Ep.02 マヤ数字
2012年1月5日、午前10時38分。
「……完全にお手上げだなぁ、これ」
昨日、4chanで見つけた暗号。
軽い気持ちで挑戦したはずが、気づけば午前3時近くまでパソコンに向かっていた。おかげで今朝は見事に寝坊したし、古文の課題もほとんど進んでいない。
それで暗号の方はどうかといえば、こちらもまあ別に大して進んでいなかった。
モニターにはRedditのページが開かれている。昨日、アヒルの画像からOutGuessというソフトを連想し、最初の画像に隠されていた書籍暗号を取り出した。その指示に従って辿り着いたのが、この掲示板だった。
問題は、そこから先である。
「本を探せって言われてもなあ……」
書籍暗号には、1:20, 2:3, 3:5といった形式の数字が76組並んでいた。何らかの文章から文字や単語を取り出す仕組みなのだろうが、肝心の本が分からない。
僕は書籍暗号のメモを脇へ寄せた。
次に気になるのは、《CageThrottleUs》というユーザーの投稿だった。
長い英文が載っているのだが、どうにも文章がおかしい。単語らしいものは並んでいるのに、普通に読んでも意味が通らないのだ。
昨日のうちに、単純な換字式暗号やカエサル暗号は試している。文字の出現頻度も調べてみたが、これといった成果はなかった。
「鍵が別にあるのか……?」
時計を見ると、もう11時を回っている。
昨日から相当な時間を費やしているのに、分かったことが少なすぎる。
こんなことなら、最初のアヒルを見たところで引き返すべきだったのかもしれない。
……いや、それはないか。
僕はRedditのページをスクロールし、ヘッダー画像を開いた。
点と横棒が組み合わされた、奇妙な記号が並んでいる。ところどころに貝殻のような形まで混ざっていて、初めて見たときから気になっていた。
モールス信号かと思って区切り方を変えてみたものの、それらしい文章にはならなかった。そもそも、モールス信号に貝殻なんて必要ない。
「これ、文字なのかな」
記号を拡大し、ノートに描き写してみる。
横棒が1本のものもあれば、2本のものもある。点の数にも違いがあった。適当に描かれているわけではなさそうだが、今のところ規則が見つからない。
そんなことをしていると、画面の端にチャットの通知が表示された。
アレックスだった。
WALKER:Any luck?
――何か分かったか?
NIL:Not really. You?
――あんまり。そっちは?
WALKER:Same here.
――こっちも同じだ。
NIL:Have you figured out the header?
――ヘッダーの正体は分かった?
WALKER:Not yet. I think those might be numerals.
――まだだ。ただ、あれは数字かもしれない。
僕は画像を見直した。
「数字……?」
確かに、そう考えた方が自然かもしれない。横棒や点の数が違うのは、それぞれの値を表しているからだとすれば説明がつく。
NIL:Any idea which system?
――何の数字か心当たりは?
WALKER:Working on it.
――調べているところだ。
NIL:All right. I'll check too.」
――分かった。僕も調べてみる。
WALKER:And NIL?
――それと、NIL。
NIL:What?
――何?
WALKER:Sleep before sunrise tonight.
――今夜は日の出までに寝ろよ。
思わず苦笑した。
昨日は夜遅くまでチャットにいたので、アレックスにはすっかり見抜かれているらしい。
NIL:Yes, Dad.
――はいはい、お父さん。
WALKER:Good boy.
――いい子だ。
「……調子に乗るなよ」
もちろん日本語である。本人には聞こえていない。 チャットを閉じたあと、数字の表記法について調べ始めた。
ローマ数字は違う。古代エジプトの数字も、形が一致しない。バビロニアの楔形文字にも似ていなかった。いやいやもうそもそも数字という前提が間違ってんじゃね? なんて可能性も考えた。だが、ほかに有力な案があるわけでもない。
しばらく画像を見比べているうちに、目が疲れてきた。
「……駄目だな」
僕は眼鏡もかけていないのに、つい眉間を押さえた。
そのとき、背後でドアが開いた。
「透、お昼……って、何その部屋」
姉ちゃんだった。
入ってくるなり机を見て、あからさまに嫌そうな顔をする。
「昨日もこんな感じじゃなかった?」
「ちょっとメモが増えただけだよ」
「ちょっと?」
姉さんは足元に落ちていた紙を拾った。
そこには、僕が試した文字列と数字がびっしり書いてある。
「……これ、暗号?」
「うん」
「まだ解けてないんだ」
「そうなんだよ。何の数字なのか分かんなくて」 「ふうん」
姉さんは紙をひっくり返したり、透かしてみたりしていたが、やがて机に戻した。
「全然分かんない」
「僕も」
「じゃあ駄目じゃん」
「いや、今考えてるところなんだけど」
「昨日からずっと?」
「……そうだけど」
姉さんは呆れた顔で笑った。
「よく飽きないねえ」
「まあ、好きだから」
「その集中力、宿題にも使えばいいのに」
僕は黙って机の隅にある古文の教科書を見た。
姉ちゃんも見た。
「……終わってないでしょ」
「今、それ関係なくない?」
「あると思うけど」
まったくもって正論だった。
「とりあえず、ご飯できたから。お母さん、今日はもう呼びに来ないって言ってたよ」
「分かった。今行く」
「あと、空き缶くらい片付けなさいよ」
そう言って部屋を出ていく姉さんを見送り、僕も椅子から立ち上がった。
階段へ向かう途中で、もう一度モニターを見る。 点と横棒。
それから、あの貝殻のような記号。
何となく、見覚えがある気がするのだが……。
昼食後はしばらくゲームをしていた。
息抜きのつもりで起動したアクションゲームだったが、肝心なところで操作を間違え、あっさりやられてしまった。
「……あー」
再挑戦してみたものの、今度も駄目だった。
ゲームの途中で、つい暗号のことを考えてしまうのだ。
敵の攻撃を避けながら、点と横棒の組み合わせを思い出している場合ではない。
3回目の敗北画面が表示されたところで、僕はコントローラーを置いた。
どうせなら、暗号の続きをやった方がいい。
午後はRedditの投稿をもう一度確認した。昨日保存したページと比較すると、いくつか新しい書き込みが増えている。出題者が追加したものなのか、ほかの参加者によるものなのか、区別がつかない部分もあった。
書籍暗号を試している人もいたし、ヘッダーの記号について意見を交わしている人もいた。僕と同じところで悩んでいる参加者は、どうやら少なくないらしい。
夕方にはアレックスとも何度か情報を交換したが、結局どちらも目立った収穫はなかった。
その夜は、午後11時を過ぎたところで作業を切り上げた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
2012年1月6日、午後4時12分。
「……さて」
僕はRedditのヘッダー画像を開き、ノートを広げた。
今日は午前中に数学と英語の課題を済ませている。古文の感想文はまだ残っているが、それは夕飯までに何とかしようと思う。
机の上も昨日よりは片付いていた。メモを整理しておかないと、同じ検証を何度も繰り返すことになる。昨日は途中から、どの紙に何を書いたのか分からなくなってしまった。
僕は画像を拡大し、記号を1つずつ見比べた。
昨日までずっと文字として考えていたが、アレックスの言うとおり数字だとしたらどうだろう。
例えば、点1つが1だとする。
横棒は……5とか?
試しにノートへ書いてみた。横棒1本と点2つなら7。横棒2本なら10。点3つなら3になる。
「あれ?」
ペンが止まった。
どこかで見たことがある。
それも、かなり昔に。
僕は記号の画像をもう一度見た。
点と横棒の組み合わせ。
それから、貝殻のような形。
「あっ」
思い出した。
僕は慌ててブラウザを開き、検索欄へ文字を入力した。
検索結果に並んだ画像を見て、思わず声が出た。 「マヤ数字か!」
古代マヤ文明で使われていた数字の表記法だ。
点が1、横棒が5。そして貝殻のような記号は0を表す。以前、本で見かけたことがあったのだが、まさかこんなところで出てくるとは思わなかった。
僕は検索結果とRedditの画像を並べ、13個の記号をすべて読み取ると、こうなった。
10, 2, 14, 7, 19, 6, 18, 12, 7, 8, 17, 0, 19
「……ふむ」
数列になったのはいいが、これだけでは何を意味しているのか分からない。
試しに1をA、2をBとしてアルファベットへ変換してみた。最初の3文字はJBN。これでは意味が通らない。
僕はマヤ数字について書かれたページへ戻った。 そこで目に留まったのが、20進法という言葉だった。
普段使っている10進法では、0から9まで数えると次の桁へ繰り上がる。一方、20進法では0から19までを1桁として扱う。
今回の数字も、すべてその範囲に収まっている。 「……そういうこと?」
僕はノートに、0から19までの対応表を書き始めた。
0から9まではそのまま。10以降はアルファベットを使い、10をa、11をb、12をc……と表す。
これなら、マヤ数字で示された13個の数を13文字へ置き換えられる。 最初の10はa。次の2はそのまま2。14はe、7は7、19はj。
ここまで書いたところで、僕は手を止めた。
「……ん?」
この並び。
どこかで見たことがある。
僕は続けて残りの数字も変換した。
a2e7j6ic78h0j
「……あれ?」
Redditのページへ戻り、アドレス欄を確認する。
reddit.com/r/a2e7j6ic78h0j/
僕はノートに書いた文字列と、画面のアドレスを見比べ、もう一度数字の変換を確認する。
10はa。
14はe。
19はj。
18はi。
12はc。
17はh。
最後の19もj。
全部合っている。
「……マジか」
思わず笑ってしまった。
ヘッダーの記号をマヤ数字として読み、それを20進数で表記すると、Redditのコミュニティ名になる。 つまり、画像に描かれていたのは適当な模様ではなく、このページの名前そのものだったわけだ。
ただ、そこまで分かって、僕は首を傾げた。
「……いや、でもさ」
これでは、何も新しい情報を得ていないのではないだろうか。
そもそも僕は、そのRedditにすでにアクセスしている。ヘッダー画像を解いた結果、今いるページのアドレスが出てきたところで、次の問題へ進めるわけではない。
だからといって、意味がないとは思えなかった。 わざわざマヤ数字を使っているのだ。
しかも、単なる数字ではなく、20進数へ変換しなければページの名前にならない。
出題者は、なぜそんな仕組みにしたのだろう。
僕はノートの余白に《20進法》と書き込んだ。
何かの鍵になる可能性はある。少なくとも、今後同じような数字が出てきたときには役に立つだろう。
そのとき、チャットの通知音が鳴った。
アレックスだった。
WALKER:Any progress?
――進展あったか?
僕は少し迷ってから返信した。
NIL:Alex, I think I found something.
――アレックス、何か見つけたかもしれない。
すぐに返事が届く。
WALKER:Please tell me it's not another duck.
――頼むから、またアヒルじゃないと言ってくれ。
思わず吹き出した。
「まだ言ってるのかよ……」
アレックスも、あのアヒルにはよほど思うところがあるらしい。
NIL:No ducks this time. The header uses Mayan numerals.
――今回はアヒルじゃないよ。ヘッダーにはマヤ数字が使われてる。
WALKER:Mayan numerals?
――マヤ数字?
NIL:Convert them to base 20. You get the subreddit name.
――20進数に変換すると、Redditのコミュニティ名になるんだ。
しばらく返信がなかった。
たぶん、アレックスも自分で確かめているのだろう。
その間に僕は、マヤ数字の画像をもう一度保存し直した。先ほどの変換結果も、ほかのメモと一緒にまとめておく。
やがて新しいメッセージが届いた。
WALKER:You're right. Nice catch.
――本当だ。よく気づいたな。
続けて、
WALKER:Though that only tells us where we already are.
――まあ、今いる場所が分かっただけだけどな。
「……それな」
まったく、そのとおりだった。
僕は少し笑いながら返信した。
NIL:Your idea about numerals helped. Thanks.
――数字じゃないかっていうアレックスの考えがヒントになったよ。ありがとう。
WALKER:Then let's see where it leads.
――じゃあ、ここからどうつながるか調べてみよう。
僕はノートをめくり、例の書籍暗号をもう一度表示した。
76組の数字と、Redditに投稿された意味不明な英文。
まだ手がつけられていないものはいくらでもある。
その横に、さっき見つけた20進法の対応表を置いた。
少しは使えるものが増えたはずだ。
そう思いながら、僕は改めて解析を始めた。




