2.(ホムンクルスの)聖女と(マザコンの)王子
これより遡ることひと月前――。
ぼさぼさの赤茶の髪をかきむしり、ガラ・キルアは嘆いていた。顔は皺皺、着ている白衣もしわくちゃ。丸眼鏡をかけた痩せぎすの老人は、一人掛けソファの周りをグルグルと歩きまわり、立ち止まってはまた歩き、
「何故だ。何故目を開けん。こんなに完璧に出来上がったというのに」
思案にふけっていた。
場所はエンリケの家の納屋の二階。ノックの音がして銀髪の老女が顔を覗かせた。
「ガラ。お茶はいかが」
「モリーさ…。ありがとう頂くよ、モリー」
「うふふ、美味しいケーキも焼いたのよ、降りていらっしゃいな。一緒に食べましょう」
モリーと一緒にガラ爺さんが出て行った後。石の人形が散乱する小汚い部屋の中には、椅子に座る一体の美しい人形だけが残された。
――ふわふわの綿雲のような異空間にて。
翼を持った獣から説明を聞き終えた時塚京が、質問をした。
「転生ってよく分からないんすけど、また赤ちゃんからやり直すんですかね?」
「ああ、ごめん。本来なら理の中で記憶だけを残して転生させてあげたかったんだけど、何分今回は時間が無くてね」
「時間が無い?」
「うん。こういうのを何て言うか考えてたんだけど」
「ふんふん?」
「切羽詰まってるって言うのが正解かな」
「へえ」
「だからね、先に謝っておくけど、人間には転生させて上げられなかったんだよね」
「…え?どういこと?」
翼を持った獣が首を傾け、
「てへ…」
と言った途端に視界が暗転。
遠のく意識の中で、
「ホムンクルスが魔物か人か。それは相対的な判断によるものだし、たぶん大丈夫…」
獣の独り言のような声が聞こえたが、意味はよく分からなかった。ホムンクルスって何なのよ。教えてから転生させてよ。という心の声は、きっとあの獣には届いていないだろう。
気づくと、どこか知らない屋根裏のような小汚い部屋の、ソファに座っていた。
母屋の家のダイニングでは、エンリケとモリーの他にも二人の老人がガラを出迎えた。頑固そうな小太りの老人メヒティと、体格が良く温和な雰囲気のイルム。
「やっぱりモリーの焼くアップルパイは最高だな」
メヒティの言葉に、ガラもイルムも頷く。
「時にガラよ。いい加減この家の納屋を出て村の空き家に引っ越せ」
「いえ、メヒティ殿。わしは贖罪を行う者。とてもこの村の住人になる資格はないのです」
「よせよせ、メヒティ。ガラはお前以上の頑固モノじゃよ」
パイを頬張りながら、呑気なイルムが窘める。
「しかしなあ、ずっと納屋暮らしではここの気候は寒いじゃろうて」
「ガラにはわしの作った果実酒をひと樽渡してあるから大丈夫だ」
「本当か、儂にも寄越せや」
「うちにはあるぞ」
エンリケのどや顔に、メヒティは目を吊り上げる。
「何だとぉ」
ガラの身を案じる老人達に、モリーは微笑みを送った。
「それより、部屋に置いてあったあの綺麗なお人形、まるで生きているみたいね」
「ああ。儂も見せてもらったが聖女トニア・ティアレンに瓜二つだった。さすがは「造形師」ゴーレム創りの名人なだけはある」
エンリケの言葉に、メヒティとイルムが興味を示した。
「トニア様に瓜二つの人形だと?」
「ガラの創ったゴーレムは村の良い労働力だからねえ。今度の新作のゴーレムかい?」
「いや、あれはホムンクルスです。理論上は成功している筈なのです。心臓には我が国、いえ、さる国の秘宝とまで言われた魔石を使用したのですからね」
「「「「え?マジで?」」」」
ゆっくりとお茶を飲んでいた4人の老人たちが、一様に驚いて声を被せた。
『いやいやいや、秘宝を用いたホムンクルス等見ておかねばならんだろうて』
『だから、まだ完成はしてないのですっ』
『いやいやいや完成しているしてないは問題ではない。そうだろう?イルムよ』
『全くだね。わしも見学するまで帰れないよ』
どかどかと、誰かが階段を上ってくる音がうるさく聴こえた。
京はうるさいなあと思いつつ、目を開けると、目の前には見知らぬ老人達の顔が間近にあってビックリした。
「誰?」
自分の声に顔を近づけていた老人達が固まり、
「どこよ、ここ」
さらに言葉を発すると、固まっていた老人達が後ずさった。
そして、
「「「「「ええええ!!」」」」」
と、大声を出した。
髪は流れるように艶やかなミルキーブロンド。大きな瞳は金と青のオッドアイ。白磁の肌を際立たせる唇は紅を塗らなくてもバラ色に潤い、卵型のふっくらとした頬の線まで美しい。手足は細く長くほどよい肉付きで、スレンダーなモデル体型。
願わくば、胸元の膨らみがもう少し欲しかったが、強くは望むまい。
だがしかし、どうせならボンキュッボンのセクシー系を目指したかった。ホムンクルスとからしいのだけど。いやいや、多くを望んではいけない。そう、これだけ美しい姿形に転生しているのだ。
姿見に映る自分に笑って見せると、背後で固まっていた老人達がうっとりと頬を染めていた。
鏡に映る女性は確かに美しく、今着せられているのは中世ヨーロッパ風のチュニックワンピースのロングドレス。背は転生前より少し高いぐらいか。
転生前(人間だった頃)の自分はどんな顔をしていたのか。はっきりとは思い出せなくなっていた。もっと和風な顔立ちだったことは確かだが。
ただ、困ったことに老人達が口々に、
「聖女様?」
と言って跪くのには辟易した。
「あの、それ止めてもらっていいすか。私聖女じゃないんで」
と言っても止めてくれず、最初は言葉が通じないのかと思い、
「私、NO。聖女、違う。OK?」
と、顔の前で×印を作ってみた。ここ外国みたいだし。皆外国の人みたいだし。
「私は、ジャパニーズから来ました。名前…は、まだないです。ザッツライト?」
ここまで言ってやっと理解してもらえたのか、老人達が目を見かわし始め、何やらひそひそと話し始めた。
『いやいやいや、どういう事だこれは』
『ホムンクルスってあんな風に喋るの』
『知能が低いのかのう』
『知能はこの際どうでもいい。成功したな、ガラ。おめでとう』
『ありがとう。エンリケ』
年寄りたちの言葉は全部聴こえた。知能が低いと思われるのは心外だったので、訂正しておいた。
「私、そんなにバカじゃありませんよ。仕事もまあ普通にこなせます。会社、勤め先では企画広報を担当しておりまして、自社製品のアピールなら自信がありますのでお任せください」
ペラペラと喋ると、老人達がまた固まってしまい、今度はひそひそと輪を組んで話始めた。ちょっと感じ悪いんですけど。そう思ったのでその輪の中に加わることにした。
「ホムンクルスが仕事?おかしいだろう」
「いやおかしくないすよ。私転生したんで」
「転生とか抜かしおったぞ」
「いや本当ですって。導きの獣?とかいう詐欺師みたいな4本足の動物に転生させられたんです」
「え?マジですか。導きの聖獣様って聞いたことがあるぞ」
「私も私も。小さい頃から聞いていたトニア様の善き相談者」
「本当に導きの聖獣様に?」
「いや聖獣じゃないです。導きの獣って4本足の動物のくせに自分のこと獣って言ってましたよ、あはは」
「…………」
またもや老人達が固まり、一斉に距離を開けた。
「聖女様!」
「本物?」
「いやいやいやいやまさか!」
「でも聖獣の導きって」
「逆逆、導きの聖獣様だ。トニア様の時にもいらしてた」
「お前知ってるのかよ」
「そういう言い伝えだってことでしょうが」
ジジババ達の驚きはその夜まで続いていて、いい加減にしてほしかったのだが、耐えた。
この世界に入ってはこの世界に従え、である。
「大変そうだな」
「あ、女神様…」
キツイ目で見られて、
「もどきの美人のお姉さん」
と言うと、ちょっと怖い美人のお姉さんがニコリと笑った。初めて声を聴いたが、喋り方が男前だった。
「言い忘れてたんだけど」
お姉さんの横にはまた翼を持った獣が、小汚い部屋に現れていた。ジジババ達はえらく騒いでどこかに行き、部屋には私一人しかいなかった。
「彼女を君の契約精霊にしてもらえないかな」
「私の?契約精霊って何?」
「とても強い味方になるから超お得だけど、どうかな」
「超お得?」
と言われて心が揺らいだ。
「ジルフィリア・ヴァルキュリアだ。お前の名前はまだ無かったな」
「うん、それでもいいのかな」
「大丈夫だ。私との契約は魂に基づく」
「ならよろしく。ジルフィリアさん」
握手が契約の了承となったらしい。
「さん付けはいらない。私の事はジルフィリアと」
「じゃあ色々教えてもらいたいし、ジル先生でお願いします」
ジルフィリアは少し目を見開いたが、すぐに微笑みを浮かべ、
「いいだろう。了承した」
「良かったね、ジルフィリア。あ、それから僕も導き手だし側にいるから」
「え?そうなの?」
「あれ、何か嫌そう…」
獣の尻尾が垂れていた。
「嫌とかじゃなくて、目立つじゃん、君」
「だったら化けるし」
「化ける?」
部屋の片隅に転がっていた石の人形に、獣は吸い込まれて消えた。そうして動き出した小さなゴーレムが、私の側に来てくるくると回った。
やけにどや顔で、
「これでどうよ」
「いいんじゃないすか」
「他人事?」
「まあいいだろう。すまないが暫くの間私たちも世話になる。よろしくな」
ジル先生は部屋の外で、扉の隙間から中を覗き見ていた老人達に声をかけた。途端に老人達が慌てふためき、階段から転がり落ちて行った。
『大丈夫?あなた』
『ああ大丈夫だ。早く退いてくれ、メヒティ』
『信じられるか、古の大精霊、最上位の大精霊だぞ、ジルフィリア・ヴァルキュリアさま、おお…』
『聞いたことあるよ、ヴァルキュリアクイーンと呼ばれる大精霊』
『儂も初めて見た。それに導きの聖獣様…』
『…………』
本物だー!!!という老人達の叫び声が階下から聞こえた。
それから数日はすったもんだしたのだが、(私の名前を決めるのに老人達のうるさい事うるさい事)最終的にはモリーおばあちゃんがトロワと名付けてくれた。
トロワ・キルア。それがこの世界での私の名である。ちなみに、ミニゴーレムに憑依した獣に、レム君と名前を付けたのはガラ爺さんである。
この半月後、トロワは村の近くの山の中で、寝ていたラースを拾った。
山小屋風のリビングルームには、大きなソファセットと椅子が幾つも置かれてあった。階上には寝室が幾つかあり、半分吹き抜けになっているリビングは広々としていた。
今そこに集うのはサーヘル村のエンリケとメヒティ。ダンジョン参加組のスターリーナイトの3人、フィーア、ベンテ、ギータ。それとゴーレムの変化を解き元の姿に戻ったジルフィリアとミニゴーレムのままのレム、そして赤髪の変化を解いたラースことラウノがいた。
「やっぱりお前だったのか」
フィーアの言葉に、ラースが首を傾げた。
「俺はラースだが?」
「はっ。いい加減にしろよ、ラウノ」
キツイ口調のフィーアが少し苛立っていた。
「待てフィーア。こいつは今記憶喪失ということになっている」
「はあ?」
エンリケの言葉にも不信感を持って応えたフィーアに、ベンテが小さく咳払いをした。
「あ、失礼致しました。おじい様」
「いいさ、気にするな、フィーア。しかしな、儂が今のクインティア王であるラルゴに人を寄越すように連絡を入れてこれが来た。村に来た時には本当に記憶を無くしていたのは事実なのだ」
「記憶を無くした…、いえ、おじい様記憶は無くしたのではなく封じられていたのだと思いますよ。そのような事を言っていた人物に心当たりがありますので」
「ほう、それはまたラウノも敵の多いことだな」
「いえ、だからこれが封じられたままでいる訳はないと、言いたいだけなのです。おい、お前。記憶戻っているんだろう、ラウノ」
と、ラウノに向かいニコリと笑みを浮かべた。それを見たラウノが横を向き、
「戻ってない。俺はラースだ」
と、冷や汗をだらだらと流していた。
ここより遡ること半月前――。
天井の高い謁見の間の玉座に、王と王妃が座っている。
謁見の間に入ってきたラウノは、つかつかと父王の前まで歩いて行き、立ち止まると跪くこともなく尋ねた。
「何か用か、親父殿」
苦虫をかみ潰したような表情のラルゴ王が、
「せめて父上と呼べんのか、バカ息子が。まあいい。お前に行ってもらいたい所がある。サーヘルの村へちょっと行ってきてくれないか」
「嫌だ」
「そうか、嫌か…おい」
それまで微笑みを絶やさず口を開かなかった王妃が、ニッコリと微笑み、
「ラウノ」
と、呼んだ。
それだけでラウノは襟を正し、跪く。
「母上。何でございましょう」
「サーヘルへ行きなさい」
「御意。母上の仰せとあらば、喜んで」
ラルゴ王のこめかみにはくっきりとした青筋が浮かび、
「明朝には出立するように」
「明日は無理です。フィーアと剣の手合わせをする約束があるので」
王の青筋が増えて、王妃がまた口添えをした。
「ラウノ。剣の手合わせを終えた後でなら行けるわね」
「了解しました」
ぶすくれた父王に睨まれたが睨み返し、母親のシアには笑顔を向けた。
ラウノ・クイントス、17歳。クインティア王国第三王子にして王位継承権第一位の王太子。
若木を思わせるしなやかな身体はスラリと高く。強靭さを秘めた四肢も筋肉質であっても太くはなく。肩まで伸びたダークブロンドの髪を、無造作に結ぶのを好んだ。彫りが深く鼻筋の通ったすっきりとした顔立ちは、母親に似たのか気品漂う美しさを見せる。ただ、光り輝く琥珀の瞳が、若者の意志の強さときかん気を表わしていた。
王家の格式や伝統には一切興味がなく、権力や地位にも無頓着。着るものは用意された服を着ているが、堅苦しいモノは平気で破り捨てた。なので大抵、部屋にはラフな服しか置かれていない。
この日も、貫頭衣にサッシュを巻き、モンペのようなサルワールパンツを穿いたラフな服装。いつも持ち歩いている愛剣シンラ(国宝の妖魔剣)を腰に差し、供もつけずに一人で、アプレンデール学院へ向かった。
ラウノには二人の異母兄がいる。
すぐ上の兄フィーア(「剣聖」のスキル持ち)には、何度挑んでも剣だけでは勝てず。故に好感を持っている。もう一人の長兄のことは、たまにあっても顔さえ分からなかった。興味がないのである。
子供の頃からそうだった。興味のないモノ(政治)には目もくれず、興味のあるモノ(喧嘩)には人一倍瞳を輝かせた。
ラウノの母親はグランヴィータ大帝国の第二皇女で、純粋なる龍人の血を持っていた。龍人達の繁殖能力は弱く、古くから普通種の人と交わり種を残してきた歴史を持つ。
龍人の血が濃いほどに力は強い。ラウノは幼少の頃から、それを体現し数々の伝説を残してきた。
列挙するとこうなる。
わずか3歳にして、父王ですら鞘から抜くことが出来なかった、国宝の妖魔剣シンラを抜剣。以来自分の愛剣にしている。
5歳の時には瘴気が満ち始め、魔物が狂暴化したアダ遺跡のダンジョンを一人で攻略。
7歳の時には違うダンジョンでメタルホーン(SSランクの超レア魔物)をやっぱり一人で倒し、最年少で(無理矢理加入させられ)「スターリーナイト」のメンバーとなった。
8歳の時に通っていた王立アプレンデール学院の校舎を、友人との喧嘩で半壊にし、付いた二つ名が最凶の悪ガキ王子。
10歳の時には王国で最も権威のある魔導士協会に喧嘩を売って、天下無敵の無鉄砲と呼ばれ。
13歳でグランヴィータ大帝国の伝統ある町を一つ丸ごと吹き飛ばし、クインテールの大うつけと謳われた。
粗野で乱暴。やりたい放題の喧嘩大好き王子で、家臣泣かせ。唯一、最愛の母親にだけは頭が上がらず。多くの者が天下無双のマザコンと、親しみを込めてそう呼んでいる。
本人は興味がなくとも、王都クインテールの人気者である。
なので、ラウノ・クイントスには敵が多い。一番の敵は長兄のノバリーなのだが、ラウノは全く相手にしていなかった。その積年の恨みがつのり、ついにこの日。ノバリーは予てからの計画を実行に移した。
協力者はやはり積年の恨みを募らせた魔導士協会の魔導士達。それと、王太子ラウノの親友を自称する学友のハイデル・アスレハ。
「お前も悪だな、アスレハのクソガキよ」
「いやいや、第一王子のノバリー様ほどでもございませんよ」
と、王立学院のとある貴賓室で笑い合う二人。
クインティア王国第一王子ノバリーは、39歳。龍人の血を持つ者は大抵若く見えるのだが、ノバリーは老け顔だった。
一方のハイデルは17歳。可愛らしい童顔にピンクアッシュの天然パーマ。背丈はあるが細身の体形をしていた。
「魔導士達の手筈は?」
「抜かりなく」
「睡眠薬は?」
「通常の10倍に」
「命まで取るつもりはないぞ」
「甘いですな、第一王子。相手はメタルホーンでもお辞儀をするあのラウノですよ」
「うむ。そうだったな」
ハイデルが事の詳細をホワイトボードに図解して解説を始めた。
「まずはラウノを睡眠薬で眠らせ、ノバリー様がかき集めた魔石と魔導士30名でラウノの力と記憶を封印。封印魔法は呪符を肌に埋め込み、剥がれることはまずあり得ません。これでラウノはただの人。眠らせた間に、これまたノバリー様が身銭を切った魔石と20名の魔導士達によって南洋の孤島に転移させる。これで晴れてあなたは第一王子にして王位継承権第一位」
ハイデルの説明に目を輝かせるノバリーは、少し涙ぐんでいた。
「うむ、苦節39年。この日をどれだけ待ち望んだことか」
ノバリーとハイデルが目を見かわし、高笑いを始めた。
「ざまあみろ、ラウノの大馬鹿野郎が。目に物見やがれってんだ」
と、中指を立てるハイデル。
「全くだ。私はお前の兄だぞ。兄は敬え!敬ってこその弟だろうが。たまにはそっちから菓子折り一つでも持ってこいっ!」
部屋の中からの雄たけびと高笑いに、近くを通った者が驚いていた。
王都クインテールのセントラルにある魔導士協会は、荘厳なゴシック建築で出来ている。魔導士協会総本部。他国の魔導士達とのつながりも深く、故に国の一機関であっても国府並の権力を持つ。
協会本部の地下にある秘儀の間で現在、30名の魔導士達が大きく幾重にも重なりあう複雑な魔方陣を取り囲んでいた。
魔方陣の中央には、睡眠薬で眠るラウノの姿があった。横たわって眠るラウノの身体中に、魔法印の刻まれた細長い呪符が巻き付こうとしていた。しかし、呪符がきつく巻き付こうとすると、ラウノの表情が歪み眉間に皺が寄る。
その度に、魔導士達の近くで宙に浮いていた魔石が、風船のように弾けて壊れた。魔導士達に動揺が走り、さらに魔力を高め、魔方陣の層を厚くする。
再び呪符に巻き付かれたラウノの眉間に皺が寄り、それぞれに魔道具を持った高位の魔導士たちが数名、何かに弾かれたように吹き飛んでいた。
そこに、白いローブを着た一人の魔導士が現れた。
「お前たちは何をしているのだ」
現れたのは魔導士協会総長、グランドマスターのサンテルマ大魔導士。慌てた高位の魔導士が一人、総長の前に跪き苦しい説明を行うが、サンテルマは優しく微笑んで応えた。
「良いのだ、気にするな。私は何も見なかった。ことにする」
「サンテルマ様…」
「積年の恨みは私とて同じ。だが、ちと転移させる場所は私に任せてくれんかな」
「も、もちろんでございますとも。第6位階の大魔導士サンテルマ様であれば如何様な場所にも王子様を無事転送させられる事でございましょう」
「そうか。そうか。ならば皆の者、封印魔法は頑張るのだぞ」
総長の理解と協力を得、魔導士達にやる気がみなぎると、魔方陣がひと際輝いていた。
暫くして、魔導士協会内部にあるグランドマスターの部屋に戻ったサンテルマは、ゆったりとデスクに腰を下ろした。秘書が淹れたくれたお茶に礼を言い、一人になるとデスクの引き出しから小ぶりの鏡を取り出した。
鏡の向こうにはサーヘル村のメヒティが写っていた。
『よお、無事に終わったか』
「滞りなく、と言いたい所ですが、封印魔法はどうでしょうな。どこまでもつかは分かりかねますが、転移魔法はご依頼通りの場所に私が行いました。もちろん妖魔剣シンラも一緒に。メヒティ様」
『ありがとうな』
「ラルゴ王のご命令でもありましたので。そちらできつく鍛えてくだされ。あの王子は手におえんのです」
『はは、わし等にだって手に余るだろうさ。だが一番のボディーガードにはなる』
「?ボディーガードでございますか」
『それについてはまたいつか詳しく話してやる。ああそうだ。今回の礼にイルムの酒を送ってやろう、じゃあな』
鏡にサンテルマの顔が写って通話は切れた。すぐにボンと音がして、部屋の中に魔方陣と共に現れた酒樽を認め、サンテルマが相好を崩して小躍りした。
サーヘルは山間にあるのどかな村だった。緩やかな斜面には畑や果樹園があり、山羊が放牧されている。深い森と山河に囲まれ、どこの国にも属さない地。一流の冒険者や魔導士でも辿り着くことはできないと言われている、幻の村でもある。
村の近くの木立の中に、男が一人大の字になって眠っていた。上空を鷲に似た大きな鳥が旋回していたが、男を見つけると側に降りて来て近くの木を嘴でつついた。
それでマーキングは完了である。マーキングした場所に扉が現れ、中から赤髪の少女に変化したトロワとエンリケたちが姿を見せた。
「しかし凄いですなあ、この扉」
「本当便利よね。まさか転生して「どこでもドア」(声マネ)を手に入れるとは思わなかったわ」
「どこでもドア?」
聞き返したイルムにトロワは慌てて手を振った。
「いいのいいの、気にしないで。あそこまで便利じゃなさそうだから」
「とにかく、こいつを持って帰ろう」
「そうだな」
エンリケがラウノを担ぎあげ、イルムがラウノの剣を拾った。彼らが扉の中に戻ると、すぐに「ノゾミの扉」は書き消えた。
目を開けると頭がズキズキと痛んだが、身体は動かせたのですぐに起き上がった。見知らぬ家の寝室のようだが…。ここがどこか、自分が誰なのか思い出せなかった。
ノックもせずに入ってきたのは赤髪の女で、手には見慣れない食べ物を持っていた。
「あ、起きたの。気分はどう?まる一日寝てたのよ、君」
「ここはどこだ?」
「ここは…?なんて言う村だっけ。忘れたけどとにかくどこかのご長寿村。で、私はトロワよ。よろしくね」
ご長寿村?なんだそれ。と、思っていたらまた頭がズキズキとした。
「頭痛いの?後でメヒティおじいちゃんにヒールかけてもらえば良くなるわよ。今呼んでこようか?」
「いや、いい」
「ご飯食べる?一応持って来たんだけど、お粥さん」
「お粥さんってなんだ?」
少し考え込んだ女が言い直した。
「リゾット」
「リゾットってなんだ」
「本当にこっちにはお米料理ってないのね、モリーおばあちゃんも言ってたけど。とにかく小っちゃい粒粒の米を水で洗って、水で炊く。するとこうなる」
おかしな説明をしたトロワが、小さなお鍋の蓋をあけ、お粥を差し出した。まだ湯気の立つ小鍋を見て、ラウノのお腹が鳴った。
「今日は鳥ガラ出汁入り卵粥、葱みそトッピング。モリーおばあちゃんの自信作だから美味しいわよ」
と、トロワの説明を待たずにラウノはお粥を食べ始め、すぐに、
「おかわり」
と、言った。
その村には元気なジジイとババア達、それにおかしな女が二人と喋るミニゴーレムがいた。トロワと言う女は弱そうで、ちょっと変人。もう一人のジル先生と呼ばれる女は、一目で侮れないと判断した。
げんにジル先生と木剣で手合わせをすると、あっさりと負けてしまった。エンリケとかいうジジイにも負けてしまい、ラースは機嫌が悪かった。
ラースと言う名はそのエンリケがつけてくれた。名前を思い出そうとすると頭が痛み、靄がかかったようになる。自分が何者なのか、思い出そうとして思い出せず。
ラースのイライラが頂点に達したある日。
集会場ではトロワが、レム君とジル先生を師匠に、外野(エンリケ、イルム、メヒティ、ガラ、ラース)に見守られながら、スキルの練習をしていた。
「いいかい、スキル「神々の気まぐれ」と「女神の特性」には幾つもの細目項目がある」
「へえ…」
「へえ、じゃないんだよ、へえ、じゃ。全部使いこなせないと瘴気は払えないんだよ」
「って言われてもねえ」
ヤンキー座りでタバコをふかすマネをしたトロワが、口をへの字にする。
「いやだ、この子反抗期だわ」
と、嘆くレム君に、
「力づくにするか?」
と、ジル先生が聞いていた。
「ま、まあまあ」
と、宥めるジジイ達。
「それでも特別なスキルを使うには体力か魔力が必要になるのではないのですか」
エンリケの質問に、レム君が応えた。
「トロワはマナに愛されてはいるけどこの世界でいう魔法は使えないんだ。良く似て非なるモノ、かな。彼女はスキルを使うためのスキルポイントを貯めるスキルを持ってるんだよ」
老人達と一緒にトロワも盛大に首を曲げていた。
「そういえば、時々頭の中で変な声がするのよね。『レベルが上がりました』とか何とか。いつもお得な報告ばっかりしてくれるから得丸君って呼んでるんだけど返事はないのよね」
「ま、そういう事」
「どういう事よ。はっきり説明してよ」
「説明してもトロワは理解できないよね」
「まあ、何て言うか?意味不明の事には取り合えず蓋をする体質なもんで…」
ジジイ達が納得したようにトロワを見ていた。
「お茶が入ったわよ、休憩にしましょう」
モリーの声に、トロワとラースが真っ先に飛び出していき、喧嘩になった。
「何であんたが一番に行こうとするのよ、居候」
「お前も居候だろうが」
「あら、居候でも私の方が先輩でしょ。あんたなんか、私の後に来たんだから私の弟分でしょうが」
「誰が弟分だ。後先で決めるな。なんなら勝負するか」
「な、なによ、やる気」
と、ファイティングポーズを取ったトロワが、ピンと閃いた顔になった。
「お前なんか片手で投げ飛ばせ…」
「スキル「神々の気まぐれ」―細目―戦意喪失無気力バージョン」
と、トロワが言うと、一気に気が抜けた。その場に膝を着き、何もする気がおきなくなった。
「あらやだ。これ使えるじゃない」
と、トロワがほくそ笑み、
「あ、成功したね。うん順調順調」
と、レム君とジル先生が嬉しそうにしていた。横を通り過ぎていくジジイ達は一様におかしなモノを見る目つきだったが。
「いや怖いのう」
「怖いですなあ」
「聖女様はやっぱ最強じゃな」
「うんうん」
この日の夕方。村中を逃げ回るトロワと、追いかけまわすラースが目撃されている。
時おり、
「戦意喪失―脱力バージョン」
と唱える声がしても、暫くすると、
「うおおおお、何度も効くかあ」
と叫び返すラースの声が響いていた。
先にかけられた無気力バージョンから(30分後に)復活した時。ラースの怒りが何かを突き抜けていた。同時に身体中に巻き付いていた呪符がハラハラと落ちていき、自分が何者だったのかを思い出した。
記憶を取り戻したラウノが真っ先にしたのは、記憶喪失のフリだった。深く考えてのことではない。記憶と共に力も取り戻したラウノは、このままラースとして過ごすのも面白そうだと単純にそう思っただけ。
何より、ホムンクルスだと言うあの女は面白そうだった。取り敢えず、昼間の借りを返しておこうとトロワを追いかけまわした。
ふむ、やっぱりこの女は面白い。と、脱力バージョンを跳ね返しながら、ラース(ラウノ)は、再認識した。
翌日から、ジル先生やエンリケとも木剣で互角の勝負ができるようになり、楽しみが増えた。
またある時は、納屋の二階にある(ガラ爺さんの工房に変わった)部屋で、
「ノゾミの扉!」
「空気無効っ」
鏡の前で片手を上げたり両手を上げたり、スキルを叫びながらポーズの研究をしているトロワを見つけ、腹を抱えて笑った。
真っ赤になったトロワに、またもや戦意喪失をかけられはしたが。
ここサーヘル村での暮らしが大層気に入ったラースだった。
ラースが追いかけ回した夜に、トロワはノゾミの扉に逃げ込んだ。暫くその前で仁王立ちしていると、すぐに扉が開いてトロワが顔を出した。
「ちょっとラース大変大変」
「はあ?何が」
「扉が増えてる」
「はあ、何言ってやがる」
と、ノゾミの扉の中に入ると、そこは山小屋風の別荘のリビングで、リビングの先に扉が出来ていた。
「昨日はなかったな」
「でしょう。お米や食材の詰まった食糧庫はキッチンにあるんだけど、ここは何かしら」
「開けてみろよ」
「え、やだ怖い。あんた開けてよ」
本気でビビるトロワが背後に回ったので仕方なく、ラースが扉のノブに手をかけた。
「本当に開けるぞ」
「ど、どうぞ」
扉を開けると、そこは別世界だった。ラースの瞳が輝き、頭がくらくらした。一方のトロワは無反応。怖いモノでないと判るといつもの態度に戻り、部屋の中のモノを見てさらに面白くなさそうな顔になった。
「何これ、しょーもな」
「バカか、お前。こんな凄いモノ俺は見たことがないぞ」
と、近くにあった剣に触れた。
そこには、見るからに特別仕様の剣や槍と言った武器類と盾や鎧などの防具、魔導書やスキルブックに宝玉の類までもが、広々とした部屋いっぱいに納められていた。
ノゾミの扉を出てレムに問うと、
「武器庫も解放できたんだね。じゃあ後もうちょっとかな。武器庫も食糧庫も先代のトニアが集めたモノだよ。だから今は全てトロワのモノ。好きに使ったらいいよ」
「って言われてもねえ。武器使えないし。第二食糧庫だったらもっと良かったのに」
と言ったトロワには、ジジイ達と一緒にラースも失笑しか浮かばなかった。
ちなみに、ジジイ達を案内して行くと、やっぱりラースと同じような反応を示し、互いに目を輝かせていた。
この武器庫の価値が分からないあの聖女見習いはやっぱり変人だと、ラースは思った。




