ゲームじゃなくて良かったよホント、チクショー」
どこか呆れの入った顔で返してくる雨崎君。
僕は戦場を見る。先ほど以上に炎が舞っているせいで視界が悪く、また三人の速さのせいでいまいち分からないが、戦いの熾烈さを変わらない。
「……さっき言いかけたことだけど、答えはDかFだ。迂回するか、魔力を使うかのどちらかがパワポケの場合正解がする可能性が高い、けど」
僕が言うと難しい顔となった雨崎君は確認するように話してくる。
「Aは今の一撃のせいで無理だと分かった、ここも持ちそうにない。Cは自殺もん。EとHなんて論外。だけどBには可能性はあるんじゃあないのか?」
「いや、一見Bも怪しくないようにみえてパワポケ特有のトラップ臭がする。あくまで僕の勘だけど。……でも今はBもDも使えそうにないな」
周囲に炎が踊るようにあちらこちらと散り散りと這い廻っては戦いの衝撃のせいで崩れ落ちる瓦礫などもあり、迂回しようにもルートが見つかりそうにない。階段も燃え始めている。
ならばもうBもDも使えない。残されたのは。
「F, 魔力使う、ってどうするんだ? 俺としては覚醒すると同じぐらいの意味にしか聞こえないぞ?」
確かに、一見Gと大差ないように思えるがこれもパワポケ特有のトラップというかフェイクに見せかけた正解なんだ。
「覚醒するという曖昧なものじゃ思考停止するけど、魔力使うことはこれまでの知識を思い返し、パワポケじゃあここで何かしらのひらめきが訪れるんだ!」
「ただの主人公補正じゃねーか! だいたい俺はお前と違って魔力の使い方なんて知らねーよ! 魔力も魔法も……ってそうだ! お前魔法は使えないのか? 水魔法とかそういうの、あれって」
「魔力の塊を玉にして放つくらいは多分できると思うけど魔法はできそうにない。呪文知らないから」
「“セイ アシュール ノト ドレット” だ。キルがやっていたあの剣からレーザーのような水を出した呪文!」
「……アレか!」
近くにいながらも記憶力が悪いせいで覚えていない僕とは違い、遠くからでもちゃんと聞き取って覚えていた雨崎君。僕は木刀を強く握りしめて魔力を集中させる。頭にあの時のことを思い出して、あの状態のイメージを固めて、適当に狙いを定めて呪文を唱える。
「“セイ アシュール ノト ドレット”」
言い放った途端に木刀に流していた魔力は尖端へと魔力が集まっていき、魔力でできた大砲が解き放たれた。