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なぜか私は恋敵と付き合っています  作者: 多美橋歌穂
第十二章
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「――多分? きっと? 適当なことを言って俺を振り回さないで下さいよ」


 好きという感情が溢れると同時に罪悪感に溺れて、何度も心の中で謝罪をする惨めな男の気持ちが、頭空っぽの女にわかるのだろうか。

 少女漫画みたいに脳内に花を散らしていいのは、女だけ。こんな、愛する人の将来や心を抉るだけの一方的な想い、脳内に泥が飛び散るようだ。


 汚い、汚い、本当に汚物そのもの。


「あーあ、こんなことならずっと黙っていればよかったです。黙っていれば、少なくとも最低限の満足感は得られていたのに」

「そんな、そんなのは……!」

「違うとでも言うんですか?」


 腹が立った俺は、珍しく涙を堪えるような表情のそいつの手首を掴み、校舎の壁に乱暴に叩き付けた。少女漫画でありがちなシチュエーションとは裏腹に、俺の表情は冷めきっていたと思う。


「いたっ……!」


 痛みに歪むそいつの表情は、今の俺にとっては胸に開いた穴を埋めてくれる材料にしかならない。ずっと憎んでいたこの女の歪んだ表情が、酷く落ち着く。鎮静剤のようだ。


「俺、あなたが思っているよりずっと屑で卑怯で最低な人間なんですよ」


 話したこともないあなたを勝手に恨んで、妬んで、蔑んで。死ねばいいのにと、毎晩のように祈っていた。最低だな俺、屑すぎる。こんな醜い感情で、どれほど大切だったものを汚したことか。


 手加減もなく女の手首を捻ってやれば、女は歯を食い縛って痛みに堪える。

 泣けばいいのに。無様に助けを呼べばいいのに。あの時と違ってお前の口は開いてるだろ。


「……今ここであなたを汚してやれば、あの人はきっと俺のこと一生憎みますよね……ははっ、あの人の中に、俺が刻んだ傷が一生残るなんて、素晴らしいことだと思いません?」

「っ……」


 大きく見開かれた瞳から、ポロリと落ちる透明な雫。ああ、やっと涙を流したなぁ。なんて冷静な部分では少し達成感に似た感情を覚えていた。


「何泣いてるんです、あなたはそんなことされても俺のこと許すんでしょう? 何したっていいですよね、だって優里先輩は寛容な人ですから。そうやってあの人をたぶらかして見事両想いだ、クソ女」


 ああこんなクソ女のせいで全部台無しだ。仕舞っておこうと思っていた想いを吐き出してしまったのも、こいつのせいなんだ。

 自分のこの汚い想いを、綺麗な物だと過大評価してしまった。だってこいつが、俺の想いを当然のように受け入れたから。だから裕也先輩も受け取ってくれる……そんな酷い勘違いをしてしまったのだ。


 俺は震えるそいつの首元に唇を寄せて、噛み付く。そいつが小さな悲鳴を上げたのを合図に唇を離すと、そこには赤い血痕が浮かび上がっていた。

 思わず口角が上がる。その血痕を見ていると、あの人を傷付けた気になれたから。


 ああ、告白なんてしなければよかった。進もうと思わなければよかった。

 俺が立っている場所を忘れていた、バカみたいだ。


 ほら見ろ、俺が立っているのはあの場所だ。自分が一層汚く見える綺麗な星空。一歩でも踏み出せば、奈落に真っ逆さまの崖っぷち。


 忘れていた。忘れていたのだ。


 どうして? どうして忘れてた?


 目が眩んだんだ。奈落に続く一歩先に、自分の意思で歩いていける道が広がっている幻覚を見てしまった。そこに道なんてないのに、その先に『本物』があるような、そんな気がしたのだ。


 でも、どうして? どうしてそんな幻覚を見てしまった?

 あの人がいないと生きていけない。告白すれば二度と普通の関係には戻れないということは予想できていたはずだ。それでも俺が告白しようとした理由――


 それは、前に進みたかったから。

 見ているだけでは嫌だったから。


 欲が出てしまったのだ。目の前に広がる幻覚が、あまりに心地よさそうで。

 告白しても、きっと裕也先輩は答えをくれる。どんな形であれ答えてくれる……そんな勘違いをしてしまった。この想いは昇華できるのだと。もう苦しまなくて済むのだと。


 でも違った。この苦しみは一生背負うべきだった。前に進むべきじゃなかった。前に進めばこうなることくらい、昔の俺なら想像できたのに。


「……ほんと、殺してやりたい」


 耳元でそう囁いてやれば、今までだってそうだったのに、まるで初めて俺から冷たく接されたような、そんな反応をする。


 抵抗すればいいのに、掴んだ手首には全く力が入っていない。この女のことだから、俺に同情して抵抗する気すらないのかも。


 ……腹が立つ。それと同時に、どれくらいでこいつが怒るのか興味が沸いてきた。怒らせてやりたい、汚い感情を沸き上がらせたい。いつまで綺麗事を言っていられるか。


「――ッ痛……!」


 血痕の上から更に噛み付くと、女は息を飲んだ。俺を引き剥がそうと、手にも力が入る。

 やっと抵抗らしい抵抗を見せたので、俺はそのまま噛み付く力を強めた。


「痛、や、やめて悟、痛いから……!」

「はっ……痛くしてるんですよ、痛いの好きでしょう?」

「はあ? なんで」

「だっていくら俺があなたを殴っても、ちゃんと怒ったことないじゃないですか。本当は殴られて楽しんでたんでしょう?」

「殴って楽しんでたのは悟でしょうが!」

「……」


 別に返事をする義務もないけれど、俺はこの人に適当な返事をしてしまう。が、いつも通りの会話になってしまいそうで、俺は慌てて口をつぐんだ。


 ダメだ。この女と喋ってはいけない、飲み込まれてはいけない。だって俺はこの女を憎んでいて、今からこの女に沢山酷いことをする予定なのだから。

 冗談だと思われても癪に障る。


 俺は調子を取り戻そうとしている女の手首を離した。すると女はホッとしたのか、少しだけ嬉しそうな顔をする。


 ああその顔。滅茶苦茶にしてやりたい。


 俺は油断しているそいつの肩を抱き、いつぞやと同じように――あの日を再現するように、その女の唇を奪った。あの日と同じように思考停止している女の間抜けな顔が、至近距離に見える。


 あの日と違うのは、このキスが深くて乱暴なキスであること。この女を傷付けるためだけにする行為。

 女は流石に恐怖を感じたようで顔を逸らそうとしたが、無理矢理顔を固定してやればなす術なく呻くだけだった。引き剥がそうともしたようだが、引き剥がすために突き出した手は俺の胸板に添えられるだけで、力が入っていない。


 ざまあみろ。好きでもない奴にこんなキスされるのって、かなり気持ち悪いだろ?

 痛みを伴ったってかまわない。どうせこいつは、何されたってへらへら笑って俺のことを許すんだ。

 きっと、どうでもいい相手だから。


 俺は空いていた手を、女の胸元に持っていく。そしてワイシャツに手を掛けて、一つ、ボタンを外したその瞬間。


 ――ゴンッ。


 鈍い振動が脳を揺らした。誰かに殴られた――そう思ったが、痛みを感じるのは額で。

 それに、衝撃を与えてきたのは拳の感触ではなかった。チカチカと点滅した視界に、次に映ったのは、綺麗な赤。


 ――優里先輩の額から、血が噴き出していた。


 つまり。


「ッ……女が頭突きって、何考えてんだ……」


 頭突きをされたのだ、この状況で。頭突きなんて初めてされたものだから、全く警戒していなかった。しかも、血が噴き出すほどの本気の頭突きを。


「っこ、こっちの台詞だよ! 私が大人しくしてりゃいい気になっちゃってさ……!」


 喚きながらフラフラと俺から遠ざかる、優里先輩。何考えてんだこいつ、頭おかしいんじゃねーの。人のこと言えない気もするが。


 優里先輩は口を拭いながら、腰を屈めて臨戦態勢を取る。額から血が流れているせいで、その姿は強敵の一撃を食らったヒーローのピンチのようにも見えた。


 痛みで頭が冴えてしまった俺は、血を流しながら涙目でこちらを睨むバカ女に、いつの間にかハンカチを差し出していた。


 あの日俺を庇った背中を思い出させる、クマの刺繍が縫い付けられた、ピンク色のハンカチ。まだ返していなかったそのハンカチは、いつでも返せるように、いつも持ち歩いていた。いつも俺の手元にあった。

 まるで、俺をその場に引き止めるように。


「……悟……?」


 痛みのせいで出てきた何かが、俺の頬を伝って落ちた。

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