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「自分のことではない。女将のことだ」

「つまり、良蔵は、女将のお松のことで相談に来ていたのか」

「そうだ」

「で、どのような相談だった」


「ちょっと待て。何故、俺がその事をお前に言う必要があるのだ」


「あ、いや、俺が聞きたいという訳ではなく、町奉行の播磨守から頼まれたのだ」


「頭悪いな、お前。だから、奉行か何か知らないが、何故、良蔵の相談の内容を知りたいのか、その理由を聞いている」


 酢天狗こと藤村が、赤髭こと小川を誘い出して、近くの料理屋で話をしている。


 小川は、最初はけんもほろろに断ったものの、藤村が金を払うことをほのめかすと、態度を豹変させて求めに応じた。頻りに口髭を撫でつつ、威嚇する様に藤村をジロジロと見ながら、手酌で酒を飲んでいる。


 怖いもの知らずの藤村とはいえ、あらゆる修羅場を経験した様な肝の据わった態度の小川を前にしては、流石にいつもの調子が出ない。


「だからなぁ、良蔵が殺されたのだ。その下手人が、どうも女将らしい。それで、その殺した理由を調べているのよ。良蔵があんたに相談していた内容が、どうも関係すると思われるのでな」

「ふうん、そうか。しかし、何故それをお前が俺に聞きに来ているのだ」

「俺は医者だからな、聞きやすいだろうと、奉行に頼まれたという訳よ、な、頼むよ」


 小川が人差し指を突き出した。

「安くはないぞ」


 藤村が懐から金を取り出し前に置くと、小川が手に取ってサッと懐に入れた。

「当然ながら、病の話だ」


「何の病だ」


 小川が金を督促するように手を出す。藤村がまた金を置くと、小川が懐に入れた。

「いわゆる、若呆けだな」


「何、女将が呆けているというのか。それで、どういう相談だったのだ。療養所に入れたいということか」


 小川がまた手を出すと、藤村が体を引いた。

「おい、一言ごとに金を払うのか」


「嫌なら帰るぞ」


 藤村が呆れたというように首を振った。

「まいったな、こりゃ・・」


 小川が藤村をジッと見ながら手酌で酒を飲んだ。

「お前が下手な商人の様に、小出しにするからだ。有り金全部を出せば、全て話す」


 藤村が顔を顰めながら懐に手を当てる。

「しかしなぁ、此処の勘定を払う金くらいは・・」


 小川がグイッと手を伸ばして藤村の懐からむんずと金を取り出した。

「此処はつけが効く。勘定など後で良い。どうせ、お前の金じゃ無いのだろう」


「確かに。俺は貧乏な医者だからな」


 小川が手に取った金を確認して懐に入れた。

「金なんざぁ、ある奴に払わせとけば良いのだ。役人が払うというなら、どんどん貰えば良い。金は使うためにある。ため込んでも何の役にも立たん」


 小川が手酌で二、三杯酒を飲んだ。


「まあ、それは良いとして。俺は女将を診ていないから、掛り付け医者の話しか知らないが、どうも、此処のところ急速に症状が進んだ様だ。いわゆる呆けの症状だ。物忘れ、勘違い、ふさぎ込み、些細なことで腹を立てる、といった事が、多くなって来ている。しかし、本人はその意識が無い。普通だと思っている。そして、あぁ・・、まずは、酒と肴をもっと頼め」


 藤村が店の者を呼び注文した。それに小川が高そうな料理を何品も付け加える。藤村が呆れたというように首を振る。


「呆けたのならもう放っておくしか無い。治りはしないからな。適当にあしらうしか方法がない。まあ、そこは老人でも同じよ」


 小川が手酌で数杯酒を飲んだ。

「だが、問題は、ボケ方が危険になった時だ。症状が進むと、場合によっては、気に食わない者への対応が極度に過激になる傾向がある」


 藤村が頷いた。

「なるほど。良蔵は、身の危険を感じていたのか」


 小川が首を振った。

「そうではない。症状が進んだとはいえ、まだ、そこまで危険な事は無かったようだ。だが、遅かれ早かれ、そうなると良蔵も覚悟はしていたようだ。店の者への言動などは、時に心配になる、とは言っていたからな」


「では、どういう相談だったのだ」

「要するに、何とか俺に診てもらえないかということだ。掛かり付け医者が頻りに俺の療養所に入れることを勧めていたらしい。呆けは、一般的には、治すことは難しいが、進行を遅らせる方法はある。療養所にも何人か患者がいるが、心配事を取り除き、気を楽にさせ、適度に体を動かせるなどして、その患者に合った治療が功を奏する場合がある。場合によっては薬も効く」


 立派な魚の造りが運ばれると、小川はそれに手を付けた。

「とはいえ、実際、本人を診察しないことにはどうしたら良いかなど言えない。だからその相談をしていたところよ。一度連れてこいとは言っていたのだが」


「良蔵は何度も療養所に足を運んでいたようだが、女将は行っていないのではないか」


「そう、連れ出すのが難しいと言っていたな。店がどうのとか、女将が言うことを聞かないとか。だから、俺が行っても良いとも言ったが、それも困るというし」


 豪勢な料理が運ばれて来た。酒へ料理へと、小川の手が止まらない。藤村も遠慮がちに手を伸ばす。

「あんたが店に顔を出したら、それはもう大騒ぎになるだろう。客商売をしている者なら、あんたのような重病人を診ていると評判の医者に来てもらっては困るのは確かだ」


「そうやって、世間の顔色を伺っていたら、治るものも治らなくなる。今何をするべきか、何が大事かを考えるべきだ。女将の病を治すことが最優先ではないのか」


「そうは言ってもなぁ・・」


 小川が藤村を睨んだ。

「おい、お前も医者だろう。役人の手先になって病人をお縄にする医者が何処にいる。俺たちの役割は患者の病気を治すことだろう」


「しかし、女将は良蔵を殺しているのだぞ」


 小川がグイッと酒をあおった。

「人殺しがどうした。有名な老舗の女将だから何なのだ。極悪人だろうが、金持ちだろうが、貧乏人だろうが、体を悪くして助けを求めて来る者に手を差し延べるのが医者だ、違うか」


 藤村が上体を起こして頷いた。


「うむ・・、異論はない。そう、確かにそうだ。俺も医者だ。久しく忘れていたものを思い出したよ。ありがとうよ、赤髭先生」


 小川が銚子を差し出し、藤村の猪口に酒を注いだ。

「まあ、俗世に馴染んでしまえば、初心の志など忘れてしまうものだ。それは仕方がない。医者に限った話でもない。かく言う俺も偉そうなことは言えない。日々是反省さ」


 藤村が注がれた酒を一気に飲み干した。

「とは言え、これからどうするかだ。奉行所は女将の良蔵殺しを見逃すことはない。遅かれ早かれ、必ずお縄にするだろう。呆けているからといって見逃すほど、連中はお人好しじゃないからな」


 小川が頷いた。

「女将が良蔵を殺したというのなら、おそらく、良蔵が強引に女将を療養所に連れて行こうとしたからだろうな。女将は商売に夢中で、邪魔するものには容赦しないほど症状が進んでいたのだろう。こりゃあ、役人が乗り込んで行ったら、より過激になって、それこそ大事になるぞ。病状も、取り返しがつかない状況に追い詰められる」


 藤村が小川に酒を注いだ。

「当然そうなるだろうなぁ。それだけは避けたいな」


 小川が注がれた酒をゆっくりと飲み干し、フウと息を吐いた。

「無罪放免にしろとは言わないが、多少は病人の事情を考慮して欲しいところだな。で、その奉行とやらは、話のわかる奴か」


「まあ、少し変わってはいるが、それなりの常識は持っているだろうな。酒も女も好きで、堅物という訳ではない。だが、役人としての威厳は殊の外強調するところはあるな。何しろ、あの国定忠治に死罪を申し渡した奴だ」


 小川が目をむいて、拳で机をドンと叩いた。


「何ぃ、あの野郎か」


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