景色
夏が近付く暖かい風と、海を濃くしたような青空が、私達を包むように頭上に広がっていた。
フェンスの向こうには、電車から見た景色と同じように、見慣れた町が広がっている。
今この屋上にいるのは、私と悟の二人きり。一部のフェンスが完全に壊れており、本当は屋上を使うのは禁止されていて、鍵だって開かないようになっているのだが、古くなっている扉は少しコツを掴めば鍵なんて関係なく開けることができる――裕也君にそんなコツを教えて貰った私は、悟と話をするのにここを選んだ。
「……裕也先輩と付き合い始めたんじゃないんですか?」
景色を見下ろしながら、早速本題に入ってくる悟を、私は少し意外に思う。
聞きたくもないと言われると覚悟していたから。
悟は一晩で心の整理が付いたのだろう。私と裕也君のことを聞く悟の表情に、苦しみや悲しみの感情は一切感じられない。単純に気になっているらしかった。
私は答える。
「付き合い始めてはいないよ」
「え、なんで」
「お互い好きだねって言って、終わり」
昨日のことをありのまま話す私を、悟は混乱したような眼差しで見詰めてくる。私は昨日の裕也君との会話を思い出しながら、一緒に恋をしたこの少年に、全てを話した。
「私、いつ留年するかわかんないくらいバカだから、勉強に集中しようと思って。少しでも裕也君と一緒にいたいから、裕也君と同じ大学目指してやろうって思ったんだよね」
「……いや、真面目な話、優里先輩には無理だと思いますけど……」
そういうこと言う!?
「からかってません、本気で無理だと思います」
そう真面目な顔で付け加える悟に、本気で涙が滲んだ。
自分の進路に恋愛を持ち込むこと自体を無責任だと罵られると思っていたが、どうやら悟は本気で私の頭脳の方を心配してくれているようだ! 余計なお世話だ!
「わ、私、裕也君の為だったら頑張れるから……。だから、今はそういう付き合うとかはなし。裕也君と同じ土俵に立って、胸張って裕也君の隣に立つために、頑張るの!」
あ、でもメールのやり取りとかそういうのは楽しむ予定。折角メアドも交換できたんだし。今からすごくワクワクしてる。
これからの意気込みを声高々に宣言してガッツポーズをする私を見て、悟は俯いたまま静かに言った。
「……優里先輩、俺に気を遣ったわけではないですよね?」
「まさか」
悟を傷付けない為に、裕也君と付き合わないわけじゃない。
本気で裕也君と自分のことを考えて、二人で出した結論だ。
「私、同情や気遣いで自分の心を後回しにするような、献身的な女じゃないからね!」
「よく言いますよ。優先順位最下位女」
最初の頃の私だったら、そうだったかもしれない。けど、悟に想いを伝えるように背中を押しておいて、自分の想いだけ安全な場所に閉じ込めておくなんて、それほど悟に失礼なことはないだろう。
「……もう、俺は裕也先輩と一緒にはいられないですね」
そんなことを言って寂しそうにフェンスの向こうを見詰める悟。終わってしまった恋に自分なりに答えを見付けようとして、隙間風のようなその寂しさに、一人で凍えているようだった。
これから先、悟がどうするのか。
悟より先に、私が知ることになった。
「でも裕也君、東京で悟とルームシェアする話本気だったみたいだよ」
「……えっ」
昨日ついでに確認してきた。
「悟がよければ、だって」
「……はは、なんですかそれ。あなた達、本当えげつないことしますね……」
片想いの相手とルームシェアさせるカップルとか、本当えげつない――一瞬だけ泣きそうな顔をした悟だが、裕也君とルームシェアをする未来の想像をしたのか、少し照れ臭そうに顔を赤くしていた。
「二人して裕也先輩の追っかけって……なんか、今までと一緒ですね」
「うん」
「ていうか、優里先輩は俺と裕也先輩の同棲を許していいんですか? 俺寝取っちゃいますよ」
「あのさあ、そういうこと言わないで!?」
私が慌てふためく姿を見て、悟は冗談ですよと言って笑ったが、冗談に聞こえなかった私はしばらく唸る。ドロドロした三角関係の未来が垣間見える……。
「……私、悟のこと嫌いじゃないよ」
「なんです突然」
「恨んでないし、邪魔だとも思ってない。裕也君と想いを伝え合えたのも、悟のお陰だと思ってる」
悟はきっと、私と裕也君に対して大きな罪悪感を感じている。
この子は優しい子だ。その罪悪感を一人で抱え続けて、いつか耐えられなくなってしまう前に、私と裕也君で少しずつその重荷を取り払って行こうと、二人で決めた。
悟に辛い想いをさせ続けてしまったことを、裕也君はなによりも後悔していたのだ。
「……その言葉、そっくりそのまま返します」
「え?」
「俺はもう優里先輩のこと恨んでないし、嫌いじゃないし、死ねばいいなんて思ってません。墓まで持って行って腐っていくはずだった想いを、裕也先輩に伝えられたのも、優里先輩のお陰です」
悟はゆっくりと、フェンスから手を離した。
もうここにいる必要はないとでも言うように、町の景色に背を向ける。
「泣きたくなったら、私の胸を貸してあげるからね」
「どこにそんな胸が?」
「うるさい!」
「……」
ずっと私から逸らされていた悟の目が、やっと私に向けられる。
暗い所に隠れていた悟が、自らの足でそこから踏み出したように。
今の悟は、今まで見たことのない景色を見ているのだろう。




