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◆絶滅寸前の人間は、魔族の友達に会いに行く  作者: 駄文職人


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12/15

反撃開始

 幼い頃から、イオはひとりぼっちだった。


 両親は王都での公務に忙しく、ソルガードに足を運ぶことは滅多にない。

 仕事だから。そう言われても、幼いイオには理由なんてどうでもよかった。ただ、会えないという事実が小さな胸にチクチクと針のように突き刺して取れなかった。


 祖父ゼイグの屋敷に預けられたが、彼もまた日々を政務と軍務に費やし、顔を合わせる機会はほとんどない。


 一度だけ、祖父に会いたいと側近にお願いしたことがある。


「坊ちゃん。貴方のお祖父様は今、大変なお仕事にかかっておられます。寝る間も惜しんでおられるのです。分かっていただけますね?」


 やんわりと、しかしはっきりと言われた。祖父は自分に、会う気はないと。


 遠くから一度だけ見た背中は、鎧のように固く、近寄ることを許さない雰囲気を纏っていた。


 食事は別々。大広間の長い食卓で、ぽつんと座る自分。

 向かいの席には誰もおらず、一人黙々と食べる食事は薄寒く味気のないものだった。


 皆そろって仕事、仕事、仕事だ。


 父も母も、祖父も――皆、貴族としての責務に縛られている。

 領地の経営、宮廷の儀礼、政務の駆け引き。

 その日々の中に、「家族」として過ごす時間は存在しなかった。


 ――自分は、こうはなりたくない。

 ――もっと自由に生きたい。


 けれど、その願いはすぐに押し潰される。

 間もなく始まった貴族教育という鎖は、容赦なく少年を縛りつけた。

 礼儀作法、言葉遣い、歴史と法、武術と魔術……。

 家庭教師たちの「期待している」という言葉は甘く響いたが、同時に自分の未来を選ぶ自由を与えてはくれなかった。


 そんな日々に、いつしか限界を迎えた。


 ある夜、緊急脱出用にと教えられていた隠し通路に足を踏み入れていた。


 そこがどこへ繋がっているのかも知らず、ただ行かずにはいられなかった。


 籠の中で羽を閉じたまま生きるくらいなら、たとえ外で傷つくとしても飛び出したいと思った。


 通路を抜けた瞬間、胸いっぱいに吸い込んだのは、湿った土と草の匂い。


 目の前に広がるのは、月明かりに揺れる森。

 その光景を見た瞬間、胸の奥の何かが弾けた。魔物がはびこる恐ろしい場所だと聞いていたはずの森は、幻想的で美しかった。


 ――息をするだけで、生きていると感じた。


 あの夜の高鳴りは、今も忘れられない。


「あ? なんだ、魔族のガキがなんでここにいる?」


 いつの間にか、物珍しげな目がこちらを見下ろしていた。


 魔族にはない丸い耳に、イオは息を飲む。


 狩人の出立ちをしたその女性は、すぐに良いことを思いついたとばかりにニヤッと悪そうに笑った。


「はははっ。こりゃいいや、森にいるってことは拾ってもいいよな」

「え」

「アイツへの土産にゃ十分だろ。たまには遠出してみるもんだ」


 人間種の狩人ミランダとの出会い。


 あの日イオの人生は、当時には思わぬ方向へ向けて大きく動き出したのだった。





「門の台帳、全てをさらいましたがワイバーンの卵と思われる荷は一つも見つかりませんでした」


 帰ってきたバリストンは気まずげにそう報告した。


 領主ゼイグによるラスラ拘束の話は、ギルドに戻ってすぐ彼の耳に入れられたのだ。


「まったく、どうしてお前らがいてみすみす見送ったんだ! 普段は力自慢ばかりしていて情けない!」


 その言葉はギルドの広間に集まっていた冒険者たちに向けられた。


 冒険者たちは「だってよぅ」としどろもどろに言い訳を始める。


「相手は領主様だぜ? 俺ら庶民が束になったって相手になるかよ」

「権力には負けるよなぁ」

「出禁になりたくねぇし」


 魔物相手には強気な冒険者たちも、さすがに領主へ歯向かうことはできなかったらしい。


「何も領主様に勝てとは俺も言わん。せめて俺が帰ってくるまで時間稼ぎしてくれさえすれば……」


 バリストンは口惜しそうに顔を歪める。


 冒険者ギルド長の立場でどれほどゼイグを諌められたかは分からない。なにせ実の孫の言葉すら彼には届かなかった。


 イオは机の上で拳を強く握りしめたまま動かなかった。


 何もできなかった。

 祖父を止めるどころか、親友が捕らえられるのを見送るしかできなかった。


「……ぼくは……」


 唇からこぼれた声は、ほとんど息と変わらないほど小さかった。


 昔も今も、何も変わらない。少し大人のふりができるようになったからといってなんだ? 自分は何もできないままだ。

 胸の奥が鈍く痛み、床に縫いつけられたように体が動かない。


 その時――背後で硬い靴音が響いた。

 振り返ると、ヴィーネが受付嬢を伴って山のような書類を抱えてこちらにやってくるところだった。


「ヴィーネ……?」

「思った通りだった」


 ドサ! とイオの目の前に書類を乱暴に置く。


「一体これは」

「わたしから頼んで一緒に調べてもらっていたの。気になることがあったから。これ、ここ数ヶ月の魔物の目撃情報と討伐記録。これまで満遍なく出てきていた魔物たちが、一月ほど前から町の北側に集中しているわ。しかも大型の魔物ばかり」


 言われて慌ててイオは書類をめくった。確かに、最近の魔物の出没情報は北側が多かった。


「でも、これぐらい多少偏ることもあるんじゃ……」

「本来なら森の深部でしか目撃例がない魔物が町の近く、しかも同じような所に出てきてるとしてもたまたま? キマイラ、バジリスク、それから……大魔熊」


 何かを思い出したのか、ヴィーネは少し苦い顔をする。


 さすがにイオは眉をひそめた。


「バリストン卿?」

「え、えぇ。確かにそうした報告はギルドに上がっています。ただ、森の中の勢力争いは頻繁ですし、縄張りを奪われて外に弾き出される魔物も珍しくはないので……」

「えぇ。ここまでならわたしも無関係かなって思った。でもこれはどう?」


 ヴィーネは次の書類を出す。


「ワイバーンの被害よ。東門の、やっぱり北側の崩落が酷かった。逆に言えば、他のところは不自然なほど被害がなかったのよ。あのワイバーンたちは、明確な意図があってこの町を襲ってる」


 見て、と地図を広げて指を差した。


「赤い箇所がワイバーンの攻撃で建物が倒壊した場所。バツ印は火球が着弾した箇所よ」

「これは……」


 バリストンとイオは身を乗り出して地図を覗き込み、声を失った。


 崩落した城壁から中心部に向けて、見事に一直線に被害が伸びていた。他の場所はヴィーネの言う通り、一切の被害がない。


「つまり、どういうことだ? あのワイバーンどもは、わざわざこの線上を狙ったというのか」

「襲ってきたワイバーンは三体、内一体は上からずっと観察していた。たぶん、そいつが指示を出していたのよ。森へ逃げたのも、他の仲間に情報を伝えるため」


 ラスラが連れ去られた後、ヴィーネはすぐに行動を開始していた。


 門衛詰め所にいたダグラスを訪ね、次から次へと入ってくる被害状況の報告を聞いた。そして実際の現場まで足を運んだ。


「避難誘導しながら、ずっと気になっていたの。魔寄せの花で誘われたにしては、被害が少なすぎる。わたしが昔聞いたワイバーンの襲撃を受けた村は、一軒残らず燃えて灰になったって。だから思ったの、ワイバーンが町まで来たのには何か目的がある」

「し、しかし、卵は見つからなかったぞ?」

「卵ばかりが理由とは限らない。ねえイオ、貴方なら分かるでしょ? 被害が集中しているこの場所、心当たりがあるんじゃない?」


 イオは地図を食い入るように見ていた。


 何度も視線を行き来させて、その場所が間違いないことを確認し信じられないと首を振った。


「隠し通路の真上だ。たまげた……どうして分かったんだい?」

「モーダルさんを町から逃す時、地下通路を通ったの。ラスラは貴方から教えてもらったって言っていたわ」

「場所までは教えてないぞ」

「ええ。でもあの地下通路は人魔戦争の時に貴方のお祖父様が掘らせたんでしょう。町から森の中へ、おそらく城壁近くまで敵が迫った時に森側から挟撃をするためじゃないかってラスラが言ってた。だったら、道が一本だけなのはおかしいわ。塞がれても大丈夫なように、いくつか道を用意するんじゃない?」


 ヴィーネの言う通りだった。


 ソルガードの真下には、無数にも地下通路が掘られている。戦後に下水道として整備し直されたものも多いが、まだ放置されている通路もある。


 ヴィーネが示したのは、手付かずとなっているものの一つだった。


「入り口はどこ?」


 問われて、イオは記憶の糸を手繰り寄せる。

「今は倉庫になっているはずだよ。……〈コルヴァス連商会〉名義のね」

「乗り込みましょう」


 迷いなくヴィーネは言い切った。

 あまりの潔さに、周りの冒険者たちの方が焦りだすほどである。


「ち、ちょっと待った! 確証はないんだろ!?」

「確証はないわ」

「落ち着け、これで間違いでしたなんて通用しないぞ! とにかく今は……」


 止めようとするバリストンの言葉を、ヴィーネは遮った。


「確証はない。でも、確信はある」


 ヴィーネは力強い目で告げる。


 なぜそこまで強くあれるのか。

 イオは、口を開いた。


「……ラスラは、どうする。早く助けないと、お祖父様はきっと、ラスラを」

「ラスラなら大丈夫よ」

「どうしてそんなことが言える!」


 イオには分からない。


 どんな理屈を持っていっても、祖父がラスラを解放してくれるとは思えなかった。あの人はどんな手を使ってでもラスラを、人間種を排除しようとする。


 自分では止められない。


「イオ。ラスラは大丈夫よ」


 もう一度、ヴィーネは言った。

 その口元に笑みすら浮かべて。


「わたしね、ラスラが自分から領主様の元に行ったように見えたわ」

「え……?」

「本当に嫌なら、もっと抵抗できたはずよ。でもあの時、ラスラは武器すら手に取らなかった。自分の意志で投降したのよ」


 ラスラが、自分の意志で?


 そんな馬鹿な。人間種に敵対する魔族の元に自分から飛び込むなど有り得ない。


 有り得ない、のに。


「アイツならやりかねない……」


 イオは頭を抱えた。


 人間種は「有り得ない」をやらかす種族だと自分が一番よく知っている。彼らは人の度肝を抜くのが得意なのだ。


「何か策があると思う?」

「さあね。ラスラのやることを予想できる人なんている?」

「違いない」


 イオは力無く笑った。


 どうしてだろう。ヴィーネの笑顔につられてしまう。声に、言葉に、眼差しに、なぜか心が奮い立つ。


「しっかりしなさい、イオ・ヴァン=オルド。今貴方がやるべきことは何? うじうじ悩んで俯いていること?」


 立ち上がれ、と。


 こんなところで止まっている暇はない。顔を上げろ、と優しくも力強く叱咤する。


 太陽のような黄金の瞳が照らすのだ。


 なぜ商売どころか金銭感覚にも疎そうなラスラがヴィーネと手を組んだのか、分かった気がする。


 彼女の手の引く先に垣間見える希望を見せられては、手を伸ばさずにはいられない。


「……大義名分は用意する」


 乗せられてやろう、と思わされる。


 それを不思議と不快には感じなかった。ヴィーネ・マノンにはまごうことなき、人を動かす力がある。


「必要だろ?」


 彼女の好戦的な笑みを真似ると、ヴィーネは嬉しそうに頷いた。


「そうと決まれば、さっさと証拠を見つけて領主様の鼻先に突きつけてやりましょう」

「「ラスラが余計なことをする前に」」


 自分が始めた、祖父との喧嘩だ。


 積年の恨みも込めて、どうせなら徹底的にやってやろう。





 石造りの部屋には、ほとんど装飾らしきものがなかった。


 ただ一つ、壁にかけられた古びた戦旗が、この空間の意味を主張している――ここは、魔族の名門ゼイグ家の私設監房。


 その中央に、ラスラは両手を後ろ手に縛られ、椅子に座らされている。どれぐらいの時間が経ったか分からないが、通気窓からわずかに差し込む光によるとどうやら眠っている間に夜が明けたようである。


「人間種の捕虜をここに連れてくるのは久しぶりだ。陛下の『完全勝利宣言』以降、人間種への攻撃を控えるよう通達があったゆえな」


 重く、空気を割るように声が響いた。

 現れたのは、黒銀の外套を羽織った老魔族――ゼイグ。


「だが迎撃は禁じられてはおらぬ。人間種――ラスラといったか。〈天撃〉の名は私も耳にしたことはある」


 ゼイグはゆっくりと歩み寄り、目の前に立つ。


「だが、お前が本当に味方である保証はない」


 ラスラは視線を上げた。


「味方かどうかを決めるのは、あんたたち魔族の都合だろ。戦争はもう終わったんだ。こっちに敵対する理由がない」

「あれほど大きな戦いだ、禍根は互いにあろう。私は魔王陛下の腹心だった。人間狩りを任ぜられ、推し進めたのはこの私だ。今のお前の目の前にいるのは、歴史上最も人間種を殺してきた男だぞ」


 ラスラは目を丸くした。

 が、すぐに声を上げて笑い出した。


「何がおかしい」

「いやぁ、イオが何を気にしてんのかやっと分かった気がしてさ」


 ラスラの笑いが収まるまで、ゼイグは彼を見下ろしていた。


「分からんな。お前に魔族を助けて利点があるとは思えん」

「目の前で助けられる人がいたら手を差し伸べるべきだ。人間種か魔族かで、助けるかどうか決めたりしない」

「魔族は人間種の天敵だぞ」

「おれはそうは思わないけどなぁ」


 ゼイグの目が、鋭く細められる。


「……イオもまた、お前を“友”と呼んでいたな」

「友達だよ。親友だ」


 会えなかった時間が長くとも、目を合わせた瞬間に分かった。

 絆が確かに、まだそこにあると。


「あいつは窮屈そうだったよ。家が嫌だ血が嫌だってずっと言ってた。久々に会っても変わってないみたいだった」

「イオはオルド家の直系の長子だ。嫌だろうが何だろうが後を継いでもらう。生まれついてより、そう決まっている」

「ばっかだよなぁ。頭が良さそうなのに石頭なのはあんたもイオも一緒だ」

「口を慎め」


 ラスラに近付き、そのそばに膝をつくと彼の顎をつかんでぐいと引く。

 だがラスラは、怯えるどころか不敵に笑って見せる。


「……あんたは“人間嫌い”って呼ばれてるみたいだけど、違うよな? 本当に嫌ってたら、目にも入れたくないはずだ。でもあんたはおれに会いに来た。あんたは“人間種を甘く見てない”だけなんだ」

「人間種は魔物を研究し尽くしている。お前たちにとって魔物を誘導することなど容易いはずだ。故に、お前が“ワイバーンをけしかけた”と囁かれていること――それが事実である可能性を、私は否定できん」


 一人、やりかねない人物の顔が脳裏をかすめて、ラスラも否定できなかった。さすがに師匠も人魔戦争の時期に生きてはいなかっただろうが、同じことを考えついた奴が当時にもいたということだろう。


 ゼイグはただ事実と経験に基づいて、町を守るために動いているだけだ。


 顎をつかむ手を首で振り払う。


「たださぁ、ゼイグさん。あんた一つ間違えてるよ」

「なに?」


 ラスラが白い歯を見せる。今度はゼイグが訝しげに目を細めた。


 なんだ気がついていないのかとラスラは少しおかしくなった。こんなのガキでも分かる。


「アンタの頭はまだ戦争の時のまんまなんだ。うちのじいさんは魔族と協力していけたらって言ってた。アンタが何と言おうとおれとイオは友達だ。ヴィーネはおれらと商売やる。もう時代は変わってるんだよ」

「馬鹿を言うな。魔族と人間種との確執は何も変わってはいない」

「変わったって認めたくない連中が吠えているだけだろ」


 途端に頭の上から肺を押し潰さんとする圧力がのしかかる。


 はっ、とラスラは喘ぐ。


 ゼイグは動いていない。ただこちらを見下ろす目だけが冷たく冴えていた。


「少々魔力を込めた威圧だ。魔族ならばそよ風にすぎん。魔物でも威嚇を返してくるであろう。たったこれだけの魔力でも、貴様にとっては致命的になり得る」

「……っ!」

「これが力の差だ、人間種よ。弱き身で何をなせるというのだ? 何もなせはせぬ。貴様らは既に世界より淘汰された種族なのだ」


 魔力が不意に弱まる。


 咳き込むラスラに、ゼイグは眉を引き上げる。


「ワイバーンを落としていい気になったか? いくら魔物の討伐に長けていようとも、魔法の真似事では所詮魔族には敵わぬ。人間の勇者は魔王陛下に敗れた。歴史がそれを証明しておるではないか」


 語調が徐々に強くなっていく。


「時代が変わっただと? 何も変わってはいない。人間種は滅び、魔族が世界を支配する。お前たちは森の中で息を潜めて生きながらえておれば良いのだ。これより隆盛する魔族の世に、人間種は要らぬ」


 まるで自分に言い聞かせているみたいだ、と思った。


「……一緒に商売しようって、最初におれに声をかけてくれたのはヴィーネの方だよ」


 荒い息の合間、かすれた声でラスラは静かに言った。


「魔族の冒険者よりも、おれの腕が信用できるって。ヴィーネが手を差し伸べてくれたから、おれは……」

「一体何の話だ」

「アンタが言う魔族の世に、将来名を轟かせる予定の大商人の話だよ……!」


 誰もが笑顔になる、そんな店を作りたいと言っていた。


 人々に希望をもたらす店でありたいと。


 語る彼女の目はとても真っ直ぐで、キラキラと輝いていた。


「ヴィーネが、おれを選んでくれたんだ! 自分の大事な夢を叶えるのに、弱っちい人間種なんかと手ぇ組んでさぁ! 一緒に、夢を叶えようって……!」


 諦めかけていた。

 イオに会うのも、父親を探すのも、自分の力では到底無理だからと、期待するのもやめてしまっていた。期待しなければ落胆しなくてもいい。


 門衛に追い払われて、悔し涙することもない。


 自分の住む世界は森の中だけだ。それより外は自分には縁のない場所。


 仕方ない。

 そう、……仕方ない。


(待ってるだけじゃ会えないなら、あなた自身が動いて知らせなきゃ! 『おれはここにいるぞ』って!)


 閉ざしたはずの思考に、光が灯った。


「ヴィーネはすげえ商人だよ。森神様に認められて、村に直談判しにきた魔族なんて他に知らねぇよ。ヴィーネはこれからきっと、誰もが笑顔でいられる世界を作る。戦争屋の描いた未来なんて全部ぶっ壊してさ」


 ヴィーネの夢が叶うところを見てみたい、と純粋に思った。


 彼女が笑顔にしたいと願う「みんな」の中に、ごく自然に自分を混ぜてくれていたから。


「おれは、ヴィーネを信じてる」


 人間種に力はないかも知れない。だけど彼女の夢には力がある。


 なにせ森神様の加護を得ているのだ。そんじょそこらの魔族の妨害では彼女に敵うはずもない。


「……なぜ、ワイバーンを落とし町を守った」

「ヴィーネを守るためだ」


 改めて投げられたゼイグの問いに、ラスラが即答する。


「なぜ町に来た。人間種の、お前が」

「ヴィーネに手を貸すためだよ。あと、友達を探してた。もう見つかったけど」


 ゼイグは沈黙した。


 何かを思案しているようだったが、何を考えているのかは全く分からない。


 ただ、一言。


「……そうか」


 ぽつりと落とす。

 ゼイグはマントを翻し、踵を返した。

 それがラスラには意外だった。


「もういいの?」

「我が孫が、貴様の無実を証明するために動いているらしい。証明できねば、イオの実力がそれまでというだけの話だ。明朝、予定通りお前を森へ追放する」

「優しいね」


 ラスラの言葉に、ゼイグは返さなかった。


「階下には物置がある」


 ただ、退室する直前、独り言のような呟きを漏らした。


「魔石が保管されていたと記憶しているが、大した価値もない。いくらかなくなったとしても気が付かんだろうな」


 天井を仰ぎ、ゼイグはそれだけ言うと足早に出て行った。


「……頑固だなぁ」


 見上げれば格子のはまった通気口から日の光が差していた。


 手錠のかけられた手を伸ばし、トントンと床の石畳をノックする。


「《影食み》。ーー黒籠手」


 手枷が落ちる音が響いた。





「まだ見つからんのか!」


 机を殴りつけてドレスターは叫んだ。


 ギルド長としての顔はなく、表情は忌々しげに醜く歪んでいる。


「そうは言ってもモーダルの野郎、家や工房へ見張りと付けてんだが、帰ってきている様子がねえんだ」

「子ども共々どっかで首をくくったんじゃないか?」


 粗野に笑うゴロツキ達にドレスターは舌打ちする。


 最初は順調だった。実家の資金を元手に商会を立ち上げ、ギルド長の権限でその運営を支える。少々喧しく騒ぎ立てる連中は黙らせてやった。ソルガードは冒険者の出入りが多い、後ろ暗い経歴を持つ荒くれ者は金を積めばすぐに集まる。


 工房のいくつかは品質に難ありなどという言いがかりをつけてきたが、荒くれ者たちをやって優しく説き伏せてもらった。もとより市場にあるのは天然ものなのだ、質に差が出るのは同じこと。安定供給できるようになっただけありがたいと思うべきだ。


 だが、ケチがつき始めたのはマノン商会の娘が町にやってきてからだった。


 人間種との共同事業、しかもよりにもよって魔鉱石を扱う商会を新たに立ち上げたいという。しかも男の後援する商会のものとは比べ物にならないほど高品質で提供するというのだ。何かからくりがあるに違いないが、目障りだった。しかもどういう訳か、マノンの娘がモーダルと何やら話していたという情報まである始末だった。


 叩き潰さねばならない。


 世間はそう甘くはないのだとあの娘に思い知らさなければ。


 だが仕込んだ魔寄せの香では娘の息の根を止めるには至らなかった。どころかワイバーンが町を襲うなど全く予想外であった。だが運の良いことにワイバーンを、あろうことかマノンの娘に招かれた人間種が討伐してしまった。好機とばかりに男は、ワイバーン被害の責任を押し付けるため町に人間種がいるとすぐに領主に密告した。


 ソルガードで人間種と仲よくしようなど、まったく愚かなことをしたものだと笑みを隠し切れない。そもそも無謀なのだ。領主のゼイグが人間種の品が出回るのを良しとするはずがない。


 人間種を捕えれば後は簡単だ。マノンの娘を痛めつければこの町で商売をしようなどとは二度と思うまい。


 だというのに、肝心のマノンの娘が見つからない。


 モーダルの周囲を調べていた形跡があったためそこを当たらせたが、彼女が現れることはなかった。


 ワイバーンの騒動の直後、彼女が冒険者ギルドで友達と話に花を咲かせているなど、ドレスターは知る由もないのである。


「ドレスターの旦那!」

「見つかったか!?」

「いえ、それが……」

「まだなのか!? まったく使えん奴らだな! これだから下賤な連中は嫌なのだ! 報酬通りの仕事も満足にできんのか……」


 男の台詞が尻すぼみに消えていく。


 報告に来た者の後ろから進み出た青年の笑顔に、カクンと顎が落ちる。


「お、オルド卿」

「やあ奇遇ですね。ドレスター卿」


 なぜここに領主代理がいるんだ!


 イオは荒くれ者たちをものともせず、興味深げに事務所の中を見回している。


 ここは〈コルヴァス連商会〉の名義で借りている貸倉庫の一角にある管理事務所である。


 いわば私有地、領主代理や衛兵でさえも強制捜査はできないはずだ。警備もいたはずだが一体どうやってここまで入り込んだのか。


 内心で盛大に悪態をつきながら、なんとか営業用の笑顔を作る。


「な、なぜここに?」

「それはこちらの台詞ですよ。どうしてドレスター卿がここにいらっしゃるんです? ぼくはこの倉庫の責任者の方に会わせてほしいとお願いしたんですが」

「そ、それは」


 なんと、普通に訪問してきたらしい。


 なぜ素通りさせたのか。なぜホイホイと中まで案内しているのか。下賤な奴らはそんな当たり前の教養もないのかと歯噛みする。


「おかしいですねぇ。〈コルヴァス連商会〉の責任者は貴方なんですか? 書面では他の方のお名前になっていたと記憶しているんですが」

「め、滅相もない!」


 商業ギルドのギルド長は公平を期すため、あらゆる商会の運営を禁じられている。破れば当然罷免、いや職権乱用と収賄の罪に問われる。

 それを知らぬドレスターではない。


 必死に頭を回す。これはまずい。この青年が怖いのではない、青年の裏には厳格な領主の目がある。賄賂で丸め込める王都の怠け者たちとは違う。


 何せ魔王陛下の忠実な側近であった男だ。


「じ、実は私もここの責任者の方に用があって来たのですよ! どうやら不在のようですが!」


 周囲の荒くれ者たちが胡乱な目をしているが、知ったことか。今はこの場をやり過ごすことが先決だ。


「ところでオルド卿はなぜこちらに……」

「ああ、すいません。今日は監査じゃないんですよ。ご安心ください」


 イオはにっこり笑った。


「東門でワイバーンが現れたのはご存知でしょう?」

「え、ええ。多くの被害が出たとか。痛ましいことです」

「さすがギルド長、お耳が早い。ですがそのワイバーンと一緒に町中に人間種が入り込んだようなんですよ。どうやらワイバーンをけしかけたようでしてね」

「なんと。全くけしからんことですな」


 初耳のように返事をしたが、密告したのはドレスターの指示だ。


 うまく嘘の情報が回っているらしいとほくそ笑むドレスターだが、続いたイオの言葉に凍りついた。


「一体どこから入り込んだのか、町の防衛の観点からも問題になりまして。侵入経路となり得る場所を片っ端から調べて行っているところなんです」

「はは。は……?」

「そう、たとえば地下通路など。この辺りは昔の抜け穴が多いですからねぇ」


 まずい。

 まずいまずいまずい。


 冷や汗をダラダラとかくドレスターは、「恐れながら」と悪あがきのように口を開く。


「た、確かこの辺りの地下通路は、つ、通行止めになっていたはずです。そう! 落盤の恐れがあるから近付かぬように、衛兵からも通達があったはずですよ」

「おや。そうでしたか」

「そうですとも! 人間種どころかネズミっ子一匹通れはしません!」


 喋る内に徐々に口が潤滑油を得たように回り始める。そうだ、この倉庫の下の地下通路は立入禁止にするように、衛兵へも黄金のお菓子を渡している。領主代理といえども安全面で問題ありとすれば立入はすまい。


 何も問題はない。

 ドレスターは勝利を確信していた。


「それは困りました。もうじき到達しそうなので、お詫びに来たんですが」

「は……?」

「いえね、調査を委託された冒険者たちが大変張り切っておりまして、すでに森側から調査を開始しているんです。……そろそろですかね」

「な、なにが……」


 その時、事務所全体を地響きが揺らし始めた。ドレスターがたまらずよろめく。


「ドレスターの旦那ぁ!!」

「大変だぜ! 地下の採掘場に!!」


 ゴロツキが数人、事務所の中にまろび入ってきた。皆一様に顔色を青くして唇を震わせていた。


「ご、ご、ご」

「ご!? 一体なんだというのだ!?」


 いい加減にしろばかりにと喚いたドレスターに、彼らは口を揃えて叫んだ。


「「ゴリラが出たんでさぁ!!!」」

「ゴリラぁ!?」


 勢いよくイオを振り返った。

 彼は涼しい顔で事務所の椅子に座ってくつろいでいる。


「どどど、どういうことです!?」

「どうもこうも、応援でしょう」

「ゴリラが!?」

「調査に全面協力してくださっているとある商会で先日雇われた者たちですよ。ちゃんと商業ギルドに届け出されているはずですが、ご存知ない?」

「ゴリラを商会員として認可した覚えは! ……あ?」


 ふとドレスターは思い至る。

 そうだ。数日前に大量雇用をしたと申し出た商会があったではないか。


 ギルド控えの雇入契約書を分厚い冊子にして提出した彼女は、素知らぬ顔で「我が商会の配送業務を担当する者たちです」と説明した。契約書面に捺された拇印は、そういえば一般男性にしては妙に大きかった……。


「ヴィーネ・マノン……!!」


 これはドレスターのあずかり知らぬことであるが。


 アーラルクの森には仙人がいる。


 人語を解する知能の高さと、他の魔物の追随を許さない強さを持つことから森仙人と称される、体長三メートルを超えるゴリラの群れである。


 彼らに敵はいない。

 彼らは鍛え抜かれた肉体の使い道を探し求めていた。


 一方で、人間種とは互いに森の最奥に暮らす者同士、不可侵の取り決めがなされている。それは互いの生活領域を脅かさないという最低限のものだけではなく、互いの生活を豊かにするための取引も含まれていた。具体的には、人間種の村で育てる農作物や牛乳といった畜産物を提供する代わりに、森仙人たちは人間種だけでは難しい力仕事を担う、というものである。


「力有り余ってるみたいだし、頼んでみよーぜ」というラスラの発案により、最近では森の端まで荷を運ぶ仕事を頼まれるようになったが、屈強な森仙人たちにとっては大した労働ではない。


 それよりも冬、寒くなればどうしても森の恵みが減る中で、人間種の備蓄を変わらず分けてもらえるのは森仙人たちにとって願ってもいない申し出であった。


 そして今回についても、ワイバーンを始めとした魔物たちの縄張り争いによって住処の近くまで他の魔物が現れるようになったことに辟易していた森仙人たちは、これらの解決につながるかもとヴィーネが説明すれば落盤した地下通路の岩を退ける作業をも快く引き受けてくれたという。


 今、筋骨隆々の大量のゴリラたちが落盤で塞がれた地下通路を恐ろしい早さで開通させている。


「ここにおられましたか、オルド卿!」


 衛兵の一人が敬礼して入室し、イオの下にやってくる。


「調査はいかがですか?」

「確かに地下通路は塞がっており、人間種の通れる場所はございませんでした。が、我が隊が妙なものを発見しました」

「妙なもの?」

「ええ。開通した先になぜか高濃度の魔素だまりが存在し、その周囲で作業員たちが座り込んでおりました」


 こちらを、と差し出されたのは魔鉱石だ。

 イオはそれを手に取る。


「ドレスター卿」


 先程までの友好的なものではなく、冷え切った声だった。


 ビクッとドレスターが飛び上がる。


「ななな何かの間違いでは」

「ほう。我が領の兵士が嘘つきだと?」

「とっとんでもない!」

「本来、魔素の集積は町に届け出て管理しなければならない。しかしこの地にそのような届けは出ていません。それを黙って私的に利用していた……重大な罪です、ドレスター卿」


 イオの言葉と同時に、背後の扉から複数の衛兵が雪崩れ込む。彼らの肩には冒険者ギルドの腕章を付けた男たちも混ざっていた。


「おい、やれ!」 掛け声とともに荒くれ者たちはあっという間に取り押さえられた。机の引き出しを開ければ、賄賂の帳簿や取引記録が次々と出てくる。

 イオは机の上に、土と粉塵がこびりついた黒い鉱石を置く。


「〈コルヴァス連商会〉の人工魔鉱石。どこでどのように製造されているか、誰も知りませんでしたが、ーーまさか魔素だまりを利用して鉱物に魔素を定着させていたとはね。そして魔素だまりへの道を魔力隠蔽を施した倉庫に繋げて町側からの発見を遅らせようとは」

「ま、まさか。どうして……」

「人の目は誤魔化せても魔物たちの鼻を誤魔化すことはできなかったんですよ。この地下通路付近で魔物が異常発生していました。恐らく地下から魔素が漏れ出ていたのでしょう。だからここには必ず何かあると踏んでいましたが……。貴方が裏で潰した工房の職人たちを、危険な魔素だまりで強制労働させていたのですか?」

「ば、馬鹿な……証拠があるのか!」

「地下で作業していた職人たちはもう衛兵の保護下にいます。彼らを監視していた者たちも既にお縄についていますよ」


 イオはゆっくりと歩み寄り、俯いた男を見下ろした。


「私は関係ない! 知らなかったんだ!」

「捕らえた連中は皆揃って、貴方に指示されたと訴えているんです。お話は全て取り調べ室でお伺いしましょう」


 パクパクと口を開け閉めするドレスターに、イオは顔を近付けて付け加える。

「〈コルヴァス連商会〉が領民や同業者にどのような所業をしていたか、お祖父様が知らないとでも思ってたんですか? なぜわざわざぼくを商業ギルドの立会監査に差し向けたと思うのです」

「あ……」

「全部知っていたに決まっているでしょう。おまけに魔素だまりを放置し、魔物を呼び寄せ、町を危険に晒した責任は重いですよ」


 ドレスターは言葉を失い、額から大粒の汗を垂らす。


「事件の重要参考人だ。丁重にお連れしろ」

「はっ」


 衛兵たちの手によって引き立てられながら、彼は振り返ることもできず、倉庫の外へ連れ出されていった。


 ――その瞬間だった。


 倉庫の外に広がる夜の空気が、ビリビリと震えた。

 地鳴りのような羽ばたきと、耳を裂く咆哮が町の上空を覆う。


「ワ、ワイバーンだ!」


 衛兵の一人が青ざめて叫ぶ。


 人々の視線が一斉に天を仰ぐ。空気を裂くように、数十もの影が螺旋を描きながら町へ降り注いでくるのがイオの目にも見えた。


「チッ……思ったより早い!」


 一頭を逃した時から、次は大群でくるかも知れないと予想はしていた。


「鐘を鳴らせ! 全域に警報を伝えろ!」


 イオは指示を飛ばしながらも歯噛みする。


(ここにラスラはいない。ぼくたちだけで対処するしかない!)


 こと魔物狩りにおいては頼りになる親友の不在は、イオの胸中に不安を募らせる。


 だがそんな感情をおくびに出してはならない。領民を守る立場の自分が弱腰になる訳にはいかない。


 今の自分は、領主代理なのだから。


「周辺の住民を避難させろ! ただし北東街道は使うな! 魔素だまりに反応したワイバーンが集まる可能性がある!」


(ここまでの騒ぎだ、地下にも話が伝わるはず。逃げてくれよ、ヴィーネ!)


 地下からの突入を敢行した少女の身を案じながらも、イオ自身は城壁に向かって駆け出す。


 自分のやるべきことをやるのだ。ヴィーネに教えられたように。


 火の玉が飛び交い瓦礫が降る道を、イオは走るのだった。

次回1月9日22:00に更新します。

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