謎の冒険者〈天撃〉
誕生日に「可愛いヴィーネ、何か欲しいものはあるかい?」と父親に問われて、輝かんばかりの笑顔で「おかね!」と答えるような子どもだった。
裕福な商家の家に生まれたヴィーネは、幼い頃から父の管理する店に出入りしていた。帳簿と書類に囲まれて、日常の風景の中で取引や商談を見ながら育った。
「ヴィーネちゃんは絵本よりも帳簿を読む方が好きなのね」
事務所の隅で経営書類を読み込む幼児に、周りの大人たちは苦笑いをするほどであったそうだ。
ヴィーネの祖父は小さな店を国を跨ぐ大商会に成長させた偉大な商人であった。今やこの国で〈マノン商会〉を知らない者はいない。
還暦を迎えてもまだ世界を飛び回り、見知らぬ地のお土産と武勇伝を携えて帰ってくる大好きな祖父はヴィーネにとって最も尊敬する人物だった。
現役時代の笑い話、商談で一杯喰わされた失敗談、港町で酒場の主と腕相撲した武勇伝——そのどれもが、まるで冒険譚のようで、幼いヴィーネは祖父の膝の上で目を輝かせて聞き入った。
「昔はこの地も寂れた町だったんだよ。物乞いがあちこちにいて、皆が食うものに困っていたんだ」
その中には少々難しい話もあったが、ヴィーネは少しでも理解しようと必死に耳を傾けた。
「だが徐々にここで商売する者が増えるようになった。商人が増えると物が巡る。物が巡れば金が巡り、人が巡るようになる。そうすれば町は活気に溢れてきたんだ」
「かっき?」
「町が元気になったんだよ。俯いてばかりだった人たちが、どんどん笑顔になっていく。仕事が増えて、生活が豊かになり、ゆとりができる。儂はそういう金の使い方がしたかったんだと、つくづく思ったよ」
かつて寂れていたというこの地は、今や王都に次ぐ大都市だ。
きっと祖父は商売でみんなを笑顔にしているのだと気付いた時、ヴィーネは叫んでいた。
「おじいさま、わたしもおじいさまみたいにみんなをしあわせするしょうにんになりたい!」
祖父は一瞬虚を突かれたような顔をしたが、すぐに「そうかそうか!」と笑ってヴィーネの頭をくしゃくしゃに撫でた。
「きっとなれるよ、ヴィー。お前には人を動かす力があるからね」
●
その十数年後、彼女の姿は故郷からはるかに離れた辺境の地にあった。
ソルガードは、アーラルク大森林に接して築かれた巨大な城塞都市だ。
かつて魔族と人間種が死力を尽くして争った最前線。その歴史は名残となって今なお町の骨組みに刻まれているが、この町が戦の遺構で終わっていないのは、城塞としての機能がいまだ健在だからだ。
外縁を囲む分厚い城壁は、今も現役で魔物の侵入を防いでいる。城門や監視塔では兵士たちが日々交代で詰め、壁上には魔術砲台と迎撃の準備が整えられていた。定期的な修繕や魔術による強化も怠られず、その堅牢さはかつての戦時以上とも言われている。
だが、城壁の内側に広がる町の様相は、軍事拠点というよりもむしろ交易都市そのものだった。
ソルガードはアーラルク大森林から出没する魔物を狩り、その素材を都市部へと供給する“採掘口”として、今や莫大な富を生み出している。森の浅い層に現れる小型の魔物はもちろん、時折現れる大型の魔物の討伐依頼は高額で、成功すれば一攫千金が約束された。冒険者たちは命を賭して森へと分け入り、獣の角、鱗、牙、内臓、さらには魔素を内包した魔石を町へと持ち帰る。
これらの素材を求めて、加工師や商人が各地から集まり、町の市場には早朝から熱気が立ち込める。交渉、査定、取り引きの声が飛び交い、ひとたび日が昇れば、あらゆる路地に商いの気配が満ちる。
だからこそ、ヴィーネは王都からはるばるこの町にやって来た。
交易の町ソルガードには、常に新しい物を求める目利きの客が集まってくる。古くから魔物素材の集積地として栄えてきたこの地では、商品を見極める目も厳しいが、そのぶん一度注目を集めれば噂は瞬く間に広がっていくことだろう。
王都で売り出す前に、まずはこの町で試したい。ここで通用するならば、どこへ持って行っても恥ずかしくない商いになるはずだ、ヴィーネはそう踏んだのだ。
(まあ、まさか人間種と組むことになるとは思わなかったけどね)
町の喧騒に戻ってきた。アーラルクの鬱蒼とした木々と、しんと静まり返った息遣いが支配する空間を思い出せば、この雑踏すらどこか心地よく感じる。
ソルガードの冒険者ギルドの扉を押し開いたとき、
「とにかく、今すぐ森に立ち入らないよう触れを出すべきですって!」
「そうだ、俺たちは運よく逃げ切れたけど、あの熊が浅層に出るなんて前代未聞だ!」
「取り残された奴もいるんだ、捜索隊を出してくれ!」
ヴィーネは眉をひそめ、声の主に目をやる。浅黒い外套の男──彼女が雇った護衛のひとりだった。横に並ぶ数人の冒険者たちも、間違いなく契約書にサインを交わした相手。
だが彼らの前に立つギルドの受付嬢は、困惑よりも冷えた眼差しを向けていた。
「つまり、皆さんは自分達だけ逃げてきたんですか? 一般人を置いて?」
「そ、それは……だってあれは討伐難度Aの魔熊だったんだぞ? 俺たちBランクじゃどうにもならないって……!」
「判断を誤れば全滅だったんだ!」
「第一、自分の命を最優先が冒険者の鉄則だろう!?」
「えぇ、そうですね。危険を判断して撤退することも冒険者として大切な素質。ギルドでも推奨していることです」
受付嬢は頷いたが、「ですが」と一段と声を低くして冷淡に告げる。
「通常の討伐や採集依頼に関してならば、の話です。今回貴方がたが受注したのは護衛依頼。事前に依頼人の安全確保が最優先であることを確認していたはず。護衛対象を置いて逃げるなど、言語道断です」
ぴしゃりと放たれた言葉に、男たちは一瞬たじろいだ。
「で、でもよう」
「護衛依頼なんて、この町じゃほとんどないぜ。俺たちだって初めてだったし……」
「そうですね。ですから、Bランク冒険者である貴方がたにお声がかかったのです。少々稀な依頼ですが、貴方がたの実績からきっとやり遂げてくれるだろうとね」
結果は残念ですが、と受付嬢が目を伏せると冒険者たちも黙り込む。
まるで通夜の雰囲気である。
ヴィーネは嘆息ついて、受付に足を向ける。
「とにかく、他の冒険者の方々に森に近付かないようギルド長の名で御触れを……」
「必要ないわ」
コツコツと足音を鳴らしながら受付までやってきたヴィーネに、一同の視線が吸い寄せられた。
「あんた……!? 無事だったのか!?」
「『置き去りにされた』依頼人だけど。見ての通り、ちゃんと帰ってきたわよ」
皮肉混じりに言い放つと、冒険者たちが気まずそうに視線を逸らした。
受付嬢は立ち上がり、胸に手を当てて頭を下げる。
「ヴィーネ・マノンさん。この度のこと、ギルドからも謝罪します。そしてよくご無事でお戻りくださいました」
「死ぬかと思ったわよ。親切な人に助けられなかったら本当に死んでたところだわ」
森の浅いところにいたと思っていたが、大魔熊から逃げ回っている内にずいぶん深部へと入り込んでいたらしい。ラスラが通りがかっていなければ、自分は今頃熊の餌だ。
「親切な人に助けられたって……まさか、〈天撃〉が出たのか?」
その一言で、空気がざわめきだした。
「〈天撃〉? あの都市伝説の?」
「森の中で影に紛れて現れて、窮地を助けてくれる謎の冒険者さ」
「電光石火の一撃で魔物を屠るって話だ。その姿を誰も見たことがないんだと。噂じゃAランクオーバーの凄腕冒険者なんじゃないかって」
「また〈天撃〉の話ですか……ギルドはその存在を確認してませんよ。ただの都市伝説でしょう」
受付嬢が呆れた風に否定するが、冒険者たちは口々に言い合い、まるで夢でも語るように熱を帯びていた。
「じゃなきゃ大魔熊から逃げられる訳ないだろ!? オレたちだって身体強化してても追いつかれる!」
「実際に森で〈天撃〉に助けられたって冒険者は何人もいるんだ! ただの眉唾もんじゃねぇよ!」
「あんたも〈天撃〉が通りがかって助けてもらったんだろ?」
いや誰よ、とヴィーネは思わず口を挟みかけて、ぐっと飲み込んだ。
人間種に助けられたとは言えない。ラスラや森に住む人間種たちを守るためにも。
というか、もしや本当にラスラが〈天撃〉なのだろうか?
気配を消し、あっという間に間合いを詰め、矢で目を潰し、刃で脊髄を断った狩人。たしかに手際は鮮やかだったが、雷撃に例えられるほどだろうか?
「噂じゃ実は女だって話だろ?」
「まさか。オレは〈天撃〉は二人組の冒険者だって聞いたぞ」
「ドラゴンの首を一撃で落としたらしい」
どうやらラスラは〈天撃〉ではなさそうだ。
代わりに、肩をすくめて返した。
「都市伝説がどうかは知らないけど、腕の良い狩人に助けられたのは確かね。あと、もう大魔熊の警戒はしなくていいわ」
受付台に拳大の魔石を置くと、受付嬢が目を丸くした。
「まさか……。一応聞きますけど、ヴィーネさんが討伐したとかではないですよね?」
「わたしが戦えると思う?」
丸腰をアピールすると、受付嬢は信じられないと首を振った。
それはつまり、ヴィーネでない第三者が大魔熊を仕留めた証拠だ。
「マジかよ……本当に〈天撃〉って実在したのか……!」
「一度でいいからその姿、見てぇな……!」
半ば興奮気味に語る彼らの様子を見ながら、ヴィーネは深くため息をついた。
良い感じに勘違いしてくれているようなので、もうこのまま〈天撃〉とやらの手柄にしておこう。
受付嬢の方はもっと半信半疑だった。
「本当に〈天撃〉に会ったんですか……?」
「わたしは〈天撃〉って人かどうかなんて分からないわよ。ただ、たまたま出会った人に助けてもらって、大魔熊からとれた魔石を譲ってもらったの。礼をしたいって言っても断られたわ」
嘘は言っていない。
森で出会った人間種の狩人は驚くほど無欲だった。どころか「一羽持って帰るか?」とまだ生きているホーンラビットをお土産に差し出された時はひっくり返るかと思った。
「ちなみに、ホーンラビットの討伐難度を聞いてもいい?」
「ホーンラビット……ですか? 討伐難度Bですが、俊敏さと突進による攻撃が『盾壊し』の異名を持つほど強力ですから、ギルドでは複数人での討伐を推奨しています。……遭遇したんですか?」
「ううん。何でもないの」
ヴィーネが事前に調べた情報とも一致している。決して「いっぱいとれたからこれも持って帰りなよ」と手土産に渡されて良い代物ではない。
持って帰れる訳ないでしょ! と固辞したが、たぶんラスラはヴィーネが断る理由を理解していないだろう。
恐らくここでホーンラビットを一緒に提出していたら、どうやって無傷で生捕りにしたのかと冒険者たちに問い詰められていたことだろう。ラスラは罠にかかっていたとこともなげに言っていたが、〈危険探知〉持ち魔物をどうやって罠にかけたのかヴィーネも知りたい。
つくづく人間種とは感覚が違うのだと思い知らされる。
「分かりました。魔石のご提出、ありがとうございます。解析すればこの魔石が大魔熊のものかはすぐに分かるでしょう。結果が出るまでは念のために森の出入りを禁じることになりますが」
「どれぐらいかかるの?」
「これが大魔熊のものなら、明日の午後には解除されるでしょう」
ヴィーネはこっそり安堵した。
十日後に再びラスラと森で会う約束をしているのだ。それまでには出入りできるようになっているだろう。
「それからヴィーネさんの依頼についてですが。契約不履行として訴えることもできますがいかがしますか?」
ギクリと冒険者たちが身を強張らせる。
契約不履行とは「依頼内容の達成未達成に関わらず明確な契約違反があった場合」に依頼人側からギルドに対し申し立てをすることができるものだ。
依頼人と冒険者との間を仲介をするギルドは、この申し立てを受けると依頼人が支払った依頼料を補償しなければならない他、冒険者側にペナルティを与えることができる。
具体的には謹慎や活動停止、冒険者ライセンスの強制剥奪もあり得る。
ヴィーネは彼らを一瞥し、これみよがしに嘆息ついた。
「そうねぇ。実際死にかけた訳だし」
「お、おい。大魔熊に遭遇したのはオレたちの落ち度じゃ……」
「森に置き去りは落ち度じゃないの?」
ぐっと冒険者たちが詰まる。
ヴィーネが口を開く前に、冒険者たちは揃って頭を下げた。
「「すいませんでしたっ」」
呆気に取られたヴィーネに、リーダー格と思われる黒外套の男が「詫びて済む問題じゃねぇとは分かってる!」となおも言葉を重ねた。
「自分の命惜しさにあんたを見殺しにした……いや、結果的にあんたは生き残ったが、オレたちがしたのはそういうことだ。冒険者は何があっても自己責任だが、あんたは冒険者じゃあねぇ。オレたちが殿を務めてあんたを真っ先に逃がすべきだった。オレたちゃ、そんな基本的なことも分かってなかった。ペナルティだろうがなんだろうが謹んで受け入れるつもりだ」
あら、思ったより殊勝だこと。
あれは事故だったと開き直られるかと思っていたが、少しヴィーネは見直した。
「……金貨五枚。あんたたちにわたしが前払いで払った額よ」
冒険者たちはまだ頭を下げたままだ。
ヴィーネは冷静に彼らの頭を見下ろす。
「前払い分には、依頼達成のための準備費用も含まれる。だから依頼が満足に達成されなくても支払った分の返却を求めることはできないと聞いたわ。そうよね?」
「ええ、この制度は魔物討伐依頼を想定しています。絶対に倒せる魔物は存在しない。たとえ討伐に失敗したとしても冒険者側に不利益が出ないようにと配慮されています。しかし今回は……」
今回は護衛依頼。依頼失敗はヴィーネの護衛失敗、つまりヴィーネの死亡を意味する。
「それでも、前払い分に準備費用が含まれているのに代わりはない。霊薬や武器の準備をすればほとんど彼らの手元には残らなかったはず」
金貨五枚は決して安くはない額だ。贅沢しなければ一月は彼ら三人暮らしていけるだろう。
無事にヴィーネを連れ帰ることができたら、残りの金貨五枚を渡す約束だった。
それでも三人の一月分の生活費、たったそれっぽっちだ。
「あんたたち三人の命を賭けるには、確かに安かったわね」
はっと息を飲んで冒険者たちが顔を上げる。
「あんた……」
「森は危険地帯、不測の事態もあり得る。ギルドからもあなたたちからも聞いていた。その上で森に入ることに決めたのはわたしよ。自分のことを棚に上げて、あんたたちだけに責任を押し付ける訳にはいかないでしょう」
受付嬢を見ると、仕方ないですねと肩をすくめた。
「ヴィーネさんのご意向は分かりました。しかしながら、依頼途中の護衛の放棄は悪質。ギルドとして看過できません。あなたがたへの処分は後日申し伝えますが、降格と謹慎処分は覚悟していてください」
「あ、あぁ。分かった」
戸惑いながらもリーダー格の男が頷く。
続けて受付嬢はヴィーネに向き直る。
「契約不履行の申し立てを行わない場合、前金の補償はできません。彼らへ適応される罰則も比較的軽いものになるでしょう」
「充分よ」
ヴィーネも了承した。
別に冒険者たちに情けをかけたつもりはない。だが恐らくヴィーネが契約不履行を申し立てれば、依頼人を殺しかけたのだ、冒険者ギルドからの除名処分もあり得ただろう。
ヴィーネは彼らへ支払った対価分の責任を問うただけだ。別に彼らの飯のタネを奪いたいわけではない。
あ、そうだ、とヴィーネは声を上げる。
「あと私、冒険者登録をしたいの。森にはこれからも通うつもりだから」
「「はぁっ!?」」
冒険者たちが目を剥いた。
「せっかく拾った命を捨てる気か!?」
「やめとけ、死ぬぞ!?」
受付嬢も驚いた。
「正気ですか?」
「悪いけど大真面目よ。一人でも森に入れるようになりたいの」
指で大魔熊の魔石を叩いて言えば、頭の良い受付嬢には何が言いたいか分かったようで静かに頷いた。
「かしこまりました、ヴィーネさん。ようこそ、冒険者ギルドへ」
「「えーーーっ!?」」
ギルド中がどよめいた。
次回12月31日22:00に更新します。
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