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なぜか私は恋敵と付き合っています  作者: 多美橋歌穂
第十二章
92/102

大丈夫

 肌を打つ風も冷えてきて、冷静になった頭で考える。

 優里先輩は何も言わずにベンチに座っているけど、俺の隣でいいんだろうか。さっきまであんなことをしてたのに。


「……」

「……」

「……悟、泣かないでよ」

「……泣いてねぇよクソ女」


 自分が何をされようとしてたのか、まるでわかってない。いや、わかってはいるのだろう。その上で俺なんかを心配するなんて、本当にこの人は筋金入りのバカだ。


 わかっていた。この人は俺とは違う。裕也先輩のように鈍感じゃないし、人の言葉の裏を読んだ上で、それを受け入れて優しく包み込むことができる。「まあいいか」という、病的なまでの寛容さで。


「ふふっ」


 笑われた。


「喧嘩売ってんのか死ね」

「なんか、やっと悟に本性を向けられた気がする。嬉しいよ」


 悟って慇懃無礼な感じの敬語似合ってるけど――そう言ってまたアホみたいに笑顔を向ける優里先輩。慇懃無礼の意味知ってんのか、確実に喧嘩売ってるだろこの人。


「クソマゾかよ、気持ち悪い」


 長年誰にも言えずに抱き続けてきた、この人に対する汚い感情。それを誰でもない、本人にぶちまけるとすっきりする。


 そしてそれを否定もせず、むしろ嬉しいと言って受け入れる優里先輩。最愛の人に想いを否定されたばかりの今の俺にとってその対応はとても甘く、今までの背徳感も猜疑心も全て真っ白にしてくれるような、包容力を孕んでいた。

 俺は遠慮せず、俯いたまま汚い感情を吐き続ける。


「……嫌い」

「うん」

「ずっと嫌いだった」

「そっか」

「死ねばいいのにって思ってた」

「うんうん」

「最低な人間だったらよかったのに」

「……私誉められてる?」

「誉めてない」


 本当、この人が最低な人間だったらどれほど気持ちが楽だっただろう。罪悪感もなく、裕也先輩の邪魔をする言い訳にできたのに。


 でももう遅い。この人には一生掛けたって敵わないだろう。ぽっかり空いた穴は埋まらないまま、溜め息と一緒に諦めを吐き出した。


「はあ……優里先輩、今あの人に告白すれば確実に付き合えますよ。よかったですね」


 両想いおめでとうございます。そう付け加えて、俺は抑えきれない嫉妬をぶつけるために、優里先輩を睨み付けた。


「悟は、本当にこれでいいの?」


 俺のことなんて気にしなくてもいいのに。今まで散々両想いの二人の邪魔をして、二人の幸せを邪魔した最低野郎のことなんて。


「裕也君と今までの関係も捨てて、嫌われたままでいいの?」


 あんなことを言って、あんなことをして、嫌われない方がおかしい。嫌われるためだけに裕也先輩を傷付けたのは、俺の意思だ。


「悟の想い、裕也君はまだ受け取ってないよ。このままでいいの? 悔しくないの?」


 悔しくないわけない。……でも。


「だって、仕方ないでしょう……遠回しに迷惑だって言ったんですよ、あの人は」


 俺の想いは裕也先輩にとって、嘘や冗談にした方がいいような、そんな想いなのだ。


「本当にそうかな」

「あの人、人に嫌われるのが怖いんです。だからはっきりと物は言えないんですよ」


 傷付かず傷付けず、空っぽの関係を望んで……本当、情けない人です。

 そこまで言っても優里先輩は、真剣な顔で応えてくれた。


「そこまで裕也君のことを理解して、それでも好きでいるなら、それは本物だと思うよ」


 ――本物。

 俺が見てしまった、淡い幻覚。


「ねぇ悟。裕也君に言ってたことは、全部本心なの?」


 ――何か一つでも奪ってやりたかった。

 ――俺はずっとあなたのこと嫌いでした。

 ――横取りしてやれば少しはあなたのこと傷付けられるかなって。


「……本心じゃない、と言いたいところですけど……きっと、全部俺の本心だったんだと思います」


 本心だからこそ、あんなにすらすらと言葉が出てきたのだろう。本心だからこそ、何も考えずにつらつらと言葉を並べられた。汚い汚い想いの数々を。


「あなたに取られたら、もうあの人は絶対に俺のところに戻ってこないと思いました。だから、あんな馬鹿なことをしたんです」


 優里先輩の告白を遅らせるためだけの、無意味な延命処置。裕也先輩の性格から考えて、俺と別れた後の優里先輩には告白もできないだろうと、二人の未来を奪う最低な計画だった。


「巻き込んでしまってすみませんでした」

「別にもう謝らなくていいよ。今更だし」

「じゃあもう謝りません」

「お、おう」


 あっさりした俺の答えに、優里先輩は可愛げのない顔をして可愛げのない声を出す。本当、なんでこんな女に裕也先輩は惚れたんだろう。まあ、理由は知ってるけど。


 二人して薄暗い空を見上げて、ぽつぽつ見え始めた星を数えながら、たわいもない話をする。明日は晴れだとか、近所の野良猫が子供を産んだとか、星座の話とか。

 こんな時にこんな話ができるのは、きっとこの人くらい。


 以前のような関係に戻れたような、そんな錯覚を覚えられるほど。


「私ね、この一ヶ月で、悟のこと少しだけ理解できたよ」


 おもむろに、そんなことを言い出す優里先輩。

 一ヶ月。それは俺にとっては、いい思い出ではない。好きな人の幸せを奪おうとした一ヶ月だ、思い出せば沸き上がる罪悪感と猜疑心で胸が潰れそうになる。


「私ね、悟……私は――」


 何か言いたいことがあるらしい優里先輩。けれど、優里先輩には珍しく、言うのを躊躇っているようだった。

 隣に座る優里先輩の横顔はとても真剣で、歯を食い縛って、膝の上に置かれた拳も力強く握りしめられていた。


 何を言われるのだろうかと、俺は途端に不安になった。この人に否定されたら、もう俺の想いを理解してくれる人なんて。


 ……あれ、なんだろう。自分はこの人に嫌われるのが不安なのだろうか。嫌いな人に嫌われたって、どうでもいいだろうに。


 この人の優しさに甘えるのもいい加減にするべきだ、この想いは否定されて当然の想いで、一生背負わなければならなかったのに、俺が勝手に逃げようとしたからこうやってボロボロに傷付いてしまった。この人がおかしいだけで、本当ならこんな想い、否定されて当然。


 俺の想いを理解するこの人が異常なだけで、理解してくれたからといって、俺の想いが正常である証明にはならない。だからもう、決して口に出してはいけない。

 なのに。


「……悟。裕也君にもう一度、ちゃんと告白してきて」


 言い掛けた言葉を飲み込んだ優里先輩が、まるで俺の心を読んだみたいに、背中を押してくる。

 やめて、と、心が悲鳴を上げた。


「……無理ですよ。だってあの人は……」


 ――俺の想いを嘘にしたから。

 俺の背中を押さないで下さい、もうあそこから落ちたくない。落ちると痛いんですよ、怖いし、寒いし、呼吸できないし苦しいし。折角戻って来たのに、ちゃんと現実を――幻覚を見ずに済む場所に戻って来たのに。


「――もう、落ちるのは、嫌です……」


 意味の分からない言葉を発する俺の震える手を、優里先輩は突然握り締めてきた。優しく、なんて力じゃない。まるで逃がさないとでも言うように、落とさないとでも言うように、全力の握力で握られた俺の両手は、震えが止まっていた。


 驚いて優里先輩を見上げると、優里先輩は突然「圭介!」と滝富先輩の名前を叫んだ。


「どうした優里ちゃん」


 すると三秒もしないうちに滝富先輩が空から降って来た。恐らく校舎の二階の窓から飛び降りて来たのだろうが、あまりの反応の速さに恐怖を感じずにいられない。優里先輩はいい加減慣れて来たらしく、顔色一つ変えずに滝富先輩と話をしていた。滝富先輩がおかしいのは周知の事実だけど、優里先輩の順応性も狂っているとしか言いようがない。


「圭介、裕也君は?」

「大丈夫だ、まだ道場にいる」

「わかった」


 ――裕也先輩が、まだ、道場に。

 裕也先輩の名前を聞いた瞬間、俺の肩が跳ねる。止まったはずの震えも再び蘇り、爪先から脳天まで、体中の体温が一気に下がる。氷水の湖に突然突き落とされたように、驚愕と寒さで心臓が壊れそうだ。


 そんな俺の反応を知ってか知らずか、優里先輩はわけのわからないことを叫ぶ。


「悟連れてって!」

「……は……?」


 意味がわからない。


「了解した」


 意味が分からない。

 優里先輩の言葉で、滝富先輩は俺を乱暴に肩に担いだ。馬鹿力で担がれた俺は、勿論暴れる。

 連れてって? どこに? まさか、裕也先輩のいる剣道場に?

 ――行きたくない、行きたくない……!


「っ降ろしてください! 俺あの人の所には行きません!」


 行ってしまったら、今度こそ戻れない。

 今度こそ突き落とされる、今度こそ、死んで――



「大丈夫」



「……」


 何が大丈夫なのだろう。

 そう言った優里先輩は、いつものようににへらと笑い、担がれる俺に手を振った。

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