約束の果たし方
アルベルト。わたしの護衛騎士。
決して叶わない恋だった。
あの日、王宮が燃え上がるまでは——。
長い夢から覚めた後、わたしには『アルベルト』という名の双子の弟がいた。
彼の瞳は、夢で見た騎士様とそっくりで——。
これは、叶わなかった願いと約束のお話。
※自死・心中描写、近親間の執着描写があります。
姫様、と。彼がそうわたしを呼ぶたび、さまざまな感情に苛まれた。優越感、独占欲、そして何より、叶わない恋への——悲哀。
アルベルト。わたしの護衛騎士。わたしが選んだ、わたしだけの騎士。銀色の長い髪を一つにまとめて騎士服をきっちり着こなす姿は禁欲的で、ご令嬢たちからの人気も高い、らしい。わたしと頭ひとつ分ほど違うすらりとした体格も、本人はもっと筋肉をつけたかったと言っていたけれど、素敵だと思っている。
護衛騎士と一国の姫。決して結ばれることのない二人だった。何事もなければわたしは国外へ嫁ぎ、彼は国内で誰かを娶る。そう定められていた。
この恋を叶えたいと思っていたわけではなかった。姫として、それくらいの矜持はある。今このひとときだけでもわたしのことを見てくれるならそれでいいと、自分に言い聞かせていた。
風向きが変わったのはいつだったのだろう。国内情勢がきな臭くなり始めて、父がわたしの輿入れを早めようとしていたのには気がついていた。
わたしには決まった婚約者がいなかった。それなのに用意されていく嫁入り道具。父に尋ねてもはぐらかされるばかりで、父がわたしを国外へ逃がそうとしているのだと察しがついた。
わたしが気がついたのだから、護衛騎士である彼だって気がついたはずだった。ある日、午後の日課であるお茶の時間、そばに控える彼が言ったことがあった。
「姫様、もし、俺が——」
そう言いかけて、彼は言葉を切った。メイドがこちらを見ていないことを確かめて、今度は囁くように。
「姫様。もし……俺が、貴女を攫ってしまいたいと言ったら、……ついてきてくれますか」
お気に入りの庭園で、わたしが好きだと言った花だけが咲いていて。お気に入りのカップを持つ手が震えた。
本当は、一も二もなく頷いてしまいたかった。お父様はわたしを逃がそうとしているけれど、本当はあなたも一緒じゃないと嫌なの、と縋ってしまいたかった。
……けれど。持っているカップに視線を落とす。
わたしがお気に入りのものに囲まれて、ただ一人わたしの選んだ護衛騎士に守られているのは、わたしがこの国の姫だから。果たすべき責任があるから、こうしていることが許されている。それくらい理解していた。
わたしに許された身の振り方は、決して恋に溺れて全てを捨てることではない。それがどれだけ甘美な誘惑であったとしても。
「……アルベルト。そう、言ってくれるのは……そうね、うれしいわ」
「姫様……」
「けれど、お父様はわたしの嫁ぎ先を一刻も早く用意しようとしてくださっている。お父様のご厚意を無碍にしたくないの」
アルベルトは「出過ぎた真似を」と謝罪して、そっと控える位置へと戻った。彼のまつ毛が震えていた気がしたのは、わたしの気のせいかもしれないけれど。
わたしは手に持ったカップに再び視線を落とした。
アルベルトもわたしを想っていてくれたのではないかと、この報われない恋が叶う可能性があるのかと、本当は浮かれてしまいたかった。
そんな昼下がりの出来事の、ほんの数日後。
王宮は炎に包まれていた。
アルベルトがわたしのもとへ駆けつけた頃には、火の手はわたしのすぐそばまで迫っていた。
「姫様! 姫様、こちらはまだ炎が薄いです、姿勢を低くして……」
この時のわたしの行動は、姫としてあり得ない判断だったと、今では思う。
「ねえ、アルベルト」
「はい」
「抱きしめて」
炎の轟音の中、わたしの寝室が崩れる音の中、アルベルトは呆然とわたしを見つめた。何を言っているのか、と言わんばかりの瞳だった。
「お願い」
「姫様、まだ逃げられます。とにかく……」
「ここで生き残ったって、どうせ慰み者にされるだけだわ。お父様やお母様だって、きっと殺されてしまっている」
「…………」
「最期くらい、わがままを言わせて。……攫ってくれるというのは、嘘だったの?」
アルベルトはぎゅっと何かを堪えるような表情をして、それから。
「……嘘では、ありません」
わたしを抱きしめてくれた。
天にも昇る心地とは、きっとこのことだろう。
今すぐ動き出せば、きっと助かる——そうわかっていて、それでもわたしは彼の腕の中で死にたかった。
「……あのね、アルベルト。煙に巻かれて死ぬのはきっと苦しいわ」
ぎゅっとわたしを抱いたまま、アルベルトが頷く。
わたしは手に持っていた薬瓶をそっと揺らした。
「王宮が襲われたとわかって、すぐに手に取ったの。……王家に伝わる、自決用の毒」
「……姫様、本気ですか」
「あなただけでも生きて、と……、言えたらよかったのだけど」
ごめんなさい、そう言って毒を呷る。
何をされるかわかっていない表情のアルベルトに微笑んで、——そっと口付けた。
わたしだって王族だもの、もしもの時の教育くらいされているわ。この毒の即効性だってよく知っている。
だからすぐ意識が遠くなるのもわかっていた。
アルベルトの手をしっかり握って。この世界を見守る女神様に祈る。
——せめて来世は。彼に、アルベルトに、あなたが好きだと言える女の子にしてください。
☆☆☆
長い長い夢をみていた気分だった。わたしはお姫様で、護衛の騎士に叶わない片思いをしていて、最期は彼に毒を——。
「……あら?」
ぱちりと目を開く。
今日はずっと楽しみにしていたデビュタントの日だ。
……と言っても、わたしは身体が弱いから舞踏会へはいけないけれど。双子の弟がお土産話をたくさんしてくれると約束してくれている。それに、我が家のホールで一緒に踊ってくれる、とも。
「……ふふふ」
夢は遠くなって、現実が近くなる。
朗らかで優しいお父様、厳しいところもあるけれど美しく尊敬するお母様、そして何より、わたしの全てを理解してくれる半身の弟。わたし自身は少しだけ病気がちで苦しいけれど、それでも素敵な家族に囲まれて、わたしは幸せだった。
部屋の扉がノックされる。きっと彼だ。
「はあい」と返事をすると、扉を開いて現れたのは予想通り、弟だった。
「姉様、起きてたんですか?」
……あら? なんだか弟の声が、夢で見た騎士様のものに似ている気がする。
「今日は調子がいいみたいなの、アルベル、ト……」
……あらら? 夢で見た騎士様とわたしの弟って、お名前が同じだわ。
「調子がいいからって、屋敷を走り回ったりしないでくださいね。俺の心臓はいくつあっても足りません」
「もう、幾つの時の話をしているの。わたしはレディだもの、そんなことしないわ」
なんて言いながら、化粧台の前に座る。アルベルトはいつものようにわたしの髪を梳かしてくれた。
心地よさにまどろみかけて、はっと首を振る。突然首を動かしたことに弟から注意が飛んだ。
「……あのね、アルベルト。今日は不思議な夢をみたの」
「へえ、どんな夢ですか?」
「わたしはお姫様で、騎士様に恋をしているの」
「…………へえ」
「それでね、おかしいのよ。騎士様のお名前がアルベルトと一緒なの。お声もなんだか似ていたわ」
アルベルトの動きが止まった。ぼそりと、わたしが聞き取れない音量で何事かが呟かれる。
「……やっと、思い出してくださったのですか。姫様」
「? なあに、アルベルト」
「なんでもないよ、姉様。さ、準備ができた」
きれいに髪をセットしてもらって、アルベルトが満足げに微笑む。さすがに弟にお着替えを手伝ってもらうわけにいかないから、この後にメイドを呼ぶのがいつもの流れだった。
わたし付きのメイドを呼ぼうとして、アルベルトがわたしの手をそっと握っていることに気がつく。
どうしたの、と問えば弟は真剣な表情で。
「姉様、……今度は絶対に、離しませんから」
「……? わたしたち、離れたことなんてないわよね?」
「……それでも、ですよ」
弟の碧い瞳がわたしを射抜く。
あら、夢の中の騎士様と、瞳の色まで同じなのね——なんて、そんなことを思った。
わたしと弟はいつだって一緒だった。わたしは身体が弱くて、よく伏せっていた。わたしが辛いとき、弟は決まってわたしの枕元でじっとして、わたしより辛そうにする。だからいつも、「弟のために早くよくならなきゃ」なんて思った。
この国の貴族の子どもたちが通うことを半ば義務付けられている学園にも、わたしは通えなかった。けれどアルベルトは通わなくてはいけなくて。学園は全寮制だから、離れ離れが悲しくてわたしは泣いた。アルベルトも困った顔をしていたと思ったら、飛び級して一年で帰ってきたのだから驚いたっけ。
いつだってわたしと弟は一緒だった。これまでも、そしてこれからだって、きっと一緒なのだ。
舞踏会へと出かけていく弟を見送って、わたしはむぅとふくれた表情を隠さなかった。
「仕方がないでしょう、あなたの体調が優れなかったのだから。アルベルトと踊ってもらうのは身体を治してからよ」
「お母様……。だって、今朝は元気だったのよ」
「いいから、早く寝なさい。アルベルトが帰ったら教えてあげるから」
「はあい……」
自室へ戻って、横になる。睡魔はあっという間に訪れた。
また夢をみていた。けれどこれが現実にあったことだと、どこかで理解している感覚もあった。
夢の中のわたしはお姫様で、アルベルトは護衛の騎士様だった。あなたを愛していると、最期まで言葉にできなかったのが心残りだった。
誰かに触れられている感覚で目を覚ます。
暗い自室で、ベッドサイドにはアルベルトが立っていた。
「……おかえりなさい、アルベルト……」
「ただいま戻りました、姉様」
『ただいま戻りました、姫様』
アルベルトは腕の立つ騎士だったから、わたしの護衛を外れる時が時々あった。任務を終えて戻ってくるたび、彼はそう言ってわたしにだけ微笑みかけてくれた。
夢と現実が曖昧だった。だから、口をついてこんな言葉が出た。
「ねえ、アルベルト。最期までわたしの騎士でいてくれて、ありがとう……」
「……は、姉様……?」
「ほんとはね、攫ってほしかったのだけれど。わたしの方が、攫ってしまったわね……」
手を引かれて、身体を起こされる。ぎゅっと、アルベルトがわたしを抱きしめていた。
「ふふ、あのときのこと、思い出すわ……」
「姉様……、姫様、俺は、俺は……!」
「なあに、泣いているの……?」
「俺が……! 俺が貴女を、守れなかったから……! この生は、罰なのだと……ばかり……」
意識がはっきりしてきて、夢と現実が分かれ始める。それでもアルベルトの——弟の様子から、あの夢はただの夢ではないとわかった。だからわたしは、夢のお姫様のまま言った。
「罰……? どうして?」
「俺は……最期に、願ってしまったのです。次は貴女と決して裂かれぬ関係になりたい、と」
アルベルトは涙に濡れながら、懺悔でもするかのように囁いた。
「そのような欲深い願いを抱いたから……俺と貴女は、今世では……決して、決して結ばれない」
「……アルベルトの願いは、叶ったのかしら」
「……姫様?」
「わたしもね、最期に願ったの」
夢の中のお姫様の最期の願いは、確か。
「『来世はあなたに好きと言える女の子になれますように』って」
アルベルトにつられてか、わたしの視界も滲む。これはわたしではなくて、お姫様が泣いているのかもしれないと思った。
「……愛してたわ、アルベルト」
アルベルトがわたしを強く抱く。痛いくらいだった。
「姫様、貴女が……貴女が、もっと早く思い出してくださっていたら。そうすれば俺は迷わず貴女を攫ってしまえたのに」
「……今はもう、攫えない?」
「貴女の家族を悲しませたくありません。姉弟では……もう……」
「あのね、アルベルト」
そっと身体を離して、弟の瞳を覗き込む。涙に濡れた碧は、わたしと同じ。
「ずっと一緒にいましょう。姉弟だって、ずっと一緒にいるくらい許されるわ」
「……しかし、父の後を誰が継ぐのです」
「わたしは身体を壊して領地の方のお屋敷で静養してしまうの。あなたはそれを心配してついてきてくれる。……ね、きっとなんとかなるでしょ?」
「……姫様」
「……いいえ、アルベルト。わたしはあなたの姉様よ」
そっと額に口付けた。今よりもっと子どものころ、よく弟がしてくれたおまじない。
「ね、……また、あなたを攫わせて」
「……姉様には、敵いません」
アルベルトはそう言って、泣きながら笑った。
「アルベルト、よくわたしが『わたし』だってわかったわね?」
「それは……姫様と、姉様。そっくりでしたので」
「そう? お顔はかなり違うと思うわ」
「リンゴのパイがお好きなところ。お好きな花も、色も、何もかも」
「……そうだったかしら」
「それから、……俺を、騎士にするところが」
『アルベルト! あなたはわたしの騎士よ! もう決めたわ!』
「なんて、台詞までそっくり同じで……ふふ」
「ち、小さいときの話じゃない! もう忘れて!」
「いやです、忘れません。……ふふ」




