跡
騒然となる周囲は私達を避けるように更に離れていく。
その中心で、私は空のコップを近くのテーブルに置きながら頭を下げた。
「ごめんなさい、手が滑りました」
しばらくの間、彼らは呆然と私を見る。
林田は最初何が起こったのかわからないといった顔をしていたが、状況を把握した途端、顔を真っ赤にして私に詰め寄ってきた。
「――てめぇなめた真似してんじゃねえぞ!?」
「私は頭を下げて謝りました。あなたも頭を下げて悟に謝りなさい」
「はっ、誰がそんな奴に頭なんか下げるかよ!」
下っ端三人のうちのもう一人も、にこやかな顔ではあるが完全に笑っていない目で私を睨んできた。
二年生くらいだろう、ひょろひょろした身体つきをしている。
「彼女さ~ん、ちょっと調子乗ってね? 彼氏が助けてくれるとでも思ってんの?」
「名取っつったっけ? 彼女の不始末はお前の責任だよな、かわいい後輩の服どうしてくれんだよ?」
「……それは」
「頭を下げろって言うのが聞こえませんでした? そんなピアスばっかり付けてるから耳が悪くなるんですよ」
「……」
何も言わずに私の胸ぐらを掴んで、目を見開きながらじっと私を見詰める男。
苦しい。身長差のせいで少し足が浮きそうになりながらも、その目を睨み返す。
「お前何様だ?」
「あなたは関係ありません、そこの一年に言ってるんです。早く前に出てきたらどう? 先輩達に守られてないと歩くこともできないわけ?」
「はあ? なんで俺がよりによってそいつに謝んなきゃいけないわけ? 頭おかしいんじゃねーのブス」
ブスとまで言われて黙っておくわけにはいかない。
こちとらあの圭介の悪人面を何年見て来たと思ってるんだ、こいつらの悪人面なんて序の口である。
だが私がまた何か言い返そうとすると、私の後ろで静かにしていた悟が小さく私の服を引いた。
「優里先輩、俺はいいですから行きましょう……」
「逃げんじゃねーよ! 靴舐めて土下座しろ! 土下座!」
「……」
それを聞いて弱々しく前に出ようとする悟の腕を、私は無理矢理引っ張った。
土下座なんてふざけてる。
「どうしたの悟、いつもの悟はどうしたの」
「いいんです、俺は慣れてますから。悪いですけど優里先輩、今日はもう先に帰ってて貰えますか?」
それはつまり、こいつらの相手を一人でするという意味だ。
あの林田とかいう男、中学生の時に悟をいじめていた主犯格だろう、そんな奴がいる場所に悟を置いて行くなんてことできない。
私の憧れる裕也君だって、そんなこと絶対しない。
絶対。
「……帰んないよ」
「俺はいいですから」
「っ……私がダメなの!」
俺はいいですから――そう言った悟の表情。
それを見た私は、悟に対して怒鳴っていた。単純に悟に対して怒りを感じたのだ。
「うるせぇ女だな、そいつが土下座すれば許してやるっつってんだろうが」
「あなた達に土下座する価値なんて微塵もない! 謝る気がないならさっさと消えて!」
「……女だからって殴られないとでも思ってんのか?」
その瞬間、左頬に走る熱。
男の拳が直撃し、僅かに口の中で血の味が広がった。
ブスだと言われようが殴られようが、私は睨み付けるのをやめない。
腹が立つ、ここまで来たら徹底的に謝らせないと気が済まない。
いっそ昔のイジメについても謝らせてやりたい。
私が怯まないのを見た三人が、未知の物を見たような、そんな顔をする。
「って、てめぇ……!」
「っ優里先輩――」
再び振り上げられる拳。悟が私を呼ぶ声。
再び来るだろう痛みに耐えるために歯を食い縛ると、予想外のことが起きた。
私を殴ろうとしていたひょろい男が、横から殴られて吹っ飛んだのだ。
圭介……? いや、圭介は今日、都子先輩に捕まっているのだ。そんなはずはない。
何事かと見る。するとそこには、憤慨した様子の権藤という男がいた。
「てめえら女の顔殴るんじゃねえぶっ殺すぞ!」
「で、でも権藤さん! こいつ――」
「男が四の五の言うんじゃねえ! この姉ちゃんに謝れクソ野郎が! 全員だ!」
「あの、私じゃなくてこっちに……」
「おう、林田ぁ! 謝れ!」
「す、すいやせん!」
「俺じゃねえこっちだ!」
「すいやせんッ!」
「そっちじゃねえあっちだ!」
「すいやせぇぇんッ!」
もはや誰に謝っているかもわからないし、私がさせたかった謝罪と微妙に違う……。
私が何か言ってやろうと口を開きかけた時、その声は響いた。
「――ちょっとちょっと君達! 何してんの! 君達どこの高校!?」
突然野次馬の中から発せられたのは、若い男の人の声。
どうやら騒ぎに気付いた親切な人が、止めに入ってくれたらしい。
更に。
「おまわりさーん! こっちです!」
遠くで誰かが叫ぶ声。
それを聞いた権藤という男、警察には関わりたくないらしく、舌打ちをした後「行くぞ」と言って他の三名と一緒にその場から逃げてしまった。
追い掛けようかとも思ったが、私の後ろで青ざめる悟を見て、深追いはやめることにした。
ぶちまけたジュースの跡が、地面に虚しく残っていた。




