三
廻り方同心の間部瀬貫太郎は、殺された大松屋の主人の評判を聞くために、「やましん」こと岡引の慎吉を引き連れて、商売仲間の呉服屋を訪ねていた。
「そうですなぁ、そういう話は聞いていませんなぁ」
西河屋という呉服屋の店先で、間部瀬が主人に話を聞いていた。
「しかしですね、ご主人、商売もある意味競争でしょう。店が繁盛していたということは、商売敵が多かった証でもあるのでは」
「商売敵と言えば聞こえが悪いですが、言うなれば仲間ですからね。決まりごとを守りながらお互いに切磋琢磨している仲間ですよ」
主人は恰幅の良い体型で、顔も丸く目鼻立ちがしっかりしている。キチンとした羽織姿には、おっとりした態度と相まって、江戸で店を構えているという余裕が感じられる。
「なるほど、仲間ですか・・」
間部瀬が頷きながら店の入口の方に顔を向けた。
見ると、慎吉が女の奉公人達をつかまえて何やら話し込んでいる。慎吉が何かを言うたびに、キャッキャッという女達の笑い声が店中に響いた。
間部瀬が忌々しそうに視線を送ると、主人が腰を上げかけた。
「それよりもお役人様、ささ、お上りください。店先ではなんですから」
「いえ、ここで結構です」
主人が店を見渡しながら困った顔をした。
「そう言わずに、お願いします」
間部瀬が厳つい顔で首を振る。
「上がって茶菓子などいただく訳にはいきません。役人が権威を振りかざして市民から接待を受けるなどもっての外と、きつく言われています」
主人が微笑みながら、間部瀬に顔を近づけて、ハッキリとした口調で呟いた。
「いえ、そういう意味ではなくて、そこに居られたのでは商売の邪魔ですから」
間部瀬が顔を赤くした。
結局、座敷に通されて茶を飲んでいた。お菓子も出された。気付けば慎吉も隣に座っている。
「あ、お饅頭だ」
慎吉が菓子器に顔を近づけて口を半開きにして笑みを浮かべる。
「でも、残念ですね、甘い物で」
主人が怪訝な顔で、既に饅頭に手を伸ばしている慎吉を見た。
「と、いいますと・・」
「いえね、前の店でようかんが出たので、今度は、塩っけのものが良いかなと言っていたのですよ」
間部瀬が慌てて慎吉を嗜める。
「ばか、やめろ、やましん」
「旦那だって、煎餅が良いと言っていたじゃ無いですか」
間部瀬が顔を真っ赤にして下を向く。上方出身の気遣いを知らない男が調子に乗る。
「しかも、薄焼きの醤油味だったら最高だって」
間部瀬が顔を上げてムキになって首を振る。
「そ、それは違う、私の好みの味を言っただけだ、出して欲しいという意味じゃない」
「話の流れから、普通はそう受け取るでしょうが」
「ご、誤解だ、私は、役人として、上役から言われていることは・・」
慎吉は一つ目を食い終わり、二つ目に手を伸ばしている。
「わかりましたよ。そういう事にしといてあげます」
間部瀬が肩を怒らして慎吉を睨み付ける。
「わかっていない。だいたい、しといてあげますという言い草は何だ」
その時、襖が開いて、いつのまにか居なくなっていた主人が戻ってきた。
「はい、お待ちどう様でした、薄焼きの醤油味です」
「うわぁ、本当に出て来た。いただきます」
慎吉が、手に持っていた饅頭を間部瀬に渡して、煎餅に手を伸ばす。
「こら、やましん、お前は遠慮というもが無いのか・・」
何処かで猫が鳴いている。
主人が茶を口にした。
「まあ、商売仲間と寄り合いなどで話はしますが、悪い話といいますか、良蔵さんが恨まれていたような噂などは、無いですねぇ」
間部瀬が饅頭を頰張りながら頷く。
「そうですか。それでも、仲間内とはいえ、決まりごとを守らないような店も少しはあるでしょう」
「そりゃあ当然ありますよ。どこの世界も同じでしょうけど」
「であれば、恨みを抱くような者もいないとはいえないのでは」
「逆ですよ、お役人様。そういう決まりごとを守らない勝手な者に対して真面目な者達が恨みを持ちます」
間部瀬がまた顔を赤くして茶をすすった。
「もっとも、そういう店は繁盛しません。すぐに潰れますが・・」
そう言って主人が何かを思い出したように少し顔を上げて、首をかしげた。
「そういえば、私どもは呉服屋の仲間ですが、最近、大松屋さんは呉服の商いがあまり無いのではと思っていました。いえ、もちろん品物は店に並んでいますが、商売仲間の話では、商いのほとんどが呉服以外のものと聞いています」
間部瀬の濃い睫毛がピクリと動いた。
「ええ、前の店でも聞きました。確かに、大松屋は呉服以外のものまで幅広く扱っているそうですね。そして、呉服屋なのに、呉服はさほど売れていないとも」
主人が考え込んで下を向く。
「そうです。まあ、良蔵さんは口が硬かったので、その辺のところは多く語りませんでしたが、色々と悩みはあったのでは無いですかねぇ。それが、新装開店ということで、呉服屋としてもう一度出直すという決断に繋がったのではとは思っています」
「出直しですか・・」
間部瀬がそう言いながら茶をすすると、主人が顔を上げて穏やかな笑みを浮かべた。
「それは、女将さんはもちろん、良蔵さんにしても、昔の大松屋さんの繁盛ぶりを知っている店の者なら、ああいう華やかな商売をもう一度、とは思うでしょうねぇ」
「そんなに華やかでしたか」
主人が昔を思い出すように目を瞑り頷いた。
「大松屋さんが輝いて見えたものです。うらやましい限りでした。何といっても、女将さんが若くて美しく、店で先頭に立って商売をしている姿は、それは眩しいほどでした。その噂が広まるや、連日客が押し寄せました。当然ながら、女将さん目当ての者も多かったでしょうねぇ」
「なるほど、それなら、夢よもう一度、と思うでしょうねぇ」
「ええ。まあ、いずれにしても、呉服屋仲間では、良蔵さんに恨みを持つ者がいたなどと言う話は、聞いていませんね」
間部瀬が納得したというように頷くと、慎吉がチラリと間部瀬を見ながら、菓子器に入った煎餅の最後の一枚に手を伸ばす。すかさず間部瀬が慎吉の手をパチンと叩く。主人が力なく微笑む。