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なぜか私は恋敵と付き合っています  作者: 多美橋歌穂
第十二章
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崩れる足場

「裕也先輩、大切な話があります」

「なんだよ、改まって」


 優里先輩が去ってしばらく。居残り練習も終盤に差し掛かり、これが終わったら帰ろうかと話していた時。


 俺は不自然なくらい突然、裕也先輩に話を持ち掛けた。

 今日が記念日というわけでもない。特別なイベントがあるわけでもない。いつもと変わらない日常の一コマを無理矢理切り取って、俺は裕也先輩にぐっと近付いた。


 普通の部活動の他に、俺に付き合って居残り練習をしてかいた、汗の匂い。突然顔を近付けた俺に驚いた裕也先輩は、少し後ずさりをして困惑した表情を浮かべる。


 俺はそんな裕也先輩の目をしっかり見つめて、とうとうそれを口に出した。



「好きです」



「……え?」


 思ったより簡単に出たその言葉は、長年抱えてきた想いがびっしりと詰まっていた。

 案外呆気ないな、なんて思いながらも、俺の頬は熱を帯びて赤くなっていたと思う。辛うじて残っている夕焼けの色がそれを隠してくれるだろうけど。


 ぽかんと口を開けて間抜けな顔をする裕也先輩。

 俺は念を押すように、目を逸らさずもう一度想いを吐き出した。


「俺、裕也先輩のことが好きです」

「どうしたんだよいきなり。そりゃ俺だって……」


 変な誤解をされたまま話を流されるのも癪だ。俺は勘違いの余地がないように、解説するようにもう一度想いを告げる。最初から一度だけで伝わるなんて思っていない、この人は超の付くほど鈍感な天然男だ。


「違います。俺は裕也先輩に恋愛感情を抱いているんです。裕也先輩とずっと一緒にいたいんです」


 ――言った。


 恋愛感情。そう言えば、いくら裕也先輩でもこの「好き」がどういう好きなのか、理解できるはずだ。

 裕也先輩はまた少しだけ困惑した表情を浮かべながら、「何言ってんだよ、悟は亘理さんと付き合ってるだろ」と尤もなことを言ってきたので、すかさず俺は「別れます」と即答する。


「……」


 少しだけ見開かれるその瞳。そこに俺が映っていることを期待しながら、俺は裕也先輩の返答を待った。


 三年。三年だ。いや、正直どの時期からこの人が好きだったのかは覚えていないけれど、三年と言わず、きっと俺の人生はこの人で一杯だ。


 今までも。これからも。


 さっき優里先輩は、俺のことを不安げに見ていた。振られたら俺が自殺でもすると思ったのだろう、単純な人だ。一人で自殺するくらいなら裕也先輩と心中する。それくらい、俺は裕也先輩一筋である。


 俺は裕也先輩に振られたって死にはしない。ただ、裕也先輩の前から消えるだけ。


 それは裕也先輩に気を遣わせたくないからとか、気まずいから傍にいたくないとか、そんな理由ではなく。


 ただ、自分を守るため。汚い自分を封じるために、俺は裕也先輩の傍にいてはいけないのだ。綺麗な心だけを伝えて、綺麗な想いだけを思い出にしたい。欲と嫉妬に溺れた、汚物のような裏側は、見せなくていい。


 それでいいのだ。

 だって裕也先輩は、俺の気持ちに、真っ直ぐ応えて――






「――悟は、勘違いしてるよ」


 裕也先輩が、目を逸らす。


 沈み掛けた夕日が不気味な紫色に変化して、一気に体温を下げられたような、そんな感覚に陥った。



「……え」


 俺は今、なんと言われただろうか。

 凍える脳が、今聞き取った言葉を反芻する。


 ――『勘違い』。



「……勘、違い……?」


 勘違い――間違って思い込むこと。思い違い。

 間違って、思い込むこと……。


 間違い?

 俺、何か間違ってますか?


「あ、れ……」


 何を間違ってるんですか? 

 何が勘違い?

 思い違い?

 俺の、何が――


「助けられたから好きになった……それはわかるよ。でも、純粋な好意は恋とは呼ばない」


 なぜだろう、気持ち悪い。吐き気がする。胃の中の物が逆流するようだ、今息を吐けば嘔吐してしまう気がして、俺は呼吸さえできなくなった。


「……」


 喉を閉め、吐かないよう慎重に呼吸だけ繰り返す。俺は目の前の人を見ることができなかった。目を逸らしたわけじゃない、俯いたわけじゃない。

 それなのに、さっきまで真っ直ぐ見詰めていたはずの瞳が、認識できない。不気味で、真っ黒な空洞が見えるだけ。


「もう一度よく考えてみて。悟は……」

「嘘だって、言いたいんですか」


 それが答えですか。



 唯一信じていたものが、呆気なく壊れていく。それは俺が唯一存在できた足場。


「……そうですね。少し考えればわかりますよね。すみません」


 ああ、消える。足場が。存在していた居場所が。


「でも格好いいって思ったのは本当ですよ? 裕也先輩はずっと、俺の憧れの先輩ですから」


 真っ白になっていく。


「変なこと言っちゃってごめんなさい、疲れてるんですかね」

「そうだよ。ちゃんと休めよ」


 この話は終わり。一分もしないうちに、この恋は終わってしまった。


 夕日と一緒に冷めていく心。キラキラと綺麗だったはずの心の表面が、裏側に浸食されていくようだ。


「そういえば裕也先輩、好きな人がいるって噂は本当ですか?」


 俺の問いに「もう終わったことだから」と答える裕也先輩。

 そんな平気で嘘を吐く裕也先輩に、俺は少しだけ、腹が立った。


 裕也先輩の好きな人。告白できなかったくせに……。

 自分の想いは大切に仕舞っておきながら、俺の想いは簡単に踏みにじるんですね。

 ……ずるい。


 裕也先輩だけ、ずるい。



 だから俺は、駄目だとわかっているのに、心の裏側の浸食を抑えきれなくなった。


「嘘ですよ。龍宮先輩を振った時、『他に好きな子がいるから』って理由だったらしいじゃないですか」


 ダメだ。見せちゃいけない。


「それは……そう言えば先輩も、すんなり諦めてくれると思ったから」


 それを見せたらダメなんだ。


「それだけのために嘘を吐いたんですか? 龍宮先輩は嘘偽りなく裕也先輩に想いを伝えたのに、裕也先輩は嘘で返したんですか?」


 汚い。


「……それは」


 見られたら二度と戻れない。


「龍宮先輩の味方をするわけではありませんが、裕也先輩も裕也先輩です。俺知ってるんですよ、裕也先輩が好きな人のことを諦めてないんだって。好きな人がいるから、今まで誰とも付き合わないで、ずっとその人のことだけ見てきたってこと」


 黙れ、黙ってくれ。


「……まるで知ってるみたいな言い方だけど、悟には関係ないだろ」


 これだけは言っちゃダメだ。


「関係ない……関係ないですか……?」


 お願いだから。


「――俺が裕也先輩の好きな人を知ってるって言ったら、どうします?」


 早く誰か、俺を止めて。


「……ははっ、知らないくせに。もし知ってたとしたら――」


 止まれ止まれ止まれ。


「――こうなってるはずない、ですか?」



 裕也先輩の動きが、止まる。

 嫌な汗が背中を流れて。


 次の瞬間、俺は自分を突き落とした。




「――俺が裕也先輩の好きな人に手を出さないなんて保証……どこにあったんですか?」



 ドンッ!


 木製の床に背中を打ち付ける。転んだ時と同じ音が、二人きりの剣道場に響き渡った。


 裕也先輩が俺を押し倒し、震える手で胸ぐらを掴んでくる。

 初めて裕也先輩が、感情を表に出す。初めて裕也先輩に睨まれる。今まで一度も見たことがない、怒気を孕んだ眼差しで。俺を。


 ――ああ、その表情。

 俺以外の誰にも見せていないだろうその表情に、俺の口角が自然と上がった。突き落とされた瞬間に俺の胸に沸き上がってきたのは、後悔や悲しみじゃない――心地よさだった。


「っ……悟、お前……!」


 裕也先輩が、中学の頃から好きだった相手。



 ――亘理優里。

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