4.聖女達の(黒)歴史①
王立アプレンデール学院は、王都クインテールにある名門の学び舎である。中等部から大学まであり、広大な敷地に良家の子女が他国からも集うらしい。
城館のような学舎が幾棟も建ち並ぶ中、正門を入ってすぐにある貴賓館の一室で、一組の男女が対話していた。
「申し訳ない、里桜殿。次のダンジョン攻略の王命が出てしまいました」
鎮痛な面持ちでそう告げた男の名は、イシアス・アーブル。金髪碧眼の正当なイケメンである。
「……私に、ですか」
告げられた言葉に動揺を隠し切れなかった女の名は、大河原里桜。緩くウエーブのかかったオレンジブラウンの髪に大きなリボンを付け、フリルいっぱいのロングドレスを着ている。見るからに成金趣味的な装束の里桜は21歳。異世界より召喚された聖女である。
「アダ遺跡のダンジョンをクーリアの聖女が攻略したのはご存知でしょう」
「ええ。街中がその噂でもちきりですもの。それで、今度は私の番と言う訳ですのね」
イシアスが困った表情で頷いた。
「僕にもっと力があれば共に行くことも出来たのですが、王命ではアーブルの聖女とスターリーナイトのメンバーのみ同行を許可されています」
「そうですか…、それを聞いて少し安心致しましたわ」
里桜が顔を上げ、イシアスの美しい瞳を覗き込んだ。
「お世話になったアーブル家の、イシアス様のために、私精一杯頑張ります。クーリアの聖女に出来たのなら私にも出来る筈ですもの。イシアス様はどうかご無理なさらずに、私にお任せください」
「里桜殿…」
学院内で一番の貴賓室は、広い談話室のようでもあった。アンティークな調度品の数々に暖炉があり、幾つものゆったりとしたソファが設置されている。
暖炉の側のソファセットで、テーブルを挟んで座るイシアスと里桜がじっと見つめ合ったまま。里桜の頬は朱に染まり、膝に置いた手がピクリと動き。
イシアスもまた顔を紅潮させ、思いつめた表情で立ち上がると里桜の前に膝を就いた。「里桜殿」
「イシアス様」
二人が手を取り合おうとして近づけると、火花が散り、弾かれたイシアスが尻もちをついた。
「イシアス様、大丈夫ですか」
慌てて助け起こそうと手を伸ばした里桜の手に、またもやイシアスが弾かれてしまい。
「大丈夫。申し訳ない…」
「いえ、私の方こそ…」
「「…………」」
頬を染めた二人は見つめ合ったまま、残念そうな笑みを同時に浮かべた。
「で、もういいかな、その三文芝居。毎回毎回飽きないよねぇ、お宅ら」
ポリポリとクッキーを頬張りながら、すぐ近くの一人掛けソファに座るハイデルが声をかけた。
さらにその横に、同じくバリバリとクッキーを齧っているトロワが、一人掛けソファに座っていた。
「え?今のお芝居だったの?」
「誰?ですの、こちらの方は」
里桜の問いに顔を赤らめたイシアスが応えた。
「彼女は冒険者パーティ、ゴーレムの女王のトロワ・キルアさんだよ」
紹介されたトロワが軽く片手を上げ、
「よろしく」
と言った。途端に里桜のこめかみに青筋が浮かんだが、イシアスの前なので堪えた。
「彼女はアーブルの聖女の大河原里桜。性格は難有りだけど」
ハイデルの紹介に顔を引きつらせたが、イシアスの前なので里桜は堪えた。
「クーリアの聖女よりはよっぽど腕は立つよ」
「へえ、そうなんだ」
「お二方は元々のお知り合いだったのですか」
里桜の問いに答えたのはトロワだった。
「ううん。さっきフィーアさんに紹介されたのよ。アスレハのクソガキで有名なハイデルお坊ちゃんとそちらのイシアスさんが前のダンジョン攻略の詳細を聞きたいとか何とかだからって」
ハイデルが肯き、
「そういう事」
と言った。
「フィーア様やベンテにも話を聞きたかったのだけど、二人は忙しいそうでね。取り敢えずトロワさんを紹介されたんだよ。それと…」
イシアスが戸惑ったわけは、トロワの横にさらに一人の少年が座ってクッキーを齧っていたからである。
「ああ、彼はコタ・キルア。私の弟。うちのパーティに入ってくれるって言うから後で冒険者ギルドに行こうと思って」
「ども…、よろしくです」
紹介されたコタがおどおどと挨拶をした。元クーリアの聖女をしていたコタは、以前に数度、里桜と会ったことがある。殆ど会話はしなかったものの、バレるのではないかと内心冷や汗をかいていたのだが。
「へえ…」
と、冷たく一瞥されただけでバレる心配はなさそうだった。
「あ、思い出した。あんた…じゃなかった、あなたアダ遺跡のダンジョンで無理矢理くっついて行った…」
「ゴーレムの女王」
ハイデルが助け舟を出し、
「そうあの可笑しなスキル持ちの新人冒険者パーティのリーダー」
「可笑しなスキルで悪かったわね、ああ?」
「はあ?」
トロワと里桜が眼を飛ばし合ったが、イシアスがいることに気づいた里桜が、慌ててオホホと笑みを取り繕った。
仕事があるからと、イシアス一人が退室した後の貴賓室は、険悪な空気が漂っていた。ソファに座り直した里桜が背もたれに肩肘を置き、足を組んで眼を飛ばすと。応じたトロワもふんぞり返って眼を飛ばし、応えた。
その横ではコタが一人、冷や汗をダラダラと流しながら、リスのようにクッキーを齧り続けていた。
「こんな新人冒険者に話聞いても無駄なんじゃないの。バカなのあんた」
「仕方ないだろ。フィーア様もベンテ様も何も話してくれないし、態度は変だったし。この女がしゃしゃり出てきて街を案内してくれって言うから連れて来た」
「ここ初めての街だから。冒険者ギルドに行きたいのよ、私達」
「案内はしてやるから、前のダンジョン攻略の話が聞きたい」
「前のダンジョン?凄く怖かったよ。もう二度と行きたくない」
トロワの答えにハイデルがガクッと肩を落とした。
「そういう事じゃなくて、どんなマモノがいてどうやって倒したかが聞きたいんだよ。あのアダ遺跡のダンジョンは浄化までされている」
「殆ど気失ってたし、私もよく分からないんだよねぇ」
「だからこんな奴に話聞くだけ無駄、無駄。ハイデル、止めとけば」
里桜の言葉にムッとしながらも、トロワは疑問を口にした。
「でも何で皆私がダンジョン攻略に行った事知ってるの?私ってそんなに有名?ちょっとサインの練習でもしとこうかしら」
ハイデルが呆れたように首を振り、
「鏡魔法でパノラマ虫を飛ばしてた連中が一定数いたってことだよ。聖女によるダンジョン攻略はこの国では初めての試みだったから興味を持つ者は多い、僕らを含めてね。だけど一行がダンジョンに入ってすぐにパノラマ虫は機能しなくなった。だから中の事は殆ど不明。攻略3日目にダンジョンが浄化され、帰還したのはスターリーナイトの3人とブルローネのノイアと聖女ミユリだけ」
公式の発表によると。ブルローネのコラードとエリオは、ダンジョン内で行方不明。新人パーティのゴーレムの女王は、最下層でメンバー全員が気を失ったために放置。
『足手まといにしかならなかった』と感想を述べたベンテの言葉で、さらに勇名を馳せていた。
さらに、聖女ミユリ様は力を使い過ぎたために寝込まれてしまった、ことになっている。
「僕も何度か会った事はあるけど、彼女にそんな力があったのか、どうも腑に落ちないんだよねぇ」
「あったんじゃないの。頑張っていたものミユリちゃん」
「ふーん…」
不満そうなハイデルに、トロワはニコニコと笑顔を向けた。これぞ必殺の営業スマイルである。同じようにコタもニコニコと笑顔を見せた。
「まいっか。次のダンジョンに行けば何か判るだろうし」
「あら、ハイデル君も行くの?」
「当然でしょ。こう見えてこいつバカみたいに強いモノ。昔ここの王太子と喧嘩して学院の建物半壊にしたらしいわよ」
やけにどや顔の里桜が答えた。
「え?こんな華奢なのに?」
「僕もスターリーナイトのメンバーだからね。これでも一応、貴族のお坊ちゃんだし」
「なんだ、スターリーナイトかあ。じゃなかったらウチに誘ったのに、残念」
トロワのがっかりした様子にハイデルが吹き出し、里桜は呆れたように口角を上げた。
冒険者ギルドは、王都クインテールのダウンタウンにあった。
緑の大屋根が目印で、入口には薬草とカードの意匠が描かれた吊り看板が下がっている。中に入ると正面に受付があり、右側は食堂のような雰囲気のテーブル席(飲食物持ち込み可、過度なアルコール摂取は厳禁)。左側には依頼カードの貼られたボードがズラリと並び、冒険者達が仕事を探してカードを眺めていた。
テーブル席にも冒険者がたむろっていて、トロワ達一行が入って行くとひそひそと囁く声が聴こえ、注目の的となった。
「トロワさん」
「ノイア」
トロワを見かけてすぐに、ノイアが駆け寄って来た。ノイアの後ろに控えていたギータの姿を認め、声をかけたのはハイデルだった。
「なんだ、ここに居たのかギータ。ずっと探してたのに、ひょっとしなくても避けられてた?」
「ノーコメント。聞きたい事があるならフィーア様かベンテ様に尋ねて」
「ちえ。僕だけ仲間外れか、つれないなあ」
「トロワさんお元気でしたか。心配してたんですよ、半月も姿が見えなかったから」
「ちょっと色々とあってね、大変だったのよ。厄災の魔女とか言う人に捕まったりしてね」
「「「「「え?」」」」」
驚いたノイア、ギータ、ハイデル、コタ、里桜の声が被った。同時に、聞き耳を立てていたギルド内がしんと静かになった。
「僕も初耳ですけど、トロワさん」
コタが顔を青くして尋ねた。
「あれ言ってなかったっけ?でも大丈夫大丈夫、こうして皆無事だったし。それより、コタの冒険者登録をしないと」
「あ、コタ君?」
少年の姿のコタに気づいたノイアが頬を染め、
「うん、ども…」
と、応えたコタも顔を赤らめ、二人の周りがほあんとしたいい雰囲気になった。が、トロワに襟首を捉まれたコタが受付まで引きずられていき、初々しい雰囲気はあっさりと霧散。
登録を終えたコタの腕輪を見て、トロワが文句を言っていた。
「いきなり銀のバングルってどうよ。私なんてまだ肌色なんですけど」
と、口をへの字に曲げていた。
実由里小太朗はダンジョン攻略から戻って以後、女装はしていなかった。公式にも発表された通り、寝込んでいることになった聖女ミユリは、二度と表舞台には出て来ない予定である。ただし、小太朗の名は異世界人を連想させるため、コタと名乗ることにした。
小太朗が世話になっているクーリア家は、クインティア王国の中でも指折りの名門貴族だった。現当主夫妻は優しかったし、10歳になる娘が一人いて、小太朗にも懐いていた。
唯一人怖かったベンテは、クーリアを名乗っているが養子だそうだ。
小太朗がこの世界に召喚されておよそ半年。右も左も分からず不安だらけで泣きたいことだらけだったが、クーリア家の人々は優しかった。
『長い間女装までさせてすまなかったね』
『本当にごめんなさいね』
当主夫妻に頭を下げられ、小太朗は焦ってしまった。温厚な紳士と淑女を絵に書いたような、そんな二人に慌てて手を振り、
『いえそんな。大したお役にも立てず…』
『いや、君の力が無ければあのダンジョン攻略は失敗していたとベンテが言っていたし、私もそう思うよ』
『いえ、本当に僕は何も』
そうして謝罪の後に、
『君さえよければ我が家の正式な息子になるのはどうだろう』
『ご免なさいね、この世界には召喚者を元の世界に返して上げる魔法はないの。だからせめて私達の家族になってもらえないかしら』
『……』
この先をコタ・クーリアとして生きる。正直心は揺らいだものの、
『やっほー、小太朗君。君うちのパーティに入らない?』
トロワの言葉に、躊躇なく肯く自分がいた。
『よろしくお願いします』
『え?いいの。マジで。嘘。やったー!』
トロワが両手を上げて喜んでくれたのが嬉しかった。
コタ・キルア。この世界で自ら選択し、新たに得た名前である。
まだぶうぶう文句を言っているトロワを、ギータが宥めていた。
「まあまあ。トロワさんには素敵なスキルがあるじゃないですか」
「そりゃ、まあ?」
「それよりトロワさんにご伝言があります」
「私に?伝言って誰から」
「はい。『今宵、ルフレにてお会いできるのを楽しみにしています』と」
ギータの伝言を聞きつけたハイデルと里桜が驚いていた。
「ルフレって?」
「セントラルにある王宮のことです。僕も一度しか行ったことがありません」
教えてくれたのはコタだった。
「伝言の主はシア王妃様。今宵ルフレ宮殿にて夜会が行われます。トロワさんとコタ君にはぜひ、フィーア様の付き人として参加して欲しいとのことです」
「付き人ですって」
くすりと笑ったのは里桜だった。
「ああ?」
「はあ?」
再び眼を飛ばし合った二人に、ギータがチッと舌打ちをした。それに驚いたのはノイアとコタだった。
大河原里桜がこの世界に召喚されたのは2年前のこと。
転生前、19歳だった里桜は苦学生だった。狭いアパートで仕送りも乏しく、幾つものバイトを掛け持ちしながら、大学に通っていた。専攻はスポーツ科学科で、中学から陸上部に所属し、体力だけには自信があった。
化粧もせずに日に焼けてギスギスで、誰かに恋をしている暇などなかった。友人達の恋バナは聞き専で、おしゃれをしようとも思わなかったしその余裕なんてなかったのである。
ある日、バイト帰りの疲れた身体で夜道を歩いていると、急に足元が光り出し、気づいたらこの世界に召喚されていた。
目の前には白いローブを着たおじいさんらしき影と、何人ものローブを纏った一団。その中で、最初に正しく目に飛び込んできたのが、イシアスだった。
手にしていたコンビニの袋を背に隠してしまうほど、場違いなオーラを放ちキラキラと輝いていた。まさに白馬に乗った王子様。
「それで一目ぼれしたって?はっ、単純~」
「うっさいわね、ドレス貸してあげないわよ」
場所は、里桜が召喚されてからずっと寄寓しているアーブル家の王都邸宅。私室として自由に使わせてもらっている部屋は、天蓋付きのベッドや猫足のソファにオットマン。まさにお姫様仕様の寝室だった。
衣装部屋は別にあり、華美なドレスと靴、装飾品などが部屋いっぱいに揃えられていた。
「まさに地獄から天国に来たと思ったわよ。ご飯もまあカップ麺とかレトルトカレーはないけど、マナーに慣れればそれなりに美味しいし、聖女様って崇めてもらえるし、綺麗な服は選び放題。好きなの選びなさいよ」
「ありがと~」
里桜の私室に、トロワはドレスを借りに来ていた。ギータはフィーアの家で用意していると言っていたが、ちょっと彼に借りを作るのは避けたかった。深い意味はないが、あのラースが冷や汗を流していたフィーアの微笑みは、トロワも苦手だった。
トロワがドレスを物色している間も、里桜の独白のような回想は続いた。
「あんたに言っても分からないでしょうけど、私のいた世界のご飯はおいしかったの。簡単に食べられるインスタント食品ってのがあってね、コンビニっていうお店は24時間営業。娯楽もいっぱいあってスマホやパソコンでゲームが出来るのよ。この世界に来てやっぱりスマホがないのは不便よね」
「ふーん、そう」
「ま、トロワに言っても分からないでしょうけど」
「帰りたいわけ?」
吊られたドレスの間から顔だけだしたトロワの問いに、里桜は考えこんだ。
「帰りたいわけないじゃない。ここにはイシアスがいるし、アーブル家の皆さんにも色々お世話になったし」
回想――日に何度もドレスを着替え、靴を選び、宝石に目を輝かせている里桜。メイドに指の手入れをしてもらい、マッサージにオイルトリートメント。美しい化粧を(派手めに)施し、瞬く間に令嬢仕様へと変化し、扇で口元を隠した様はまさにビフォーアフター――。
「楽しくやってそうじゃない」
「楽しくやってたわよ、私の時代が来たとさえ思ってたんだから、王命が下る今日までは」
「ああ、次のダンジョン攻略に行けって言われたんだっけ、里桜が。嫌なら断れば」
トロワの言葉に里桜が深いため息を吐いた。
「あんたはお気楽でいいわね。この世界の聖女は大変なのよ、命を落とした子もいるみたいだし」
「え?誰か亡くなったの」
「なんかそうらしいわよ。この世界では聖女の召喚が各国で行われているから。もうだいぶ前の事みたいだけど、ダンジョン攻略に失敗したそうよ。だから殆どの人が今度のクーリアの聖女もダメだろうと思っていたみたい。私も失敗すると思っていた方だけど」
「あ、これにしようかな」
トロワが選んだのはチロリアン風の地味なロングワンピース。
「地味ね」
「ほっといて。付き人なんだしこんなモンでしょ。私、スキルと同じで空気読むのよね」
「ああ、あの…空気何だっけ?やって見せてよ」
「いいけど、高いわよ」
「ドレスのレンタル料で」
「了解、空気無効っ」
ボンっと現れた鶏が、一声鳴いて消えた時の里桜の顔は微妙。
「空気無効」
ペンギンスケーターズが華麗に舞って消えた時は目を丸くし、
「空気無効」
マンボ軍団が踊りながら消えて行った後で、里桜はプッと吹き出して笑った。




