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その日は朝から本館が騒がしかった。奥様のアドリナ様が体調を崩された。気持ちが悪いと仰られ、医者を呼んでいた。
アデルはとても焦っていた。
いつかの日のように唇を噛み締め、本館の廊下を早足で歩く。ある部屋の前で止 まり、一呼吸置いてからその豪華な扉をノックした。
コンコン
「旦那様、アデルでございます。」
書類と睨み合っていたマーキュリー家当主オーウェンは、その声に顔を上げ、眉間を指で揉み解しながら答える。
「ああ、入りなさい。
なにか不備でもあったか?」
「いいえ、旦那様。今朝から仰られていた奥様の不調のことです。医者を呼んで見て頂いたところ、ご懐妊されておられました。」
「なっ!それは本当か!?.....そうか、ジャスミンに弟か妹ができるのだな。アドリナは今どこにいる?」
オーウェンは幸せそうに微笑み、妻の居場所を早口に聞く。
アデルは一瞬顔を歪ませたが、すぐに無表情に戻り、
「寝室でお休みになられています。」
と、いつもより幾分か低い声を出した。
興奮していた為か、オーウェンはそれに気づくことなくニコニコと走っていった。
オーウェンの足音が聞こえなくなってから、アデルは大きなため息をひとつ零した。
ジャスミンお嬢様の姉であるジャネットお嬢様をあそこまで蔑ろにしていらっしゃるのに。弟や妹なら良いのだろうか。
ジャネットお嬢様と何が違うのか。
だが、危惧していたようにこれから生まれてくる子が疎まれることはない様で一安心である。
ただ、これを聞いてジャネットお嬢様がどう思うのかが少し心配だ。
「アドリナ!体調はどうだ?」
オーウェンはベットで寝ていたアドリナに早足で近づき、ベットにあさか腰掛けた。
アドリナを診ていた医者が、
「ご懐妊おめでとうございます。2度目のご懐妊ですので分かっていると思いますが、くれぐれも無理をしないようになさってください。それでは失礼します。」
一礼して下がっていった。
「アドリナ、本当にありがとう。ここに俺たちの子がもう一人いるんだな。」
オーウェンがアドリナのお腹を撫でながら微笑みかける。
「ええ、旦那様。とても楽しみですわ。これからは、手伝って頂くことも多くなりますが、また1年よろしくお願いしますわ。」
「ああ、頑張ろうな。」
オーウェンとアドリナが目を合わせどちらともなく幸せそうに微笑んでいた。
アドリナ様のご懐妊はすぐに別館にいるジャネットの耳に届いた。そしてそれを両親が楽しみにしているということも一緒に。
アデルによって、使用人たちに伝えられたアドリナの妊娠発覚。その時、みんなの脳裏をよぎったのは、あの日のジャネットだった。涙を浮かべ、それでも大丈夫だと言ったあの姿。
最近では元気過ぎて大人しくしなさいと言うこともあるが、あの日の様に、そしてあの日々の様にいい子であろうとする生活になってしまうのかと不安になった。
それでもいつかは分かるのだ。なら、隠すより今知らせた方がいい。アリーナが伝える役を買って出た。
その日のおやつの時間に言おうと決めて、昼食の時間に入った。
ジャネットが午前中の勉強の時間を終えて、食堂へ向かう。
使用人たちは少しずつご飯の時間をずらし、仕事に穴を開けない様にしている。その為、食堂へ向かうジャネットとすれ違う人も当然いる。
「レイラじゃない。おはよう。」
「あ、お、お嬢様、おはようございます....」
いつもなら、私に目線を合わせてしゃがみこみ、控え目に微笑んでくれるのだ。立ったまま目も合わないよう俯いている。
「レイラ?どーしたの?」
心配になって下から覗き込むと、泣きそうに歪んだレイラの顔が見えた。
「レ、イラ?本当にどーしたの?何か嫌なことがあったの?」
レイラは、首を横に強く振った。
「なんでも、ありません。私、仕事に遅れそうなので、失礼します。」
レイラは勢いよく頭を下げて走っていった。
どーしたのかしら?
レイラはアリーナみたいに口煩いタイプではないが、諭すように説得してくれる。それにとても気が利いて、よくお菓子をくれたり、髪型をいじってくれたりする。廊下を走るなんて怒られそうなこと、する人じゃない。
あんなに元気のないレイラは初めて見たわ。
あ、そうだわ!
お庭に綺麗な花が咲いていたからそれをプレゼントすれば、元気になってくれるかもしれないわ!
街でクラークにあってから、別館の庭も気になるようになったジャネット。
庭師のニールに掛け合い、庭の片隅に小さな畑を作ってもらった。ここの管理をしているのは、意外にも菜園にハマったカルロだった。ほとんど毎日その畑を見に行くジャネットは、その近くに綺麗な花が咲いていたのを覚えていた。
種まきは、がさつ。
肥料は、あげすぎ。
収穫は、はやすぎ。
「お嬢様、私にやらせてください!もう見ていられません!」
カルロが我慢できずかつ、ハマる。