祈り
薬品の匂いと赤いランプの色が廊下に反射して、薄暗い廊下を冷たく照らす。夕日はすっかり沈み、窓から見えるのはどこまでも続く暗闇で、先が見えない未来のようだった。
「……なんで、ヒビキ君が……」
静かな廊下に私の声が落ちる。寒いわけでもないのに手足が震えて、不安と恐怖から涙が止まらなかった。拭われなかった涙がポタリと落ちて、制服のスカートに吸い込まれる。
手術中。その言葉が赤く灯る部屋の前で、私は冷たいベンチに座って俯いていた。車に轢かれたヒビキ君は頭を強く打ったらしく、救急車の中でも意識が戻らないままで、車体が乗り上げた左足は痛々しく出血していた。
手術室に運び込まれたヒビキ君を待つ時間。まだ数分しか経っていないだろうが、永遠にさえ感じた。
「……優里先輩、ハンカチ」
私に付き添ってくれているのは、事故の時一緒にいた悟。ハンカチを差し出してくれるけど、混乱したままの私は、その手を振り払った。
苦しみの中で芽生える感情は、決して美しいものではない。
「ッ悟があの時止めなければ、ヒビキ君を助けられたかもしれないのに! なんで止めたの、あのまま私がヒビキ君を突き飛ばしてたら、車には撥ねられなかったかもしれないのに……!」
「ふざけたこと言わないで下さい、それだとあなたが――」
「そんなの!」
「頼みますから……」
「……」
絞り出すような悟の声にハッとして、私は口を閉ざした。
悟が私の腕を引いてくれなかったら、私もヒビキ君と一緒に轢かれていただろう。悟を責めるのは筋違いだし、責任転嫁もいいところだ。
「……ごめん……私のせいだ……」
「なんでそうなるんですか、優里先輩のせいでもありません」
「私のせいだよ……喧嘩さえしてなければ、ヒビキ君はあの時、私の隣にいて、こんなことにならなかったのに……!」
そうだ、ヒビキ君は小さい頃からいつも私の隣にいた。喧嘩さえしていなければ、あの時だって私の隣を並んで歩いていたはずで、そもそも横断歩道に飛び出すようなこともなかった。
あの時ああしていれば。数秒でもタイミングをずらしていれば。私がヒビキ君を怒らせなければ。
沢山の後悔が波になって私を飲み込む。
「喧嘩が原因だって言うなら、喧嘩の原因を作った俺にも責任はあるでしょう」
少しでも私の背中から重荷を下ろそうとしてくれる悟。悟は悪くない、私とヒビキ君の問題だったのだ、悟が責任を感じる必要は全くない。
「どうしよう、どうしよう悟、ヒビキ君このまま目覚めなかったら……!」
最悪の可能性ばかりを考えては、次々と涙が溢れてきた。このままヒビキ君がいなくなった先の未来を想像してしまい、そんな思考を止めるために歯を食い縛っては、頭を力強く抱える。
「顔拭いてください。弟が目覚めた時、姉の顔がそんなんだったら可愛そうでしょうが」
「でも、でも、だって」
「あなたは悪くない。ただ偶然が重なっただけです、誰もあなたを責めないし、あなたが自分を責める必要もありません」
そう言って悟は、いつもからは考えられないくらい優しく、私の手を握っていた。
「……責める必要、ないですよ」
耳元で聞こえた悟の声は、私と同じように掠れていた。
――神様お願いします。私の人生、これから一生不幸で構いません、ヒビキ君を助けてください。
そんなことを本気で祈ることしか、今の私にはできなかったのだ。




