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夢見る戦士(バカ)と受け継ぐ勇者(バカ)5

 あ、そうだ。と何かを思い出したような口ぶりで新しい話題を振ってくる。


「あとさ、一つ思っていったことがあるんだけどさ。この世界っていうかさ、著作権ってどうなっていると思う?」


「お前、その危ない話題を自ら振るか?」


 今までのやり取り思い出してみろよ、一体どれだけ危ないラインに触れていると思っているんだ。


 目を細くして突っ込む俺に対して「あー違う違う。えーと、えーと、なんだっけな?」と否定し、首を揉みながら何か言葉を探しているような考え込む夜名津はゆっくりと言葉を紡いでいく。


「少し前に読んだなにか、たぶん二次創作系での転生チートもの作品で、それが異世界じゃなくて現代の世界観、バトル系もない日常的な世界観の話。だけどその作品の世界観ね、……わかる?」


「……あー、はいはい。うん、言いたいことは分か―――あ、はいはい! それってたぶん一回聞いた話だ」


 説明を聞いておおよその世界観みたいなもの想像して適当に返答返していると、ふとフラッシュバックのようなものを……デジャヴ、既視感めいたものを覚えた。記憶を探ると、ちょっと前、元の世界の時に雑談していた内容を思い出した。


「アレだろ? その主人公が現世の知識を使って、とあるシリーズとか化物語とかSAOとか劣等生とかの自分の作品として書いて作家でデビューした、っていう転生系のガチでヤバいアレだろ?」


 そういうと、夜名津は頷いた。


「そう、よくある名前を弄って『化物語』を『怪物語』みたいにわざと分かりやすい変換なんてことはせずにそのままのタイトルで本を出そうとするわ。本は赤本だったり、『こんなのアスナじゃない! もういい、自分で書く!』と挿絵は自分で書いたり、とかなかなかの怖いもの知らずのチート主人公、というか作者だったな。ま、その作品もう消えているけど」


「だろうな。流石にそれは色々ヤバい」


 それは完全に著作的にアウトの領域だろう。


「たぶん、二次創作ってことでそこらへんの規制の意識が緩くなっただろうね。せめてそこはぼかしておけば、ネタぐらいの扱いで、コアなファンに引っかからない限りはギリギリで受け入れられたかもしれない。感想欄の『お前は何様だ』とかブチ切れた内容の数々で感想欄が荒れ方を読んでいて、こっちがハラハラしたね」


「そりゃそうだろうな、明らかにアウトだもんそれ。規制とか二次創作じゃあ一番意識しなくちゃいけないところだろ、そこは」


「……ちなみにその主人公の名前、作者が『名前考えるのが面倒くさい』とかでそのまま自分のペンネームを反映させていたよ」


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い、チョーイタい!!」


 背筋をゾッとさせて、両手を組んで伸び上げながら大空に向かって心の底から叫ぶ。


 やっべえよ、それ! その作者色々とマジでヤバい! 痛い、痛すぎる!!


 いや、確かにそういう作者名で主人公の名前はあるけどさ、俺もゲームキャラで自分の名前を反映させたりすることはあるから、そこは自分が大丈夫なら問題ない、と割り切っているところがあるから分からなくもないが、……だがしかし、何某よ、お前、それは駄目だ(・・・)、いくら何でも不味い!


 既存作品をオマージュもなしでやっていること自体ガチでヤバい! いくら二次創作上の事でもガチな話に著作権的に問題でてくるぞそれ。


 な、痛いだろうと夜名津は深く頷いて同意を求めてくる。俺はこれ以上ないくらい苦い顔をする。


「本当に消されて当然だよそれ」


 同情の余地はない。『名前を考えるのが面倒くさい』のくだりもなんかそれ訊いたら嘘くさく感じてしまう。そのペンネームも本名ってことはないよな?


 そんな疑いすら持ち始めていると、「でも後で調べてみたら作品は消えていたけど垢自体はまだあったし、たぶん自分で感想欄が荒れたの見てから冷静になって自分で消したんだと思うよ」補足を呟きながら感慨深そうに言う。


「だけどその作品を読んだからこそ僕は色々と学んだよ。作者の自己顕示欲満たす全快の作品もあるんだとか、ガイドラインに対する無知さ加減が如何に危険とか、転生チート無双系の作品はバトルとかシリアスものとして認識して読むよりもギャグ作品としてとらえて読んだほうが苛立ち加減が幾分か心に優しいとか」


「お、おう……。そ、そうか」


 勉強になったようんうん、と冗談抜きで悟りでも開いたかのように真剣な口調で頷いている夜名津に対して言い淀む。


 コイツはこういうところはホント強いな。強いというか捉え方がおかしいというか……。


 パワポケといい、そういう風に取らえられるのはお前の良いところだとは思う。ま、明らかに間違った方向に進んでいる感は否めないが。


「で、何の話してたっけ? ……あ、そうそう、だからそのことを思い出したから実際に異世界に来てみたことだし、著作権とかややこしいものはないことをいいことに一先ず、何か適当に書い(パクッ)て一発当てみようか」


「うん、結局お前は何も学んでいないな、それ」


 せめてオマージュといえ、オマージュと! いやそこはどうでもいい。


 冷たい目で見る俺に対して、しかし真摯な態度持って夜名津は説得してくる。


「いやよく考えるんだ。誰も禁書や電磁砲とかの現代社会ものでもない、SAOや劣等生みたく近未来をやろうとは言ってない。やったところでこの世界の人たちにはネタが通用しないしね。そう、やるならロードオブザリングとか、今年の夏にかけてパイレーツとかをやろうと言っているんだ」


「いや、マジで勝ちに行く気満々じゃないですか夜名津さん! マジでそういうのはやめときましょうよそこは」


 本気でやりかねない提案をすらすら出してくるので思わず下手になってまで全力止める。本気で色々なところから怒られるかなそれ!


 けれど、馬鹿は止まらずに話を続けてくる。


「でもほら、このすばでは夢の中だからナニしようと、ナニがあろうと、著作権とか関係ありませんよ、なんせ夢の中ですから、とサキュバスのお姉さんは言っていたでしょ? それと一緒だって」


「全然違げえよ!? 全力で著作権引っかかるわ!」


「でも異世界にいる以上、著作権も版権もクソもないんだよ?」


 う、と一瞬納得しかけて言葉が詰まる。はい、と言うのと同時に、パン、と手を叩いて話に折り目をつけるように一旦切らせる夜名津。


 まるでここから本題と言わんばかり、話を切り出し来る。


「ここでポイントだ、雨崎君。テストには……まあ、でないけどそれでも少し静かにして聞き流してくれ」


 × × ×


「僕が言った作品、えーととりあえず名前は僕ももう覚えてないから、仮タイトルとして『A君の転生』なんだけど、これの失敗は明白。有名作たる既存作品を、創作上とはいえ何の捻りもなく、我が物として取り扱ったことだ。ぶっちぎりのタブーだ。消されるのも当然、叩かれるのも当たり前だね」


 ま、垢自体は残っているから自分で消したんだろうけど。あ、これさっきも言ったっけ。ま、いいや。


「だけど、それはあっちの世界の法律とかの問題になるね。でも実際に別の世界にその作品の記憶を保持したまま行くなら、元の世界の常識には問われる必要はない。この世界にはその法律はないわけだし」


 ん、いや法律くらいはあるのかな? 盗作の倫理観くらいは。そこらへんのことは、今は置いておくとして。


「例えあったとしてもこの世界にはコピー源である原作はそもそも存在しないんだ。なら、自然とそれを書いたものが原作になるのも当然の真理になるわけだ。そのことをA君の転生を読んで学んだね」


 ああ、よく考えたらそういうことになるよな、って。


「ヒットしているものが分かっていれば他の世界でも受けると考えるよね、……そう例えを出すなら未来に行ったときに、当たりの宝くじの当選番号を知ったら元の時代でその宝くじ買う、のと実際は大差ない」


 著作権とかの権利を注視してしまうからそこらへんあまり意識が行かないだろうけど。


「言い換えれば異世界転生主人公なんてまさにそれだよ。現代兵器の作成とかも大きく見れば盗作、いや盗作じゃあ意味が違うな、……技術の横領かな? になってくるからね。著作権や特許権、商標権、知的財産権やらその他多くのタブー盛りだくさんのものに触れまくっているからね。そうでもなくとも爆弾とか制作する以上、危険物取扱の資格とか携わってくるわけだ」


 ま、資格は取り扱いにおける安全保障を提示するための確認証だから、無くてできるなら関係ないけど。異世界ならなおさらって感じだよね。


「人を縛るルールがない。無法地帯、とまでは言わないけど少なくとも僕らの世界で意識しなくちゃいけない常識には、実際に異世界転生なんてことがあったら問われなくてもいい。所有権なんて知ったことかってぶん投げてやりたいようにしたいようにしてもいい、自由は素晴らしいことだ!」


 と、思っていた。


「だけど、それらがもたらす影響力については考えずに好きなように、やりたいようにしてしたわけだったけど、その結果が今の僕らの現状になってくるわけだ」


 異世界転生者の影響力によって世界が滅びかけている今にね。


「影響力……この場合は社会現象というべきだね。現代社会の道具の魅力に奪われて皆がそれを求めるあまりに世界がおかしくなり始めている。技術それを止めるために僕たちは……勇者として君は呼ばれた」


 勇者。……うん、これが引っかかってくるから解釈が少し違ってくる。


「勇者としての定義として、魔物や魔王という『悪』を倒すもの、人を救う存在。……漫画、ゲームで育ってきた僕らにとっては一番イメージしやすい、定義として当てはめられる。けど、僕らの敵は同じ元の世界にいた人である転生者、だ」


 ただの人だ。


「たぶん、それ事態が悪いことだったとは思わなかったんだろうね。考えが一つ二つ足りなかった。『A君の転生』の作者と同じで細かい理屈や理由とか抜きで誰かに面白いものとか、楽しいこととか、楽なこととかを伝えたくて、みんなを幸せにしたいとかをそんなことを考えてのことだったのかもしれないね」


 実際は僻み系だったり、拗らせ系だったり、自分包囲系だったり、復讐系だったりは性格なのかもしれないけど、そこはまた派生ができて見方が変わってくるから。個人的には『皆の幸せ』っていうよりも、自己顕示欲を満たしたいとかの下心で動いたと思うけど、まあそれらについては隣に置いとくとして。


「少なくとも彼がやったことは、『悪』ではなかったんだろう。結果が『悪』へとなってしまったわけだ」


 人を助けようとして苦しめることに。


「『高瀬舟』って中学の頃習わなかった? 貧しい暮らしで生きる兄弟。病気の弟を看病する兄、ある日弟から「もう自分のことは殺してくれ、そして自由に生きてください」と言って葛藤の中、あえなく弟を殺した話。それで僕の学校ではそれを土台に兄のやったことは善か悪かの討論会が開かれたんだけど」


 弟がいくら望んでいたとはいえ、殺めてしまったことは弟の未来を奪ったことになるから、悪。死期が悟っていた弟自ら選び、二人して苦しい生活を続けていたら二人とも死んでいたかもしれない、兄は生きて欲しいと思ったから弟の優しさから想って、また兄も弟の先のことを考えてもっての覚悟があった、善。それでも人を殺したことには変わりない、人を殺したからは絶対の罪、悪。これは貧しい人に対して国は何もしてくれない、悪いのは二人に対して手を差し伸べなかった、周囲であり、国だ。だから、善。


「って、言った具合に。善悪の定義について見直して、人の善悪は必ずしも簡単に判別できる代物ではない、難しいものだって」


 その後で『ひぐらし』を読み貸して、また違った感動を覚えたのをよく覚えているよ。


「僕が言いたいことはつまり、ここにいるのは勇者として存在ではなく、世界を歪ませてしまう存在を善悪の定義として粛正する存在。執行者や、代行者……抑止力として存在ではないのか、と言うことだよ」


 執行者には勇者のように善悪論なんてものは関係なく、世界に対する異物の排除が目的で、存在なんだから。



 × × ×



 話を終えると、夜名津は手を伸ばしてくる。一体何の手だと思ったが、「水をください」と言われて、納得した俺は持っていた水袋を夜名津に返した。一人語りで喋りつかれたから、喉を潤したかったようだ。


 夜名津は受け取ると、顔を上にあげて口をつけることなく水を飲んでいく。


 それを眺めながら今言われたことについて整理させていく。


 率直な感想だけを言うならやはり夜名津はおかしい奴だ、というのを再認識できたことか。


 スタートが元の世界から異世界への盗作行為の話だというのに、終着点が俺たちの存在意義が《勇者》ではなく《執行者》として役割だということ。何をどう思考回路を回していけばそんな話に繋がってくるのか、話を聞いていたがとてもじゃないが俺にはそんな考えにつなげ合わせることなんてできない。


 やはり、夜名津はどこか可笑しくて、どこか壊れている、変人だ。


 《執行者》。言われてみれば確かにその通りになのかもしれない。


 インドアさんも言っていたじゃないか、「彼にも悪気はなかった」と。結果が悪の方向へと転じてしまった。


 そもそもあいつ、岡之原亮介はこの世界では《救世主》として崇められている存在なんだ。夜名津が言う通りに実際の性格やどういう思想を持っているのかは分からないが、この世界に置いては限りなく《善人》だ。


 そう思ったから、俺は俺たちがやろうとしていることはテロリストまがいなことで、《勇者》でありながらも悪という立場じゃないのかと、いまいちモチベーションが上がりにくいところがあった。今までに多くの人を助けて、幸福をもたらした人間を、善人を倒すなんてことはあまりにも非情であり、酷なことだと思っていた。


 それは本当に《勇者》としての役割なのか? 悪と戦い、誰かを助けるのが勇者としての像ではないのか。そんな疑問も心に残っていた。


 《執行者》。


 心にある、しこりが払拭されたわけではないが少なくとも《勇者》だってスタンスで構えていた時より少しは楽にはなった。


 ……もしかしてそれが狙いだったのか? 俺にあまり気を負わせてないようにするために、そんなことを言ったのか?


 夜名津を見ると飲み口を付けないようにして水を飲んでいたため、喉に引っかけたらしく、ゴホッ、ゴホッ、苦しそうに咳き込んでいた。……超ダサい。


 流石にそれは少し考え過ぎか。人を慮って、メンタルケアなんてコイツにできる訳ないか。逆に悪化させそうな男だ。


「おい、大丈夫か?」


「ゴホッ、ゴホッ、うん、大丈夫だから。あ、その汚い手で触れないでくれ、おろしたての服が汚れちゃうから」


「コノヤロウ、人が心配してやっているのに」


「……朝からハッスルした君が、棒をさんざん上下して、汚らわしくなった手で触れないでくれ」


「素振りして汗をかいた、と言え! なんでそんなに遠まわしに嫌らしい言い方で言う」


「棒を素振りし、……汗かき…………手は……汚らわしい」


「途切れ途切れでトーンを変えて、意味深な感じにしてんじゃあねえ!」


 突っ込んで、少し疲れて覚える。はあー、とわざとらしく大きくため息を吐き出して額を抑える。


「ったく、お前は本当に、話といい、ボケといい、一体どういう思考回路してんだ」


「えっと……、ほら、僕って無表情で人に誤解されやすいから、だから常にエンターテイナー目指して、ボケを言って周囲を和ませようと、空気に溶け込もうと努力しているんだよ」


「お前のボケる理由ってそんな重い理由だったかよ……」


 だったら努力の方向性を少し見直したほうがいい。ボケ方も研究しろ、お前のボケって少し分かりにくいから。というか、パワポケとか分からないから。


 そんなことを思っていると、夜名津はどこか遠い目になる。


「だけど、ボケたらボケたで、もう少しボケたらいいのかな? それとも一旦休めたほうがいいのかな? とうー、うー、悩みながら考え続けた結果、ボケを続けてみたら話がおかしい方向へと転がっていて自分では何のネタで、なんの話なのか分かっていても、関連性とか薄さや、ネタそのものマニアックさのせいで周囲がそれについてこれず、「あー、うん。夜名津は、何というか……独創性が強いな」って気づかいされながら敬遠されて、休んだら休んだで「お前はここでこそ、ボケろよ! 全くホント使えないな」と怒られて、呆れられて……もう、じぶんで˝もど˝うじだ˝ら˝い˝い˝のがぁ……あぇ、あぇ」


 結構深刻に悩んでた!?


 両手で顔を抑えて、マジな調子の涙声で後半は完全に泣いてしまった。ホント、コイツは一回精神内科に連れていったほうがいいんじゃないのか。


 うぅ、うぅ、と本調子で泣いてしまった夜名津に慌てて宥める。


「あー、あー、ほら泣くなよ! 何か知らんが俺も悪かったから。な、な、できるだけ俺がネタを拾ってやるから。杉田さんのネタを全部拾ってくれる中村さん並みになるから。な、な。ほらほら怖くない怖くない」


「ま、人間は根本的な部分では結局分かり合うことなんてできない、と毎回思うよほんと」


「……ウソ泣きかよ、おい」


 夜名津は抑えていた手を広げてケロッとした調子で涙の痕跡後一つとしてないいつもの無表情顔を出すと、やれやれといった調子で肩を竦める。


 なんでウソ泣きがそんな無駄に拍車かかっているんだよ。本気泣いたかと思ったじゃないか。


 友達として付き合い始めてきたから最近分かってきたけど、夜名津は無表情であるけど、無感情というわけではない。むしろ感情的に話す奴だ。でも実際に感情的に話すのは仲のいい奴だけの内弁慶。


 本人もそれについては納得しているようで「つまり僕は、ガルフレで例えると加賀美茉莉ちゃんってことだよ」と言われたことで、俺の中での茉莉ちゃんの好感度が下がってしまった。


 お前が茉莉ちゃんと一緒なわけねぇだろ! 百歩譲ったところで、作者の気持ちを代弁した、ブラックネタやっている時のゲロインだよ。


「時間もそこそこ潰せたし、もうご飯もできただろうから戻ろうか」


「ん、ああ、そうだな」


 何だかんだ話し込んでしまったからそれなりに時間が過ぎていた。夜名津の言う通りニートさんも、もう朝食の準備もできただろうし、……ああ、そうだ着替え、インドアさんの方もキルを着替えさせ終えたころだろう。


 眠ったままの子を着替えさせるという大変な作業を、手伝いにも行けず一人でさせたことは紳士を目指すものとしてあるまじき行為だったが、夜名津のせいで見に行けゴホン、ゴホン。手伝いに行けなかったことを深く後悔する。明日、とかまたあるなら何を置いても行かなければ。


 決して、下心なんぞない。あるのは少女が一日一日過ぎる度に成長する、体の神秘への探究心だ!


 気持ちを新たにしながら、いつの間にか先行してコテージへと戻る、夜名津の後を追う。


 隣につくと、ふと一つだけ思い出して、一応確認のために訊ねてみることにする。


「で結局お前は本気で書くつもりなのか?」


「何を?」


「だからハリーポッターとかパイレーツとか」


「いや全然全く。そもそも僕の記憶力で書ける訳ないじゃん。大筋の内容は書くことができても細かい描写や表現なんて書ききれないよ。あの主人公、A君は記憶力とかも強化されたからちゃんと模写して書けたたんだろうけど。劣化しかないこの僕の頭じゃ、どれだけ読み込んだ物語でも書ききれる自信はないよ」


 それに僕は映画しか見てない。あ、ジャックスパロウの少年編なら小学校の時に読んだな。と、一言を添えた。


 それは読んでいて、書ききれるほど記憶力があれば書くという意味なのか、少し怖くて聞けない。


 別に細かく再現とかしなくてもそこはいいだろうと、思いもしたがそれを突っ込んだら本気でやりかねないかもしれない。夜名津の言う通り異世界いる以上確かに著作権は関わってこないだろうけど、人としてアウトの気がするので、このことは俺の胸の内に秘めて黙っておくことにしよう。


「そういえばさ、これからの予定ってどうなっているの?」


「これからって、……とりあえずはキルが目を覚まさないことには動くことはできない。目が覚めたらおじいちゃんの形見、勇者の剣のある場所まで行って回収ってこと一応予定だな」


「ふうーん、そうなんだ。…………あれ? そういえばそれって見つかってない話じゃなかったっけ? 僕の記憶違い? それとも寝ている間に見つかったってことなの?」


 対して興味なさそうに返してきた夜名津だったが、途端で気づいたように訊ね返してくる。


「ああ、キル達の話では捜査中だったみたいだけど、インドアさん達の方じゃあそれの在りかを知っていたらしい」


「? あの子とあの人たちって仲間じゃないの」


「違うみたいだぞ」


 キルはキル達の組織としてあるみたいだけど、インドアさんは巫女で神獣の命で動いているみたいなことを言っていた。そして、ニートさんはインドアさんに雇われた傭兵。簡単に俺が知っている範囲で説明すると、夜名津はふうーん、とどうでもよさそうな調子で頷く。


「ホームレスに、インドアに、ニートねえ。名前だけ見ると社会不適合者の集まりだよね」


「言ってやるなよ」


 俺も同じこと考えていたけど。たぶん、そんな名前の人ばっか集まるから救世主打倒なんて、勇者がやることじゃなくテロリストの思想だと思えてしまう要素の一つなんだろう。


「この際、僕らも改名する? 自宅警備員とか童貞とかすねかじりとか引きこもりとか」


「絶対やだ」


 断固としてその意見には拒絶する。


 普段は人と合わせないくせに、なんでここで合わせようとする。


「いやいや、でも、ほらパワポケにおいてニート主人公はスペックヤバいよ。パワポケ界の最強クラスの能力者である重力操作系を倒すし、ドラゴンも銃で倒すし、ラスボス相手に引けも取らず駆け引きするし、続編の最終章でも活躍するし、中学生に餌付けされてゴールインするし、仕事しないでネットゲーばかりやるし、続編じゃあ二股かけているし」


「うん、やっぱりそのゲームは色々おかしいな」


 後半から明らかにおかしいし。


 ったく、とりあえず、その、ち、ちゅ、中学生ルート? ってやつ? については、詳しく聞かせていただこうかな。……いや本当は別にそんなには全然気にならないけど。ホント、気にならない気にならないよ。ホントにね。でもほら、夜名津がいつもより力説してくるし、さっきお前のネタは拾ってやると約束したばかりだからな。ホントにもうしょうがないからな、うん。本当に仕方ないから友人としてちゃんと聞いてやることにするか。


 うんうん。


「で、その中学生にはちゃんとエロシーンは存在するのか?」


「いつになく良い声で聴いてくるねえ。あと、エロシーンじゃなくて弾道イベね。エロシーンとか言ったらCEROが上がっちゃうから。Cが上がることでEROになっちゃうから」


「何、少し上手いこと言ってんだよ」


 ニコ動じゃあ皆コメントしているぜ、と語ってくる夜名津。お前が考えた台詞じゃなかったのかよ。


 小さく息を吐く俺。すると、


「あと、もう一つ気になっていたことがあったんだけどその腕輪どうしたの?」


「ああ、これのことか?」


 右手を上げて、腕に嵌めていた銀色の腕輪を夜名津によく見えるようにする。


「一応、勇者のアイテムってことで貰ったけど、特殊な能力を秘めているらしいけど、うんともすんとも反応しない。そのうち力が発揮するだろうとインドアさんは言うけど」


「もしかして君が勇者じゃあなかったりして」


「……………」


「………ごめんなさい、僕が悪かったです。言い過ぎました、許してください」


 夜名津の一言で胸にグサッと刺さり、無言で睨みつける。俺の顔の絶望っぷりを見て反省したのか、素直に謝ってくる。


「おまえ、それ結構今マジで気にしていることだからな、マジでやめろコラ!」


 もしかしたら、勇者は俺じゃなくて夜名津の方じゃないのかなって、時々思い込んでは真面目に考えてしまうことがあった。おじいちゃんの孫だからって、次の勇者は俺とは限らないし、勇者として異世界に転移されてきたのは俺だけじゃない、夜名津もいる。


 城での事も俺は何もできず、夜名津は身を犠牲にしてまで俺たちを助けようとしたり、不死身になったり、俺が地道に修行している間、眠っているかと思えば実は魔導とか身に着けたり……今のところ俺が勇者として立つ瀬がないんだよ! 何なのお前、ホント、主人公か何かなの?


「これ以上、活躍するのはできればやめてくれる! せめて、俺が覚醒するまでやめてもらえますか?」


「そんな血の涙が出そうな勢いで、情けない発言するほど君は追い詰められているのか……」


 若干引き気味かつ呆れた目で俺を見てくる。


 そうなんです! 結構精神面的にきていて俺、追い詰められているの! お前とは違った意味でメンタルケアが必要な人なの!!


 そんな心の底から叫びたいのを、グッと堪える。……叫んだら負けだと思う。


 ポリポリ頬を掻きながら、少しだけ気まずい顔になる。自分が情けないやら、悔しいやら、色々な感情が混ざって複雑な心境だ。


「悩める十代だね、……うん、青春しているな、やったね」


「闇堕ちしてお前を殺してやろうか?」


「キレる十代!?」


 人の真剣な悩みに対して能天気に言ってくるのに流石にイラっと来た。八つ当たりとして一発殴ってやろうかと考えていると、少し強い、髪を揺らすほどの風が吹く。


 だいぶ伸びてきた髪がほんの少しだけ髪が乱れて、鬱陶しく思っていると、


 ―――もういやああぁぁぁ!


「!?」


 悲痛に泣き叫ぶような悲鳴が耳に入ってきた。


 今の声って……。


 一人の少女が頭の中に思い浮かべる。


「夜名津、今の声って」


「今の? キレる十代?」


「違う! ふざけんな、今女の子の声が、キルの泣き叫ぶ声が聞こえただろ! 今だって」


 そう、今の確かにキルの声だった。もういやだ、とそう泣き叫んで、泣き続けている。それなのにコイツときたらふざけたことばかり言いやがって。


 だが、夜名津は俺が言っていることがいまいち理解していないような目で見てくる。まるでそんな声は聞こえないと言わないとばかりに。


「雨崎君疲れているのかい? それともまだ勇者じゃないとかのコンプレックスとか気にし、って、おい!」


 コイツと話していても埒が明かない、言い争っている間中もわんわんと泣き続てる声が気になった俺は夜名津を置いて走った。


 ―――もう嫌だ! ―――なんでなんで……なんで私は!! ―――お父様、お母様があぁ!!


 喉が裂けるばかりに泣き叫に続けて、苦しむ少女の声。居ても立っても居られない。風になったように疾走して、コテージを目指す。


 後ろから、ロリコンセンサー待ってよ、とみたいな声も聞こえたがたぶん気のせいだろう。俺はロリコンではない。


 ここ数日特訓と、元の世界にはなかった魔力による強化術によって肉体を強化して走ったかいあって、コテージにはすぐにつくことができた。


 ドアを開ける朝食の良い匂いと、テーブルには相も変わらず凄い量の食事が置かれていたが、それは無視して。家の中へと入ると、二階から今まで耳にしてもの以上にハッキリとした叫び声とそれを宥めるような優しい声が耳に入る。


 急いで二階へと駆け上がってその二つの声が聞こえる部屋に、キルが寝ていた部屋へ行く。すると、部屋のドアは開いていた。


「キル、どうした!!」


 中に入ると開口一番に何事かあったのか問いただす。入ってすぐ近くのところにニートさんが立っており、俺の声に驚いたかのような顔して振り返ってくる。


「……チヒロ」


「ニートさん、一体何があったんですか?」


 ニートさんに問うと少し気難しそうな顔して、くいっ、と顎でそこへと視線を向けるように仕向ける。指示された通りにニートさんが向ける先にあるものに俺が目を向けると、やはり耳にし、想像していた通りの光景がそこにあった。


 両手で頭を抑えて小さな子供のように泣きじゃくっているキルの姿。その傍に戸惑いつつも宥めようとするインドアさんの姿あった。


「コールが、コールが!! 私は何もで、できなく、って……」


「キルちゃん、落ち着いて、ね」


「ほっておいてください! もう、私は、私が、やらないと。お父様とお母様が! コールがぁ! リョウスケさ―――う、ううううーーーー!!!」


 心配したインドアさんが優しく刺し伸ばしてくる手を、パアーンと叩いて拒絶する。荒ぶるように激しく頭を揺らして、体を縮こませて、「私は、私は……」と自己を責めることを呟き続ける。


 ついこの間に見た光景、城との出来事と今の状況とダブって見えた。


「目が覚めたばかりで意識はだいぶ混乱しているみたいだ」


 補足するように言ってくるニートさん。


 目が覚めたばかりで知らない所だったなんてことがあれば動揺するだろう。それに気を失うことを思い出してみれば、激しく混乱するのも分からなくもない。


 たった一日で積み上げてきたものが全部壊されてしまったんだ。精神的に酷くダメージがあって当然だ。


 一心不乱に泣いて頭を掻きむしったり、ベットに拳を叩きつけたりと暴れ回る。言葉もまともに発せられずにくぐもった唸り声を上げる。宥めようとインドアさんが近づけば枕など近くにあったものを投げつけたり、虫を払うように乱暴に手を振りまわす。床には枕や毛布の他にも、夜名津のが言っていた着替えや体を洗う時に使ったんだろう桶や洗面道具など散らかって、びしょびしょだった。


 まるで夜の闇の中に一人でいることに凄く怯えている、小さな子供のような有様だった。ただ怖くて怖くてたまらない。どうすればいいのか分からない。そんな姿だった。


 あまりにも悲惨なその姿に見ていられず、「おい」と呼び止めるニートさんの声を無視して俺はキルの近くへと歩みを進める。


「キル、俺だ、千寿。雨崎千寿だ!」


「いや……いや……いやいやいや!! こないでぇ!!」


 呼びかけながらゆっくりと近づいていくが、拒絶される。


 ……地味に傷ついた。いや、混乱して怖がっていることは分かっているんだが、こう、女子から「来ないでぇ」と本気嫌がられる声を自分に向けられると、なんか凹む。しかも名前を名乗っただけで「来ないでぇ」とか言われたら……特に。


 思春期のガラスのハート傷つきながらも、目の前の子の方がもっと深く傷ついていると思うと、自分の傷なんてしょうもないことだ。


 そう気持ちを切り替えてもう一度踏み出すとその道を阻むようにして立ち、チヒロ君、とインドアさんがこちらを向けて心配するような戸惑った目で言ってくる。


「ごめんなさい、今はできるだけ彼女には、近づかないであげて。あまり刺激を与えないでくれる」


 ……その言葉も言葉で妙に刺さってしまう。まるでこのキルが情緒不安定なのは俺が原因であると言われているようで。


 意味合いとしてたぶん、錯乱して興奮状態にあるから今はあまり誰も近寄っていけない、とかのなんだろうけど……。


「分かっています。でも少しだけでいいんで話をさせてください。……お願いします、見ていられないんです!」


 自分の気持ちを乗せて、真摯にインドアさんの瞳と合わせて訴える。苦しんでいるキルの姿を


 母性を感じさせる優しい瞳は一瞬迷いをみせるが、すぐにそれをキィ、と強く抑えつけた細くした目になる。


「………気持ちは分かるけど、今はよして。私に任せて」


 ね、と子供に言い聞かせるように母親のように優しく告げ、申し出を断ってくる。


「でも!」


 インドアさんの言わんとしていることは分かるが、それでも引き下がれず食い下がろうとすると「やめなよ」と肩を掴まれた。振り返ると、そこには置いけてぼりにしたはずの夜名津がいつの間にかそこにいた。


 驚いたが、すぐに我に返って掴んでいた腕を振りほどこうとするけど、その前に夜名津は冷たく言い放つ。


「今のあの子に言葉は届かない」


「夜名津……」


 その一言が深く突き刺さり、ドキッと心臓が高鳴った。


 さっきまでのふざけたやりとりの調子は一切ない。そして、少し頭に血が上った俺を宥めようとして放った言葉でもない。


 ただ冷たく、重い、自分の経験則からきたような凄みがあり、説得力のある言葉、……のように思えた。それは夜名津我一としての言葉。


 顔を見た時に据わった瞳は何か悟ったように哀愁を帯びていて、俺のことを一切見ていないような荒んだ瞳。それから覗かせる、夜名津が時々放つ独特の雰囲気に呑み込まれそうになる。


「うわああああぁぁぁぁぁーーーーー!!!」


 阿鼻からの叫びのように発狂した声で泣き散らすキルの声を聞き、我に帰って、肩にあった手を反射的に払ってキルの方向へと向き返して、「あ、チヒロ君」と呼び止めるインドアさんを無視して近くへと駆ける。


 接近していくとやっぱり恐怖に怯え、近寄らせないよう手を前に出して、いやいやいや、乱暴に振りましてガードする。今の彼女に俺がどういう姿に映っているのか、悪魔か強姦か、少なくとも錯乱状態にある彼女にとって良いものには映らないだろう。インドアさんや夜名津の言う通り後ろに下がっておくべきだ。


 だけど、……それでも俺は彼女を助けたい、助けると決めたんだ。黙ってなんかいられない。


「キル、落ち着け、……キル、……キルレアル・ホームレス! 俺だ、雨崎千寿だ!」


 そう声を上げると、ビクッと驚いた猫のよう反応をみせて、恐る恐るといった調子でこちらへと振り返る。


「…………ハァ、ハァ…アメ、ザキ………チヒロ……さん?」


 ほんの少しだけ正気を取り戻したのか、俺を俺だと認識した。そのことに俺は心の底から安堵した。


「ああ、そうだ俺だ。雨崎千寿だ。大丈夫、今、ここにお前を怖がらせるような人間はいない。な、大丈夫だからな。ほら、ゆっくり深呼吸をしてみろ」


 できるだけ穏やかな口調で安全であることを伝える。叫び、泣きつかれたのか、嗚咽交じりの乱れた呼吸を整えさせようとする。フー、ハー、フー、ハー落ち着くのを見守る。


「………チヒロ、さん。……わた、…わたしは、……私は! う、うううう!! コールがぁ! コールがあああぁぁぁ!!」


 クールになりかけていた心が、ふつふつと燻り上がって、また興奮して泣き出して荒ぶりそうになる。自分の責め立てるようなこと言うまいに、俺はキルの両肩を掴んだ。


「今は怖くていい、つらくていい、泣いていいから、でも大丈夫だからな! 俺を信じろ、俺がかならず助けるから! お前を、コールさんの代わりに俺が守ってやるから!!」


「!?」


 ありったけの思いの言葉をそのまま口にする。それを聞いて驚いたように目を大きく開けるキル。


 コールさんとの約束があった。


 自分でも彼女を救いたい、と想いがある。


 弱くていい、泣いていい、つらいと一言を吐いていい。城で語った時、キルが一人で葛藤と覚悟を持って、どれだけの恐怖心をため込んでいたかは伝わってきた。


 ならそれを今は吐き出したっていいはずだ。まだ弱いお前は、号泣していいんだ。


「約束だ、絶対にお前を守る」


 まだ、恐れのある涙目のままキルの瞳を見つめる。怯えながらその両目は堪えて確かに受け止めている。


 ほんの少しだけ心が闇が晴れかかったようになったキルはゆっくりと両手を伸ばして―――。


「―――い、いやあああぁぁぁー!! 来ないでえぇぇ!!!」


 もう一度目が闇に包まれたように、伸ばした両手で肩を掴んでいた俺の手を払い、俺の胸を強く押し出され、咄嗟のことで耐えられずに後ずさり、後方に構えていたインドアさんの柔らかい肉クッションが俺を支えてくれた。


 ……はい、よくある女性特有の凸ものの男ならヒャッホー! となるアレとかじゃなくて男性にありえる肥満なの方のアレだ。


 と、軽快なボケが普段なら飛び出すところだが、事が事だけにそんなことを一切考えつかなかった。


 大丈夫、チヒロ君、と心配してくるインドアさんに、大丈夫です、と短く返してはキルの方を見やる。


 キルはまた、掻きむしりそうなくらいに爪を立てた状態で頭を抱えて、血眼のような険しい表情だった。


「私を、……私を弱くしないで! 何も出来ない子にしないでぇ!!」


「き、キル……」


「私があぁ、何もかもが悪いから! 魔獣を倒すことに、……リョウスケさ、……うう、あの人に頼ってしまったから。転移式を発動させてしまったから! ……弱さを、言い訳に、………すがってしまった!! だから、コール、や……みんなが、しんで―――う、うわあああぁぁぁ!!」


 違う、違うんだキル。そうじゃない、そうじゃないんだ! 泣いて悲しんでいい、辛かったことさんざん吐き散らしては良い。でも自分を責めるようなことはしてはいけない。自分を自分で傷つけて、追い詰めて、壊れそうになることは違うんだ。


「ち―――」


 違う、そう否定しようしたけど、直前にその言葉は喉に釣っかかって発することはできなかった。


 一体、何が違うというんだ。泣いていいと言ったのは俺だ、悲しんで、辛いと吐き捨て良いと言ったのは俺だ。だから今彼女は感情任せに叫んでいるんだ。自分の弱さに嘆いているんだ。


 自分の頭の足りなさに腹が立つ。情に流されて、ただ綺麗ごとを並べただけじゃないか。


 下唇を噛みしめて己の愚かさを呪い、悔やむ。


 クソっ、反省は後だ。今はキルを落ち着かせないと。


 背を預けていたインドアさんから離れて、もう一度キルの傍へと駆け付けようとするが、肩を掴まれてそれは止められる。インドアさんだ。インドアさんの目に「もういいでしょ」と諭すような優しくも厳しい目を向けられる。


 そのことがたまらず悔しくて、情けなくてならない。


 このまま黙って立ち退かなればならないか、と憤りを感じられずにはいられなかった。


「ニート、ガノイチ君。悪いけど彼をお願い」


 その呼びかけに応えるように夜名津が傍まで来て「ほら行くよ」と短く俺の首根っこを掴んでこの部屋から離そうとした、その時だった。


「そうか、お前がそうだったのか」


 部屋の空気がすこしだけ震えた。泣きじゃくるキルとは別の、低く、圧を感じさせる声が俺と夜名津、インドアさんの三人には感じ取れた。


 その声の方向へと顔を移すと、今にも人を殺そうとしているようなすごい剣幕のニートさんがこちらを睨みつけていた。


 一体どうしたんだというんだ、とニートさんはこちらへとやってくると、インドアさんの指示を無視して俺なんか目にも止めていないというように過ぎ去ってキルの傍へとより―――


「―――っ!!」


 キルの細くて白い首元を根こそぎ狩るような乱暴に掴んで壁と激突させる。ドーンと部屋に響いた瞬間、俺たちは我に返った。


「ちょっ、ニート、あなた何やっているの!?」


「うっせえ! 黙ってろ!!」


 主従関係の雇い主であるはずのインドアさんに乱暴な口なる。今までそんなことは一度もなかったのに。


 訓練中のシゴキはともかく、それなりフレンドリー感のあり、なんだかんだで頼れる兄貴肌があったはずのニートさんの影はそこにはなく、怒りに我忘れた復讐鬼のようなものがいた。


「おまえが、お前がアイツの存在を呼んだんだな」


 その一言を発すると眉間の皺はさらに寄せて、首を掴んでいる手の握力が増していく、それに苦しそうな顔を歪めるキル。


「や、やめろ、やめろよ! ニートさん、一体どうしたんですか」


 やめさせようとするも、数日程度しか鍛えてない俺が、傭兵として鍛え抜かれたニートさんに叶うはずもなく、強引に払われた。


「お前も黙っていろ! 俺は今コイツに聞いているんだ!」


 俺に向かって一喝すると、視線をキルに戻す。


「お前が、オカノハラリョウスケを転移させたんだな、そうなんだな!」


 さらに締め上げて恫喝する。このまま窒息死させそうなような勢いだった。俺はもう一度止めようと立ち上がる。


 と、そこで見たキルの表情は笑っていた。悲しそうに、何もかも諦めてしまって、でもどこか喜んでいるような顔。涙を流して憑き物が取れたようなそんな顔だった。


 それは……そう、例えるなら全てに嫌気がさして、何もかもを終わらせようと、これから自殺しようとする人間の顔だった。


 嫌な予感をしながら、キルの口元が動いた。呼吸が苦しくて動いたものではなく、明らかに何かを発したような動きだった。


 その証拠にニートさんも「あ?」と何か聞き入れたように顔になり、聞き返す。


「―――そうです、私が、私がやりました!! 私がオカノハラリョウスケ転移させました!」


「! そうかあ、お前が、お前がやったんだな!! なら今ころ―――」


「いい加減になさい!!!」


 部屋中に響き渡たる高い音質の説教に、我が返ったようにニートさんの動きは止まった。声がしたほうを見ると、額に少しだけ汗ばんだ肥満体系の女性のインドアさん。


 インドアさんは今の一喝でだいぶ効いたようで、フー、フー、と呼吸を整えている。


「ニート、今すぐ外に出なさい。契約違反よ、下がりなさい」


「………………」


 凄みを利かせたままの目でインドアさんと睨み合う、ニートさん。やがて、何も言わずに掴んでいた手を離すとそのまま外へと立ち去っていく。それを静かに見守っていると、「ほら」と上から声が聞こえた。見上げると夜名津だった。


「僕らも行こう」


「え? あ、でも」


 食い下がろうとする俺だったが、夜名津のいつも見たく無表情で見詰めてくるのを見て、黙ってしまう。顔はともかく雰囲気からして「何ができるの?」と問われている気がした。


 そして、答えは何もできない、だった。


 俺は「キルをお願いします」とインドアさんに言ってここから部屋から立ち去った。


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