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◆絶滅寸前の人間は、魔族の友達に会いに行く  作者: 駄文職人


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最終話 〈麒麟の蹄〉

『狩人ラスラを冒険者として認定し、ソルガードへの立入を許可する』


 もし何かこいつが問題を起こしたら冒険者ギルドで責任を持てよ、という釘刺しも並べて記された通達がバリストンを通してもたらされたのは、あの決闘からわずか半日後のことだった。


 末尾にはゼイグの直筆の署名が走り書きされている。


 冒険者ライセンスをラスラに渡したことをなぜ知っているのか。何はともあれ、領主公認となったことをヴィーネたちは共に飛び上がって喜んだ。


 それを慈愛の笑みで眺めるバリストンの頬はこけていた。かなり気苦労をかけたようなので、また差し入れを持って行こうとイオは心に決める。


 まあ、気苦労が多いのはこちらも同じだ。


 ワイバーンの被害状況把握、被災者への対応、薬や治癒師の手配、壊れたインフラ設備の補修、城壁の修繕、その他諸々。領主代理とはいえ領主に次ぐ権限を持たされているせいで、やることが次から次へと降って湧いてくる。イオはここ数日はずっと忙殺されていた。


 だが、それすらもイオにとっては問題の先送り、いや現実逃避と言ってもいい。これから自分がやらねばならないことを思えば気が重かった。安易な約束を交わした過去の自分を呪う。


 業務を片付けて時間を作り、「話がしたい」旨の先触れを出した。


 断られるか最悪黙殺されるかと思ったが、存外あっさりと了解の返答が側近によって伝えられた。


 普段は絶対に近寄らない、祖父の執務室。


 それでも幼い頃、それこそソルガードに来たばかりの頃は祖父に構ってもらえないかと何度も様子を見に通ったのだ。王都の両親から引き離されて貴族教育のために祖父に引き取られたイオは、最初こそ家族の温もりを求めてゼイグに何度も会いに行こうとした。


 避けられている、と感じたのはいつからだっただろう。


 挨拶をしたのに無視をされた時か。祖父のためにつんできた花を叩き落とされた時か。それとも祖父の側近たちに、それとなく訪問を止めるように告げられた時か。


 やがてイオは、祖父に愛情を求めるのは無駄なのだと理解した。


「お祖父様、今よろしいでしょうか?」


 ノックすると『入れ』と感情のないバリトンが返ってきた。


 イオは深呼吸し、一息に扉を開けた。


 執務室の中は多くの書類で溢れていた。だがその全てが整然と並んでいる。祖父の古くからの側近が小まめに片付けているのだろうと分かる。


 重厚なデスクの向こうに、祖父はいた。

 顔も上げずに何か書き物をしている。


「何の用だ」


 ぶっきらぼうにゼイグは問うた。


 この人は変わらない。

 昔から、何も。


 部屋に入るまでの緊張も忘れて、イオは腹立たしくなった。


「……用事がなきゃ、家族に会いに来ちゃダメなんですか」


 ゼイグのペンが止まった。

 ようやく顔を上げる。


 やっと自分の顔を見たか、とイオは憤然と息を吐いた。


「まずは、御礼を。……ラスラの出入りを認めてくださって、ありがとうございます」


 これは本心だ。


『人間嫌い』と名高いゼイグ・ヴァン=オルドが人間種のラスラを認めるとは思わなかった。町でもずいぶん驚きを込めてこの知らせは民たちに受け取られているようだ。


「神獣の寵児を蔑ろにする訳にはいかんだろう。まして相手は森の支配者、敵に回してはソルガードは立ち行かぬ」

「お祖父様なら、出会った瞬間ラスラを切り捨てるかもと思っていましたよ」


 人の情をどこかに捨て置いてきたような人だ。出会い頭にラスラと戦闘になったとしてもイオは驚きはしなかった。


「ゾッとせんな……」


 だから、唐突に漏らした祖父の弱気な言葉にイオは目を瞬かせることとなった。


「意外ですね。お祖父様が、そんな……」

「公衆の面前では見栄も張ろう。ここには家族しかおらぬからな。人間種と敵対するなどもうごめんだ。もし今、陛下がもう一度人間種と戦争を始めるなどと言い出せば、私は謁見の間にて床に額を擦りつかせて『勘弁してくれ』と直談判するぞ」


 感情を滅多に表に出さない祖父が、珍しく力を込めて主張する。


 祖父は人間種と敵対する意志がない……?

 歴史上最も多く人間種を屠り、『人間嫌い』とまで呼ばれた人が?


 これまでの祖父の言動を振り返り、イオは恐る恐る尋ねる。


「あの、もしやお祖父様。当初ラスラを町から放逐すると仰ったのはまさか……ラスラの安全を確保するため?」


 あの時、町の中ではワイバーン襲撃の責任をラスラに押し付けようとする動きがあった。


 真偽はともかく、もしそれで万が一ラスラを処断せねばならない事態になったら、新たな争いの火種を生む。少なくとも森に住む人間種たちとの間の確執は避けられなかっただろう。先の戦争のせいでもともと関係は良好ではない、町を守ろうとするならば慎重を期したはずだ。


 だから、町から追い出すことにした。

 ラスラを守るため、そしてこれ以上の人間種との諍いを避けるために。


「あの子どもが二度と町に近寄らぬよう、少々脅した」

「!」

「全く堪えはしなかったがな。どころか、魔族と共にソルガードで商売を始めると言うではないか。冒険者ギルドもあの子どもを冒険者として認定するという。そこまで磐石ならば構わんと判断した。あの人間種に何かあっても、商人と冒険者ギルドが庇うことになろう。あとは領主が決闘し腕を認めたとすれば、そうそう木端が手を出すことはできん。領主代理が友と公言しているならばなおさらな」

「ラスラとは……昔森で会いました。幼い頃からの親友なんです」

「九年前か」


 ズバリ言い当てられた。

 イオは躊躇いがちに頷く。


「隠していてすいません」

「お前は詰めが甘い。お前が人間種の村にいたことを、私が知らぬ訳があるまい」

「え!?」

「遣いが来た。お前が帰りたがらないから、村でしばらく預かっていると。あの女狩人はそれを言うためだけに、町の警備と屋敷の護衛を全て突破して私の元に来おったわ」


 イオは開いた口が塞がらなかった。


 何をしているのか、ミランダは。やっていることが完全に誘拐犯のそれである。


「そ、それでお祖父様はなんと?」

「好きにさせてやってくれ、孫を頼むと。人間種に頭を下げたのはあれきりだ」


 耳を疑った。裏でそんなやりとりがあったなんて全然知らなかった。


 道理で孫が一月いなくなった割に祖父が落ち着いているはずだ。居場所も身元引受人もゼイグは分かっていたのだから。


「領主教育をするためにお前をソルガードに引き取ったのはいいが、直後に森で魔物が大量発生してな。お前は覚えていないかも知れんが街道を魔物が跋扈し、城壁がいつ突破されるやも分からんほど魔物が溢れておった。私はその対応にかかりきりとなり、お前の様子を見に行く時はいつもお前が寝入った後だった」

「え……」

「食事も歩きながらするか、いっそ摂らぬことも多かった。忙しさにかまけ、親元離れたお前がどんな思いでいたかなど、お前がいなくなったと聞くまで思い至らなかったのは事実だ。嫌気がさして戻りたくないと言うのも致し方ないと思った」


 言葉が出なかった。


 城壁を破らんばかりの魔物大量発生なら非常事態だ。そんなさなかで子どものわがままの相手などできる訳がないと、今のイオなら理解できてしまう。


 食堂で満足に食事を摂れぬほど駆けずり回っていた祖父は、それでも深夜にイオの顔を見に通っていたという。寝ていた自分は、知らなかった。


 なんだそれは。

 ……なんだ、それは。


 乾いた唇を舐めて、口を開く。


「学園に、ぼくを入れたのは……」

「屋敷で家庭教師と勉強ばかりでは息も詰まろう。子どもの集まる場所でなら、少しはお前の気も晴れるかとな」

「お祖父様は、一言もぼくにそんなことを教えてくれなかった……っ!」


 祖父は、祖父なりに自分のことを考えてはいたのだ。


 その一片でも自分に伝えてくれていたら。もう少し早くに祖父とこうして話せていたら。


 皺の奥から真っ直ぐこちらを見る祖父の瞳は、イオと同じ空色だった。


「私は、お前に恨まれていると思っていた」

「……っ!」

「学園でそれなりに落ち着いた物腰を得たようだが、お前はもともとひと所に留まってはおれぬ性格だ。オルド家は、お前には窮屈だろう。それでもお前を領主にせんとする私は、お前に憎まれても仕方ない」

「だからって……! 話し合いを放棄する理由にはならない! 今までずっと、ぼくの意志とは関係のないところでぼくの生き方が決められてきた! ソルガードに来ることも、領主教育のことも、学園のこともそう! ぼく自身が決めたことなんて何一つなかった! それが、ずっと苦しかった……!」


 ひとたび話し始めたら、長く胸につかえていたものが次々と溢れてきた。


 せめて教えて欲しかった。

 納得ができればもう少し違った思いでいれたかも知れない。祖父を、恨まずにいれたかも知れない。


 それが、悔しくてたまらない。


 ゼイグは重々しく首肯した。


「……そうだな。確かに、その通りだ」


 ようやくイオは分かった。


 この人は、恐ろしく不器用なのだ。


 あれほど治政に敏腕を振るっておきながら、孫とまともに会話もできないほどの石頭。いわば仕事の顔と態度のまま家族と接してしまう質なのだろう。


「お祖父様は、分かりにくすぎます」

「ディアナ、お前の祖母にもよく言われた」


 沈黙が下りた。


 窓の外の鳥の声が聞こえる。祖父が守り、支えてきたソルガードの街並みが向こうに広がっている。


 ワイバーンが襲撃してもなお揺らがず日常を続ける、強固な町である。


「ソルガードは、この国の盾だ」


 ゼイグは静かに話し始める。


「民を守るため、前線に立てられた盾なのだ。魔物を生む森の脅威から国を守るために、ソルガードは決して突破される訳にはゆかぬ。そして、お前の《障壁》魔法ならば、この町をより強くし守ることができるはずだ」


 お前の力が必要なのだ、とゼイグは続けた。


 実際にイオの魔法の有用性は、先のワイバーン戦で奇しくも証明された。イオならば、また魔物の大量発生が起きたとしてもソルガードを守り切れるだろう。


「……分かりました。ですが代わりに、孫のわがままを一つだけ聞いてくださいますか?」


 ぎゅっと拳を握る。


 もともとこのために祖父の下にやって来たのだ。


「お祖父様。ぼくはこの一年、貴方の下で補佐をしてきた。領主の仕事のなんたるかを、一通りは身に付けたと思います」


 イオは手を差し出す。子どもがお菓子をねだるみたいに、笑みを浮かべて。


「お祖父様、ソルガードをぼくにくださいな。今日この場で」




 木の香りがまだ新しい店内に、陽光が差し込んでいた。 棚はすでに整えられ、商品も一部が並べられているが、まだ人を迎える準備は終わっていない。それでも、どこか期待に満ちた空気が漂っていた。


「すっかりお店といった感じですね」


 扉をくぐったモーダルは、ぐるりと店内を見回して目を細めた。


「モーダルさん!」


 ヴィーネは笑顔で駆け寄った。

 彼女にモーダルは丁寧に頭を下げた。


「この度はご開業おめでとうございます。工房の皆から祝い花を預かってきたのですが、店前に置いてもよろしいですか?」


 ヴィーネの了承を得ると、モーダルは通りに待たせていた運搬屋に「こちらにお願いします」と荷下ろしの指示をする。


「……工房の方々、あれからいかがですか?」


 コルヴァスに潰され、工房どころか住居まで失った人もいた。皆その日のうちに治癒師にかかり、命に別状がないことが確認されたが、今後の生活をどうするのかは当人たちが決めることだ。


 地下から救い出すだけで何もできない自分に、ヴィーネは歯噛みしていた。こんな時ならお祖父ちゃん、マノン商会長はどうしただろうか。


 だがモーダルは良い笑顔で答えた。


「当人たちの希望で、うちの工房に雇うことにしました。皆顔見知りばかりで腕は確かですし、何よりこれからうちの工房はてんてこ舞いになる予定ですから、人手が欲しかったんです」

「まあ」


 ヴィーネはモーダルと取引契約は結んだが、専属交渉はしなかった。


 モーダルはもともと腕の良い職人、衛兵に武器を卸せるほど信頼関係も築いていた。コルヴァス連商会の妨害がなくなった今、少しずつ戻ってくる仕事もあるだろう。新参の商会が独り占めする訳にはいかない。


 それに取引相手が複数ある方がモーダルにとっても良いはずだ。一つの商会に依存していては、その商会が傾いた時に諸共潰れてしまう。


 そのせいで増える負担については、どうやら解決済みのようだった。

 ヴィーネは安心して微笑んだ。


「モーダルさんが忙しくなっちゃったら、ガンジさんは寂しがるわね」

「それなんですけど。ガンジさんにはうちの工房の技術顧問を頼むことにしたんです。人間種の知恵を借りれば、魔鉱石の精錬についても色々ご教示いただけると思いまして。……というのは建前で」

「建前」


 あぁ、とヴィーネは思い至る。

「ミリィちゃんですか?」

「というより、ガンジさんの甥子さんが。我々が町に戻ると知って泣きじゃくってしまいまして大暴れで。私が今後もガンジさんに教えを乞いに通うついでに、ミリィも一緒に村に遊びに行くという約束でようやく納得してくださいました。また遊べると知ってミリィも大喜びでしたよ」

「本当に仲が良いのね」

「えぇ。ミリィも引っ込み思案なところもあったので、友達ができて父としてもホッとしています」

「娘さん、取られちゃうかもしれませんよ?」


 冗談めかしてヴィーネが言うと、モーダルは苦笑した。


「『娘を嫁に連れて行くなら俺を倒していけ!』ってヤツですか? そんなことを言おうもんならガンジさんが鬼の形相でやってきますよ。あの人を敵に回したくありません」


 うちの甥に文句あンのか! と殴り込んで来そうだ。


 想像に難くなくて、二人で笑い合う。


 その時、扉の鈴が鳴り、もう一人の客が入ってきた。


「楽しそうだね」

「イオ! その……どうだった?」


 挨拶もそこそこに、ヴィーネは恐る恐る戦果を尋ねる。

 イオは肩をすくめた。


「お祖父様に隠居を願ってきた」

「拗れてない!?」


 とんでもない大喧嘩をしてきたのではないだろうか、と心配するヴィーネに対し、安心させる笑みを見せる。


「段階的な引き継ぎをしつつ、五年以内に代替わりすることで合意したよ。あの人は年の割に働きすぎだからね。そろそろ休ませるべきだ」


 そう言い切るイオの顔はずいぶん晴れやかだった。


 実際には「そんなにすぐに代替わりできるか。領主の仕事を舐めるな」とかなり小言を言われたのだが、それが彼なりに心配してのことだと今なら分かる。

 足を踏み入れたイオが、ふと棚に目を留める。


「……この花は?」


 花瓶に飾られていたのは、深紅のドライフラワーだ。どこかで見たことがある気がする。


「魔寄せの花よ」

「いっ!?」


 伸ばしかけた手をイオは引っ込めた。


「ちゃんと毒素を抜いて、乾燥させてあるわ。魔物を引き寄せる効果はもうないの。せっかくだから、今回の件の勲章にしようと思って」


 綺麗だしね、とヴィーネは花を愛おしげに見つめる。


 ドライフラワーにしてくれたのは門衛のダグラスだ。《氷結》魔法でしっかり乾燥させ、魔物を寄せないことの確認まで行ってくれたらしい。


 惜しむらくはその献身の意味をヴィーネがきちんと理解していないことである。この町の門衛さんはとても親切だなぁ、という印象でしかない。


 それを知ったダグラスの同僚たちは、皆揃って両手を合わせることとなる。


 南無。


 だがそれとは他所に、イオはじっと魔寄せの花を見つめてなんとも複雑な顔をしていた。


「どうしたの?」

「あ……いや」


 実に気まずげに、目を泳がせた。


「実は昔さ……お祖父様に花を摘んでいったことがあるんだ。まだ関係が悪化する前のことなんだけどさ」

「あら、素敵」

「執務室に飾るのにちょうどいいと思って、屋敷の温室からさ。それが、確か、こんな風な花だったなって今思い出して……」

「大惨事よそれ!?」


 微笑ましく聞いていたヴィーネが一転、目を剥くのに対し、うん、とイオはゆっくり頷く。


「持って行った矢先に、お祖父様が花を叩き落としたんだよね。『どこから持ってきた!?』ってあのお祖父様にしてはすごい剣幕だった。その直後になぜかお風呂に連れて行かれて丸洗いされて、なんで怒られたのか全然分からなくて泣いていた気がするよ」

「それは、お祖父様のご判断が正しいと思うわ」

「そう……そうなんだよなぁ」


 孫が魔寄せの花を手に走ってきたら、誰だって大慌てするだろう。


 一言足りないんだよなぁ、とイオはがっくりと肩を落とす。


 そう言えば、あの日から温室の管理者が急に変わったような気がする。イオに魔寄せの花を勧めた前の管理者は、確か薬草学に精通した研究者だったはずだ。


 それが故意だったのか、事故だったのかは今となっては分からない。イオは考えるのを止めた。もう終わった話だ。


「そういえばラスラは?」

「村でやることがあるって。後で来るそうよ」

「村で?」


 ふうん、とイオはそれ以上は聞かなかった。


「準備大変だろ? 手伝うよ」

「私も手伝いましょう」

「ありがとう、イオ、モーダルさんも。実は奥に入れた棚の向きを変えたいんだけど、重たくってわたし一人じゃ無理だから困っていたの。こっちよ」



 ――その頃、村の森の奥。


 ラスラは、草に覆われた村のはずれに足を運んだ。


 手には、大きなワイバーンの牙。ボスワイバーンの戦利品として分けてもらったものである。


 奥まった場所に、ぽつりと石を置いただけの簡素な墓があった。


 花も飾られていなければ、名も刻まれていない。ただそこにあるだけの石。


 ラスラはゆっくりと跪き、その前に牙を供える。


「さすがにドラゴンとはいかないけど、飛んでるワイバーンをようやく狩れるようになったぞ。ちょっとはアンタに近付いたかな?」


 そう呟き、両手を合わせる。


 最近は忙しくてこちらに来ることができなかったから、周りに雑草が生え始めている。少し手入れを怠るとすぐに茂ってくるから、小まめに手入れしないといけない。


 雑草をむしりながら、ラスラは近況報告をした。


「実は魔族の町に行ってきたんだ。面白い魔族と友達になって、商売を始めることになった。村も少し雰囲気が変わったよ。暮らしを少しでも楽にしようって。……人間種と魔族が、一緒にやっていこうとしてるんだ」


 語りながら、ラスラの口元にかすかな笑みが浮かぶ。


「もしできたら、人間も魔族も関係なく、ちゃんと手を取り合える日が来るかもしれない」


 ミランダが実際に聞いていたら、どんな反応をするだろうか。


 少しは驚いてくれるだろうか。それとも腹を抱えて笑うだろうか。魔族と喧嘩が楽しめると嬉々として町に繰り出すかも……いやそちらの可能性の方が高いか。


 墓石の前で、彼はしばし黙り込んだ。風に髪を揺らされる。


「……アンタに村を任されてから、おれなりにがんばったんだよ」


 狩人は食料調達だけでなく、村の防衛の要。

 一人欠ければ大きな損失となる。


 それが、村一番の狩人ならばなおさら。


 託された者の責任として、ラスラはこれまでがむしゃらにやってきた。


 ミランダの代わりに、自分が村を守るのだと。


 魔族と協力し合うことができれば、もう少し魔物の間引きが楽になるかもしれない。


 そうして得た素材はヴィーネが魔族の町で売って有効活用する。魔族の町では金があれば食料を買い付けることができる。


 無理な狩りを行う必要はない。


 ーーミランダのように、狩人が犠牲になることはなくなる。


 そうラスラは村のみんなを説得した。魔族と争いにならないよう、自分が目を光らせるから、と。


 最初は渋られたが、長老の取りなしもあってなんとか了承を得られた。


 これからだ。


 成果を出し、村での暮らしが少しでも楽になればきっと村のみんなからも理解が得られるだろう。


「魔族の町に入る許可がもらえたんだ。親父は必ず見つける。おれが必ず、アンタの分までブン殴る」


 拳を握りしめて、ラスラは決意を新たにした。

 友達に、イオには会えた。きっと父にも会えるはずだ。森の外をようやく探すことができる。


 ラスラの夢はようやく、実現に向けて一歩踏み出したところなのだ。


「また来るよ、ミランダ……いや」


 やがて立ち上がり、振り返りもせずに小さく呟いた。


「また来るよ、母さん」


 その言葉は静かに墓前に落ち、闇に溶けていった。





 新しい木の香りが漂う。


 ラスラが町に到着すると、新店舗の扉の上に今まさに看板が掲げられたところだった。


「よーし! ばっちり!」


 脚立の上からヴィーネが満足げに手を叩く。 イオが汗をぬぐいながら下から支えを外し、通りに軽やかな拍手が広がった。


 遅れてやってきたラスラが目を丸くする。


「おお……すげぇ! かっけぇ!」

「当然でしょ! だって、わたしたちのお店なんだから!」


 ヴィーネは胸を張り、誇らしげに看板を見上げる。


「で、なんで足跡?」


 そこには大きく刻まれた三又の蹄のマーク。


「ずっと考えていたの。お店の名前」

「〈ヴィーネ商会〉じゃねぇの?」

「それは商会名、つまり屋号でしょう? じゃなくて、お店には別の名前を付けてもいいのよ。お祖父ちゃんなんて、一人でいくつもお店を開いているわ」


 一つの事業だけに集中したいなら、商会名と同じ名を付けてもいいかもしれない。だがヴィーネが目指すのは世界中に名を轟かせる大商人、この店が軌道に乗れば事業拡大や他業種への支援活動も視野に入れたいところだ。


 記念すべき一号店に、どんな名前をつけるか。


 あの日、地下で魔素だまりを消し去った森の力を目の当たりにして、ヴィーネは心に決めた。


「〈麒麟の蹄〉――麒麟なんて、ほとんどの人たちにとっては実際にいるかどうか分からない幻の神獣よ。でもね」


 ヴィーネは振り返り、二人に笑顔を向ける。


「私がラスラやイオに出会ったみたいに、この店に来た人たちにも“あり得ない出会い"を分けてあげたいの。驚きとドキドキと、そしてちょっとの幸せを!」

「いい名前じゃない」


 イオも力強くうなずいた。

 その隣でじっとラスラは看板の蹄を見つめる。


「よく森神様の足型とれたな、ヴィーネ」

「えっ!? これ本人の!?」

「ダメ元でお願いしたら、すごい嫌そうなオーラだったけど協力してくれたわよ」


 麒麟の表情は分からないが、きっとすごく顔を顰めているのだろうなと分かる顔でしぶしぶ粘土型に前脚を乗せてくれた。


 今はその型に合わせた判子を製作し、あちこちの意匠に利用させてもらっている。


「森神様を連想させる名前ならラスラのお父さんの興味を引けるかもって思ったの。このマークも、見る人が見れば森神様のものって分かると思うから」


 ラスラは驚いたように目を瞬かせた。


「そんなことまで考えてたのか」

「もちろん。約束したもの」


 必ず、ラスラの父親を見つけ出す。

 これは、その第一歩に過ぎないのだ。


「よーし、じゃあ……〈麒麟の蹄〉、開店準備完了っ! これから忙しくなるわよ!」


 両手を上げ、ヴィーネは気を引き締める。

 ヴィーネもまた、夢である大商人への一歩をここから踏み出す。


「じゃあ、景気付けにご飯でも食べに行こうよ。ぼくが奢るよ」

「そうだ、美味いメシ! 三人で食べに行く約束だっただろ!」

「ふふ、せっかくだしご馳走になりましょっか」

「よっしゃー! ちょうど腹減ってたんだよ、おれ昨日から何も食べてねぇの」

「「は!?」」

「もう昼よ!?」

「干し肉ぐらいあるだろ! だから身長伸びないんだぞ、君!?」

「朝から罠仕掛けてたら、夢中になっちゃって」

「もー!」


 笑い声が通りいっぱいに弾け、陽の光が三人を照らす。

 彼らの瞳には、ただ未来への期待だけが輝いていた。


 ――〈麒麟の蹄〉。

 ここから彼らの新しい物語が始まる。


完結です。ここまでお読みくださってありがとうございます。

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