第3話:犬耳少女とメイド少女
「いらっしゃいませ。『ホテル・ニューベイ』にようこそ!」
ナヴィに連れてこられたのは、結構立派な5階建てぐらいのホテルだった。
「お名前をお願いできますか?」
「はい。」
俺はロビーの犬耳の少女が差し出した紙に『桐川疾風』と『ナヴィ』と書き込んだ。
「ハヤテ様とナヴィ様ですね。本日はお客様が多く、2人部屋へのご案内となってしまいますがよろしいですか?」
「あ、ああ、俺は構いませんけど……ナヴィは?」
「ナヴィはご主人様がよろしいのならば異論はありません。」
「では、3階の303号室をお使いください。ごゆっくりどうぞ。」
そう声をかけてくる従業員さんの声を背に受けながら、俺たちは3階までエレベーターで昇り、渡されたカードキーで鍵を開けて部屋に入った。
「ふー、やっと一息つける。」
俺はベッドに倒れ込み、そう呟いた。
「あ、そういえば聞くの忘れてたけど、ここって1泊いくら?」
「ここは比較的安く泊まれることで有名なホテルです。値段は1泊1000ルキです。」
「ルキ? 1ルキっていくら?」
「1ルキは1ルキですが。」
「あ、ごめん。聞き方が悪かった。日本円に換算するといくら?」
「日本円ですか? えっと……大体1ルキが10円程度です。」
「ふーん。あ、通貨ってどんなのがある?」
「通貨は錫貨、青銅貨、鉄貨、銅貨、銀貨、金貨、白金貨がコレクトワールド全体で流通していて、両替の必要はありません。価値は錫貨が1ルキ、青銅貨が10ルキ、鉄貨が100ルキ、銅貨が1000ルキ……と10倍増しです。つまり、最高額で余程のことが無い限り見ることすら叶わない白金貨には100万ルキの価値がありますね。」
「貨幣1枚に1000万円の価値か……凄いな。」
俺はプラチナでできた一枚の貨幣にそれだけの価値があることに驚きを隠せなかった。
「あー、しかし今日は凄い疲れてる気がする。」
「人間界から急にコレクトワールドに飛ばされてしまったのですから、無理もありませんね。今日はゆっくりお休みになってください。」
「あ、そう言えばさ、ナヴィ。」
「はい。何でしょう、ご主人様。」
「ここってあの『アイテムコレクター』っていうゲームの中の世界なんだよな?」
質問というより確認の為に俺は言ったのだが、ナヴィの回答は正反対のものだった。
「いいえ、ご主人様。ここ、コレクトワールドはゲーム内のような異世界、嘘のような現実世界です。つまり、ご主人様が本来いらっしゃった人間界とは別の次元に、確かに存在しています。」
「え? じゃあ、もしこっちの世界で魔獣とかモンスターに襲われて死んだらどうなる?」
「それっきりです。コンティニューなんてものはありませんよ。まあ、ご主人様が万が一亡くなられた場合はナヴィも自害して黄泉の国、冥界への死出の旅のお供をさせていただきますが。」
「命を無為に捨てたり無碍に扱ったりするな。しかし、マジで復活できないのか?」
「マジでです。説明書にも『万が一ゲーム内で死亡した場合でも、当方では一切看過致しませんので、そこはご了承下さい』と記載されていたはずですが。」
「あれそういう意味かよ! もうちょい分かりやすく書いてほしかったわ……」
俺がそう呟いた時、突然ドアにノックの音がした。
「どうぞ。」
「失礼致します。ご夕食をお持ちしました。」
そう言いながら入って来たのは、ロビーで受け付けもしていた犬耳の少女だった。俺より2つほど年下に見える。俺はこっそりと鑑定眼を発動。
アムネリア・コロニ
種族:ライカン
性別:女
年齢:13歳
Lv:5
職業:ホテル従業員
戦闘スキル:【剣術Lv1】
生活スキル:【料理Lv2】
魔術スキル:【水魔術Lv1】
特殊スキル:【超嗅覚Lv1】
……俺よりLvが上だし、スキルも多い。まあ、13年もこっちの世界で生きてきたなら当然か。寧ろ低いぐらいなのかもしれない。
「どうかなさいましたか、ハヤテ様?」
アムネリアちゃんが心配そうにこっちを見ながらそう聞いた。
「いや、どうもしてないよ。」
「そうですか。それなら良かったです。あ、もし料理が足りなかったらいつでもお申し付けください。おかわり持ってきますので。」
そう言うと、アムネリアちゃんはウィンクして立ち去った。アムネリアちゃんが部屋から完全に出ると、途端にナヴィがいつもよりオクターブ低い声で呟いた。
「あのメス犬め……私の大切なご主人様に色目を使いやがって……もしご主人様に手を出したらぶち殺してやる……殺す殺す殺す殺す殺す殺す……」
ナヴィがおかしくなったので俺はすぐさま【リグナムバイダの枝】を召喚し、申し訳なく思いながらもナヴィの頭を叩く。
「落ち着け、ナヴィ!」
「あれ? ご主人様? あ、申し訳ありません。あのライカンがウィンクしたのを見たらなんか変なスイッチが入ってしまいました。」
「俺のこと如きで変なスイッチ入れない方が良いと思うよ。せっかくの可愛い顔が台無しになっちゃうから。」
「か、可愛い? あの、ご主人様、それはもしかしてもしかすると、その、ナヴィを形容する言葉として使っていらっしゃるのでしょうか?」
「うん。当たり前じゃん。事実だし。」
「そんな……ナヴィが可愛いだなんて……」
ナヴィは頬を真っ赤に染めてテレテレと照れ笑いを浮かべる。やっぱり可愛い。
「あぁ、何だかナヴィは今、生まれてから一番幸せな気持ちですぅ……もう死んでもいいかもですぅ……」
「こんなこと如きで死なないでくれ。俺が生きていけないから。」
結構切実な思いを込め、俺はそう言った。
「冗談です。まあ、死んでもいいぐらい嬉しいのは本当なのですが、ナヴィはご主人様がお亡くなりになられる時以外、自ら命は絶ちませんから。きゃぴっ☆」
『きゃぴっ☆』が出たということは、冗談で言っていたということだ。俺が安堵の息を吐き、良かった良かったと安心していると、
「ご主人様、料理が冷めそうです。」
と突然ナヴィが言った。
「え? あ、そう言えばさっきアムネリアちゃんが持って来たな。ナヴィの『ぶち殺す発言』のインパクトが強すぎてすっかり忘れてた。」
俺がこう言うと、ナヴィが軽くジト目で俺を睨んだ。
「ご主人様、いつの間にあのメス犬と名前を交換するほど仲良くなったのですか?」
「へ? どういうこと?」
「ご主人様は今、あのメス犬のことを『アムネリアちゃん』とお呼びになりました。逆に、あのメス犬はご主人様のことを『ハヤテ様』と呼びやがりました。ということは、ご主人様はあのメス犬と仲良くなって名前を教え合ったということになります!」
「それは誤解だ、ナヴィ! 俺はさっきアムネリアちゃんが入って来た時に【鑑定眼】使って鑑定してステータスを見ただけだから!」
「ふふふ……ナヴィに嘘は通用しませんよ。さあ、本当のことをおっしゃってください、ご主人様!」
「事実しか言ってねえよ! ってか、俺この部屋から出てないし。」
「ご主人様は異世界人なのですからナヴィにバレずにこの部屋から出ることぐらい朝飯前でしょう?」
「そんなチート能力は持ってねえよ! そもそも部屋から出たくなかったし!」
「ふーん、そうですか。あのメス犬はご主人様に自分を擁護させる発言をして貰って、自らの身の保身を図りやがったのですね。ご主人様を誑かすとは許せません! 今すぐ挽肉にしてやります!」
「話の意味を汲み取れ! ってか、その前に無闇に殺そうとするな! 殺亜人罪がナヴィについたら、俺が一番困る! ナヴィに罪を犯されたら色んな意味で生きていけなくなるし!」
俺がこう言うと、ナヴィはキョトンとした顔をした。
「色んな意味で? あの、それはどういうことですか?」
「えーっと、まず助けてくれる仲間がいなくなる。次に、こっちの世界のことが分からなくなる。それから、心の拠所が無くなる。あと、好きな娘がいなくなっちゃう。」
「え? あ、あの、それは……」
「ナヴィ、俺はな……」
俺はナヴィを肩を掴み、しっかりと見つめて宣言した。
「俺は、ナヴィのことが好きなんだよ。」
顔に心臓から膨大な量の血が送られてくる。きっと真っ赤だろう。熱い。
「へ? ご、ご主人様、そ、それは、本気にゃのでひゅか?」
呂律が回っていないナヴィの言葉。何でこんなに動揺しているんだ?
「大真面目だよ。俺はナヴィが好きだ。」
「そ、そんな……困ります……」
「そっか、そうだよな。俺みたいな何の取り柄もない、冴えないフツメンの異世界人にこんなこと言われたって意味不明で困るだけだ。ごめん、ナヴィ。さっきの発言は撤回する。忘れてくれ。」
俺は一切の感情が失われた声でそう言った。
「ご、ご主人様! 忘れなきゃ駄目なんですか?」
「忘れた方が良いよ。俺みたいなのとナヴィは釣り合わないからな。」
「告白を受け入れてはいけないのですか?」
ん? 今、何か希望的フレーズが聞こえたような……
「何て言った?」
「告白を受け入れてはいけないのですか?」
同じフレーズが聞こえる。
「告白を受け入れる? どういう意味か分かってる?」
「ナヴィはご主人様をお慕い申し上げております。ご主人様にご好意を持って頂けるなど、この世で最も幸福なことです。」
「聞いてるか、ナヴィ? 俺の告白を受け入れるというのがどういう意味か分かってるのか?」
「ご主人様と共に行動する女性になるということです。」
「まあ、大体合ってるかな。じゃあ……」
俺はそう期待を込めて呟き、宣言した。
「俺は、ナヴィが好きだ! 付き合ってくれ!」
「お受け致します!」
こうして俺には、生まれて初めての彼女ができた。
「ご主人様。『旦那様』などに呼び方を改めた方がよろしいでしょうか?」
「いや、ご主人様のままの方が良いな。」
「畏まりました、ご主人様。きゃぴっ☆」
やっぱり仕草が可愛い。俺は見惚れてしまった。
この時既に料理は冷めきっていたが、俺の心は熱く燃え上がっていた。
「ごめんね。全く食べてないのに新しいの持って来て貰っちゃって。」
「いえいえ。お客様は常にリラックス、ゆっくりして頂くのが一番ですから。こちらのお料理は本日の賄い飯として出させて頂きますし、寧ろ他で食材を使わずに済んで料理長が喜ぶぐらいです。」
アムネリアちゃんはそう言うと、冷めた料理を抱えて出て行った。
「ユーモアもある子だな。」
俺はこう言ってナヴィの様子を伺う。すると、ナヴィは意外にも、
「いい子ですね。」
と言った。
「嫉妬しないんだ。」
「ナヴィはご主人様のものですから! ご主人様が他の女に靡かないと分かった今、嫉妬などという無意味なことはしません! ご主人様が他の女性と仲良くしていても、呪ったりしません!」
ナヴィは宣言した。その時、なぜか俺はふと所持金が無いことを思い出した。今はまだいいが、早めに金策を準備しないと無賃宿泊で捕まる。
「あ、そうだ。ナヴィ、金策を用意しないと俺たち無賃宿泊で警察に突き出されるぞ。ボリスさんの説教とか聞きたくないだろ?」
「ボリス? ああ、あの銀狼族の俗物警部ですか。」
「……俗物警部ってのは言い過ぎだ。まあ、でも兎に角、あの人に怒られるのは嫌だろ?」
「当たり前です! あんな二度と面も見たくないような愚物の説教を聞くくらいなら、死んだほうがずっとマシです!」
「だから、金策を用意しないと。何か案はある?」
そう期待を込めて聞くと、ナヴィは即答した。
「そんな時こそギルドです!」
「ギルドか……どういう所なんだ?」
「ギルドは人や亜人の集う場所ですかね。『冒険者ギルド』『魔法職ギルド』『商人ギルド』などがあります。」
「ギルドに行けば金策が用意できるのか?」
「はい。ギルドは宝の山ですから。」
「そっか。じゃあ、明日はギルドに行こう。」
「畏まりました。では、そろそろ食事にしましょうか。また冷めそうです。」
「そうだね。」
俺はそう言うと、異世界初の食事を摂ることにした。
……余談だが、異世界には箸は無いらしく、俺は生まれて初めて汁蕎麦をフォークで食べるという経験をした。