想いの欠片
「知ってたんならどうして……知ってて悟は、亘理さんと……」
「ずっと前から気に食わなかったんですよ、裕也先輩のことが」
俺は裕也先輩の好きな人を、随分前から知っていた。高校生になるより、ずっと前から。
だから俺は、裕也先輩が「告白されたら誰かと付き合い出すかもしれない」と漏らした時、亘理優里の動向さえ気にしていればよかった。亘理優里さえ動かなければ、裕也先輩の恋は実らないまま。心は誰にも奪われないまま、俺の隣に置いておける。
そんな汚い、俺の裏側。
「……二人が付き合い出したって聞いた時……俺がどんな気持ちだったか、悟にわかるか……?」
あなたの気持ちなんて知りませんけど、俺はすっごく楽しかったですよ? 沢山の愛情を向けられてきたあなたが、唯一の愛を取りこぼした瞬間だったんですから。
思ったことをそのまま言ってやれば、裕也先輩は泣き出しそうな顔をした。ああ、今日はいろんな裕也先輩が見れるなぁ。
「っ……すごく、ショックだったよ……っでも! 楽しそうな二人を見ていたら、俺は二人を応援しなきゃって……自分の恋は諦めて……二人が幸せならって……!」
「諦め切れてないじゃないですか。現に裕也先輩は龍宮先輩を振りましたよね。もし龍宮先輩と付き合い始めていたら、あの人のことは諦めたって証拠になったのに」
だから俺はあの日、あの水族館で、裕也先輩がどんな決断を下すのか、確認しに行った。龍宮麗華が告白するだろうことは簡単に想像できたから。
あの龍宮麗華だ、一度でも告白を承諾すれば、簡単には別れられないはずだった。だからあの時龍宮麗華からの告白を承諾してさえくれれば、俺があの人と別れた後でも、裕也先輩をあの人に取られることはないと……そう思っていた。裕也先輩の心はずっと、誰のものにもならずに済むのだと。
そんな醜い俺の願望は、裕也先輩があの告白を受けさえすれば、叶うはずだった。
「そんな簡単に諦めきれるはずないだろ! 俺は、亘理さんのこと……中学の時からずっと……」
「ええ、知ってましたよ」
「っ……」
「俺は裕也先輩の好きな人が誰なのか、ずっと知っていました」
ずっと裕也先輩だけを見てきたから。だから、裕也先輩が好きな人は、すぐにわかった。
偶然その人が裕也先輩と同じ高校だと知った時、何がなんでもその高校を受けなければと必死に勉強して、裕也先輩を追い掛けた。
「……悟は、亘理さんのこと……」
「別に好きじゃありませんよ? キスも無理矢理しました。脅して無理矢理付き合わせていたんです、裕也先輩の大好きな人でしたからね」
「……俺のこと好きって言ったのは」
「ははっ、冗談ですよ。普通に考えたらそうでしょう? そんな、男が男を好きなんて……気持ち悪い」
気持ち悪い。本当に気持ち悪い。
こんなドロドロの塊を恋だと勘違いしていたなんて、本当に気持ち悪い。
「……ずっと俺を騙してたのか? 俺が傷付く姿を見るためだけに……猫を被ってたのか……」
突き落としたはずの自分が泣いていた。俺は耳を塞ぐ。
「ええ、猫を被ってました。裕也先輩って本当に単純な人ですよね、三年間も俺に騙されて」
あなたに可愛い後輩だと思われたくて。
ずっと一緒にいても飽きない人間だと思われたくて。
「まさか人生初の恋を俺に邪魔されるなんて、思わなかったでしょう?」
ただ、あなたと一緒にいたかっただけなのに。
「俺と違って優しくて明るくて、生まれた瞬間から沢山の人に愛されて、家族から憎まれたこともなくて、非人道的な扱いを受けたこともなくて、幸せに生きてきた裕也先輩――そんなあなたから、何か一つでも奪ってやりたかったんです」
俺がそこまで言うと、裕也先輩は拳を振り上げた。
けど、震えるだけの拳は一向に振り下ろされない。
――それにさえイライラする。
「俺のこと殴らないんですか? 裕也先輩は本当に、自分にはとことん優しいですね」
他人のことは簡単に傷付けるくせに。蔑んだ目でそう言うと、裕也先輩は心が傷付いたような辛い顔をした。
俺の言葉で裕也先輩が傷付いている。簡単には癒えない傷が、俺の一言で裕也先輩の心に刻まれていく。
「裕也先輩は自分が傷付きたくないから、人に優しいんですよね。でも、その優しさで他人から恨まれることもあるんですよ」
三年前にも言ったと思いますけど。
「俺の自殺を止めて、ヒーローになったつもりでしたか? 俺はずっとあなたのこと嫌いでしたよ、どうしてあなただけ幸せなんだろうって。あの人に恋してるのだってバレバレで、横取りしてやれば少しはあなたのこと傷付けられるかなって」
自棄になって嘘を吐いているわけじゃない、これは汚い本音が出てきているだけだ。ずっと俺の中にあった想い。誰にも見られないように、段ボールに詰めて隠してきた、最低な塊。
嫌悪でもいい。俺のことで裕也先輩の頭が一杯になっていると思うと、ぞくぞくと快感が押し寄せてきた。目の奥がじんとする。
終わってしまった。終わらせてしまった。最悪な形で。
でも、三年間積み上げられてきたこの想いを跡形もなく消し去るためには、これくらいしなければならなかったのだ。
それは勘違いだよと言われて、ああそうですかと納得してこの想いを簡単に消化できたなら、どれほど楽だっただろう。
受け取って貰えなかったこの想いは、一生消えることがない。
なら、殺す以外ないではないか。
俺はそれを殺すための術を持っていた。
奇しくもそれは、同じ想いの欠片。
力の抜けた裕也先輩の胸ぐらを掴み返して、俺より体格のいい裕也先輩の体を力任せに横に張っ倒す。立場を逆転させた俺は裕也先輩の上に跨がって笑ってやった。
「信じてた後輩に裏切られて、好きな女取られて、惨めですね裕也先輩」
「……黙れ」
突き放しているのは俺なのに、すがり付いているのも俺で。
触れれば痛いだけなのに、苦しいだけなのに。触れているのは俺で。
消えない傷を残してやれば、裕也先輩は一生俺という呪いから逃れられないだろう。ああ、死ぬ瞬間に裕也先輩の脳裏に浮かぶのが俺であって欲しいなぁ……。
「可哀想に、あの人はあなたのせいで、俺にファーストキス奪われたんですよ。あなたの前じゃああやってへらへら笑ってますけど、きっとすごく傷付いたでしょうね。毎晩泣いてたかも」
ああ、多く望まないと誓ったのに。
伝えるだけでいいなんて、そんなの残酷すぎますよ、優里先輩。
伝えるだけで前に進めるなんて、そんなの嘘だ。強い人しか進めない、弱い俺はもう、前にも後ろにも進めない。
こんなに好きなのに。
こんなに触れ合っていたいのに。
こんなに、俺の頭は裕也先輩で一杯なのに。
……どうしてだろう。
「ッ、黙れって言うのが……ッ!?」
俺は裕也先輩の胸倉を掴んだまま、強気でいる先輩の口を自分の口で塞いだ。
目を瞑り、躊躇いもなく。
突然のことに驚いたのだろう、裕也先輩は俺を突き放すこともせず、ただ息を飲む音だけが耳に届いた。
「……」
すっかり割れてしまった、俺の恋心。破片が絶え間なく心臓に刺さっては、血が噴き出し熱が込み上げた。その熱はじわじわ広がって、あろうことか瞳から溢れ出る。
ああ、だめだ。この熱は、この人に触れてはいけない。
俺は裕也先輩の顔を見ることなく、勝手に押し倒した裕也先輩を突き放して、着替えもせず道着のまま、剣道場を飛び出した。
早くあの人から離れなければいけなかった。
早く突き放さなければ、俺はきっとあの人にすがってしまう。
目の前に散らばる欠片達を踏み付けて、安堵の痛みに笑いを漏らした。




