四
「そうだなぁ、店の中で問題があるとしたら、良蔵と女将の確執だろうね」
「ほう、どういう事での対立だ」
「まあ、良蔵は根っからの商売人よ。儲けてなんぼという頭しかない。それに対して、女将は、派手な事をやりたい、目立って注目されたいという事しか考えていないのよ。そこは、相容れないところさ」
神宮はある男に話を聞いていた。
かつて、老舗の呉服屋に勤めていた男だ。酒癖が悪くイザコザも絶えない事でその店を辞めざるを得なかったが、この業界の内情に詳しく、裏を知っている。
大松屋に話を聞きに行く前に、ある程度の知識を持っておこうと思い、呉服屋の関係筋を探ったところ、この男の名があがった。
この日、神宮はこの男を酒に誘って、小料理屋「支音魔庵」で飲んでいる。銀幕町にある上方料理を売りにしている店で、奉行所の面々も贔屓にしている。
「すると、この二人の下では、店の者もやりにくかっただろうな」
「いやあ、その辺は良蔵も上手くやっていただろう」
「と言うと・・」
男は酒をグイッと煽った。
「女将にはある程度好きにやらせて、店全体では損を出さず、儲けは堅実に確保するぐらいの事は出来る男さ。大松屋の中での、表立ったこれといった揉め事は聞こえていない」
神宮が徳利を持って男に酒を注いだ。
「では、店の中では、特に問題は無かったのか」
男が少し考えて酒を口にした。
「いや、そうとも言い切れない」
「他に何かあるのか」
男が頷いた。
「新装開店の話なのだが・・」
神宮が前屈みになり男に顔を近付けた。
「その話がどうした」
「確かに女将の考えそうな事ではある。だが、赤字続きの店が起死回生を狙ってやるのならともかく、大松屋ほどの堅調な商いをしている店がやる事じゃない。どう考えても、良蔵が許すはずのない話だ。これが解せない」
神宮が手酌で酒を注いで、一気に開けた。
「しかし、最終的には主人の良蔵が決めたのだろう」
「だから、何か余程の事情がありそうな気がする。深い理由がなぁ」
神宮が声を潜めた。
「どういう理由だ」
男が上体を起こして首を振った。
「分からんね」
神宮も体を起こす。
「その辺のところを知る者は誰だ」
「そうだな、言うかどうか別だが、番頭の末吉ならある程度は知っているだろうな。あいつは、良蔵にも女将にも信頼され、頼りにもされていた。まあ、さすがに大松屋の番頭だけのことはある。立ちまわりは卒がないし、細部まで気を配る男よ。店の状況はほとんど掴んでいるはずだ」
「番頭の末吉か」
男は酒を口にしながら頷いた。神宮が徳利を持って男に酒を注いだ。
「他に、大松屋に関わる、何かこれといった話や噂は無いか」
男が少し考えた。
「うん、良蔵の殺しには関係のない話だが、女将の事は聞こえているよ」
「ほう、どのような話だ」
「問屋筋が色々と文句を言っているらしい。内容は些細な事だ。注文の品物を届けたらそんな物は頼んでないと言われたとか、届けた日が早過ぎるとか遅すぎるとか、言うことがコロコロ変わるというような文句よ」
「勘違いや言い間違いは誰にでもあるからな」
男が首を傾げた。
「そういう類の話なら文句は出ないだろう。文句が出るってぇのは、何か女将に問題があるからではないかな。しかも、一つや二つの問屋が言っているのではないそうだぜ」
「問題、というのは・・」
「詳しい事情は分からないが、元々、わがままで自分勝手なところはあったからな。しかも、言い出したら引かないような、父親譲りの推しの強さだ。そんなところが、歳を取るとともに強まっているのではないのかな」
神宮が表情を緩めて軽く数回頷いた。
「そこは何となく分かるな。女は、歳とともに強くなる」
男がニヤリとした。
「まあ、それぐらいだな。俺が知っているのは」
神宮が懐から金を取り出し、男の前に置いた。
「ありがとうよ。また頼むぜ」
男が金を懐に入れて立ち上がると、脇目も触れずに店を出て行った。
神宮がフウと息を吐いて、手酌で酒を飲みだした。
「深刻な話のようですね、旦那」
神宮が振り返ると、店の主人の岡吉が大きな体を揺すりながら近寄って来て、ゆっくりと隣に座った。
「おう、じょにでっぷ、景気はどうだ」
「ぼちぼちですかな」
岡吉は常陸国出身の元力士で、序二段のでっぷりした奴と呼ばれていたが、やがて誰とは無しにそれを略して「じょにでっぷ」と呼ぶようになった。力士を廃業後に上方で料理の修行をして、江戸に戻り店を開いた。
大きな体には似合わない繊細な感性を持っており、それ故に、この男が作る上方料理は、上品な味と鮮やかな見た目が持ち味となっている。元力士ではあるが、全くの下戸である。
「例の、大松屋の殺しの件ですか」
神宮が頷いた。
「ああ、下手人が誰なのか、皆目見当が付かない」
「押し込み強盗じゃ無いのですか」
「最初は盗みに入った奴の仕業かと思ったが、どうも、主人の良蔵を最初から殺そうとしていたような節も見られる」
岡吉が徳利を持って神宮に酒を注いだ。
「何か恨みを持たれていたということですか」
神宮が酒を口にした。
「そこはまだ見えてこない。恨みなのか、あるいは他の理由なのか・・」
「大店の旦那にまでなったのに、殺されてしまったのじゃ、もともこもないですね。まあ、何かあくどい事をしていたのなら兎も角として」
岡吉がフーと息を吐くと、神宮が頷いた。
「確かに。だが、聞く限りにおいて、殺された良蔵を悪く言う奴はいないようだ。むしろ、良い評判しか聞かない」
「そうすると、逆恨みみたいな事ですかね」
その岡吉のボソッと言った一言に、猪口を持った神宮の手が止まった。
「逆恨みか・・」