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Focus out ~悪を穿つ盗賊~  作者: 相馬 翔ノ介
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プロローグ

これは決して、大義名分のもと選ばれし者が己の剣技を以て諸悪を討つ美しい物語ではない。


諸悪が己の狡智とイカサマを以て窃盗の限りを尽くす物語。


山奥で勇者が竜を剣で穿てば、雪原で巨人を狩るゴブリンがいれば、街の隅にはきっと盗人が商人から宝石をかすめているだろう。


勇者の綺麗なサクセスストーリーにはもう飽きた。

さあ、共に弱者が紡ぐ生々しいカスメルストーリーの一端を覗こうではないか。


全てが灰色に染められた世界。

一つ壁を越えればそこは、ビビットな色が溢れる夢の街が広がるのに。


商業都市カレリアという街のスラムである南東地区。そこは貧しいものが押し込められ、ありとあらゆる犯罪が捲き起こる無法地帯。


俺はそこで育った。気づけば隣には老人がいて、気づけばその人を師匠と呼び付き従った。老人からこの世界で生き延びる術を学んだ。


人に好かれる方法、料理、縫い物、洗濯……。


その中で俺が才能を発揮したのは、あろうことか、盗みであった。俺は嘘をつくことと、人の視線を操ることに関してはピカイチで師匠が驚くほど手先が器用だった。

師匠こそ、話している最中にまるで魔法を使ったかのように俺の右ポケットから硬貨をくすねる。その時、笑みを浮かべてこう言うのだ。


「いいか、セフ。盗みというのはつまり相手の視線を自分から外すことだ。人という生き物は自分の視野に入っていないものにはとことん無防備になる」


そう言うと師匠は俺の目の前で指をパチンと鳴らす。

その時には彼の手の上には俺の左ポケットに入っていた方の硬貨が乗っているのだった。


師匠はつまるところ、盗みのプロだった。



しかし俺が14歳の時、突然姿を消す。

あの時の灰色の情景は4年がたった今でも灰色のくせに鮮明だ。



「師匠! 僕を置いて行かないでください!!」



俺は子供が駄々をこねるように彼を引き止めた。

俺の父親にして母親、決別は何よりも辛く、灰色の世界はさらに影を落としたよう。


「わしが今セフに教えてやることは何もないんじゃ」


老人は紫に染められたくたびれた麻の巾着をただの枝のような杖にぶら下げており、俺は茫然自失でその紫の袋の刺繍をぼんやり眺めるしかなかった。


「もし、セフがさらなる高みを目指し、人を救う盗みを志すようになったらアルロ山脈を越え、シュバリエル国に来なさい」


「なら今すぐにでも!」


俺が藁にもすがる気持ちでそう言うと老人は手と膝をつく俺の頭を撫でるとこう言った。


「それはダメだ。条件が一つある」


彼はその後とんでもないことを言った。あの頃の俺は毎日殺されないように、飢えないように生き延びるのに精一杯だったのに……。


俺は身分不相応な仕事を託された。



「無理です……。僕にそんな力はありません。僕はこの街の最低身分ですよ?」


すっかり俯いて自分の弱さを噛み締める俺に師匠はこう言った。


「この街は金さえあれば全てが手に入る。お前は盗人だ。つまり全てはお前の手の中さ。

あとはちっとばかしそれを手のひらで転がすだけでいい」


「僕……怖いです……。師匠がいないと何もでききません」


俺はついに大粒の涙を灰色の地面に落とした。

師匠が消えると思うと涙が止まらない。


「そうじゃな。ならばセフにこれをやろう。」


そう言って師匠が紫の巾着から出したのは、古びて錆びれ切った金鍵だった。僕は手にとって食い入るようにそれを見た。


奇妙だった。


ヘッドは微細なタッチで外側が掘られており中心には穴が開いていて、これまた精巧に細かく掘られた王冠が小さく浮いたように作られていた。

驚くべきは鍵山と鍵の溝がないことだった。つまりギザギザがないからありとあらゆる鍵穴は通らないし開くはずもない。


「それは全ての鍵穴を開ける鍵だ。困ったらそれに頼りなさい。きっと力になってくれる」


「これギザギザがないですが……」


そう苦言を漏らすと、師匠は俺の前でしゃがみ、コソコソ話をするように顔を俺の耳の横に近づけて言った。


「それにはな魔法がかかっているんじゃ」


その時僕はこっそり師匠のしわくちゃな横顔を盗み見た。彼は今までに見せたことのないいたずらっ子のような無邪気な笑顔を浮かべていた。


師匠がおもむろに立ち上がる。


ただの古びた鍵だろ……。


俺はもう一度右手にある金鍵を見ようとした。


「あれ?」


右手にはすでに鍵はなく、首に些細なものだがしっかりと何かの重みがあった。

俺はいつの間にか細い革ひもで結ばれネックレスとなった鍵を手に乗せて、全く敵わないな、と苦笑いしながらそれを見た。


俺に顔を近づけたのは、視線を外すタネで、その隙に俺の持つ金鍵を器用に拝借したわけだ。


「でも、師匠はずっとこの世界に魔法はないって……」


俺が顔を上げて師匠に詰問しようとすると、もうそこには師匠の姿はなかった。しかし驚くことはなかったし、それ以上悲しむこともなかった。

なぜなら、首にかけられた鍵を見た瞬間に悟っていたのだ。


また視線をずらされた。


師匠は俺の視線が首にかけられた鍵に移った瞬間、煙のように消えてしまったのだろう。


俺は純粋に師匠の技術に追いつきたいと思った。


ふと、貴族や農民、商人、そして貧民にも平等に与えられた、いつもは俯いていて気づかない青空を初めて仰ぎ見た。


そこで俺はもう2度と下を向いて泣かないことを決めたのだ。

上を向けば、この灰の世界にも鮮やかな蒼穹が壁の間から覗いているのだから。



今日も灰に染められた俺は、色溢れる夢へ紛れ、窃盗を繰り返す。


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