第壱話
side アリス イクミ
意識が急に浮上した。
(……あれ? 私は……)
周りを見渡す。
けれど、何も見えない。
光も闇も認識できない。
私はそんな場所にいた。
いや。
それ以前に私は『いる』、のか?
(……………………あ)
何をしていたか思い出そうとして、気付いた。
気付いてしまった。
私は――
(――――死んだんだった)
そう。
思い出した。
私は、あの日死んだんだ。
……いや。
殺されたんだ。
『そうだ。あんたは殺された』
(……えっ?)
いきなり声がした。
知らない男の人の声。
その声はまるで、私の心に直接問いかけてくるようだった。
(……あなたはだれ?)
『俺はいい。それよりもあんただ』
質問の答えは返ってこない。
代わりに声は、問いかけてきた。
『あんたは、復讐を望むか?』
と。
……復讐。
その言葉の意味を理解するのは、そう難しいことではなかった。
私は殺された。
あいつに。
信じていたのに。
好きだったのに。
あいつも私を信じてるって言ったのに。
私が好きだって言ったのに。
だけど、私は裏切られた。
裏切られて、殺された。
(……………………うん)
なら、やることは決まっているじゃないか。
やってやるわ。
殺ってやるわ。
私を殺したあいつに復讐を――。
『了解した』
その声が聞こえた途端、私の意識はまたも浮上した。
最初に感じたのは光。
その眩しさに、私は戸惑いながらも目を開けた。
「……んっ」
どうやら私はベッドに横になっていたようだ。
そんなことを思いながら、身体をゆっくり起こした。
同時に周りを見渡す。
見た限りでは、ホテルの一室のようだけど、それにしては荒んでいる。
ベッドは新品同様だけれど、天井や壁はどこか煤けていた。
その景色は、見知らぬもので私が今どこにいるのか理解できなかった。
「…………ここ、は?」
「起きたか?」
耳に入ってきたその声は、男の人の声。
声のした方、部屋の入口を見ると、男の人が仏頂面で立っていた。
その男の人を少し観察する。
警戒の意味を含んだ観察。
身長は私よりも遥かに高い。
身体つきはそこまでがっしりとはしていなくて、むしろかなり細い。
そして、まだ幼さの抜けきらない顔立ち。
私よりは年下だってことは分かる。
たぶん二十歳前後かな?
顔のパーツも、一つ一つが整っていて、一言で表すなら、中々にかっこいい子だった。
……ただ、
(……目付き悪いなぁ)
そんな失礼なことをつい思ってしまった。
せっかくの可愛い顔が台無し……。
「なんだよ」
「い、いえっ」
一睨みされて、少し萎縮してしまった。
なんだかこの子……怖いな。
「……まぁいい」
彼は一度私から視線を外し、再び私を見た。
ううん。
睨みつけた。
そして、言った。
「お前を殺した奴はどんな奴だ?」
「っ!?」
その質問で思い出した。
殺されたことを。
そして、目が覚めるまでの会話も。
だから、あの声の主は君なのとか、なんで私がここに存在してるのとか、なんで殺されたことを知っているのとか、聞きたいことは山ほどあった。
……けどっ
「……聞こえなかったのか? なら、もう一度聞く」
――――オマエハダレニコロサレタ――――。
「ひっ!?」
質問なんて出来なかった。
そんな余裕なんてあるわけがない。
彼の眼は私の質問など求めていなかった。
口調は冷淡なものだ。
けど、その眼に宿っているのは、純粋な憎悪の感情で……。
「っ……か、かれし、にっ……」
だから、私は彼に怯えながらそう答えることしか出来なかった。
「……そうか」
私の答えを聞いた途端、彼の憎悪が消えた。
いや、消えた訳ないか。
ただ隠されただけ。あんなもの、消しようが、ない。
「………………」
「………………」
私と彼の間に流れる沈黙。
正直、さっきの様子を見た後じゃ話を振る気になれないよ……。
居心地の悪さを感じながら、経つこと数秒。
「おい」
「っ! な、なにっ?」
先に口を開いたのは彼の方。若干、声が裏返りながらも返事をした。
私に対して、彼が言ったのはただ一言。
「ついてこい」
部屋を出ると、そこには長い廊下が広がっていた。
そこを彼は歩いていく。
私もそれに続いて歩く。
歩いていて気付いたことは、ここはホテルではないということ。
確かに廊下の雰囲気はホテルに近いものはあった。
けれど、さっきの部屋以外に部屋が見当たらなかったのだ。
どんなホテルでも、部屋が一つしかないなんてあり得ないし、きっとここはホテルではない。
……じゃあ、ここはどこ?
彼の家?
次々に疑問は沸いてくるけれど、今は訊ねられる雰囲気じゃない。
私は黙って、彼の後ろについて歩った。
「入れよ」
歩いて歩いた廊下の突き当たり。
そこにある扉を開けて、彼はそう言った。
「…………はい……」
不安に駆られながらも、私は扉の中へ踏み込む。
「なに、これ……」
私が入った部屋。
そこはさっきまでいた部屋とは全くの別物だった。
この部屋にあるのは、部屋の中央にポツンと置いてある一人掛けの椅子と、
「見れば分かるだろ」
「凶器だ」
そう彼の言う通りのものがこの部屋の壁に貼り付けられていた。
凶器。
ナイフだったり。
金槌だったり。
包丁やハサミ。
果ては、ノコギリやチェーンソーもある。
いや。
それだけじゃない。
そのすべてに、どす黒いものがこびりついていた。
あれは……
「…………血、なの?」
「あぁ」
彼がそれを肯定する。
さらに彼は言葉を続けた。
「ざっと三百弱」
「全部、俺が人を殺した証拠だ」
「これだけの数の凶器を使い、俺は仕事を遂行してきた」
彼は私に背を向け、部屋の奥へと進んでいく。
壁一面の凶器を気にもしていない堂々とした様子で。
そんな彼の後ろ姿は、彼がこの部屋の主であることをはっきりと私に伝えてくる。
その姿を見て、まず感じるのは恐怖。
踏み込んではいけないと本能が言っている。
危険だと警告している。
分かってるよ。
けど、私はもう死んでいるんだ。
未来がないんだ。
なら、恐れることなんてない。
「…………仕事って、一体なに?」
私は彼の背中に問いかける。
彼の動きが一瞬止まった。
けれど、それは本当に一瞬のことで。
そうして、彼は振り返り、こう言った。
「『復讐』」
「ようこそ、『復讐代行社』へ」